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穴ぼこ戦争

作者: 相草河月太

 科学というのは世界を変えてしまう力を持っている。


 そして鉄器や火薬、ダイナマイトの発見や原子力利用の理論など、戦争を根本から変えてしまう。


 並行世界が存在するのではないか、という仮説は物理学の世界ではずっと以前から言われていたことだ。自由意思による世界線分岐やタイムパラドックスなどの哲学的な並行世界の思考実験ではなくて、今の科学でも観測できる測定結果に基づいた予測の話だ。


 数学の虚数に喩えられるが、この世界がプラスの世界だとすると、鏡合わせにマイナスでできた世界があるのではないだろうかという考えで、ビッグバンによって「物質」と「反物質」が世界に等しく生まれたはずなのに、対称性の破れによって物質が反物質よりも多くなっていることに対する推測だ。


 この世界ではプラス物質がマイナスを上回るように自発的強制力が存在する。そしてニュートリノは必ず左巻きスピンを描く。


 であるとするならば、バランスをとるためにこの世界の裏のチャンネルとして反物質が多く存在し、ニュートリノが右巻きにスピンを描く裏世界が存在するのではないだろうか。


 実験と理論によって素粒子物理学は進歩し続け、ついにその並行世界、鏡合わせの地球とでも言うべき双子の存在を確認するに至った。


 ここでやめておけばよいのだが、人間というのは実験で得られた結果からなんらかの利益をうみだそうとする。


 科学者の一人がそういうことを考え、政府のお偉方に進言した。


 もし、この並行世界とトンネルを繋ぐことができたならば、その世界は反物質でできていることになる。そしてもし、その世界からほんのわずかでも反物質を持ち帰ることができれば、こちらの世界の物質と組み合わせることで対消滅をおこし、莫大なエネルギーを得ることができる。


 わずか1グラムで広島型原爆の3倍のエネルギーだ。


 対消滅によって物質と反物質は消滅するので、原子力のような放射性物質も残らない。


 いままでこの方法でエネルギーを取り出すことが考えられていなかったのは、反物質を生み出すのに莫大なエネルギーが必要でそれでは元も子もないからだ。


 しかしもし、裏世界へのアクセスが安価で安定的に行えるのであれば、人類はエネルギー問題から解放される。


 可能性を信じた政府は科学者に予算を割り当て、それによってさらに技術と理論が進んでいった。


 そしてついに、向こうの世界への入り口とでも言うべき理論にたどり着く。


 詳しい理論はここでは避けるが、なんでも量子もつれを利用して、その片方にさらに量子もつれを起こさせることでマイナスに変えて、そうするともつれによって反対の量子も変化して裏の世界とチャンネルを繋ぐことができるらしい。


 ともかく、そうやってその科学者は、世界で初めて『無』から『有』を作り出すことができた。


 たったのクオーク一個ではあったけれど。


 計算外だったのは、それが反物質ではなかったことだ。鏡の世界から取り出されたそれは、こちらの世界に存在する4つのクオークのうち一つだった。


 そのまま実験がうもれていれば問題はなかったのだ。


 しかし無から物質を生み出すという科学的にも経済的にも魅力的なその実験は瞬く間に世界に広がって、あっという間に進歩を遂げた。


 最初は微粒子に過ぎなかった出現物質のサイズは、中性子、陽子、原子と指数関数的に大きくなっていって、ついにはグラム単位にまで達した。


 そうなれば世界中の国が黙っているはずはない。なにしろ量子加速器のような巨大なエネルギーが必要だったりや原子炉のような危険性のあるものと違って、この裏チャンネルへの接触は量子コンピュータ並みの低コストで行える。さらにアクセスの管理も次第に精度をあげていき、望んだ質量、つまり望んだ原子構造を持つ物質を取り出すことができるようになると、この実験は検証という段階をこえ、産業にまで発展した。


 裏チャンネルから最初に取り出されるようになったのはレアアースやレアメタルといった、現在の科学技術の発展に欠かせない貴重な貴金属だ。そしてレアメタルや金の値段が下がると同時に、さらにコンピュータの精度があがる。コンピュータの発展はさらにサイズの大きな物質の取り出しにつながった。


 そして世界はいまだかつてない、産業革命を超える物質革命の時代に入った。


 庶民の手に届くまでにその取り出し装置が普及する頃には、その装置なしには生活が成り立たないほどに人の暮らしは変わっていた。


 タンパク質や有機物といった分子化合物までとりだせるようになった装置があれば、もはや買い物すら必要がない。裏世界から全てをもって来さえすればいいのだ。


 畜産業や農業は無から安定的に手に入り輸送のコストもかからないこの裏世界からの物質との競争に勝てるはずもない。本当に一部の伝統を守る業者を残して、人々を支える食糧生産は崩壊し装置にその座を開けわたした。


 人は安価で豊かな無限の物質に囲まれた世界を謳歌した。


 だけどそんなうまい話はない。


 最初にその兆候が現れたのは、技術が広まって数年後のレアメタル鉱山だった。


 人々が耳にしたニュースでは、鉱山を掘っていると鉱脈に真球状の小さな穴が無数に開いているのが見つかった、というもの。その時には、一体どう言う原理でこのようなスポンジ状の穴が開いたのかという科学的興味の方に皆の関心は向いていたと思う。


 だがそれからしばらくして、スイスの銀行の金庫にしまわれていた金の延棒に1センチほどの大きさの真球状の穴が無数に開いているのがみつかると、世界中でそれまであらわになっていなかった様々な場所での穴の報告が毎日のようになされ始めた。


 裏世界から物質を取り出す装置が広がれば広がるほど、その報告は増え続けた。そして穴だらけの野生動物の死骸や家畜までもが発見され、ついに街中で倒れた人間の胸にポッカリと大きな丸い穴が開いているのがわかったときに、世界はパニックに襲われた。


 そして科学者は、これは裏世界からの攻撃である、と言い始めた。


 つまり表の世界が裏の世界から物質を取り出すのと同様に、裏の世界でもこちらの世界から同じだけ物質を取り出している、その結果だ、と。


 それを攻撃と呼び、裏世界との戦争といい始めた政府は、不都合から目を背ける天才といえる。


 政府は開発を止めるどころかよりおおきな装置を作ることに全力を上げはじめた。裏の世界に復讐するためと言って。


 だが、誰もが考えればわかることだ。


 鏡の自分と喧嘩したらどうなるか。イソップ童話にもあるではないか。水面に映った自分のもつ骨を羨んだ犬は、結局それを水の中に落としてしまう。自分と喧嘩していいことは何もない。


 より大量の物質を裏世界から奪うようになると、当然のごとくより大量の物質がこちらの世界から喪失して穴があいた。


 この悪魔の取引にすっかり依存していた世界はもう止める術をしらなかった。なにしろ自分だけがそれをやめても、他人が続ける限りいつ自分のものが奪われるかわからない。だったら自分も続けるしかない。ブレーキをだれが最初に踏むかのチキンレースのように、世界は破滅に向かってつき進んだ。


 建築に使われる規模の大量の物質が取り出され世界中に巨大な建築物が乱立した。そしてそれと同時に世界中の地盤に無数の穴があき崩壊を繰り返した。


 物質革命によって正常な穀物や家畜の生産力が激減した今の世の中で、増えた人口を維持する食糧を確保するためには、既に裏チャンネルからの炭水化物、脂質、タンパク質、ミネラルなどの奪い取りが欠かせなかった。人々はいつ自分が穴だらけになって死ぬかに怯えながらも、使うのをやめられなかった。


 世界は穴だらけになった。そして崩壊に向かって裏の世界から奪い続けた。


 つまりは自分たちから。


 裏の世界が奪うのだから、こちらの世界が向こうから奪うことは正しいという人もいた。


 こちらでも人が死んでいるのだから、向こうに復讐しないといけないと言っている人もいた。


 だが全ては愚かな意見だ。


 相手は鏡なのだと最初から知っているはずなのに。こちらが鏡の世界から取り出せば、鏡の中の自分はこちらから取り出す。ただそれだけのことなのに、ただでものが手に入るという勘違いをしてしまった世界の意識を止めることはできない。


 そして副大統領が58個の野球ボール大の穴を開けられて死んだことをきっかけに終わりがはじまった。


 大統領はそれを裏の世界からの暗殺であると宣言し、全ての政府施設にある物質転送装置から、裏世界のヒトタンパク質を奪うように命令した。


 今までリンや窒素や石炭などの工業用に大量の物質を生産していた工場も含めてだ。地球上に数えきれないほどの大きな穴を無数に開けてスカスカの骨粗しょう症の骨のようにしてしまった規模の工場がだ。


 誰かが止めるべきだった。


 だが、相手を敵だと認識した政府に逆らえるはずもない。


 可動して数時間で、人類は絶滅した。こちらの攻撃と同時に世界各地で無差別な球状欠損が始まり、それが自らもたらした当然の結果だと気づく間もなく人のタンパク質は全て消えさって後には骨と血が残った。工場からは人類全体と等しい大量のヒトタンパク質が生産された。


 そして地球上から人は消えた。


 穴ぼこだらけのの地球を残して。


 もし、宇宙人がこの光景を見たら、この種族は自殺をしたと考えるだろうか?


 それとも未知なる存在と勇敢に戦ったと考えるだろうか?

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