拾われた聖女
「子ども……」
薄い唇から放たれた静かな声に、シルヴィアは我に返った。
「童……いや娘か? 夜遊びは感心しない」
奇跡ではない、現実だ。一気に警戒心が膨れ上がった。
(街の人間じゃない。……聖女狩り?)
聖女の血筋で魔力があれば、聖誕の夜に聖眼を授かる可能性は平等にある。それゆえに厳格な血統の管理が求められているが、人間の社会は複雑だ。ベルニア家の血だって知らずあちこちで分岐している。
だから聖家がおさめている街には高貴な方はもちろん、不審な輩もよく現れる。聖女の血を引いている子どもを引き取りに、買いに、あるいは誘拐するために――聖女という、皇帝選への参加資格を得るためにだ。
まして今夜は聖痕が目に現れる、聖誕の夜。当たりが見つかる日だ。
つかまったら、どう利用されるかわかったものではない。
尻餅をついたままあとずさったシルヴィアをじっと見つめながら、青年はゆっくりしゃがみシルヴィアに向けて両腕を広げた。
「ほら、怖くない」
そう言われると逆に不信になるのは、人並み外れた美貌のせいだろう。
動かず答えないシルヴィアに辛抱強く青年が語りかける。
「家は? 両親はどうした? 名は」
「……」
「……。答える気がないか、それとも答えられないのか」
青年が嘆息し、立ちあがった。同時に、シルヴィアの体もふわっと浮いた。
「なっ……!?」
ばたばた両手両脚を動かしてもまったく抵抗にならず、青年の手まで運ばれる。無表情で青年がシルヴィアの首根っこを片手でつかんだ。
「しゃべれるじゃないか。野良猫かと思ったぞ」
「は……!?」
「血のにおいがする。怪我をしているだろう。みせなさ――」
間近でシルヴィアの顔を見た青年が両目を見開いた。咄嗟にシルヴィアは、かぶっている薄っぺらい布で両目を隠すが、もう遅い。これだけ近ければ夜目でも、瞳の奥にある十字は見える。
(気づかれた!)
「いたぞ、こっちだ!」
茂みをわる音と一緒に、いくつかの灯りがこちらを照らし出す。
現れたのはシルヴィアの顔を知る領民たちだった。
「こんなめでたい日に、面倒かけやがって」
「何だ、お前は。街の人間じゃないな。まさか、聖女狩りか!?」
青年を見たひとりが持っていた鍬を構えて威嚇する。
続いて乱雑な足音や影と一緒に、五人、六人と人数が増えた。これはもう、逃げられないだろう。
「知り合いか?」
地面におろしてくれた青年に尋ねられる。答えず、シルヴィアはそっと懐に持ったままの銀貨に触れた。
まだ領民たちは聖眼に気づいていない。この青年を盾に隙をつけば、逃げられるかもしれない。でも、この青年を巻きこむ気はなかった。たぶん、自分のせいで誰かがひどい目に合うのを見たら、まだ胸が痛い――と思う。そうでありたい。
覚悟を決めて大きく息を吐き出し、そっと青年の手のひらに銀貨を忍ばせた。
気づいた青年が黙って眉をひそめる。
「なんの真似だ」
「目の口止め料です」
短くそう告げ、外套代わりの布を引っ張って、微妙に両目が見えないよう顔を隠しながら前に出た。
「懲罰ものですね」
青年を注視していた領民たちが一斉にシルヴィアのほうを向いた。
「聖誕の夜に浮かれてまんまと私を聖女狩りに盗まれかけた。周知されれば、ベルニア聖爵家はいい笑いものです」
「お、お前が逃げたんだろうが!」
「私は高く売れるので」
聖女失格と言われようがシルヴィアの引いている血は本物だ。それを領民たちも知っている。だから生かさず殺さずで飼い殺してきたのだ。
目配せし合った男のひとりが、青年に武器を突きつけた。
「おい、お前はさっさと消えろ! この娘さえ渡せば見逃してやる!」
「先に言っておくが、プリメラお嬢様は渡さねえぞ、二度と近づくな!」
シルヴィアの誘導どおり、青年を見なかったことにしてくれるようだ。ほっと息を吐き出したそのとき、青年が声をあげた。
「待て、この子をどうするつもりだ」
ぎょっとしたシルヴィアが振り返ると、なぜか脇に抱えられた。
当然、領民たちの目に再度、警戒が宿る。
「お前たち、なぜこの子を武器を持って追い回す。保護者じゃないのか」
青年に目を向けられ、領民たちは怪訝そうに顔を見合わせたが、すぐに怒鳴り返す。
「おい、逃がしてやるっつったのにいったいどういうつもりだ!」
「その娘をこっちによこせ! さからうなら容赦しねえぞ。そいつは、ベルニア聖爵様が繁殖用に飼ってる大事な飼い犬だからな!」
「……飼い犬」
青年が眉をひそめて、つぶやいた。
「推して知るべし、ということか。――しかたない、お前たち」
何もない虚空に向かって青年が呼びかける。
何もない、はずだった。
だが青年の呼びかけに答えるように、ざわっと風もないのに木々がゆらめく。
全身に悪寒が走ったのは、あり得ないものの気配を感じたからか、それとも青年の顔に浮かんだ愉悦の笑みを見てしまったからか。
理解するより先に、現実が動く。
「悪い人間だ。かまわない。喰ってしまえ」
領民たちの背後から、大きくふくれあがった影が襲いかかった。
「ひっ……」
「なん、あいつ、まさかっ……!」
「妖魔だ! 妖魔がいるぞ! なんで……っ!」
悲鳴と一緒に、ごりごりと骨が砕ける音が鳴る。ぐちゃりと内臓が潰れる音と、ずるずると何かをすする音はまさか肉をすすっているのか。
ひとが妖魔に食べられる音だ。
呼吸が浅くなったシルヴィアの足元にびしゃりと肉の破片が飛び、ころころと誰かの眼球が転がった。反射なのかそれともまだ生きているのか、ぎょろりと目がシルヴィアを見た気がした。
ひっと喉が鳴ると同時に、ぐらりと意識がゆらぐ。
さすがにだめだ。もう無理だ。
何年もこんな生活を続けてきてだいぶ無感情になってきたと思うが、それでもこれはない。
「これで邪魔者は……おや」
やはり奇跡など起こらない。自戒をこめて、シルヴィアはついに意識を手放した。




