008 打倒中松・土下座作戦でニセ嫁修業を頑張ろう!
あ! ヘアセットするって言ってくれたけれど、遅番の午後五時からの仕事はどうしたらいいのだろうか。グリーンバンブーは、午前十一時から午後三時までがランチ時間、午後五時から八時までが夜の営業時間だ。
「中松」私は外の廊下へ続く扉を開け、すぐ傍で待機している彼に夜の営業時間に間に合うように店に帰れるかを尋ねた。「五時からお店だけど、帰ってもいいの?」
「パーティーのある来月まで、伊織様の夜勤はグリーンバンブーではなく、こちらへお勤め頂きます。緑竹様の許可は取得済みでございます。休日以外の朝七時半と午後三時にはお迎えに上がります」
三成家での修行時間は非常に短かい。来月までに偽令嬢(嫁)に仕立て上げなければならないので、店の仕込みはお父さんやギンさんに任せ、朝の八時から十時四十五分までと、午後三時から五時までの間、営業が終わってから修行を再開させるのかと思っていたが、中松の言いようでは午後三時から花嫁というか令嬢になる為の修業の方をみっちりする模様。
多分そうしないと付け焼刃でも令嬢にはなりきれないのだろう。なんせ元がこんなだし。
折角焼き場を任されたばかりなので、グリーンバンブーでの修業はやめたくないからそれだけは続けたい、ニセ嫁を引き受ける絶対条件だと訴えたので、グリーンバンブーでの仕事も兼用とかなりハードになりそうだと気合を入れていたのだが、夜の営業の方の出勤は勝手にカットされていた。
だったら遅番は不要だと、ちゃんと言ってよ! 帰ってお父さんに文句言わなきゃ!
中松も同罪よ。
「それ、早く言ってよ。引継ぎもせず、何も言わないで来ちゃったじゃない」
思わず睨みつけ、つっかかった物言いになってしまった。
「でしたら、お電話なさいますか?」
しかし中松は気にもせず、涼しい顔をしている。この冷徹鬼!
「あ、うん。言っておきたい。琥太郎に伝言しておく。今日は土曜日だから、私の代わりに焼き場に入って貰うよ」
「では、どうぞ。終わりましたら、スマートフォンをお渡し下さい。お帰りになるまで、お預かりさせていただきますので、そのつもりで」
中松が私のスマートフォンを返してくれた。
持っていちゃダメなのね。というより、用意されたドレスか何か知らないけれど、そんなものにスマートフォンを突っ込んでおけるようなスペースなんかは無いから、どっちみち要らないけれど。どうせ使うのは、一矢からのお弁当感想のメールへの返信と、たまに連絡くれる仲のいい友人からの連絡か、常連さんからの他愛もない連絡だけだし。
返してもらったスマホで早速琥太郎に連絡を取ると、彼はすぐ電話に出てくれた。『はーい』
「あ、琥太郎? 私だけど」
『姉ちゃん、どうしたの? あっ、修行はもう終わり? 早いね!』
明るい口調で琥太郎が言った。彼は私が契約偽装嫁になる事を最後まで反対していたから、早く帰るのが嬉しいのだろう。でも、違うんだな。
「ううん、今日は五時の営業時間に帰れないの。ごめん。何も聞いてなくて、さっき中松に聞いたの。お父さんやお母さんの許可は取っているって聞いたから、後で二人に聞いておいて? それで悪いけれど琥太郎、私の代わりに焼き場入って頑張ってくれる?」
『・・・・泊まんの?』
とげとげしい声で言われた。
と・・・・泊まり・・・・! なんという破廉恥な響きなのでしょうか。一気に顔が赤くなった。
「と、泊まらないわよ、バカ! ニセ嫁修行が終わったら家に帰るしっ」
『そ。良かった。さっさとその偽装嫁なんか終わらしちゃってさ、早く家帰って来いよ。俺がずっと待っててやるから!』
再び明るい声になって、琥太郎が電話を切った。
はあー、とため息を吐いたその横で「もう必要ありませんね?」と中松の手が伸びてきた。
そうだ! 鬼が横にいたんだった!
「琥太郎様は、相変わらずシスコンでございますね」
私のスマートフォンを自分の黒ジャケットのポケットに入れながら、中松が冷ややかに言った。
ちょ・・・・!
「確かに琥太郎は私の事がかなり好きだけど・・・・それはあくまでも家族だからであるからして・・・・! 純粋に弟として姉を心配してくれているのよ。私だって琥太郎が好きだし――」
言い終わる前にぎゅっと鼻をつままれた。
「いたっ、いたい、中松!」
「今のお言葉、一矢様の前でおっしゃらないようにお願いします。たとえ弟とはいえ、琥太郎様が好きなどと伊織様がおっしゃいましたら、一矢様はご気分を害されます。くれぐれもお気をつけて」
「ふぁかった! ふぁかったから!!」
ようやく解放された。絶対鼻が赤くなったと思う!
ただでさえ低い鼻が、余計低くなったらどうしてくれんのよぉっ!!
「じゃあもう、お風呂に入らせてもらうから!」
バン、と音を立てて扉を乱暴に閉めると、『貴婦人は扉を乱暴に閉めたりなさいませんよ』と中松の声が壁の向こうから聞こえてきた。
腹立つわあ――――!!
早速裸になって、バスルームへ入った。
浴槽も広く、洗い場も広いバスルームでシャワーを浴びた。着替えの中に携帯用のシャンプーやリンスを入れて来たのに全部クソ鬼に取り上げられてしまったから、どれで洗ったらいいのだろう。
黒のスタイリッシュな容器が三本綺麗に並べてあるが、どれがシャンプーでどれがリンスなのかソープなのか、全然解らない。右端からプッシュしてみると、シャンプーと思しきものが出てきたので泡立ててみた。
すると、とてもいい匂いがする。一矢も同じものを使っているのだと思うと、ドキドキした。
もし、今も使っているものが同じなら、これはブルガリのシャンプーだ。いい匂いがすると言ったら、高校生くらいの時一矢にボトルごと貰った事があったから解る。勿体なくて使えず、未だに自分の机の一番奥に隠してある。
たまに一矢を思い出したくて、こっそりボトルの蓋を開けて匂いを嗅いだりした事がある。これは、誰にも言えない墓場まで持っていく秘密だ。
手に取ったものはシャンプーだったようで、大変泡立ちが良かったので頭を丁寧に洗った。仕事の後は特に焼き場の油臭が付いているから、一矢にこんな臭いは嗅がせられない。
しっかり洗って身体も綺麗に洗って、汗臭さを流してバスルームを出た。着替えルームみたいになっている場所は広く、大きな鏡にバスタオル一丁の自分の姿が映っている。
『貧相でございますね、ふっ』
中松の嫌味な台詞が脳内をよぎり、悔しくて頭が沸騰した。
頑張ってダイエットして、貧相とか言わせないから!!
でもCカップは何ともならないわよね! 牛乳飲んで頑張るしかないかしら!
見てらっしゃい! 鬼中松!!
普通だったら好きな男に綺麗に見て貰おうと努力するのが女だと思うが、私は悔しい方が燃えるらしく、打倒中松・土下座作戦でニセ嫁修業を頑張ろうと誓った。
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