7. 虐待のシンデレラ (1)
日本は四季があるというけれど、温暖化の圧力に秋は立つ瀬がないと思う。同様に春も。
十月も下旬となれば肌寒く感じることが増えた。たった最近まで半袖でも汗に苦労する猛暑だったのに、衣替えのタイミングを逃したまま冬が訪れようとしている。黒のニットにみ空色のサテンワンピースを合わせた千花は、現在二瀬小学校からの帰り道だ。
もちろん授業を受けた放課後の帰路ではなく、ポスター掲示のお願いで柳木に同伴した後という意味だ。後日ゆかと連絡を取る中で、本日三十一日のハロウィンパーティが夕方学校付近の公民館で行われるとは聞いていたけれど、まさか午前中が授業参観だったとは。
簡単にお願いをして帰るつもりが、子どもや保護者で賑わい、先生方も忙しいタイミングでの訪問になってしまった。
学校に来る途中、行きかう車の多さに漠然と違和感はあった。正門から敷地内に入るとき、学校関係者用の駐車場が隙間もないほどになっていて、柳木と顔を見合わせたくらいだ。千花の気まぐれで徒歩で来たのは正解だったらしい。
おかげで学校内では、保護者に紛れて目立つことはなかった。柳木は不穏な存在感があるので、不審者に間違われても困る。
職員室前で担当者を待つ間、千花は背伸びをして放送室の中を覗き、柳木は掲示板を物色していた。小学校なんて滅多に入れないので、千花は目的半分で校内見学を楽しんでいた。ポスターのお願い自体はむしろ喜ばれ、数回会話を重ねると快く了承してもらえた。
せっかくならゆかの教室にも寄りたかったが、「あの教師がいると面倒だからダメだ」と柳木に止められ、渋々従って外に出た。
そうして現在、敷地の外縁に沿って来た道を帰っている。店までは片道十五分の距離だ。首を横に向けると、フェンス越しのグラウンドに、給食を食べ終えた男の子たちが駆け込んでいるのが見えた。一番乗りの少年が脇にサッカーボールを抱えている。
グラウンドの奥には、一本の大きなイチョウの木が黄色い葉を茂らせて揺れている。気温が季節を冠していなくても、植物はその存在感で秋を示している。季語とは違わず季語なんだなと千花は感心した。
そんな様子を隣にいる柳木は無言で眺めていた。マウンテンパーカーを羽織り、黒のスキニーパンツを穿いた柳木はブロック塀で子どもが見えなくなると千花に話し始めた。
「お前のポスター良かったな。受けのいい可愛い絵、まさかイラストが描けるとは思ってなかった」
「少し練習したことがあるんですよ。昔、友達にバカにされたので」
「さぞ独創的だったことだろう」
「個性があるのは美点ですよ。誉め言葉として受け止めますね」
鼻で笑う柳木をやりこめたものの、千花は内心図星だった。なにせ人間を描いても「ウーパールーパーじゃん」と笑われ、画伯と皮肉られた過去がある。今でも人間はうまく描けないので、ポスターは本や動物の絵で彩ったのだ。
「そういう柳木さんはどうなんですか?私のことバカにするくらいには」
「俺は壊滅的だぞ」
なんて人だ。自分を棚に上げてよくも笑ってくれたな!
「お前の知っている通り俺は絵本が好きだ。なら絵本作家になればいいじゃないかって思うだろ?」
「確かに、それ疑問でした」
彼の童話愛を知るたびに、この人自分で絵本作りそうだなと考えたことがあった。もしかしたら趣味で自作しているかもと思って、店の棚を漁ったことがある。
柳木はお手上げといったジェスチャーで吐き捨てるように続けた。
「画力が壊滅的だったんだな。努力次第で何とかなったかもしれんが、それよりは絵本の魅力を発信するほうが性に合ってると思った」
「壊滅的な絵は子ども受けいいらしいですよ」
「なるほどこれも俺の個性で美点だったわけだ」
ドスの効いた返事が返ってくる。劣勢と判断したらしい柳木は話を切り替えるために千花の申し訳なくも恐ろしい体験を掘り返した。
「今朝からの調子を見るに元気になったみたいだな。俺はお前が泣きべそかくほどの悪夢とはいったい何なのか気になっている」
「私心も体もか弱い女の子なので悪夢を見れば人並みに怖いです。というか気を利かせて火曜日の件避けてくれてると思ってたのに」
……柳木さんは相変わらずデリカシーがない。
とはいえ失態を犯したのは千花なので突っぱねられるほど立場は強くない。夢だというのに嫌に鮮明なあの世界での出来事。シンデレラの凄惨な扱い、極寒の中暗闇をひたすらに歩いた記憶を道すがら柳木に語った。
千花の奇妙な体験を柳木は相槌を打ちながら静かに聞いていた。目覚めたところまで話し終えると、柳木は鼻の付け根を押さえながら感心したような声を上げた。
「『シンデレラ』を読んでいる最中にその夢を見るとはお前は感受性が高いのか。神さんのお告げみてえに何か意味があるのかもしれねえな」
「意味、ですか」
保身というわけではないけれど、私は普段居眠りするような不真面目店員ではないのだ。夢を見る前、そういえば初めてあの絵本を見た時も異常なほど本に魅入られ、意識を奪われた。超常的な力が作用していた?いやいや、高校生にもなって言い訳が恥ずかしすぎる。
「聞く限りだと本当にシンデレラそのものだ。寒さを我慢するために彼女はよくかまどのある部屋に行って燃えがらや灰の中で暖をとっていたんだ。だからシンデレラと呼ばれてる」
……夢の中の私も、灰の温かさに救われたんだっけ。
思い返すと余計な寒さまでフラッシュバックし、身が縮こまった。腕をさすりながら、後になって柳木の言い方に引っかかりを覚えた。
「呼ばれてるってシンデレラはシンデレラじゃないんですか?」
そう尋ねて柳木を見上げると、「何言ってるんだこいつ」と言わんばかりの歪んだ顔でガンを飛ばしていた。もしや今のは爆弾発言だったのか!
背筋が凍り、千花は歩みを止める。
「あのな、あの娘さんの名前はエラだ。母親や姉たちが蔑称として灰にまみれたエラを『灰被りのエラ』(シンダー・エラ)と呼んだことからシンデレラって呼称がある。常識だ」