終章:そして少女は夢を叶える
人間というのは意外としぶとい。
たとえば、逃げたくせに街に領主が戻ってきて、ベルニア聖爵家の仕打ちを公表しないかわりに復興金をせしめたこと。まるでその場にいなかったかのような顔をして、両親もジャスワントもプリメラも姿を消したこと。
でも、変わったものもある。ベルニア聖爵夫人は正気を失ったとかで聖爵は妻の介護に手を取られ、かといって娘のプリメラは帝都に入り浸っているらしく、ひそかに家庭崩壊がささやかれている。ベルニア陣営の今後について皆が判断しかねているようだ。
一方で、妖魔皇の心臓を皇子が盗み、あやうく大陸全土が瘴気に呑まれるところだったことを、帝室は隠蔽した。そのせいでシルヴィアとロゼとマリアンヌの上位三人の点数があまりに高すぎると異議が殺到したらしい。
異例の、皇帝選のやり直しが宣言された。
綺麗にシルヴィアたちの点は消え、丸一年ずらす形で皇帝選が再開されると聖眼から通知がきた。皇帝選にそんな柔軟な対応が可能なことに驚いたが、ひょっとしたらこの結果は聖眼でも処理できないほどの未来だったのかもしれない。
すっぱりなかったことにして、もう一度綺麗に始めましょう。要はそういうことだ。
どの口で、という批難は飛ばない。唯一叫ぶとしたら、彼女だけだ。
「私の点数が……!」
砂浜に両手両脚を突き、唸っている聖女マリアンヌである。
「やり直しってどういうことですの! 三位だとはいえ、私の点数! 圧倒的点数が!」
「いやぁよかったです。皇帝選のやり直しで誓約も何もかもなかったことになって」
すまし顔で洗濯物を干しているのはスレヴィである。皇帝選のやり直しといっても、点数と誓約がすべて無効になっただけで、聖眼の能力はそのままだ。
そして聖女マリアンヌ様の聖眼によると、本日は洗濯日和の晴天。震える拳を握ってマリアンヌがかもめが飛ぶ青い空に叫んだ。
海辺に墜落した妖魔皇別邸は、まだ半分海に沈んでいる。
「こうなったら私が異議を唱えて暴露してやりますわ、ベルニア聖爵家の非道と帝室の陰謀を!」
「ベルニア聖爵家と帝室ににらまれるだけで点数も戻らず、非効率極まりない策ですね」
「あなたはなぜそんなに楽しそうなのです」
「ひとがもがき苦しむ様は楽しいですよ、妖魔ですから」
「マ、マリアンヌ様は、皇帝選にまだ出るんですか?」
スレヴィの洗濯物干しを砂浜でアークと手伝いながら、ロゼが尋ねる。マリアンヌは少しだけうつむきがちになり、洗濯物を取った。
「……少し、考えているのです。聖女の改善という目標はそのままですが……見返してやるという気持ちだけでは、私もあの皇子の二の舞でしょう」
「マリアンヌ様……」
「ですが世界が私を求めるならば、答えねばならないとは思っています!」
「そ、そうですか」
「ロゼさんはどうするのです?」
「ロ、ロゼですか。ロゼは……」
ちらとこちらに視線が投げられているのはわかったが、シルヴィアは鞄の中を確認する作業に徹した。
かわりにアークが答える。
「僕はどこにいてもロゼを守るよ」
「アークは責任感のある男性ですね。どこかの妖魔と違って」
「妖魔に責任感」
鼻で笑うスレヴィをひとにらみして、洗濯物をひとつ干したマリアンヌがくるりとこちらを見た。
「あなたは本当に出て行くのですか」
海に半分沈んだ屋敷の入り口にいるシルヴィアは、顔をあげる。
「はい」
きっぱり答えて、鞄を背負った。そして屋敷の玄関から、波打ち際を跳び越えて砂浜に立った。
「私の役目は終わりました」
「でも、あなたのことをベルニア聖爵家が諦めるとは限らないでしょう」
「大丈夫です。もう、自分でなんとかできます」
シルヴィアの返事に、マリアンヌが両腕を組んで目をそらす。
「それはそうでしょうけれど――これからどうなさるおつもり」
「妖魔退治とかで生計立てるのもありかと」
「おや、我々の敵になると」
スレヴィが苦笑し、作業を止めてこちらへやってくる。ロゼとアークもそれに続いた。
「ロ、ロゼは、おねえさまと一緒にいたいです……」
「ありがとう。でもあなたはアークのこともあるし、妖魔と一緒のほうがいいかもしれません。そうでしょう――お父様」
皆がはっと振り向いた。
屋敷の玄関から出てきたのはルルカだ。無表情でこちらを見ている。
「お世話になりました」
頭をさげたシルヴィアに、ルルカの眉根がよった。
「出ていくのか」
「はい。もう娘も聖女も、必要ありません」
「……」
「嫁に出すような気分ですか」
好奇心半分で尋ねてみると、ルルカが嘆息した。
「……まあ、そういう気分なのだろうな、これは」
「いい気味です。……」
そこで無駄口が止まってしまった。ルルカがじっとまばたきもせず自分だけを見ているからだろうか。
「……落ち着いたら、手紙くらいは……住所はありますか」
「ないな。移動するし。魔界に戻ることもある」
「……ですよね。なら……」
ここでもう、お別れだ。
「……また、どこかで会えたら声くらい、かけてください」
「そうだな。お別れだ、俺の娘。――いや、シルヴィア」
柔らかい潮風に長い髪をなびかせて、ルルカが淡く微笑む。
これ以上顔を見ていると、余計なことを言ってしまいそうだ。ぐっと唇を噛んで、くるっとシルヴィアは背を向けた。
「さようなら」
その言葉だけ残して、さくり、と白い砂を踏む。
地面より歩きにくい。でも、まっすぐ進んだ。
(私はもう、普通に生きていける)
だから力強く前に踏み出せばいい――その足の底が、ぼこっと突然あいたとしても。
「!?」
落とし穴に落ちる前に、シルヴィアは体勢を整えて飛び上がる。が、穴から飛び出てきた魔力の縄に足首をとられ、そのままぶんと半円を描いてルルカの前まで戻された。
砂浜に顔面から落ちたシルヴィアの上に、ルルカの影がかかる。
「……なんの真似ですか」
「見送ろう――とは思ったんだが。こんな程度の罠に引っかかるようでは、とても心配で外に出せない」
「は!?」
がばっと起き上がったシルヴィアに、ルルカが笑った。
「もう少し一緒にいよう」
さらっと潮風に撫でられて、頬から細かい砂が落ちる。
「……もう、育てたって……言ったじゃないですか」
「言ったか?」
「言いました!」
「なら、もう親子でなくてもいい」
ルルカが手を差し出した。息を呑んだシルヴィアの心の内など、少しもわかっていないに違いない。
「もちろん、聖女と皇帝候補でなくてもいい」
「……なら、なんなんですか。私たちは」
「さあ。なんだっていいんじゃないか。お前といるととても楽しくて、お前がいないととてもさみしい。それだけで」
「そういうのは、困ります」
「なぜ? 俺の姫」
どうしてだろう。答えられない。
でもみんな、シルヴィアとルルカの次の関係を願うように、見守っている。
「まぁだめと言われても、俺から逃げられる程度に成長しなくては逃がさないが」
いつもの結論ありきではないか。腹を立てるべきだ。
なのに、なぜかおかしくなってきた。
「成長しなければならないのは、お父様です」
「なぜ」
「また聖女にだまされて」
きょとんとしているルルカの前で、体についた砂を振り払う。
「もうお父様とは呼びません。それでも?」
「ああ。かまわない」
「なら、ルルカ様」
手を取って、立ちあがった。
「私の人生設計を狂わせた責任は、ちゃんと取ってください」
「善処しよう。お前は何になりたい?」
「そうですね」
たとえば、妖魔皇のお嫁さんとか。
こんなことを考えてしまう自分は聖女失格だ。せっかく最強の聖女に育ててもらったのに、台無しだとつい笑ってしまった。原因であるルルカが首をかしげるのもまたおかしい。
「考えておきます」
それだけ答えて、シルヴィアは微笑む。ほっとしたように口元をゆるめているこの妖魔は聖女のたくらみなどわかっていないに違いない。
感極まったのか、ロゼが飛びついてきた。マリアンヌはなぜか満足げに笑っている。アークは苦笑いだ。スレヴィは肩をすくめて作業に戻っていく。
「だが、行き先くらいは決めよう。お前はどこに行きたい?」
ルルカがシルヴィアに尋ねた。こうして聞くだけ、成長したのかもしれない。差し込む日の光に笑ってシルヴィアは答える。
「では、海の向こうに」
きらきらした水平線の向こう。そこにはきっと、シルヴィアの夢見た世界がきっと待っている。
これにて完結です。最後までお付き合いありがとうございました…!いただいたブクマや評価、感想などすべて宝物です。
このあとはまた別の作品の連載など手がける予定ですが、またシルヴィアたちのその後も書けたらなと思います。マリアンヌとスレヴィとか少し物足りないので。あとお父様の読み聞かせあらすじ一覧とか(絶対ろくでもない)
またどこかでお会いできるよう、引き続きシルヴィアたちを応援していただけたら嬉しいです。
読んでくださって本当にありがとうございました!




