第8話
真希さんの身体検査を終えたおれは、施設内に用意してもらった部屋へ移動していた。英美里教授とトワもそこで休んでいる。あとはここのどこかにあるゲートを利用してソル・グラシアへ逃げるだけだ。
「でもよくよく考えてみると、逃げたのはいいけどその先でどうやって生きていくんだろう。そもそも、ソル・グラシアにもAMESの人間はいるだろうし、こっちの世界と友好的な国も限られているって話だったし……」
考えると不安しかない。英美里教授がずっと一緒にいてくれる保証もないし、おれはこれからどうなるんだろう。もう元の生活には戻れないのだろうか。
「なんでこんなことになったのかなぁ……」
軽く鬱状態になりながら、おれは部屋に入った。
室内には、相変わらずテレビを見ているトワと、まだ昼過ぎだというのにワインを飲んでいる英美里教授がいた。しかし、トワはおれにしか見えないため、同じ空間にいても会話はない。
「おお、無事に戻ってきたか」
「はい……。もう二度とあんな目に合うのはごめんです」
「はは、大変だったな。とりあえずお前も休んでおけ。これからすぐに真希にゲートを開けてもらう。それと、クルマに置いてきた荷物はベルベットが取って来てくれたぞ」
見ると、台の上にクルマに乗せていた荷物が全部揃っていた。
「そういえば置いてきてましたね。すっかり忘れていました。それにしても英美里教授の荷物は多いですね?」
「ああ。私も悩んだんだが、どれが似合うかわからなくてな」
「似合う?」
なんのことだろう。
「言っただろう? 私の服を貸してやると」
ニヤリと笑いながら、英美里教授は立ち上がった。
「あ、あの、このままの格好でいいんですけど……」
「お前、よくそれでいいと思えるな。Tシャツにカーゴパンツの組み合わせは童貞の男にしか許されないんだよ」
「ど、どどど童貞ちゃうわ!」
テンパって変な言葉遣いになってしまった。
「見栄を張らなくてもいい。ともかくだ。着替えは強制だ。元が男だとはいえ少しは女の子らしくしないとな? 今のその格好だと同行者である私も恥ずかしいことこの上ない」
ぽん、と、英美里教授はおれの肩に手を置いた。
これはどうも逃げ場がなさそうだ。
「わかりました。変な服じゃなければ文句はいいません」
「そこは安心しろ。真希と違って私には常識がある」
自信満々な英美里教授。
いつもスーツ姿でビシッと決めているもんだから、若干の不安はあるのだが、ここは英美里教授を信じるとしよう。
「さあ、まずは下着からだな」
「下着……そういうものもあるのか……」
「何を言っとるんだ。まさかノーパンで過ごすつもりか。仮にもしそのつもりなら、真希が大喜びしそうだが」
「トランクス……」
おれがぼそりとそう言うと、英美里教授は盛大にため息をついた。やれやれと首を振り、呆れかえっている。
「当然トランクスは却下だ。まあ、はきやすい下着を持ってきたからすぐに慣れるだろう」
「どんなやつですか?」
「これだ」
言って、英美里教授は下着を取り出した。
「あまり見ない下着ですね」
「童貞のお前が女性の下着を見たことがあるわけないだろうが。寝ぼけているのか?」
「く……! 痛い所を的確に突いてくる……ッ」
やはり、生粋のドSだ。
「ハーフトップとボクサーパンツだ。これならそこまで違和感なくはけるだろう」
「なるほど、確かに想像していたのとは違いますね」
もっとふわふわでゆるゆるできゃぴきゃぴなものを想像していた。
「お前がどういうものを想像していたかは知らんが、偏った知識で物事を見るのは感心しないな? まあ、参考資料はお前の部屋にあったあのいかがわしい雑誌類だろうが」
「ノーッ! せっかく忘れかけていたのに思い出させないでー!」
健全男子の部屋を大人の女性に見られてしまった事実が、再びおれの羞恥心を突き刺す。
まあ、変な下着じゃなくてよかった。どんなものを想像していたかは秘密ってことで。
「あと服装だが、ソル・グラシアに合ったものを用意した」
英美里教授が取り出した服は、確かに異世界風の服だった。
数はいくつかある。この中から選ぶとなると少し迷いそうだが、おれの中での選定の基準は実はもう決まってるのだ。
しかし、何故異世界風の服なんてものを英美里教授は持っているのか。教授のお古じゃなかったっけ。
「どうした?」
「あ、いえ、この服って教授のお古って話だったようなって思ってですね」
「ああ。安心しろ、下着は新品だぞ」
「下着は、ということはその服はおさがりになるんですか?」
「まあそうだな。ちゃんとクリーニングはしているから大丈夫だとは思うが」
「そこらへんは心配してないです。英美里教授は几帳面な方ですし。ただ、異世界風の服を持っているのが気になって」
「そういうことか。お前も変なところを気にするな。ただ、私は以前ソル・グラシアにいたことがあった。それだけのことだ」
「な、なるほど……」
一般人が異世界に行くことは簡単なことじゃない。魔物も出るし、こっちとは違った危険もあるだろう。そもそもAMESが基本的にゲートを一般人に開放していないので、選ばれた人間しか向こうの世界には行けないはずだ。
でも、英美里教授くらい偉い人なら行けてもおかしくはないのだろう。そもそも一般人とは程遠そうなヒトだしな。目の前の女性がいったい何者なのかは、今は考えないようにしよう。
「では、着ます」
「1人で着れるか?」
「多分大丈夫だと思います。わからないことがあったら呼びますので」
「わかった。私は一度部屋から出るとしよう。終わったら呼ぶんだぞ」
「はい」
英美里教授は普通に出て行った。
なんか、悪戯されるんじゃないかと心配だったけど杞憂に終わったようだ。
「う~む、下着は普通に着れるとして、問題はこっちの服だよな」
どれとどれを組み合わせて着るのがいいのか。女の子じゃないおれには中々難しい問題だ。
ということで、おれの選定基準である露出の少ない服でチョイスしていくことにしよう。
「これと、これとこれ……かな。よし、とりあえず試着してみよう」
まず一回目のトライ。
服自体は難なく着用できた。
が、なんか胸のあたりがすーすーする。
「……サイズ、あってないじゃん……」
謎の敗北感がおれを襲う。
別に胸のでかさとかどうでもいいけど、これはちょっとだけちっぱいの女の子の気持ちが判るな。いや、英美里教授がでかいだけな気もするけどさ。
「仕方ない。下はこのハーフパンツ風のやつでいいや。問題は上だな。インナーから考えなくてはいけないとは」
バストサイズで多少の違和感があるのは仕方ないにしても、胸元を強調するような服はダメだな。となると、これがいいか。
「ようし、こんなもんでどうだ」
自分の姿を鏡に映す。
うん。普通に可愛いだろう。おれの感性が終わってなければ。
「トワ、この服装どう思う?」
おれが訊くと、
『……普通じゃな』
「そ、そう……。あまり興味ないのかな?」
『そういうわけでもないが……普通という感想以外出んかった。すまぬ』
「そ、そっか……」
知ってたさ。おれにファッションセンスなんてないってことは。男だった時もカジュアルな服装ばっかだったもんな。ジャージとか、動きやすくて好きだったし。
まあいい。普通ということは逆を言えばおかしくはないということだ。及第点だろう。ファッション界のザ・ノーマルとでもいってくれ。
「英美里教授、終わりました」
「――わかった。入るぞ」
そう言って、英美里教授は部屋に戻ってきた。
「ほう……。想像以上に普通だな」
「……知ってます」
「自覚があるのか。驚きだな」
そりゃトワにきいたからな! とは当然言えるはずもなく。
適当に誤魔化してからおれは、
「で、この服装で問題ないでしょうか」
「悪くはないが、少しだけアクセントをつけてやろう」
言って、英美里教授は自分が身に着けていた首飾りを外しておれにつけてくれた。
「あの、これ、いいんですか?」
なんか小さいけど宝石っぽいのついてるんだけど。めっちゃ高価なアクセサリーじゃないだろうな。
「ああ。私からのプレゼントだ。絶対に肌身離さず身に着けておくように」
「あ、ありがとうございます……」
英美里教授からの失くすなよという圧が……。
まあ首飾りなんて早々なくしたりはしないだろう。ずっとつけておけばいいんだし。
「よし、善は急げというしな。早速ゲートを使わせてもらうか。AMESの連中に嗅ぎ付けられても厄介だ」
「そうですね。おれも、まだ死にたくはないですし……」
それに、異世界に行けるというのもワクワクする。
ただ、それは一時的な感情だ。その後の――おれの人生はどうなるのかという不安は当然ある。変な力を手に入れて、女の子になってしまって、これからどう生きていけばいいのか先行き不透明な状態だ。
でも、一つだけ言えるのは、まだ生きていたいということ。AMESに捕らえられてしまえば、英美里教授曰くきっとまともではいられないんだろう。
「この世界のためとはいえ、個人を犠牲にするやり方は私は気に喰わない。確かにAMESが積み上げてきた実績は計り知れないモノだが、だからといって何をしてもいいということにはならないからな。上の連中が変わらない限りは、あの組織の根本はそのままだろう。それに――。いや、これはいいか」
英美里教授は何かを言いかけて、止めた。
「……ずっと気になっていたんですけど」
おれは今訊くかどうか迷ったが、ここまで口にしてしまったのでついでに尋ねてようと決めた。
「どうしてそんなにAMESについて詳しいんですか? おれの知ってる限りじゃ、英美里教授は学院の偉い教授、ということだけなんですが」
おれが言うと、英美里教授はふっ、と少しだけ笑った。
「偉い教授って、具体性に欠ける形容の仕方だな。それとAMESについてだが、まあ、どうせ異世界に行くんだ。ここで教えてもいいか。私は――」
英美里教授が言いかけたその瞬間。
施設内にアラートが鳴り響いた。
けたたましく鳴る警告音は止む気配がない。
「――英美里!」
唐突に部屋に入ってきたのは真希さんだ。
その慌てた表情から、異常事態が起こったことが見て取れる。
「何があった? まさかもう追手がきたのか?」
「違うわ……! ベルが乗っ取られたのよ!」
「なんだって!? ちっ、さっきクルマに荷物を取りに行ったときか……!? まったく、厄介なことになったぞこれは……」
ベル、というとあの機械仕掛けの少女ベルベッドの愛称か。
しかし、乗っ取られたというのはどういうことなのか。
「あの交戦の一瞬でブレインデバイスに細工を施こされた可能性もあるか……。どちらにせよ、これは相当デキる人間が指揮しているな」
「ええ。とにかく、目的は湊くんだろうから、すぐにゲートを開くわ。あなた達は急いで向かって!」
「で、でも真希さんは?」
「私なら大丈夫。ゲートを開く役目もあるし、ベルも止めないといけないしね」
真希さんは真剣な表情でそう言った。
でも、彼女は研究者であって戦闘員ではないはずだ。どうやってベルベッドを止めるつもりなんだろう。
「今は任せるしかないだろう。行くぞ、湊」
「わ、わかりました」
そうして、アラートの中、おれ達は慌ただしくゲートへと向かうのだった。