012 旦那様(ニセ)の背中を洗うのは、結構な拷問でした。
緊張に包まれた食事が終了して間もなくの事。一矢がお風呂に入ると言い出した。
バスタオルやガウン等を用意すればいいのかと思ったのだけれど、そういうのは使用人の方々が既に準備を済ませているらしく、私の出番はなかった。
どうすればいいのかと困っていたら、中松に言われて爆発しそうになった。
「一矢様のお身体を、洗って差し上げて下さい」、と。
ぎゃああああ――――!
な、な、ななななっ、何で私がっ、って反論したけど、クソ鬼にバスルームへ放り込まれ、扉に外から鍵を掛けられてしまった。
「ちょっと、中松! 開けてよ!」
ドンドンドン、と扉を叩いたが、鍵の掛かった扉はびくともしなかった。
『一矢様のお望みでございます。伊織様、お覚悟なさって頂かないと困ります』
「でもっ、心の準備が!」
『一矢様を待たせる訳にはいきません。主人の命令は絶対です。伊織様も服従なさって下さい』
「できないよ!」
『借金一千万円の肩代わり・・・・』
「あ“――やります! やればいいんでしょう!!」
何よ何よ! 私の借金じゃないのに! 何で私がこんな目に遭わなきゃなんないワケ!?
このニセ嫁修行が無事終わったら、お父さんからお小遣い三万円くらい臨時ボーナスとして貰ってやるんだから!
意を決してさっきまで着用していたワンピースを脱ぎ、裸になった。絶対に外れないようにきつーく、バスタオルでぐるぐるに身体を巻いた上から就寝用のガウンを羽織った。濡れても構うものですか!
きっと一矢は沢山の女性と関係しているだろうし、こんな貧相な身体を見せる訳にはいかないからね。もし裸を見られ、『その貧相な胸、身体、もう少し何とかしたらどうだ?』なんて一矢に言われたら――・・・・今すぐ死ねる。
湯気に覆われたお風呂場に、一矢が背中を向けて鎮座していた。腰には白いタオルが巻かれていたので、ほっと安心した。失礼致します、とうわずった声を掛け、泡立ちを助ける為に作られたような柔らかなスポンジに、たっぷりいい香りのするボディーソープを塗った。
「し、しっ、失礼しま、す」
白く細いが男の人特有の骨ばった広い背中。美しすぎて、眩しい。のぼせて倒れないかしら。
濡らしたスポンジを擦って自分の手でしっかりと泡を起こし、一矢の美しい背中に塗り付けた。
「お、お仕事、ご苦労様」
「うむ」
誰か教えて・・・・。主人の身体を洗う時の会話術!
何時もだったらベラベラ喋れるのに、緊張でもう何も話せない。
黙って背中を擦っていると、突然、左、と言われた。
「は、はいっ?」
「左が痒い」
「あ、ああ、ご、ごごご、ごめんねっ。すぐやるわ」
慌てて左をごしごし擦った。
「お前も洗ってやろうか」
「け、けけけ、結構ですっ。ま、に、あってます」
「夫婦だろう。遠慮するな」
一矢に振り向かれた。ガウン越しとはいえ、下の素肌に一矢の鋭い視線が注がれているのかと思うと、顔が赤くなって正面の一矢を直視できなくなってしまった。恥ずかしい。俯いて視線を反らした。
「何故ガウンを着ている?」
心なしか残念そうに一矢が言った。「ここは風呂場だぞ。裸ではないのか」
「だ、だって見られたら・・・・恥ずかしいし・・・・」
「昔はよく一緒に風呂に入っていただろう。あの狭い伊織の家風呂」
「狭くて悪かったわね」
お金持ちのこの家と私の家のお風呂を一緒にしないで欲しい。
普通の洋食屋兼自宅の風呂が、超絶広い訳が無いのだ。普通の一般家庭の大きさだから。
「それより伊織。本来、風呂は裸で入るものだと思うのだが? ガウン着用等とは、おかしくないか?」
「いやそれ、裸なんて絶対無理。今の状態は本来の姿じゃないし、一矢だってタオル巻いているじゃない」
「突然私の裸をお前に見せたら驚くだろうと思って、一応エチケットとしてタオルを巻いておいたのだ。見たいというなら取るが?」
「ギャー、いやーっ、やめてっ! 絶対やめて!!」
「では私がタオルを取れば、お前もガウンを取るか?」
「ムリムリムリムリ。絶対絶対絶対ムリ。契約違反、契約違反!」
「ならば、夫婦としての親睦を深める為にも、湯船につかるなら良いだろう。脱いでもお前の裸は見ないと約束する」
「いやムリだから。そう言われても絶対ムリだから」
これだけ頑なに断っているのだから、諦めて欲しいのに一矢は全然諦めない。
「主人の頼みは絶対だぞ、伊織。誰が借金の肩代わりをしてやったと思っているのだ? 今すぐ耳を揃えて私に一千万円を返すというなら、断っても良いが?」
「ぐ・・・・ズルいよ、一矢」さっきも中松に無理やりこんなところに押し込められて、お金持ちがそんなに偉いんだって思ったら、悲しくなってきた。「私だって、自分の借金の事ならまだ我慢できるけど・・・・まあ、お母さんの借金だから家族連帯責任って言われたらそれまでだけどさ、他人の借金押し付けられただけなのに・・・・こんなの・・・・酷いよ。お金を持っているのが、そんなに偉いの? 貧乏でも一生懸命働いて慎ましやかに生活している私達を騙す方が悪じゃない! 一矢だけはそんな事言わないって思ってた・・・・」
半泣きになっていると、無理強いして悪かった、と少し濡れた手で頭を撫でてくれた。
「何時の頃からか、お前は一緒に私と風呂に入ってくれなくなっただろう。今日は久々に食事を一緒にできて嬉しかったし、昔みたいに一緒に風呂へ入りたかっただけだ。それなのにガウンなんか着てここまで来るから・・・・つい、意地悪を言ってしまった。すまない」
「男と女なんだから、小学校低学年でも恥ずかしいのに、一緒に入れるワケないでしょ!」
「琥太郎や倫太郎は伊織と一緒に風呂に入っていたではないか」
倫太郎は高校一年生の弟だ。ちなみに中学一年生の弟は、雄太郎。小学五年生の妹は明奈。
「あれは兄弟だから! お父さんもお母さんもお店で忙しかったから、弟の面倒を見る為に私が一緒に入って身体を洗ってあげていたの! それも小学校四、五年生くらいまでの話で、もう今は入ってないし!!」
何で琥太郎や倫太郎と一緒にするかな?
一矢が好きだって気が付いてから、一緒に入るなんてとんでもない事のように思えて、小学校に入ったころからお風呂は絶対別にして、って突っぱねるようになったんだっけ。
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