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童話書店の夢みるソーネチカ  作者: 横山くらい
平衡のシンデレラ
1/19

1. Prologue

「日本の童話って聞いて、お前は何が浮かぶ?」


 客足がなく手持ち無沙汰の千花に、柳木が声をかけた。


「ええと、桃太郎とか定番ですよね」


 十七年の人生の中で何度見聞きしたかわからない。それほどに社会に浸透し、昔話の権威ともいえる名前を千花は口にした。


「そうだな。だいたい桃太郎か浦島太郎、鶴の恩返し辺りが挙がりやすい。ちょうどこの時間帯は人が少ねえから桃太郎の話でもしてやろう」


 よしっ、今日は知ってるお話だ!


 不気味に笑う柳木の言葉に千花は内心安堵していた。人並みの知識しかない千花にとって、柳木の童話談義に相槌を打つことは極めて難しい。


 題名は聞いたことありますよ、というと決まって冷たい眼差しを向けられる。お前は小さいときに一体何を読んでいたんだ、と柳木の呆れる様子が鮮明に想起され、身構えてしまうのが最近の常だ。誰だって有名な絵本しか読み聞かせられないでしょうに。


 白シャツにスーツ地の黒のベスト、その上からエプロンをかけた柳木は、レジのカウンターに体を預けた。これはこの店の制服であり、千花も同様の服装をしている。サイズは柳木のものよりひと回り小さく、下は膝丈のスカートという違いはあるけれど。


「ストーリーは、まあ知ってるだろうな。桃から生まれた桃太郎が爺さんと婆さんにきびだんごもらって、イヌ、サル、キジ連れて鬼退治に行くって話だ。お前はこの話に続編があるのを知ってるか?」


「えっ、続きあるんですか⁉」


 千花は驚いて反射的に顔を上げた。まさかそんな話、生まれてこの方聞いたことがない.……。


 ついていけない童話談義を煩わしく思うこともあるが、興味深いトリビアを教えてくれる柳木との雑談を千花は有意義に感じていた。


 切れ長のつり目で威圧感のある柳木が嬉々として童話愛を語っている。この時間だけは柳木に似合わない優しい声が聴けるのだ。そんな普段とのギャップを嬉しく思いながら、解説を聞き逃さないように千花は耳を澄ませた。


「続編って言っても公式の物語じゃないけどな。江戸時代にいくつかの二次創作物が発表されてる。特に俺が好きなのが一七八四年に書かれた『桃太郎元服姿』って作品だ」


 ……元服って確か昔の成人式みたいなやつだよね。


 桃太郎が大人になった未来のお話なのかなと推察する千花に、カウンター越しの柳木が背中で振り向いて続けた。


「宝をとられた鬼たちは桃太郎に復讐したい。だから暗殺計画を立てた。そんで島で一番きれいな鬼の娘、おきよを桃太郎のところに送るんだ」


 それってつまり――。


「ハニートラップ、ですか?」


 正解、と柳木が親指と人差し指で丸を作った。


 男らしく血生臭く、残忍に。千花にとって鬼とはそういうイメージだった。鬼の威厳はどこへ……と呆気にとられたまま、ハニートラップの行方に耳を傾ける。


「人間に化けたおきよは驚くことに、桃太郎と暮らすうち彼に恋しちまうんだ」


 まさかのラブストーリー⁉


 千花の脳内の『桃太郎』は崩れつつあった。勧善懲悪の王道物語ではなかったのか……。とはいえ、千花も年頃の高校生。恋物語となればそれはそれで興味の対象である。異なる立場の者同士の恋、というのは千花の好むジャンルでもあった。


「だが切ないことにこれは悲恋の物語だ。仲間の鬼たちを裏切りたくないが桃太郎も殺したくない。おきよは苦難の末、自害してしまう」


「それはなんというか.……」


 やるせない。けれど、大切な人を傷つけたくないおきよの優しさが尊いものに思えて美しい結末に感じられた。柳木がこの作品に魅せられ、好きだと言った理由も分かったような気がする。


「このことを知った桃太郎はその後鬼退治をしなくなったってのもいいんだよな。桃太郎もおきよのことを大切に想っていた。俺は悪を懲らしめる作品ってのはあんま好かねえ。だって見方が変わればどっちが悪かなんて分かんねえだろ?」


 ……あまねく童話に盲目的な人かと思ってた。


 柳木の言わんとするところは千花にも理解できた。そういえば桃太郎の作中で鬼が悪さしている描写ってないんだよね。鬼からすれば桃太郎が侵略者ってことか。


 柳木は何かを思い出したような様子で背中を預けていたカウンターテーブルから離れた。視界が開けた千花は、天井に吊り下がるペンダントライトの光を直視してしまい、たまらず目を細める。


「この話とは違うが桃太郎の後日談の絵本がうちにも一冊ある。取ってきてやろう」


 そういって奥の本棚へ歩いていく柳木を千花は眺めていた。


 簾柳木(すだれやなぎ)、童話書店『CLOVER』の店長で年齢は二十代半ば。不愛想で目つきが悪く、不良が絵本に一喜一憂するフィクションの化身だ。声も大きいのでたびたび子どもに恐れられている。


 ……それは柳木さんも気にしてるんだよね。


 見た目で損をしているけれど、生粋の子ども好きで面倒見の良い頼れるお兄さんという印象。それはこの一か月のアルバイトのなかでくみ取れたことで、千花もはじめはいつ怒られるかびくびくしていた。今では、逆らうといてこまされる!といった認識はなくなり、少しずつ彼のことも知っていきたいと思っている。


「千花も女子高生だ。恋愛はいいがハニートラップとかはやめとけよ」


「なっ、するわけないじゃないですか!」


 目当ての絵本を右手に持った柳木が戻ってきた。


 そうだ。このデリカシーのなさがこの人最大の残念ポイントだった。


 未だピンと来ていない柳木に抗議していると入口のベルがチリンとなった。


「客さんだな」


 助かった、という表情で柳木が姿勢を正す。まだまだ物申したいことはあったが仕方がない。うまく逃げられたことを恨めしく思いつつ、千花も火照った顔を急いで冷ますのだった。

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