第1話
「……あれ」
俺は目を覚ました。
見覚えのある部屋に、ベッド。
まさしく、俺の家である。ボロアパートの一室である。
「はぁぁぁぁぁ……」
さっき? の出来事はどうやら夢だったようだ。
ゲートが現れて、女の子を助けようとして、マモノに襲われて。
信じられないがすべて夢だったらしい。証拠として俺はこうして生きている。にしても、夢ならもっとカッコよく女の子を助けて欲しかったなぁ。
でもよかった。本当によかった。
あれが現実だったら、俺はもうこの世にはいないわけだし。
「安心したら、お腹空いてきちゃったな」
――ん?
――んんんん?
なんだこの可愛らしい声は。人気の女声優みたいな声だったんだけど……。というか俺がその声発してるんだけど――。
「って、えええ!?」
声だけじゃない!
よく見たら身体が女の子になってる――!?
「おおおおおお落ち着け落ち着くんだ俺……。まだそうと決まったわけじゃ……」
俺は少しばかり膨らんでいる胸から目をそらし、股の下を確認した。
しかし、そこにはあるべきものがなかった。俺の大事な大事なアレが、消えてなくなっていたのだ!
「は、はは……」
乾いた笑いが漏れた。
皮肉にも、その笑い声も可愛らしい声だった。
「これも夢かな……」
きっとそうだろう。夢でもなければ朝起きたら女になるなんて非現実的なこと起こるわけがない。
「髪も伸びてるし、本格的な夢だなぁ……」
色も、黒から色素の薄い灰色みたいになっている。
さらさらふわふわしていて、すごく女の子っぽい。
胸も――ああ、初めて女の子の胸を触っている……。凄く良い感触だ。でもまさか、初めて触るのが自分のだとは思いもしなかったよ……。
「いやいやいやいや、ちょっと待って」
自分で頬をぺちぺちと叩いてみる。
うん。痛い。というか夢ならこんなにもはっきりと意識があるはずがないよね……。
「夢じゃないじゃん……」
そう確信し、俺は青ざめた。
一体全体何が起こっているというのか。そもそも、俺がマモノに殺された出来事も本当に夢なのかすら怪しい。だって、マモノに刺された痛みはちゃんとあった。身体が冷たくなっていくのを感じたんだ。
「……おえっぷ」
思い出すと、急に吐き気が迫ってきた。
やばいやばい。ベッドの上でゲロは吐けないぞ。
急ぎ洗面所に行き、俺は盛大に吐いた。
目の前には当然鏡がある。映っているのは女の子になった自分の姿。
それにしても、女の子になって最初に見た自分がまさかの嘔吐シーンだとは……。
「うぅ……」
可愛い顔してるけど……俺なんだよな、これ。
とりあえず吐き出したものを処理してから、俺は顔を洗った。
一度落ち着いてから、再度自分の顔をまじまじと見つめる。
やはり、女の子である。なんかまつげも長くなってるし、顔は小さくなってるし、身体も縮んでいる。そしてよく見ると、何故かオッドアイになっている。宝石で言うとルビーとエメラルドみたいな感じだ。前の面影も、多少残っている程度だ。
「これからどうしよう」
そもそも今日は何日で何曜日だ?
それすらも判らない。平日か休日かも判らない。
部屋に戻って悩んでいると。だいぶ吐き気も薄れてきた。
とにかく、英美里教授に相談してみるか? 相談できる相手といえば、彼女くらいしかいないし。
俺は早速携帯を手に取った。日付を見ると5月11日と表示されている。俺が英美里教授の補習を受けたのが5月10日だったはずだから、あの日が現実なら1日経ったということになる。
「いや待てよ。この声で英美里教授に連絡しても信じてもらえないんじゃ……」
そもそも、あの現実主義者が俺の言い分を信じるはずがない。男が女になるわけがないだろうと一蹴されてお終いだ。
「何か手掛かりでもあれば……。そうだ、テレビ!」
あのマモノの襲来が現実に起きたことなら、きっと報道されているはず。昨日の出来事だし、夢じゃなければきっとまだニュースでやってるはずだ。
俺はリモコンを操作し、テレビをつけた。チャンネルを変え、ニュース番組に。
『――昨日、ポイントY-26に現れたマモノですが、AMESの到着よりも早く、謎の人物により殲滅されました。監視カメラの映像は靄がかかっており、しっかりと映っておらず顔は判りません。しかしながら、輪郭から戦っていたのは若い女性だろうと思われます。この件に関して、異世界からやってきていた武芸者がたまたま居合わせた可能性が高いと判断したAMESは、彼女の行方を捜索中とのことです。異世界との条約等により、政府では――』
テレビは、しっかりと昨日の襲来を報道していた。
しかし、いったい誰なんだ? マモノを殲滅したという女性は。
テレビに移る監視カメラ映像も、よく見えなくて誰かが判らない。
「夢じゃなかったのなら、どうしておれは生きてるんだ?」
判らないことだらけで、混乱してきた。
生きているというのも謎だけど、女の子になっているというのもおおいに謎だ。
「異世界ソル・グラシアなら、そういった魔法もあるのかな」
ゲートが繋がってからもう100年以上経つ。最初のころはいざこざもあったらしいけど、今は異世界の人達と良好な関係を結べているらしい。協定を結んでから72年。科学も魔導学も進歩した。それらを融合させた独自の技術も、昨今かなり進んでいる。もしかしたら性別が一夜にして変わるということもあり得るかも。
「いくら技術が発展したからといって、目が覚めたら女の子になってたなんてこと、あるかなぁ」
現実的ではない。と、おれは思うわけで。
テレビのチャンネルを変えると、異世界へ赴いた使節団の話題が流れていた。いつかはおれも異世界に行ってみたいとは思う。映像でしか見たことないけど、ゲームのようなファンタジーな世界観はやっぱり憧れる。実際に自分で見て感じることが出来たらどんなに素晴らしいか。
「まあでも、異世界にも異世界の事情があるみたいだし、易々と転移は出来ないよなぁ」
で、だ。
当面の問題はこの身体だ。どうにかして元の身体に戻りたいけど、今は情報が少なすぎる。昨日のマモノのこともそうだ。ひとまずは情報収集した方がよさそうだ。
そう決めて、俺はひとまずポイントY-26地点に行ってみようとした。その時だった。
「――い」
ん? 今何か声が聞こえたような。
「おーい!」
やっぱり聞こえた。おーいって。
室内を見渡すが、誰もいない。
ははは、幻聴まで聞こえるようになったのか。いよいよやばいなおれの身体。
「おーい! わらわの声が聞こえておらぬのか!」
「お、おおぉぅ!?」
ぼんやりとだけど、目の前に確かに何かがいる。
サイズは小さく、どう見ても人ではない。
「……妖精?」
徐々にはっきりと見えるようになってきた。
見た目は手乗りサイズの人間だ。妖精みたいな。
「妖精だと? わらわをそんな下等な生物と一緒にするでないぞ!」
「やっぱり、君が喋ってるの?」
俺は目の前に浮かぶ小人をつんつんした。
ほっぺたぷにぷにで気持ちがいい。
ぷにぷに、ぷにぷに。
いけない。これは病みつきになってしまう。
「やめ、やめるのじゃー! わらわをつんつんするなー! か、顔がああぁぁっ!」
「はっ! ご、ごめんつい気持ちよくて」
あまりの触り心地の良さについやりすぎてしまった。
「こんなのがわらわのご主人だとは……。先が思いやられるのぅ……。魂は適合したようじゃが……」
妖精さんは宙に浮かんだまま偉そうに腕を組み、盛大にため息を吐いた。
「よくわからないんだけど、おれって君の主人なの?」
「うむ」
「そ、そうなんだ……」
どうやらおれは、この子のご主人様らしい。
「それと魂がどうのってのは……」
「簡潔に言うと、お主の魂が覚醒したのじゃ。まったく、にしても遅すぎるのぅ」
ぺしぺしと頭を叩かれた。
まあ、痛くはないのでいいけれど。
「のじゃロリ……」
「のじゃろり? なんじゃそれは」
「あ、いやこっちの話で」
ここまでロリだとまた違うジャンルなのかもしれないけど。
見た目は可愛い女の子だし、被っているつば広の帽子もキュートだ。妖精というよりかは天使かもしれない。
「それで、魂の覚醒っていったい……」
もしかしなくても、おれの女体化と何か関係しているのでは。このタイミングでだから、なおのことそう思う。
『魂に唯一名が刻まれたんじゃよ。ぬしの場合はどうやら身体にまで影響が及んでしまったようじゃがな』
「ということは、おれが女の子になったのはそのせいってこと?」
『まあ、恐らくはそういうことじゃ』
「変な病気とかではなく?」
「病気ではないから安心せい」
「そうなんだ……。とりあえずよかった、のかな?」
いや、よくはないか。まだまだ判らないことだらけだし。
そもそも覚醒とか名前とか意味が分からない。おれは昨日までただの学生だったはずなんだけどな。半分夢じゃないかと疑っているくらいには精神的に参っている。色々ありすぎて、正直頭が考えること拒否してるのも否めない。
「にしてもご主人よ、覇気がないではないか。昨日のようにもっと凛々しくしてもらいたいのじゃが」
「昨日?」
『うむ。あの時はまだ半覚醒でわらわもうろ覚えではあったが、マモノ達をばったばったと容赦なく薙ぎ払うさまはまさしく武人であったぞ。さすがは我が主と喜んだものじゃが、いざこうして話してみるとまるで別人じゃ。まさかお主、二重人格なのか?』
「二重人格ではないと思うけど」
てか、マモノを倒したって何の話だ。記憶にないぞ。
「なんじゃ。自信なさげな回答しおって」
「そりゃそうだよ! 朝起きたら身体が女の子になってて、しかも見たこともない小人がいきなり現れたんだから! マモノをばったばった薙ぎ払った記憶もないし、本当は夢なんじゃないかって現実逃避したいところだよ!」
おれはまくしたてた。
そしてどっと疲れた。
ベッドに腰かけ、天井を見上げる。
どうしてこうなった。
ため息しか出ませんよ。
「記憶がないのは恐らく魂が覚醒したてだからじゃろう。その身体にもそのうち慣れる」
「……軽いなぁ。おれにとっては一大事なのに」
事態を重く受け止めているのはおれだけのようだ。
それよりもまず、この子から聞けるだけの情報を聞き出そう。
そう思った直後、携帯が鳴った。
俺は画面を操作し、電話の相手を見る。
「英美里教授だ……」
ここで電話を取れば、どうなるだろう。
声が違うから、かける先を間違えたと思われるか。でも、かけ間違えなんてするような人じゃないし、そもそも間違いを認めるような人でもない。
「よし。出よう」
おれは意を決して、英美里教授からの電話に出るのだった。