お父様の昔の女
シルヴィアは寝付きがいい。
今夜も選書について文句を言いながら、半分も進まない間に寝入ってしまった。
ひらりと指先の魔力で栞を挟み、本を閉じる。そしてテーブルに置いておいた。文字を読めるようになったシルヴィアは、中断してしまった本を翌日に読むようにしているらしい。そしてまた、別の本をルルカに読み聞かせてもらって眠る。
文句を言っているが、本を読み聞かせてもらうのを気に入っているのだ。
(素直ではないな)
そもそもシルヴィア本人が、自分は愛情など求めていないと誤解しているからだ。あれは諦めているだけである。だからほしいとも言わない。だが、妖魔皇の娘たるもの、もっと強欲でなくては困る。そのためにはまず、受け取れる人間にならねばならない。
幸福も、愛情も、夢も願いも、脅えて受け取れない人間は、美しくない。
「姫様はお休みですか」
「ああ」
シルヴィアの寝室から出ると、灯りを持ったスレヴィが、薄暗い廊下に立っていた。
魔力で屋敷を昼間のようにするのは簡単だが、それでは情緒がないと文句をつけたのはスレヴィだ。だから夜は灯りを最低限にしている。そもそも夜が活動時間である妖魔は夜目がきくので灯りは必要ないのだが、人間の姫がいる以上はそのようにという配慮だ。
「姫様はなかなか優秀です。この短期間で、読み書き計算はほぼ完璧になりました。今後は歴史や科学分野に手を伸ばします」
「妖魔の知識を人間に?」
「娘だとおっしゃったのはあんたですよ」
廊下を歩きながらルルカは肩をすくめた。その背後にぴったりスレヴィはついてくる。
「まだ引き取って二ヶ月ほどですが、健康状態も問題ないようです」
「背も少し伸びたな。栄養状態がよくなったからだろう」
「魔力のほうはどうですか。目の聖痕を隠せるようになったようですが」
「ああ。勘がいいし、魔力量もある。体力をつければもっと伸びるだろう。妖魔熊からも今日は一時間近く逃げおおせたぞ。息をするように魔力を操るようになってきた」
「それは妖魔の魔力の使い方ですよ。人間は普通、そんなふうに魔力を使いません。人間は物なり術式なり、何かを媒介して魔力を使うものです」
「それはもう、妖魔皇の娘だからな。無能な人間と同じでは困る」
喉を鳴らして笑ったルルカに、スレヴィが溜め息を吐く。
「確かに、簡単に死なれて、皇帝選から脱落するのは困りますしね」
「俺の姫は俺の聖女でもあるからな。それで、用件は?」
「二件ほど。近郊の街に、妖魔が現れたようです。候補者つぶしをしているようで。下級か中級か、とりあえず締め上げにいったほうがよろしいかと」
今度はルルカが溜め息を吐く番だった。
「心臓ほしさに出てきたか。嘆かわしい」
「聖女の封印が緩んで妖魔皇の心臓が手に入るとなれば、そりゃ張り切るでしょう。あんたの権威なんて力業しかないんですから」
「なんだ、俺と喧嘩をしたいなら相手になってやるぞ」
「ご冗談を。ふたつめの用件です。皇帝選登録者の最新リストが手に入りました」
立ち止まったルルカに、スレヴィが胸から出した封書を差し出す。
「最初の課題発表まであと七日。聖眼の能力を見極め、慣れる時間を考慮すると、ほぼこの登録者で最終決定でしょう。聖爵家の聖女と皇帝候補もすべて出そろっています」
「気をつけておくべき人物は?」
「特にありません。宵闇の君なら、有象無象の人間共など一瞬で食い散らかしてしまわれるでしょう。妖魔皇の心臓を取り返せれば、ですが」
「お前、やはり俺と喧嘩をしたいのでは?」
軽く笑い、封書を開かないまま、スレヴィに押し返す。スレヴィは何も言わず封書を懐にしまった。
「安心しろ。心臓は取り返す。こんな面倒はもうごめんだ」
「そうしてください。また聖女に心臓を捧げたら、娘に軽蔑されますよ」
息を呑む、小さな音が聞こえた。そしてすぐさま、空気が動く。足音は聞こえなかったが、気づかれたことに気づいて逃げ出したようだ。
背後にある廊下の曲がり角には、もう誰もいない。視線だけを動かしたルルカは、嘆息する。
「わざと聞かせたのか?」
「いいえ、私も今気づきました。盗み聞きとは素晴らしい成長です」
「最後に勘付かれるあたり、まだまだだ」
「あとお行儀もよろしくないですね。礼儀作法などの淑女教育も追加しなければ」
「お前は俺の姫の教育に熱心すぎないか? どこまでやるつもりなんだ。原石を磨く楽しさはわかるが」
ルルカもその楽しさにのめり込んでいる自覚があるが、思ったよりスレヴィは熱心だ。
からかいまじりのルルカの目を、スレヴィはまっすぐ見返した。
「それはもう、いっそ宵闇の花嫁にふさわしいくらいに」
「……。花嫁?」
「我らが宵闇の君が女性を気にかけるなど珍しいので、これを逃す手はないかと」
スレヴィが何を狙っているのか察して、ルルカは呆れた。
「まだ子どもだぞ」
「すぐ大きくなります。それに千年生きてて、年齢なんて気にしてる場合です? このままだとあんたもう千年、独身ですよ」
「余計なお世話だ。もう寝る」
嘆息して歩き出す。スレヴィはついてこなかった。
「そんなにいい女でしたか。聖女ベルニアは」
そのかわりに、背中に問いを投げかけられる。返事はせずひらりと手を振るだけで、ルルカはその場をあとにした。




