第六話〈類似点と買い物と》
ミチカの表情など目を閉じたままのルゼルには伺えるはずなどない。しかしルゼルはミチカの驚きの表情を知り得ているかのように軽く笑う。
「いえいえ、気にせんとも良いのです」
「あんた、俺のこと……」
「眼が見えなくなってから変わりに別のものが見えるように為りましてね。いやはや人生は奥が深い」
ルゼルはしゃがれた声で笑いながら、立ち上がりミチカの方を見た。
「人生とはいっても”人”ではないですが。……昨日はフォルナ様に適当に紹介されてしまいましたから改めて名乗っておきましょう。私はルゼル、人のようで人ならざるもの。あなた方が邪神と呼ぶ我らの創造神が創りしあなた方人間に最も近い魔物。人間は我々を鬼、と呼びますかな」
老人は落ち着いた様子で述べた。やはり立場はフォルナのほうがうえのように聞こえる。
邪神創造神の話はなんとなくのイメージとして考えるものとしてここまで人と見分けがつかないと、もはや魔物とそれ以外という壁は何のために存在するのだろうとミチカは疑問が出てならなかった。
さらに差し込む朝日は、彼の禍々しさを感じる言葉の羅列を光に塗り替える。ミチカは故に彼が魔物を名乗ったことになにか引っかかりが残った。
「魔物……」
「そう驚かんでくだされ。あなたの心は今の話を聞いても曇る気配がない。さすがは勇者と言ったところでしょうか」
と言われても突然の自己紹介はミチカにはあまりにも衝撃的すぎる。少しの間口ごもってしまうのは心の当然な反射行動だった。すっかり自分の呪いのことを尋ねるのも忘れ鬼の言葉に誘惑される。
「……それで俺のことを恐れたりはしないのか?」
「私達には人と同じく理性がありますゆえ。それにこれでも人の輪に入ろうとし失敗したもの。私達と手あなた方と違う点といえば、少々ばかり強い魔力と力くらいでしょう。それ以外はなんら変わり有りませぬ。ただ生み出した存在がちがうというだけで。なによりあなたに敵意が無いことがこれで証明できましたので」
彼の言うことには気になる点が多く散りばめられていた。まず理性を持つはずの人はミチカを見た途端魔物と思い込んで敵意の有無にかかわらず武力を向けてきた。ミチカの倫理からすればどちらの方が人間らしいかなど明確に分かった。そして二つ目、少しばかり強い力にはこの世界に来た途端に見た覚えがある。
「あんたら一体何者……」
「おはようっ!」
黄金のようにきらびやかに金色の髪をなびかせた少女が階段の手すりを飛び越えて一階の床へと降り立った。着地の瞬間床が鈍い音で唸る。また新たに探求するべき課題が生まれたような気がするがミチカは気を取り直した。
ルゼルはミチカのいいかけた質問を気にかけることもなしにまた座り今度はなにやら手紙のようなものを手に取る。そのまま古びた羽ペンで手紙に文字を刻み始めてしまった。これ以上問うのは、その気づきづらい態度の変化にはばかられた。
「石ころ、お前朝早いな」
フォルナは寝癖だらけの髪を指先で弄ぶ。それから一つにまとめて手に巻いてあった一本の赤い紐で絞める。相変わらずの仮面で表情は伺えないが声は眠そうなゆったりとした声だった。昨晩のイベントの続き、重要人物登場だ。
「さっき起きたばっかりだけど。そうだフォルナ、ちょいと依頼したいことがあるんだけどできるか?」
「そんなの内容次第ってとこだ。もちろん報酬は弾んでもらわないと困るぜ!」
「報酬はない」
ミチカの自分でも思うとんでも発言に「じゃあ無理だ」と即答される。
「ちょっと買い物に付き合ってほしいだって。ホントは俺一人で行ってもいいけど生憎昨日と同じように魔物扱いされて終わりだからよ、そこは情に免じて……」
「こっちは情に免じてやっていけるほどやわな生活してねーんだ。まあ買い物って言うってことは金の出処はあるんだろ? そっから報酬がいただけるってことは丸見えだぜ?」
一瞬陰気な空気を漂わせたのにどきりとした。だがフォルナはミチカの言葉の裏を読んで誇らしげになっているらしいく一安心。報酬を見破られるのは大した問題では無い。どうせ言おうとしていたことだ。
「よくわかったな。報酬は無論ただ棒だ。それも無限に!」
「出し方わかったのか?」
「ああ。俺の言う手順を踏めばはいくらでもただの棒切れをくれてやる」
ミチカは堂々と腕を組んで言った。
フォルナの嬉しそうな様子がひしひしと伝わってくる。ちょろいぞこいつ。流石まだ子供。一度報酬をなしと言ってやる気を削いでからだと次の噛み付きが良くなる。ここまではミチカの企て通りだった。
ただ棒の出し方が思いついたのは簡単な話で昨晩天井に手を伸ばした時にふと思いついただけのことだった。
「上から目線なのが気に入らないけど、はやく言えよ」
「だから、それ教えてやるのが報酬だ。俺ひとりじゃただ棒出せないから買い物の段階で教えてやる。俺は買い物ができる。お前は金が手に入る。ウィンウィンってやつだ。どうする? 信用しないもするもお前次第だぜ?」
フォルナは顎にそっと手を当てしばらく考え込む。
「いいだろう受けようじゃねーか。んでもどうやってお前は付いてくるつもりなんだ? というかそもそもあたしだって街で普通に買い物なんてしてたら兵士の輩がのこのこ出てくるぜ?」
「俺がその仮面を着けてボロ布をかぶる。そうすれば俺は晴れて手配犯フォルナに見えるってわけ、んでその間にお前は堂々と買い物できる。どうだ?」
しかししばらく返答はなかった。むしろあまり乗り気のようには見えなかった。
「んまぁ、ちょっとくらいならいいか? よしそうと決まったら行くぞ。ちょっと支度してくるから」
「あれ、朝飯とか……」
「朝飯なんて食ったことねえよ。お前どんな贅沢な生活してたんだ?」
あっという間に階段を登りかけていたフォルナは一段後戻りして突っ込んでくる。朝食が贅沢に当たることにミチカは少し申し訳ない気持ちと言葉を包みたいい気持ちがすっと流れ込んできた。
ふらりと玄関の方へ行くと壁にかけられた短剣が目に入った。艷やかな革製は縫い目一つ一つが生きたように丁寧でとてもこの貧民街にあるものとは思えない。よく見ると模様は思っていたよりも更に精巧でまた全く古さを感じさせない作りをしていた。
これは盗品なのだろうかとミチカは思う。しかし盗品ならば売ってしまえばいいものを。売れないと言うならそもそもなぜ盗んだのだろうか。あの怪力があれば武器などなくても良さそうなのに。そもそもフォルナはルゼルと同じような……。だがなぜかそうと思えない心のつっかかりがあった。
短剣には小さな文字だがくっきりと『フェビリア』という文字が刻まれていた。文字は当然のことだが見覚えがない。しかし自然とその響きは頭の中に入ってきてしまうのだ。この言葉は何なのだろう。名前? ブランド? この世界に来てからというもの疑問づくし。まあそれも何もわからない異世界に来てしまったのだから当然といったところだろう。
「石ころ殿……」
ルゼルが話しかけてくる。そう言えば未だ彼には名乗っていなかったことを思い出した。
「俺はミチカの方だぜ。それで何だ?」
「フォルナ様とは仲良くしてやってくだされ。一四年もあの子の面倒を見てきましたがあんなにも活き活きとしたフォルナ様は初めて見ました。あの子はあの二階の子供やあなたよりもひどい、世界に呪われた者故ほとんど人と関わったことがないのですよ」
彼らがただの貧民街の住人でないということは確かなようだった。ルゼルは未だ手紙を書き続けているようだった。だが砂粒一つ砂時計から落ちるほどわずかな間を置いてルゼルが顔を上げる。目をつむったままの彼からは鋭い視線のようなものを感じた。
「加えて警告です。あまりあの子に無茶はさせぬように」
そう言ってまたルゼルはまたも手紙を書き始めてしまう。何かを言おうとしてもすぐにかわされてしまう。その後はただ漠然とした空気を漂わせるせいでもはや掴みどころが見当たらない。ミチカはこの不思議な老人ルゼルに単純ではない侵食するような細長い恐怖を感じていた。
階段から下りてきたフォルナはナナをおぶっていた。頭をぽこすかと叩いて遊ばれなんだか迷惑そうだが、落ち込んでいた心を和ませる微笑ましい光景だった。フォルナはナナをおろしてかがみこみナナに視線を合わせる。
「今日もちょっと買い物してくるな。なんか欲しいものあるか?」
「あるよ。ちずー!」
「何だよ地図って、そんなもん買ってどうするんだ?」
「あのね、きのう外で遊んでたらすっごい綺麗なお姉さんが道教えてって言ってきたの。だからちず」
「あんまり怪しい人に近づくなよ。わかった。気が向いたら買ってきてやる。……じじ、ちゃんとナナのこと見守っとけよ」
フォルナはナナの頭を乱暴によしよしと撫でた。ルゼルは無言で小さくうなずく。
――ここから俺たちの買い物大冒険は始まる。ミチカはそんなふうに大げさに考えた。