追われる娘、倒す父
娘になる。まったく未知の提案だが、受け入れるのが最善だ。
シルヴィアの瞳をじっと見てルルカが確認した。
「いいんだな?」
「はい。そのかわり聖眼を隠す方法や、さっきの魔力の話を教えてください。多くは望みません。ただ、普通に生きていけるだけの力と知恵がほしいんです。あと皇帝選は、実家に目をつけられないよう、目立たずお願いできれば……」
多くは望んでいないつもりだが、わがままだろうか。だがルルカは少し考えて、頷き返してくれた。
「いいだろう。俺は皇帝位に興味はない、情報がほしいだけだ。だが、早々に成績不良で失格になられるのは困る」
「……努力します。私はお父様を皇帝にしたい娘、ですから」
要はそういう設定を演じる仕事だと思えばいい。かみ砕いたシルヴィアに、ルルカが初めて笑った。
「のみこみの早い賢い娘を持てて、父として誇らしい。――拾った責任は取る」
「いえ最低限で結構です」
きっぱり言い切ると、ルルカが眉をひそめる。
「お前、冷めすぎでは?」
「父親にいい思い出がないので」
「そうか……面白そうだから頑張るつもりなんだが、年頃の娘は難しいな」
何やら遠い目をして、ルルカが嘆息した。
「それにしてもよかった。皇帝選に登録しておいて正解だった」
「……はい?」
視線を戻したシルヴィアに、澄んだ瞳のルルカはしれっと告げた。
「お互い協力して頑張ろう」
「……。今、皇帝選に登録したと聞こえましたが」
「ああ」
皇帝選では、聖眼を通じて与えられた課題をこなし、点数を争う。だが、誰もが挑みたがるわけではないので、参加は登録制である。期間は、聖誕の夜から百日間――皇帝選の課題が始まる前までだ。その間に皇帝候補を選び、聖殿に向かい、皇帝候補との誓約を交わし、聖眼を使用できるようになって、登録完了だ。
ふっと嫌な情報が頭に浮かぶ。聖殿はそれはそれは美しい海が見える街にあるとか。
そしてさっき、自分はとても綺麗な海を見た気がする。
「――で、でも、誓約はどうやって……」
「誓約など聖殿でお決まりの文言を読むだけだ。俺がお前を操って聖殿に赴き、誓いの文言を唱えて、完璧に誓約は完了した。心配しなくていい」
なるほど、それなら可能だと納得しそうになったが、そういう問題じゃない。
ルルカの結論は最初から決まっていた。すなわち、シルヴィアに提示された選択肢などなかったのだ。これが詐欺でなくてなんなのか。
「……。はめましたね」
「お前が自分からはまったんだ。悪い男に騙されないように教えていかねばな。これぞ父の役目だ」
頭に血が上っている気がする。これは、頭にきたというやつではないだろうか。久しぶりの感覚にいっそ感動すら覚える。
知らず青筋を立てたシルヴィアは、まったく悪びれない父を据わった目でにらんだ。
「いつか独り立ちする際は殴っていいですか、お父様」
「嫁にいったら泣いてしまいそうだな」
真顔で言われるとますます腹が立つ。
だが落ち着こう。長年、できるだけ感情を動かさないようにしてきたせいで、一度感情が溢れると自分を見失いがちな気がする。まずは深呼吸だ。
「それで、これからどう――」
扉が叩かれた。また宿の主人だろうか。
だがルルカは誰何もせず、立ちあがってシルヴィアの腕をつかんだ。
「逃げるぞ」
「え?」
反論は聞かないとばかりに、外套をかぶせられた。先ほどの襤褸布ではない。ふわふわのフードがついた、厚手の外套だ。素早く胸元のボタンをとめられ、さらに背負う形の鞄まで押しつけられる。
「あの、これ」
「お前のだ。気に入らなければあとで他のを用意するから、今は着ていなさい」
「私の……ですか」
戸惑っている間に、ルルカが窓をあける。
背後では、どんどん扉を叩く音が大きくなっていた。咎めるような声をあげているのは、先ほどの宿の女主人だろうか。騒動の予感に、シルヴィアはルルカを冷たく見た。
「何をしたんですか、お父様」
「人聞きの悪い。皇帝選登録者の一報が今日、出たからだろう」
「……候補者潰し」
皇帝選の課題が始まる前に登録者を始末してしまえば争う必要もない。
つぶやいたシルヴィアをひょいっと脇に抱え、ルルカが窓枠に足をかけた。何気なく下を見てしまい、その高さに悲鳴をあげそうになる。
(まさか)
背後で扉が蹴破られた。同時にルルカが窓枠を蹴る。
「口を閉じていなさい、噛むから」
「いたぞ、追え!」
見るからにならず者といった風体の男たちが部屋になだれ込んできて銃剣を構えるが、ルルカが向かいの建物に飛び移るほうが早かった。
シルヴィアを抱えたまま平然とした顔でルルカが建物の壁を垂直に走り出す。人間ではありえない身体能力だ。それとも魔力か。いやそんなことはどうでもいい。空中浮遊の恐怖にくらべれば。
「どこへ行けばいいかわかるか?」
「そっ……そんなこと、今、わかっ、わか、っる、わけっ」
さすがに動揺で声がうわずる。だが、ルルカは冷静だ。
「聖眼が使えるはずだ」
その言葉に、建物から建物へ飛び移る恐怖が一瞬、消えた。
少しも意識がなかったが、本当に聖殿でこの男と誓約を交わしたならば、シルヴィアはもう聖眼が使える。
「慣れないうちは目を閉じて、質問をすると視えやすいと聖殿で説明を受けた。無理はしなくていい。体に馴染むまで時間がかかるらしい」
「そ、そういう説明は、自分の耳で聞きたかった、ですっ」
「嫌みを言える元気があるなら大丈夫だな」
ここで使えないと言うと負けたみたいだ。そういえば本来、自分は負けず嫌いだった気がする。だがこんなときに悠長に思い出に浸っている場合ではない。
ぐっとひとまず目を強く閉じる。
(質問? 私たちのこれからを問えとでも?)
どうなるのだろう。この先、妖魔についていって、未来はあるのか。あってほしい。
ふっと目を開くと、視界がぶれた。咄嗟に視界にかすめた光景をシルヴィアは叫ぶ。
「右!」
「? 何が」
問い返す途中で突然急停止したルルカが、縦に飛び上がった。
そのままであればルルカがいたであろう場所に、上空から拳で一撃を打ち込んだのは、先ほど宿に押し入ってきた襲撃者のひとりだ。
(追いかけてきた!? 人間が妖魔をどうやって!?)
その答えは、襲撃者の赤く光る目が物語っていた。妖魔に取り憑かれているのだ。
「まさか肉体があれば俺に勝てるとでも?」
呆れたようにつぶやいたルルカが、予告なくくるりと宙返りした。当然、抱えられたシルヴィアの視界もぐるりと回転する。
海って逆さで見てもきらきらして綺麗なのだなどと思ったのは、多分、現実逃避だ。
「無礼者」
玲瓏と言い捨てたルルカの踵落としを脳天にくらって、襲撃者が建物の屋上に沈んだ。
潮風に髪をなびかせ、やっと人間らしい立ち方をしてくれたルルカが、思いついたように尋ねる。
「そういえば、高い所は大丈夫か」
「……聞くのが、遅いです……」
目を回しながらなんとか言い返すと、ルルカからは「すまない」と真顔で謝られた。




