第4話
英美里教授が家を出て行ってから50分程が経った。
おれはというと、大人しく英美里教授の指示に従い、出立の準備を終え、家でジッと待機している。トワと2人、テレビを見ている状態だ。
「はぁ、にしてもおかしなことになっちゃったなぁ」
女になって、マモノと戦える力を手に入れて、AMESに追われる身になって。この中で目に見えてわかるのが女になったことくらいで、残りの2つはまだ実感がない。マモノと戦った記憶も消えてるみたいだし、AMESの人間に出会ったこともない。まあ、性別が変わっただけでもだいぶおかしなことになっているのだけど。
「ミナトよ」
唐突にトワが真面目な声音でおれの名を呼んだ。
「ど、どうしたの?」
「囲まれておるぞ」
「え?」
おれは咄嗟に身構えた。
見るのは玄関。真っ先に思い浮かんだのはAMESだ。
「ま、まさかもう居場所がばれたってのか?」
「敵の素性はわからんが、その可能性は高いのぅ。戦闘は避けられんかもしれぬ」
「せ、戦闘っていったって、おれ戦うなんてできないんだけど……」
「神剣使いがなにをいうておるのじゃ。戦い方は魂が覚えておる。だから大丈夫じゃ。それに、わらわもついておる」
「それは心強いけど、いざ戦うってなったら怖いかも……」
そもそも、生まれてこの方剣なんて物騒な物を振り回したことなどないのだ。魂が覚えているっていっても、怖いものは怖い。
「弱気な主様じゃのぅ。わらわを有して、これほどまでに臆病になれるのはミナトくらいのものじゃ」
「そんなこと言われたっておれはただの一般人だったんだししょうがないじゃんか。でも……」
「――?
「怖いけど、まだまともに生きていたいから、やれるだけやってみるよ」
震える腕を無理やりおさえつけ、おれは深呼吸した。
AMESに捕まって、実験動物扱いは嫌だからな。
モルモットになるくらいなら、女になって生きていた方が遥かにマシだ。それに、まだまだたくさんやり残してることがある。こんなとこで終わるだなんてできない。
「その意気じゃ。なに、安心せい。唯一名に覚醒した者は強い。それは身体云々ではなく魂の強さじゃ。そこらの連中に遅れを取ることはない。わらわを信じよ」
トワの表情は真面目そのものだ。
それだけ言われてしまうと、おれも覚悟を決めざるを得ないな。
「うん。トワを信じるよ」
「よし。では――む?」
「どうしたの?」
「いや、外で何か起きたようじゃ。これは、あの女か」
言われてみると、アパートの外で何か物騒な音が鳴っていることに気づいた。
「ちょ、これって発砲音!?」
明らかに外でドンパチしている。
ということは、AMESと英美里教授が戦っている!?
これはいよいよ英美里教授が何者なのかわからなくなってきたぞ。
戦闘音は一分も経たずに聞こえなくなった。
おれは恐る恐る玄関の小窓から外を眺めてみるが、いまいち状況がわからない。
「ここ、二階だもんなぁ。英美里教授、大丈夫かな」
「それなんじゃが。我らも加勢した方がよいかとも思うたが……どうやらあの女には不要じゃったようだぞ主様よ」
「え、それって!」
「うむ。あの女の気を感じる。恐らく1人で無力化したのじゃろうな。やはり危険なやつじゃ」
「よ、よかった……」
とりあえず無事だというのなら安心だ。
しかし、囲まれていたというのなら敵は数人いたはずだ。それを1人で無力化した英美里教授って……。いや、今は考えるのをよそう。頼れるのはあの人しかいないんだから。
「湊~。生きてるか~?」
何事もなかったかのように英美里教授が部屋に入ってきた。
その直後、外でサイレンが鳴り響いた。恐らく、先ほどのドンパチのせいで都市の警察治安維持部隊が動き出したんだろう。急がないと面倒なことになりそうだ。
「よし、ジャージ姿なのは気になるが、一応準備は出来ているようだな。おりこうさんだぞ」
「え、英美里教授、あのっ!」
訊きたいことはたくさんある。でも、おれは頭が悪いから要点だけを咄嗟に絞り出すことが出来ない。
おれがゴマついていると、英美里教授はやれやれとため息をつき、
「話は後できいてやる。今はここを離れるのが先決だ」
「……わかりました」
「クルマで移動するぞ。ついてこい」
「はいっ」
おれはバッグを背負い、英美里教授の後に続いた。
トワはおれの肩に乗り、一緒についてきてくれている。
英美里教授のクルマは近くの道にとめてあった。
頑丈そうなSUV車だ。車体も高く、悪道も難なく走りそうだ。
「荷物はトランクに積むぞ」
「わかりました」
そうこうしている間にも、サイレンは鳴り続いている。
アパートの周りには数人の武装した男達が倒れていた。警察が彼らをどう判断するかは判らないが、AMESの圧力で有耶無耶にされる可能性は低くない。
「この荷物って……」
トランクには数多の銃や武具等が入っていた。
やっぱり、この人はただの教授ではなさそうです……。
「今は気にするな。荷物を乗せたら座席に座るんだ」
「は、はい!」
おれは荷物を積み込み、助手席に座った。
英美里教授も何か準備をした後、運転席に乗り込んだ。
「さあ、ランデブーと洒落込もうじゃないか」
そう言った英美里教授は、思いっきりアクセルを踏み込んだ。
唐突な急発進に、おれは軽く吹っ飛びそうになった。
おれは体勢を整えて、急いでシートベルトを締める。
それにしても女の子の身体って、こんなに軽いのか。驚きだ。
「そ、そんなに急がなくても……っ」
「何を言う。すぐに追手が来るぞ。AMESの特殊部隊共が動いているようだからな。それに、この街……いや、この国はやつらの手のひらの中だ。至る所に監視カメラは仕掛けられているし、衛星カメラもある。常に見張られていると思った方がいい」
「そんな! それじゃ逃げ切るなんて無理じゃないですか!」
「この国では、な。可能性があるとすれば海外逃亡だろうが、こっちも不可能だ。専用の船か飛行機があったとしても、すぐに居場所を掴まれる」
「それじゃあ、終わりのない鬼ごっこってことじゃ……」
AMESの規模を考えると、英美里教授の言うことも真実だと判る。
だけど、そうなるとおれはいったいどうせればいいんだ。このままやつらに捕まり、実験動物としての一生を送らなければならないのか。なんというか、想像しただけでも辛いぞ。
「私は意味のないことはしない主義でね。逃げ切る可能性がゼロの逃避行など、望んじゃいない。あるんだよひとつだけ。連中の手が届かない場所がな」
「AMESが手を出せない場所……? 海外でもないとしたら……。――あ、それってもしかして……!」
「ふふ、気づいたか」
「異世界ソル・グラシア……!」
「正解だ」
英美里教授はあり得ないドライブテクで公道を走る前方のクルマを抜きまくり、程なくして都市高速道路に入った。今日は休日だからか、都市高速道路のクルマの量が多い。ちなみに高速道路に入ってから英美里教授は時速160キロでクルマを走らせている。
スピードが出すぎていて少し怖いが、そうも言ってられない。というか、これだけの速度で運転しているのに、英美里教授携帯片手に運転してるって余裕過ぎませんかね……。
「で、でも、どうやってゲートに行くんですか? あそこは政府とAMESがすべて管理してるって話じゃあ……」
「その通りだ。多くのゲートがある異繋都市は当然、この国に存在する定点ゲートは連中の管理下に置かれている。ちゃんと私の講義を聴いていたようだな、偉いぞ」
「あ、ありがとうございま――って、そうじゃなくて! 全て敵の監視下にあるのならゲートを通るなんて無理じゃないですか!?」
「通常時ならの話だ。だが、1つだけ使えるゲートがあるのさ。っと、連絡が返ってきたぞ」
言って、英美里教授は携帯電話の画面をおれに見せてきた。
「これは……」
そこには、【ゲートは問題なく開けるけど、手助けできるポイントとタイミングは指定した通りだから、よろしく~】とメールが届いていた。
「ということらしいのでな。急ぐぞ!」
「ちょ! は、速すぎィィィ!」
アクセル全開の英美里教授の運転に、おれは絶叫するしかなかった。