5. 書店CLOVERにて (4)
「違うお姫さまの仮装をしようって提案は元々友達四人のなかでのことでした。でもそれがどこからか広まって、わたしのクラスでイベントに参加する人は、それぞれ違った仮装をして集まって写真を撮ろうって流れになったんです」
ゆかのクラスの参加者が何人かはわからないが、全員被りなしというのは難しいと思った。お姫さまの仮装こそイレギュラーで、大抵は魔女のエナン帽子や吸血鬼のマントを装着した雰囲気的なものだ。
渋谷のハロウィンなんかは誰もかれも精工で、本物にしか見えないゾンビだったりミイラだったりが闊歩しているけれど、あれは大人のエンタメだから実現できること。子どもであれば、それほどバリエーション豊かに満足な仮装はできないだろう。
実際、千花の推測は的中していた。
「予想外のことだったけど、クラスが盛り上がるならそれでもいいかなって思いました。みんなが違う写真は想像すると面白いです。でも昨日、クラスの一人が大声で話しているのを聞きました。シンデレラのドレスを着るって」
……的中はしたけど、被るのシンデレラの方か!
てっきり被って揉めるのは魔女さん帽子かと思っていた。しかしそれならゆかが悩むのにも納得がいく。時系列的にゆかが仮装をシンデレラに決定したのが先だ。だから被らないようにするならその子が別の衣装に変えるのが妥当だけれど、まさか他にシンデレラのドレスを着る人がいるとは思わなかったのだろう。
気がかりだと言っているあたり、ゆかはまだその子に事実を伝えられていないようだ。
「申し訳ない、というよりその子が理絵ちゃんだから言いにくいんです。気が強いというか言葉が強くて……嫌なこと言われちゃいそう」
ゆかはいっそう小声になって理絵という少女の名前を口にした。目尻が下がり、諦めの混じった微妙な表情を浮かべている。耳を近づけて違えなく聞き取った千花は、「うう……」と唸りながら考えた。
頭ごなしに決めつけるのはよくないが、強気な人ほど融通が利かない。千花自身、小中高と学年を繰り上がるなかで、そういったクラスメイトを忌避したきらいがある。自分なら絶対関わらないというのに、「話し合って平和的に解決しようよ」などとゆかの背中を押せるはずがない。頼みの綱のお姉さんという優位はもうどこにもなかった。
話し合うという策を最後に回し、何か逃げ道がないか千花は模索することにした。
「衣装の被りなしっていうのは絶対なの?」
「正確にはクラスで話し合って決定したわけじゃないです。ムードメーカーの男の子が賛成して広まって、実際乗り気じゃない人もいます。でも、発言力ある人が乗り気なのでみんな従うかもしれません」
「……理絵ちゃんが大声で話してたのって周りに自分の仮装を認知してもらうためだよね。ってことは理絵ちゃんは衣装被りたくない派で発言力が強い」
勢いに任せてクラスに広がったから十分な情報交換がなされていないのだ。本当に被らないようにするなら、やりたい仮装をみんなが書いて名簿にするなり方法はある。理絵のように申告制で決めているのなら、知らずのうちに同じ仮装の人がいても当然に思えた。
ただそれを嘆いても仕方がない。衣装被りが問題なのではなく、理絵よりも後出しでシンデレラに変身するのがよくないのだ。ゆかが決めたのが先なのに宣言したのは理絵が先、というのがなんとももどかしい。素直に打ち明けたとしても、文句のひとつやふたつは口から飛び出してきそうだ。となれば……。
はじめに頭の中に浮かび、慌てて隅に追いやった選択肢がじりじりと迫ってくる。解決とは名ばかりの消極的な和平政策だ。
「わたし、今からでも衣装変えたほうがいいですかね」
「それは……」
ゆかが口にしたことで押し込めていた雑念が輪郭を帯びる。
ゆかが衣装を譲りさえすれば衝突も嫌味もなくすべては丸い。けど、それって青春にはビター過ぎる選択じゃないのかな。
もし自分がゆかだったら、理絵の知らないところで理絵のために我慢することは厭わないけれど、「ほんとは私だって!」ってモヤモヤは思い出を濁しちゃうと思う。第一、頼まれたわけでもない偽善は感謝されもしない。だったら、やらずに後悔するくらいなら。
「当たって砕けようゆかちゃん。宣言したからってその人が優遇されるのはおかしいよ。でももし事前に話し合うと当日のシンデレラは一人になっちゃう。ゆかちゃんも理絵ちゃんもなりたい仮装ができるように何もしないのがいいんじゃないかな。それに私の知ってるハロウィンパーティーは自由行動だったよ。町のイベントもそうなら理絵ちゃんの横に立たなければ衣装被りも目立たないし、パーティーの盛り上がりで気にもしないかも。写真はごまかせないけど……私はゆかちゃんにシンデレラになってほしいな」
ゆかはうつむきかけたまま目だけで私を見上げて、ふっと笑みをこぼした。重たかった空気がラムネの栓が抜けたみたいに泡になって消えていく。
半分は私のわがままだというのにゆかはむしろそれを喜んでくれているようだ。
「どうにかしないとって思い詰めてました。わたしもシンデレラなこと黙ってるのは悪い気もしますが、衣装はそのままで行こうと思います」
気を使って友達にも相談してなかったのかもしれない。初対面だったが話を聞いてあげられてよかったなと千花は思った。
……もしかして柳木さんが私をここに来させたのって、ゆかちゃんが悩んでいるのに気づいていたから?
営業スマイらない柳木を横目に、買いかぶり過ぎかと独り言ちる。それだけ人の心が読めるなら、私への非礼はどう説明がつくのだ。
飲み込んだ文句が沸き上がるのを感じていると、椅子を元に戻し、筆箱に鉛筆を仕舞ったゆかが口を開いた。
「相談に乗ってくれてありがとうございました。ハロウィンの写真送りたいので連絡先おしえてもらえませんか?……千花さんにドレス見てもらいたいので。暗くなるので今日は帰りますね、千花さんもお仕事頑張ってください!」
「もちろん大歓迎、写真楽しみにしてるね。ゆかちゃんも気を付けて!」
連絡先を交換した後、千花は手を振ってゆかを見送った。店内の振り子時計は五時四十分を指している。
店の扉が閉じるのと同時に千花の心臓は鼓動を速めていた。お仕事頑張ってください……あれ、私お仕事どうしたんだっけ。
ゆかの隣で作業してこいと柳木さんに言われて、カウンターを出て道具をもって椅子に座って、ゆかちゃんとお話をした。お話をするのはいい、けれどその間に作業……してない!
閉店の午後七時まではあと一時間弱。途中で柳木が進捗の確認に来るかもしれないのに未だ成果はゼロだ。そもそも絵本の一ページ目にすら目を通していない。仕事中だということを忘れてゆかと話し込んでしまった。
ただでさえ強面の柳木に怒られるのは避けたい。慣れてきたとはいえ不活性な女子高生の心臓は脆いのだ。
体の向きを変え、ずっと抱えていた絵本を机の上に乗せる。何度見ても美しい『シンデレラ』の表紙を開くと、真新しいページの抵抗感が興奮を誘った。これから読み始めるんだというワクワクは新品のつやと肌触り、折りぐせのない一枚一枚に増幅されると思う。その新しさを霞ませたくなくて慎重にページをめくるのだ。
千花の意識は、柳木とやり取りした時のように見開きのコート紙に吸い込まれた。目を奪われたとも感銘を受け妄想に浸ったということもない。まどろみの中、舟を漕いだ瞬間のような、区別のつかない酩酊感に支配され、意識を閉ざす。力の抜けた腕が網かごを弾いて、音が散乱した。