011 旦那様(ニセ)に、ひとまず修業の成果を発表。
「ふむ。確かに」
「こ、こここ、こんな事するの初めてなんだから! もう終わりにしてっ! 食事になさいますか、それともお風呂でございますか!?」
ヤケクソで話を反らした。
「伊織、キスは初めてなのか」
何故蒸し返す!?
「あ、あた、あたり、当たり前でしょっ! わ、わわ、私はね、やっすい女とは違うの。キスもまだの、新品のまっさらよ。私と結婚してくれた男性にだけ、するの。大事に取っておいているの」
一矢のせいで男性に縁が無かっただけ、とは言えず。
「そうか」
一矢はそれを聞いてほっと息をつき――・・・・驚く程に、嬉しそうな顔を見せた。
な、何故一矢がそんな顔を・・・・?
「伊織、食事にしないか。中松に運ばせる。一緒に食べよう!」
「あ、う、うん」
「おかえりのキスは・・・・そうだな、悪くなかった。毎日受けてやってもいいぞ」
えぇ――っ、それって嬉しい事なのぉ!?
毎日なんて、勘違いしちゃいそうになっちゃうじゃないの!
一矢の馬鹿!
「さあ、食事にしよう。中松、頼む」
「承知致しました」
中松は一矢に頭を下げ、去って行った。何帖あるのかわからないくらい広いリビングダイニングに二人で向かい、黒の大理石の豪華で広いテーブルに、合わせて置かれた本革の黒椅子に腰を下ろした。
しかし、そこで問題がひとつ。
普通、二人で食事するなら向かい合わせになるよね?
八人掛けの広いテーブルの中央に用意されていた食器類やマットの二人分が、密接して隣り合わせで置かれているのだ。おかしくない?
「あの、一矢、これは?」
「どうした。何か問題でもあったか?」
「あの・・・・食事ってさ、普通向かい合わせで食べない?」
「私は何時も一人で食事をしているのだ。傍に誰かがいる食事というのを、自宅で密接して経験したいのだ。いけないか?」
「い・・・・いけなくない・・・・けど」
真顔でこんな風に言われたら、ダメって言えなくてそのまま着席した。
こんなに広い空間で椅子が隣接するほど密になるなんて、どうかしている。
ドキドキする。食事作法の悪い私が、上品な一矢の前でどうしろと言うのだ。何かの拷問か?
「一矢・・・・あの、ちょっと近いような・・・・?」
「そうか。お前の家はいつもこれくらい接近していると思うのだが」
「あの、私の家は狭いし家族も多いから。・・・・でも、この家は広いじゃない?」
「広いからと言って隣同士に座ってはいけないという規則も定義も無い筈だ。何が悪い」
言い出したら聞かないのが、一矢だ。弁も立つから簡単に論破される。
これはニセ夫婦になるための練習なのだろうか。仲良さ気な所をこれでアピールする作戦なのかな。考えても解らないので、勝手にそう思う事にした。
「今日はフランス料理のフルコースだ。作法については、中松にかなり仕込まれただろう。間違える度にカウントして食後に罰を与えるから、そのつもりでな」
いいっ!? 罰を与えるって・・・・! 聞いてないよーぉ!
今日の夕方からみっちり詰め込まれた、食事作法。
そんなの全然やった事ないけど、一千万円の借金立て替えて貰ったし、既にニセ嫁として稼働中だからクビにならないようにしなきゃなぁ。
眉毛をハの字にして困っていると、姿勢の良い恰好で中松がリビングダイニングにやって来た。仕草は流石に一流の付人だ。振る舞いが綺麗だ。
「オードブルでございます」
あああ、遂にこの時が来てしまったあああ。私に出来るかな!?
鬼松の言葉を思い出す。――ナイフやフォークなどのカトラリーは「外側から順に」使うのです、と。
外側ね。うん、外側。大丈夫。
隣の一矢を横目で見ると、良い姿勢できちんと待っている。はああ、美しいわあ。
私も頑張らなきゃ。背筋を伸ばしてオードブルを待った。
「旬の野菜ムースと空豆のサラダ・ズワイ添えでございます」
野菜のムースにズワイ添えって、今まで聞いたこともないようなメニューだ。グリーンバンブーで出す洋食なら『旬の野菜サラダ大盛のエビ天定食』みたいな感じだろうか。ズワイガニは無いからエビで。どうしてもズワイガニを使うなら、値段的にグラタンに少量利用するくらいしかできないよ。カニカマ使って『なんちゃってカニ添え』みたいにするか。
今回はオードブル(前菜)だから、うちで定食にしちゃったらメインディッシュかぁ。全然違うね。
中松が私の目の前に、大きくて白いお皿の中央に、ちょんっと『旬の野菜ムースと空豆のサラダ・ズワイ添え』が乗せられたオードブルの皿を置いてくれた。
量少なっ!
グリーンバンブーの定食は、たくさん食べて欲しいから結構大きい。リーズナブルで美味しくてお腹いっぱいになるところが自慢!
美しい彩りは確かにいいと思う。何かのイラストみたいに、少しだけ円を描くようにかけられた鮮やかなソースもまるで芸術だ。
料理のアートだね。アート。グリーンバンブーには無縁だわ。ガチ盛りである意味インスタ映えするけど、映えの種類が全く違う。
「食べてみろ、伊織。私が見ていてやろう」
ゲー。お手本見せてくれるんじゃないのぉ?
私は右外側からナイフを、左外側からフォークを取った。美しい芸術品のような料理にナイフを入れると、柔らかく弾力のあるムースはすぐに切れ、真っ二つに割れた。続いてフォークで刺し、ナイフも置かずに口元に運んだ。
「おいしー」
繊細だけど旬の野菜の香りが広がるムースに、舌鼓を打った。
「伊織、相変わらず美味そうに食べるな」
一矢が目を細めて笑ってくれた。
あっ、合格なのかしら?
「中松、採点は?」一矢が中松に聞いた。
「三十点といったところでしょうか。ちなみに百点満点中の、でございます。初回でこの点数では落第ですよ、伊織様」
「なんでっ」
あまりの低い点数に、思わず中松を睨んだ。ちゃんとやったのに!
「脇が開きすぎで、きちんとした美しい姿勢が保てておりません。外側からナイフやフォークをお取りになったのは結構でございますが、その後が全くスマートではありません。『おいし―』等のお言葉は、もっての外でございます。言葉遣いもさながら、だらしなく開いた口元も減点対象でございますよ。いい所を探す方が難しいです」
さっきクソって言ったから、根に持って必要以上に厳しくしているのね!
鬼!
悪魔!!
「でも、おかしくない? マナーマナーって言うけど、こんなにかしこまって上品に食べて、味が劇的に変わるとでもいうならともかく、何が偉いの? 確かにマナー悪いのは良くないと思うし、これについては修業して頑張って直すけどさ、料理って単純に『美味しい』って味わって食べるのが一番大切なんじゃない? 私にとったらこんな風に凝り固まって食べるの、もっての外でござーますわよ。おいしーものをおいしーって言って、何が悪いの?」
不貞腐れた顔を見せ、思わず反論してしまった。
「あっはっは、伊織らしいな。まあ、お前の言う事も一理ある。だが、中松の言う事も解ってやってくれ。来月はお前の披露パーティーを開催するのだ。そこでは『伊織流』にはできない。礼儀作法を問われてしまうからな。私にも立場というものがある。それを解ってくれないか。伊織には荷が重いし、大変だという事は承知の上だ。しかしその上でこの話を持ち掛けたのだ。上手くやって貰わないと私が困る」
私を窘めるように一矢が言った。まあ、一矢を困らせたくないから、中松の言う事を聞き入れるしかないわね。
「見本を見せてやる。よく見ていろ」
水が流れるかのように美しい所業に見惚れた。ナイフ使い、フォークを刺して口元に運ぶその姿。美しい以外、何と表現すればいいのだろう。
「お前もやってみろ」
そうよ。ニセとはいえ、大事な一矢のお嫁さんの役なんだから、私のガサつ加減で一矢の面子を台無しにしちゃいけない。大好きな一矢の為に、頑張らなきゃ。
見よう見まねで一矢のイメージを思い浮かべながら、上品に食べた。
「見違えたな。やればできるじゃないか。なあ、中松」
「左様でございますね。伊織様、その調子でございます」
一矢に続いて中松まで褒めてくれた。良かった。この調子で頑張ろう。
しかしまだまだ、ニセ嫁(令嬢)になる為の厳しい修業は続く――
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