やっぱり生きてたね、お姉様
翌朝、ルルカの姿にロゼは驚いたものの、これで帰れますねと嬉しそうだった。
街に特に変わったことはなさそうなので、ベルニア聖爵家側から派遣されてきた聖女を確認して帰るということで一致した。
朝食はルルカの分がないのでロゼが買い出しに行こうとしたが、ルルカはそのパンを持っておくようにいい、大通りに面したお洒落なカフェへ連れて行ってくれた。
シルヴィアはもちろん、ロゼも初めてだ。
きらびやかなメニューの絵に目を奪われている間に、ルルカは珈琲と芋のタルトを食べてしまっていた。それでもまだ注文を決められないシルヴィアとロゼに、さすがにつきあっていられないと思ったのか、保護者の顔で言う。
「また連れてきてやるから、とりあえず朝食とデザートをひとつずつにしなさい」
「ひとつ……」
難題にシルヴィアは唸る。サンドイッチにするかパイにするか。このハンバーガーという食べ物は何だ。ケーキだって何種類もある。
「ど、どうしましょう。パフェもあります、おねえさま……!」
シルヴィアとロゼの苦悩にルルカは嘆息し、ベルを慣らしてウェイトレスを呼んだ。
「お子様プレートふたつ」
「お父様、勝手に決めるのは横暴です!」
「プレートも選ばなければいけないだろう。オムレツかハンバーガーか。デザートも、プリンかパイか決めなさい」
「えっ……じゃ、じゃあロゼは……ハンバーガーにパイで!」
「わ、私は……オムレツ、デザートはプリン!」
無事に注文を終えてほっとしてから「互いに少しずつ交換すればいい」とルルカから提案されて、その手があったかと目を輝かせる。
そうこうして食べている間に、大通りを豪華な飾りをつけた二頭引きの馬車が走っていった。珍しいのか、大通りを歩いている人々の中には足を止めて見ている者もいる。
「領主様の馬車です」
門へ向かう馬車を目で追いながら、ルルカが腰を浮かせる。
「聖女の出迎えだな。追うか」
オムレツをすくっていたシルヴィアの手からスプーンが落ちた。
それを目撃したルルカは眉をひそめたあと、椅子に座り直して頬杖をつく。
「……わかった。追わないから、食べなさい」
「い、いい、ですか」
「かまわない、どうせ噂も出回るだろう――ほら、デザートがきたぞ」
目の前にプリンを出されて、こくこくと頷く。ロゼがくすくすと笑った。
「ルルカ様は、優しいですね」
眉をひそめたが、待ちかねたデザートがやってきてしまった。反論はあとまわしだ。
再度、大通りがざわめいたのは、会計をすませて外に出たときだった。今度はのんびりしたものではない、切羽詰まった声だ。
「おい、昨日の場所からまた瘴気が出たって」
「今度は妖魔も出たらしいぞ!」
ルルカは弾かれるように顔をあげたが、シルヴィアとロゼを見て少し考えこんだ。シルヴィアはすぐさま声をあげる。
「いってください」
「……だが、お前たちふたりで大丈夫か」
「鍛えたのでは?」
それを疑うのかと見返すと、ルルカは長く息を吐き出した。
「わかった」
とんと軽く地面を蹴ったルルカは、建物の上を飛んで行ってしまう。シルヴィアはロゼに向き直った。
「とりあえず私たちも様子を見にいきましょう」
「は、はい。あ、でも馬車はいいんですか?」
「瘴気が出ているなら、そこに聖女もきます」
励ますように頷き合い、ロゼと一緒に走り出す。
広場まで距離はそうないはずだが、瘴気の情報が回っているのだろう。広場から逃げるようにやってくる人々の流れと逆に進もうとしているせいで、うまく進めない。
それでもなんとか、広場が見える曲がり角を曲がった。
だが、シルヴィアの目に入ったのは、広場ではなく瘴気だ。
「お、おねえさま、これ……!」
昨日までの瘴気とまったく違う。
黒い煙が雲のようにもくもくと噴き上がり、広場を覆い隠している。なんとか這って瘴気が薄い場所を目指す老人と、それを踏みつけて逃げてくる男。責めるにもその顔も真っ青だ。気を失ったのか、倒れた女性の足が見える。上半身は瘴気で見えない。
それでもなんとか広場だけに止まっているのは、結界があるおかげだ。それでも瘴気が漏れ出しているようで、薄く足元を漂っている。
「おい、どうなってんだよ結界は! あのえらそうな聖女はどうした!?」
「あの女なら倒れてるよ、広場の真ん中で! ほっとけ!」
「いいから早く逃げろって!」
兵がきている様子はない。まだ領主に情報が伝わっていないのだろう。そのせいで導線もめちゃくちゃだ。
「おいだめだ、諦めろ!」
「離して、子どもが公園で遊んでたはずなの!」
突き飛ばされて子どもが泣いている横で、自分の子どもを助けに行こうと止められている女性がいる。
「お、ねえさま……」
脅えるロゼの気持ちがわかる。これに、自分たちは対処できるのか。
ただ、未来が少しわかるだけの自分たちが。
立ち尽くしそうになったそのとき、煙のようにあがっている瘴気の中から、飛び出してきた者がいた。ルルカだ。
何人か人を背負っている。泣いている子どももその腕に抱えていた。瘴気の中に飛びこもうとしていた女性が、転がるようにして駆けてくる。
「ああ、坊やよかった! ありがとう、ありがとうございます……!」
「ここもいつまで安全かわからない。もう少し離れなさい。他も運んでやってくれ」
抱えていた人間を床におろし、ルルカは立ちあがる。ルルカの運んできた人間を何人かが抱えながら、叫んだ。
「お、おいどうする気だ!」
「まだ中にいる。助けてくる。何人か残っていてくれると助かる」
「でも妖魔が出たって」
「問題ない」
そう言い捨てて、ルルカはまた地面を蹴る。その一瞬、すれ違うようにシルヴィアと視線が交差した。
だが、それだけだった。
励ましも、指示もなかった。
よかったと思うべきだ。目立ちたくないし、今になって聖女ぶりたくもない。妖魔皇の心臓をさがすだけ。できないことはできない。
――でも。
ぎゅっとシルヴィアは目をつぶったあとで、ぱんと両手で頬を叩いた。
「ロゼ、逃げてきたひとに安全な場所を指示してください」
「は、はい!」
普通というとき、自分は何かを諦めている。それがきっとなくしたものだ。
だから何も考えずに、足が向かう方向に駆け出した。
ざわめく周囲を置き去りに、まっすぐ――瘴気の中、広場の中央へ。
(まずは瘴気をなんとかしないと)
何人いるかわからない、倒れている人々を運び出すよりも、瘴気をなくしたほうが助かる確率があがるはずだ。
煙かと思うほどの濃い瘴気を、思い切って吸い込む。まったく問題なかった。鍛えたおかげだと思って、苦笑する。視界も外から見たほど悪くない――いや、魔力で補って気配をさぐればいいのだ。目隠しして妖魔熊から逃げ切ったときのように。
すぐに目当ての人物は見つかった。マリアンヌだ。倒れているが呼吸はしている。だがその周囲に、チチチチチと音を鳴らして小さな下級妖魔がまとわりついていた。
「離れなさい!」
怒鳴ったシルヴィアに、下級妖魔が視線を投げた気がした。だがにらみかえすと、下級妖魔はふっと消える。
妖魔皇様々だ。
そう思いながら、マリアンヌを揺さぶった。
「マリアンヌ様、しっかりしてください。マリアンヌ様!」
「……う……」
瘴気を取りこんで浄化できるのだから、体質的には瘴気に強いはずだ。強く呼びかける。
「成績が落ちますよマリアンヌ様!」
「なんですって!?」
かっとマリアンヌが両眼を見開いた。
「今、私は何点!? 何位!?」
「三位です、マリアンヌ様」
「よかっ……よくないわ! まだ一位じゃない……って、あなた。どうしてここに」
「お手伝いにきました。魔術の心得があります」
シルヴィアの言葉に、起き上がったマリアンヌが眉をひそめる。
「あなたが?」
「はい。結界はどうなったんですか」
「妖魔に壊されてしまって……私自身にも攻撃してくるものだから、張り直すこともできずに……っおのれ妖魔! 私の点数が妬ましいの!?」
よかった、元気だ。急いでシルヴィアは話を戻す。
「私が妖魔を止めます。信じてもらえないかもしれませんが」
別に信じてもらえなくても勝手にやるだけだが、協力できたほうがいいだろう。だが、シルヴィアをじっと見つめたあと、マリアンヌは颯爽と立ちあがって言った。
「わかりました、まかせます」
これにはシルヴィアのほうが驚いて、マリアンヌを見あげてしまう。
「信じてくださるんですか」
「でなければこんなところに飛びこんではこないでしょう」
このひとは、口先や見た目ではなく、ひとの行動を評価するのだ。
きっと瘴気をねめつける横顔が、凛としている。これも聖女だ、と思ってしまった。
「さあ、私の点数になるがいい、瘴気!」
こういうところはどうかと思うが。
「お手伝いします」
「少し時間がかかるわ」
そう言ってマリアンヌは深呼吸し、両手を組んだ。マリアンヌを中心に、足元に大きな光の円ができる。そしてその中を、光の線が走って模様を描いていく。
結界の気配を感じたのだろう。濃い瘴気の中から手のひらサイズの小さな下級妖魔が飛び出してくる。身構えたシルヴィアは、手のひらに魔力を集中させた。
手ぶらでも戦えるようその場で武器を錬成する。基礎だと教え込まれた魔術だ。
(本当に基礎かどうか、今は考えない)
剣というには小ぶりなそれを横になぎ払う。剣にまとった魔力に触れただけで小さな妖魔は蒸発するが、何せ数が多い。
「私が誰の娘か、わかっていますか」
とりあえずそう警告してみるが、妖魔たちは攻撃の手をゆるめる手配がない。
意外とあの父親は役に立たない。
そう思った瞬間、背後からかまいたちのような鋭い刃の風が飛んできて、周囲の妖魔たちを一掃した。
「今、何か失礼なことを思わなかったか」
上空からおりてきたルルカに、シルヴィアはぶんぶん首を横に振る。
「ならいいが。――おそらくこれで最後だ」
それだけ告げて、またルルカは地面を蹴って飛んでいってしまった。見ればその背中にはまた何人か担いでいる。人助けを優先しているのだろう。
あとは結界ができればいい。まだかと振り向いたそのとき、かっとマリアンヌが両眼を見開いた。
「いきますわよ、高得点!」
聖女の足元の模様が光り輝き、ぶあっと瘴気が舞い上がった。上空を見あげながらシルヴィアは聖眼を起動する。念のためだ。
これから先、何が起こるか視ておかねば――その瞬間、シルヴィアはマリアンヌに向かって体当たりをしていた。
「なっ……にを、結界をまだ……っ」
結界の中心から芝生に転がったマリアンヌが身を起こして、突然上空から振ってきた剣に息を呑んだ。
先ほどまでマリアンヌがいた場所だ。シルヴィアが視た数秒先では、マリアンヌごと貫いていた。
マリアンヌは助けられた。だが、瘴気をまとって飛んできた剣は結界をつなぐ光の線を断ち切ってしまう。
「わ、私の結界が……っ」
「え、今のでだめになったの? 意外と役に立たないね、デルフォイ聖爵家の聖女様は」
頭上から聞こえた声に、シルヴィアは固まった。
姿は見えない。だが声のほうからして、上だ。視界を真っ黒に染め上げている瘴気の向こう。影も見えないが、明るい声だけが届く。
「まあいいよね。あんな結界じゃ、ただの時間稼ぎにしかならないし。一気に吹き飛ばさないと、街が救えないよ」
「……ずいぶんえらそうにおっしゃりますが、どちら様かしら!」
「ボクが誰かって?」
少し幼い、物怖じしない声。間違いない。
マリアンヌの横から身を引き、シルヴィアは顔を隠すように外套をかぶろうとして、思いとどまった。少し動きがにぶい手を握りしめて、顔をあげる。
その瞬間、周囲が真っ白に染まった。咄嗟に両腕を交差させて目を庇う。だが本当に一瞬だけだった。すぐに清涼な空気が鼻腔をくすぐり、柔らかい風が頬をなでていく。
目を開いた先に、もう瘴気はない。上を見ても、澄んだ空気と晴れ渡る空が見えるだけだ。
「はい、終わったよ」
「そん、な……」
一瞬で瘴気が消え失せたことに衝撃を受けたのか、マリアンヌが呆然としている。
「なになに? びっくりしちゃった? まぁ、こんなことできるのボクくらいだもんね」
「――どこの、どなたかしら」
「えーまだわかんないかなぁ、ボクだよ。プリメラ・ベルニア」
ゆっくり立ちあがったシルヴィアは、顔をあげた。広場の出入り口付近になった時計台の上だ。
そこにプリメラはいた。
数か月前とそう変わらない姿だ。相変わらず長い髪を頭の上でひとくくりにして、笑っている。
「やっぱり生きてたね、お姉様」
でもその目は、いつだってシルヴィアを見下している。
「……おかげさまで」
「ねえ、ボクから逃げられると思った?」
片端を持ち上げて、生まれながらの天才聖女は舌なめずりをするように笑った。




