庇護と芋
運がない。シルヴィアの人生はそれに尽きる。
魔力がなくても、平穏に生きる人間は大勢いる。だが、生まれた家が悪かった。時代も悪かった。数え上げればきりがない。
とどめにあり得ない聖眼の発現、無謀な逃亡の末、妖魔に襲われ、得体の知れない美青年ときた。
(しかも、死因が妖魔による捕食……)
もうそろそろ死んだだろうか。妙に温かいし、全身ふかふかの柔らかいものにくるまれて心地いいし、ここは天国だと言われたら頷ける。生きてる間にもう一度味わいたかった、ふかふかの布団みたいだ。
はっと意識が戻った。
夢にまで見たあたたかい布団の感触がちゃんとある。ゆっくりまばたきすると、ぼんやり周囲が見えてきた。柔らかいクリーム色の壁紙、磨かれた木の床。丸いテーブルと、椅子。
幸か不幸か、天国でも夢でもなく、まだ食べられる前らしい。飛び起きたシルヴィアは、急いで周囲を見回した。
広めの部屋だ。寝台はもうひとつあり、壁際の窓からは青い空が見えた。どうも高層にこの部屋はあるらしい。そうっと床に足をおろし、窓に近づいて外を見てみる。
そこには見知らぬ街並みがあった。
所狭しと並ぶ、煉瓦造りの住宅街。看板を掲げた店では花を買った婦人が子どもと手をつないで出ていく。その横を馬車が通り、なだらかな坂道を軽快に駆け上がっていった。遠くに見える時計塔の周囲では餌を配っているのか、見知らぬ鳥が何羽も飛び交っている。その向こうに見えるあの青色は、ひょっとして海ではないだろうか。
初めて見た。ベルニア聖爵領は内陸地だ。屋敷から相当離れなければ、海などない。
「ここ……どこ……」
呆然としてつぶやいたシルヴィアの背後で、扉の鍵が開く音がした。
慌ててシルヴィアは元いた寝台に飛びこみ、身を縮こめてしっかり目を閉じる。
扉が開く音に、閉じる音。足音はひとつ、椅子を引く音。何か包みを開く音。誰かが部屋に入ってきたことだけは確かだ。あの青年だろうか。
シルヴィアはそっと目をもう一度あけて、そのまま固まった。
想像どおり、青年がいた。しっかりこちらを見ている。目があった。
だがそれ以上に、美形が芋を頬張っている姿に、衝撃を受けた。
「……」
「起きたのか。食べるか?」
立ちあがった青年が自分が食べている芋を半分にして、持ってきてくれる。つい、起き上がって受け取ってしまった。
「……有り難う、ございます」
「なかなかうまい。ここの宿屋の主人のおすすめでな」
ここは宿らしい。のんびりした口調に流され、芋にかぶりついている青年を横目で見ながら、シルヴィアは小さく芋をかじってみる。
「……」
「……」
「……。おいしくないか?」
心を押し殺してもぐもぐ芋を食べていたシルヴィアは、青年にじっと見られていることに初めて気づいた。首を横に振る。
「甘くておいしいです」
ただの芋かと思ったが、よく見れば皮の色が違う。焼いたのか蒸したのか、調理方法はわからないが中までほくほくと熱い。つまりおいしい。
「そうか。……あまり顔に出ないたちなんだな」
芋と青年の顔を見比べた。そう言う青年も表情豊かには見えない。
「可愛げがなくて申し訳ないです」
「可愛げなど求めていないが、芋の素晴らしさがわからないのかと不安になった」
「……。芋、お好きなんですか」
「好きというわけではない。だが種類といい調理法といい、芋は奥が深い」
真顔で言われて、曖昧に頷き返した。それを好きと言うのではなかろうか。
「この芋も、このあたりの特産物だ。珍しいんだぞ」
「確かに、ベルニア聖爵領では見たことがありませ――」
つまり、ここはベルニア聖爵領から離れた場所だということだ。
いや、それ以上に寝台でもぐもぐ芋を食べている場合か。
(私を太らせてからおいしく食べる作戦では!?)
思いついた瞬間、咽せた。
「水だ、飲みなさい」
親切に、立ちあがった青年がテーブルから水を持ってきてくれる。それを受け取らずにいると、青年がまばたいた。
「どうした?」
「わ、私を食べてもおいしくないかと」
きょとんとしたあと、青年はシルヴィアの手にコップを持たせた。
「何を言うかと思ったら。安心しなさい。俺は人間など食べない。芋よりまずいから」
芋が基準なのか。芋に負けるのか。というか人間を食べたことがあるのか。山ほど言いたいことはあったが、油断はできない。
「でも、妖魔ですよね」
むっと青年が片眉だけを動かす。そのときだった。
こんこん、と扉が叩かれる音がした。青年とシルヴィアがそちらを見たのは同時だ。だが声をあげたのはシルヴィアのほうが早かった。
「このひと妖魔――っ」
だが途中で口が動かなくなった。それどころか体が勝手に仰向けにひっくり返り、身動きできないまま寝台に転がる。
立ちあがった青年はシルヴィアに布団をかけ、扉を開く。現れたのは優しい顔立ちの恰幅のよい女性だった。
「ルルカ様。どうですか、娘さんの様子は。部屋に問題は?」
「おかげさまで、よく眠っている。部屋も快適だ」
眠っていない。だが声が出ない。呼吸はできているが、縛りあげられたように指ひとつ動かせない。
「よかった。また着替えが必要でしたら言ってくださいね」
「助かる。すまない」
「それだけのお代は頂いております。父ひとり娘ひとりでは大変でしょうし」
誰が父と娘だ。妖魔と人間、被食者と捕食者である。だが、目の前の美青年が妖魔だとは露とも思っていない女性は、差し入れですと果物を渡して、行ってしまった。
ルルカと呼ばれた青年、もとい妖魔が扉をしめた途端、シルヴィアは跳ね起きる。
「誰が父と娘ですか!」
「夫婦はさすがに無理だ。恋人も」
二十代に見える青年に十四歳の娘にも無理が――と言い返そうとして、ひそかに落ち込んだ。自慢ではないがシルヴィアは発育が悪い。娘らしい体つきをしていないので、実年齢よりは確実に下に見える。となると、父娘はぎりぎりいけるということになる。
「いえ、兄妹でもいいのでは……大体、私の名前も知らないのに」
「シルヴィアだろう。シルヴィア・ベルニア。魔力がないという噂だったな」
言い当てられいったん口をつぐんだあとで、せめて皮肉った。
「妖魔は情報通ですね」
「聖女ベルニアの末裔はずいぶん落ちぶれたようだな。お前に魔力がない、など」
「……どういう意味ですか」
「知りたいか?」
知りたい。だが、深入りするのは危険な気がする。
芋を食べているルルカを横目で見ながら、シルヴィアは話を変えた。
「そもそも、なぜ私はここに?」
「俺がつれてきた。色々、不可解だったからな。渡された銀貨は偽物だし」
「え?」
「やはり気づいてなかったのか」
ぽかんとするシルヴィアを笑ったりはせず、ルルカは説明を続ける。
「あれは本物の銀貨じゃない。ただの飾りだ。聖誕の夜によく作られている、魔除けの」
「……魔除け……」
「本物だと思ってたんだろう。口止め料と言ったとき、本気のようだった。だから気になったんだ。だまされやすそうな子どもだなと」
ぐっとシルヴィアは返事に詰まる。確かにあの銀貨を本物だと思っていた。
「だが、俺を助けようとしたのも事実。つれてきたのは、その礼だ。あのまま連中に引き渡せば、お前はひどい目に遭っただろう」
つまり――助けてくれた、のだろうか。
胸がうずきそうになって唇を噛んだ。妖魔にほだされてどうする。
「……今思えば、まったく不要でした。あなたは妖魔なんですから」
「妖魔でも恩くらい返すぞ」
淡々と告げられて、また息が詰まりそうになった。
(ここ数年で私に一番親切なのが、妖魔……)
複雑極まりない。ルルカは静かな目で尋ねる。
「それで? どこか行く当てはあるのか」
「……いつか、海をこえたいと」
「そこにお前を助けてくれる人間はいるのか?」
「……きっと。ひとり、くらい、は……」
夢が現実味を帯びた瞬間に、声がすぼむ。芋を食べ終えて正面の椅子に改めて腰をおろしたルルカが、頬杖を突いた。
「俺でよければ、庇護してやろう」




