第3話
「さて、ひとまずの状況は飲み込めた。あり得ない話だと一蹴できないのが心苦しいところではあるのだが、私の考えうる範疇は超えているな」
おれの部屋で、英美里教授はおれがつくった朝食を優雅に食した後、おれが淹れたブランドモノのコーヒーで一服しながら言った。ちなみに、なぜブランドモノのコーヒーを持っていたかというと、いつかそう遠くない未来、女の子がおれの部屋にやって来た時にカッコよく淹れるためだ。そう考えると、使い方としては間違ってないのかもしれない。
「女体化という現象は、まあ人工的に出来なくもない。だが、お前の場合は起きたら女になっていたという、聞くからに頭の悪い話だ」
「ふんだ。どうせおれは頭が悪いですよ」
つーん、とおれは英美里教授からそっぽを向いた。
「拗ねるな拗ねるな。お前の頭が悪いとは一言も言っていない。――ん? いや待て。言動から察せないということはやはりバカか。すまん。やっぱり頭は悪いようだな」
「挙句の果てには泣くぞこんちくしょぅ!」
散々罵倒されておれの精神はズタボロである。
まあ、英美里教授とのこういったやり取りは日常茶飯事なので、ある意味では安心してたりもする。バカだけど、それはおれがおれだということだからな。
「しかし意外だったな。湊は料理も案外上手かったが、コーヒーを淹れるのも上手じゃないか。私の家にこないか?」
「どういう理屈でそうなるんです!」
「一家に一台あると便利そうだなぁと思ってな」
「人を家電みたいに言わないでください! まったく、真剣な話をしてるっていうのに、英美里教授は……」
ぶつぶつと文句を垂れるおれ。
でも、おれは気づいていた。英美里教授がおれのことを心配しているからこそいつものように接してくれているのだと。……多分。
「まあ考えておいてくれ。で、話は戻るんだが――」
そこは考えなくてはいけないのか、というツッコミをなんとか飲み込みつつ、おれは英美里教授の話に耳を傾ける。
「昨日、何か心当たりのある出来事はなかったか?」
「あ、それなんですけど、昨日の夕方くらいにマモノが現れたじゃないですか」
「ああ、ポイントY-26地点のやつだな。確か異世界の人間が居合わせてAMESが到着する前にマモノは倒されたのだとか。まだ詳しく内容は知らないが」
「はい。で、おれ、新作ゲームを買うためにそのポイントにいまして、マモノに襲われたんですよ」
「ほう。それで?」
「夢……じゃなければなんですけど。おれ、マモノの攻撃を受けて一度死んでる気がするんですよね」
「…………」
「あ、あの、無言で見つめないでもらえますか……?」
英美里教授、すっごい美人だからこっちまでどきどきするんだけど!
「ああいや、すまない。もしかしたら己の常識が世間一般とずれているのではないかと思ってな。少しばかり考えてみたんだが、考えるのがあほらしくなった」
言って、英美里教授はおれのおでこに手をあてて、熱を測った。
「熱もなさそうだな。それで、気は確かか?」
「確かですッ! 自分でもわかってますよ意味不明なことを言ってることくらい!」
死んだ人間が生きて喋るはずないもんな!
でも、あの感触はすごくリアリティのあるものだった。身体が冷たくなって、魂が消えていく感じ。今でも思い出すと寒気がする程だ。
「仮にだ。バカらしいが湊の言うマモノの攻撃で死んだということが事実だったとしよう。すると当然疑問が生まれるな。どうしてお前は生きて私と会話を成立させているんだ? 幽霊かなにかなのか?」
「幽霊ではない、と思いますけど……」
「なんだ。自信なさげだな」
「そりゃこんな身体になってますし。それに――」
ちらり、とトワの方を見る。こんなにも非現実的な小人が目の前に現れているんだ。他の人には姿は見えず声も聞こえないというのなら、もしかしたらおれは幽霊になったのかもしれない。と思わずにはいられない。
ちなみに、トワは未だにテレビを視聴中だ。彼女からすると珍しい代物らしく、どうやら気に入ってしまったらしい。すっと目を輝かせて見続けている。
「それに? なんだというんだ?」
「言ったらまたバカだと罵られそうで拒否反応が」
リアリストの英美里教授のことだ。部屋で小人がテレビを見て目を輝かせています、なんて言ったらおれはただの精神異常者にしかならない。トワが他の人にも見えていたら話は違っていただろうけど、教授が気づかないということはトワの言う他人には見えないという点は事実のようだ。見えないというのは、こういう時には不便だな。
「何かあるのなら言ってみろ。頭ごなしに否定はしないし、一考はする」
「じ、じゃあ――」
おれは、今朝の出来事を英美里教授に洗いざらい話した。異世界的なワードも、トワが言っていたままに伝えた。
言いながらあまりのファンタジー具合に恥ずかしくなってきた。でも、全て事実なんだから仕方がないじゃないか。おれだってこんなマンガみたいなこと真顔で説明なんてしたくないさ。
「……ふむ」
話を聞き終えた英美里教授は宣言通りに一考しているようだ。その表情からは彼女の心情を深くは読み取れなかった。
「いきなり小人が現れただけでなく、唯一名、神剣【ディオリカ】、か。まさにファンタジーだな」
「で、ですよね。はは……」
おれは笑って誤魔化そうとしたが、英美里教授は真剣な顔をしていた。バカにされると思っていたので、予想外な反応におれの方が困惑している。
「魂そのものが書き換えられたわけではなく、眠っていた力が覚醒した、ということか」
「あ、あれ? おれの言ったこと、信じてもらえるんですか?」
「事実なんだろう? それにだ。ソル・グラシアのこともある。私はそこらの一般人よりも異世界には精通しているからな。多少の御伽噺は受け入れられるのだよ」
「な、なるほど」
あっちの世界は剣と魔法のファンタジーが生き残ってるって話だし、おれが経験したことは向こうではありえない話ではないのかもしれないな。
「こちらの世界と向こうの世界では常識がまるで違う。もちろん文化や倫理観もな。長い年月をかけて友好関係になったとはいうが、ソル・グラシアにある一国家だけだ。向こうにはまだまだ反対派や侵略派も多くいる。そういう情報は一部のお偉いさん方しか知らないことだ」
「あの、そういう大事なこと、おれに言っていいんですか?」
異世界と協力関係になった。つまり、ソル・グラシア全てと仲良くなったとおれたち一般人は理解していたはずだが、英美里教授が言うにはどうにも違うらしい。
「お前は私のモノだし、言いふらさなければ大丈夫だ」
「いやおれは教授のモノじゃないですけど!?」
「ん? じゃあ誰のモノなんだ? 援助金を出し学費も出し生活費も出し単位の世話もしてこうして相談にも乗っている私のモノでないのだとしたら、いったい椎名湊くん……ちゃんは誰の所有物なんだろうな?」
「あぅ……」
くそぅ。すべて事実であるため言い返せないぞ……。
おれは孤児院を出てからというもの、英美里教授に面倒を見てもらっている。英美里教授に頭が上がらないのは事実だ。
「まあいい。話を戻すが、政府といいAMESといい民衆に不都合な事実は意図的に伏せている。じゃないとこちらの世界でも暴動やら新たな新興勢力やらがおこってしまう恐れがあるからな。向こうの世界とのやり取りだけでも精一杯で、自世のことまで手を回す余力はないということだ」
「こっちの世界で面倒事を増やさないために情報の管理や規制をしている、ってことですか。おれ達のためなんだろうけど、なんか騙された気分だなぁ」
今まで学校で習ってきたことは、ある程度の嘘が含まれていたということになる。全部が全部ではないだろうが、偽りの情報が広がってしまっているというのは、いい気はしないな。
「知らない方が幸せということもある。武力を保有し、情報を管理するのがAMESだ。異世界に関わる事案に対応するために生まれた組織だったが、今ではお役所仕事にまで介入する程になってしまった。だが、そのおかげでこうやって異世界の一国家と上手くやっていけているというのもまた、紛れもない事実ではあるんだがな」
そう言う英美里教授は、少し複雑そうだ。
「でも、マモノと戦ってくれているんだし、おれ達一般人は感謝してますよ。AMESがいなかったら、この異繋都市の住人はまとに生活出来ないですから」
「戦力自体は勢力圏の各政府も持っているぞ。対マモノ用の兵器は魔導技術によって造られているが、その技術自体はある程度共有しているからな。まあ、独自の開発機関を持っているAMESはその中でも一歩上をいくだろうが。加えて、異繋都市で出現するマモノに対応するのも基本的にはAMESの所有戦力だ。故に経験の差もあるにはあるか」
「く、詳しいですね……」
というより、英美里教授っていったい何者なんだ。おれの知っている情報だと、学院の偉い教授ってことらしいんだけど、その内容までは詳しくきいてなかった。
「当然だ。私を誰だと思っている?」
「学院の教授だと……」
「間違ってはいないがな」
言いつつ、英美里教授は立ち上がった。
「電話をしてくる。少し待っていろ」
「あ、はい」
英美里教授は携帯を片手に外に出た。
にしても、英美里教授がいてくれてよかった。頼れる人がいるというのはありがたいことだと実感している。
『あの女は帰ったのかの?』
「トワ。いや、電話してくるってさ。すぐに戻ってくると思う」
『そうか。ならばわらわはテレビとやらをもう少し見るとしよう』
「その番組面白い?」
『面白いというよりかは興味深いといった方が正しい。壁に映像が映るというのはどういった技術なのか気になるところじゃな。それはそうと、あの女からはただならぬ気を感じる。気をつけることじゃ』
「ただ者ではないと思うけどね。悪い人じゃないよ」
『ふむ。まあ主がそう言うのなら構わぬが』
「あの人はおれの恩人なんだ。確かに少し変わったところはあるけど、それでもおれは感謝してる」
『やれやれ、ミナトは純粋じゃのぅ。そこが主の良いところかもしれんが』
「誉め言葉として受け取っておくよ。っと、英美里教授が戻ってきたみたいだ」
『では、わらわはテレビを見るとしよう』
ぴょんっと、飛んで、トワはソファの肘置きに座った。場所的にもテレビを見やすいし、どうやらあの場所を気に入ったみたいだ。
「すまない。野暮用でな」
戻ってきた英美里教授は再び同じ席に座った。
でもなぜだろう。どこか焦っているように見える。
「いえ。それで、これからおれはどうしたらいいと思いますか?」
多分これが本題だと思う。
おれは女になってしまった。それに、トワという神剣の化身も現れて、非日常の世界に踏み込んでしまった。学院のこともある。この姿では今まで通りに通うことも難しいだろうし、本当にこれからどうしていけばいいのか判らない。
「それなんだが、私個人としては今まで通りの生活を送ってほしいと思っている。もちろん、名前を変えて女として学院に再編入させるくらいならば私の方で出来るんだが――少し厄介なことになっていてな」
「厄介なこと?」
「ああ。どうやらAMESに嗅ぎつけられたらしい。恐らくお前のその力を利用しようとしているんだろう」
「おれの力を、ですか?」
まだ自分でもよくわかっていないんだけども。
でも、トワはおれがマモノを倒したって言ってたっけ。ということは、神剣にはそれだけの力があるということなのか。
「ああ。マモノに対しての新しい戦力は、どこの勢力圏も欲しがっているのが現実だ。いつ手に負えなくなるかわからないのだから、当然といえば当然だがな。だが、悲しいことにAMES含め兵器開発研究機関は頭のおかしいやつらの集まりだ。もし捕まりでもしたらよくて人体実験。最悪人としての尊厳はおろか命までも奪われるだろうな」
「ま、まじっすか……」
「マジだ」
「ひぇ……」
つまり、AMES含めそういった研究機関に捕まったら人生終わりということか。それはちょっと、いやかなり勘弁願いたいのだけど。
「おれ、どうすればいいんでしょう……」
「そう泣きそうな顔をするな。私がなんとかしてやる」
「え、英美里教授ぅ……」
やだ。英美里教授かっこいい。歳離れてるのに本気で惚れちゃいそうだ。
「必要な荷物をまとめて昼前にはここを出るぞ。私も一度戻ってから準備を整える。1時間後にまたくるから、それまでは家でジッとしておけ」
「出るって、いったいどこへ?」
「それはついてからのお楽しみだ。それと服だが、男物しかないだろうから私のおさがりを持ってきてやる。買う暇もないだろうからな」
「服は別に男物でいいですよ! 女性の服なんて着れませんって!」
「何を言ってるんだこのとんちんかんは。お前はもう女なんだぞ? そんなガボガボでダサい服が許されると思っているのか。神が許しても私が許さん」
「そ、そんなぁ」
まだ心の準備すらできていないというのに。
神よ。おれがいったい何をしたというのですか。
「とにかく、この家はすぐに特定される。必要なもの以外は置いていくからそのつもりで準備するように」
「はい……」
有無を言わせない英美里教授の言圧に、おれは頷くしかなかった。