第三話〈乾いた街にも活きた人間》
先程見た街は一つの城を中心として広大に広がっていたから、この街はその一部に過ぎないのかも知れない。城壁の外にあるという点を除いては。
壁の外の小さな街には活気の活の字すらなかった。すでに枯れた酒瓶を意味なくすする初老の男やひっくり返した壺に座り込みながら死んだような眼でこちらを睨みつけてくる三人組の前を通り過ぎてきた。
彼らは底のない泥沼を沈み続けている。ふとそんな言葉が思い浮かんでしまう。
道端に転がっているのは、門のところと同じくやはり物流で栄えていたと思わしき残骸。つまりここは検問を通る前の待機所的な意味も持ち合わせた一角だったことを示している。鳥車を牽いていた鳥のものらしき白骨体まであるのだから気味の悪さは十分すぎた。
気がつけば道の端に腰掛けた一人の老婆がこちらを手招きしている。オカルトチックな雰囲気は理論では説明できないような誘惑を持ち合わせ、なぜだかミチカはそれを眺めていると無意識的に体が老婆の方へ吸い寄せられていた。興味本位にぼーっと近付こうとすると横から軽く肩を叩かれる。
「あんまり見んな。関わらないほうが良い」
ふと意識を引き戻された。振り返れば自分よりも頭半分くらい背の低いフォルナが呆れたような調子。ここの社会の仕組みはわからないがある一定の生存の術が存在すると感覚的に悟った。フォルナは早足にミチカを先導していった。
少し歩いたところで枯れた噴水のを中心とした広場のようなところにフォルナはゆったりと腰掛ける。堂々と足を組みけだるい様子でこちらを見つめていた。仮面の奥で何がどうしているのか全くわからないがために興味と焦燥感をくすぐられる。
「それはそうと、さっきは焦ってて適当に連れてきちまったけど良かったのか?」
「そのへんは多分OK」
「しっかしあたしもびっくりだよ。まさか盗んだ石像が動き出すなんてな。しかもほんと自然に喋りまでするって。お前一体何者だよ?」
「自分が人なのか魔物なのかもまだまともに分かってないやつにそれを聞かれても」
「分かってないってお前どう見たって動く石像、ほらあの……わりとよく遺跡とかにいる魔物だぜ。あたしが聞きたいのはそんなくだらない分類じゃなくて、行動目的とかそういうやつだよ」
「だから、多分自分は勇者ミチカでガルモンドに石にされて石のまま目覚めたんだって……」
やはり魔物でないということは容易に信用してもらえないようだった。傍から見た際、ここまで断定的に言えるということは、もしや本当に石像にされた勇者ではなくそれになってしまったのではないかとも薄々思ってしまう。今までいた日本のことは話しても無駄だろうからあえてするつもりはなかった。
ミチカとガルモンドの名が普通に通るのであればRPGのキャラのつもりになっても話が通じる、その仮定は間違いではないようだった。
「ミチカだのって言ってるけどそのジョークかなりイタいと思うぞ。ガキでも騙されねーよ」
「だから本物だって言ってるだろ……」
「じじが言ったら信じるかもな〜」
フォルナは全くミチカのことを相手にせず、滝に小石一つ落としたかのように安々と話を流してしまった。じじとは誰のことか気になったがひとまず置いておこう。
フォルナはあの兵士と対峙していたときのような恐ろしさはすっかり抜けて垢抜けない子供のような明るい様子で話していた。
「それで話を戻して、むしろ落ち着いて状況整理できる場所へ連れてっていただきたいくらいなんだけど」
ミチカがそう言葉を口にしていると、フォルナはふらっと立ち上がりそのまま横に並んだ。
かなり距離を詰められても仮面は相当に密着しているようで表情の片隅も伺えない。ただしくすくすと小さく笑う様子は柔らかさに近いような感触がある。
「なら家は騒がしいちっこいの除けば静かだぜ。よかったな!」
一瞬光景がスローモーションになったかと思うとフォルナは拳で肩を軽くどついてきた。その動作はとても軽そうなようで突如骨の芯まで響き渡るかのような鋭い痛みを生み出す。噛み締めこらえることも出来ずに体の外へと抜けていき、ミチカの体はそのまま後へスライドして滑っていった。足の裏が擦れ熱くなり、踏みしめる砂が詰まったところで勢いは止まった。
あの兵士たちが喰らったものの威力をすぐさまミチカは悟った。しかし少女は笑っているのだから恐ろしさも何も思わない。だだちょっとした驚きが添えられただけだ。
「何すんだよ急に!」
「いやー、どんなものかなと思って。意外と硬いんだな。しかもあたしが殴ってもなんにも形変わらないし、ヒビ一つ入りやしない。ほんと変なやつとしか言いようがないわ」
フォルナはほのかに赤みがかった手を振り払う。
この少女の馬鹿力は計り知れなかった。それと同時にまたミチカの体も主観的な憶測以上の強度を持っているものと思われる。その分痛感もストレートに走り抜け辛いところがあるのは困った点だった。
フォルナは擦れた手の甲をそっと仮面を持ち上げその内側で舐めたあと反対の手でぐっと抑える。思ったより相手も痛かったのかも知れない。
「合って間もない相手を急に殴るやつがあるかよ……」
「わりぃ。しっかしホントめずらしいな。石ころなんて殴れば一瞬で砕けちまうのに」
「ヒョロっちい体のくせに化け物じみた恐ろしい発言するな」
「お前こそあって間もないの相手にずいぶんと失礼なこというじゃねーか。このランデール王国より広大な心を持ってるあたしでもちょっとやそっとは傷つくぞ?」
「そのランランルーとやらがどんくらい広大なのかはしらないけど、そんなに広大じゃないってことは分かった」
自慢気に某Mなファストフード店キャラクターのセリフを言っているといつの間にかもう一撃だげ拳が跳んできた。それは一つ前の一撃よりも禍々しい妖気のようなものがこもっていそうな気さえ感じる。
加えてこの場所はランデール王国。ゲームとしてこの世界を見ていたときは存在しなかった国だった。新たな地名をミチカは脳の片隅にそっと書き留める。
「あたしの心はとっても寛大です。んじゃ、馬鹿なことやってないでそろそろ行くぞ。お前が面白いやつだって事は十二分に分かったしな」
「おい、もしかして今俺試されてたのか?」
「おん、おまえぜんぜん心底からの悪意は感じられないし、殴っても反撃することもないし。これで仮には信用してやったってことだ。普通はこんな見るからに怪しいやつほっぽり出してるところなんだから感謝しろよな」
「なんかその、ありがとう」
「いいってことよ。じじの言いつけでまずはじめに疑えって言われてるだけだから」
「何だよそのめっちゃ性格悪い言いつけ」
「こっちにだっていろいろ事情ってものがあるんだ。ちゃっちゃと付いてこないと置いてくぜー」
フォルナはわざと小さな声でつぶやきあるきだしてしまった。人をどこか小馬鹿にしているようで意地が悪いように見える、そんな少女だったが見え隠れする素朴な優しさがなんとも言えなかった。
少なくとも彼女は周りがわけも分からず全員敵へと変わり果てた時、理由はどうであれ唯一味方をしてくれた存在だった。それは彼の今の心情の大半を占める引き金とも言える。
世界はつくづく残酷なことをするとミチカは思った。よっぽど正確の悪そうな商人という人間をはじめとした人々には対価なしとは言わないがたやすく潤いを与え、何気なく善意を覗かせるこのまだ幼い者にはこのような乾ききった街での生活を強いる。
まだ知り合って間もないわけだから彼女がどんな世界を生きているのかなんてわかるはずもない。だがどこか湧き上がるような感情が内心を揺さぶって離さなかった。
「置いてくなよ。俺、道わからないんだから……」
小柄な少女の背中は長い人生の中で見てきた中でもはるかに大きなもののように見えた。
この先ミチカに降りかかろう未来は出だしからしてグッドかバッドかで言えば間違いなくバッドの方面に進んでいる。異世界であろうと今までの世界であろうと真っ当なものが不利益を被るのは消したくても消えないものなのだろう。ミチカは決して自分が真っ当な物だとは思はない。
しかし真っ当なものと真っ当でないものの見分けくらいはつく。
――彼は決めた。異世界で初めの孤独を奪い去ってくれた強盗少女に応えようと。
その時彼の心は神近淳士ではなく、確実にまた異世界の存在と為り変わっていたのかも知れない。それは勇者ミチカのものかもしれないし、あるいは石像ミチカのものかもしれない。
ほんの一瞬のあっという間の出来事だった。周りからもほんのちっぽけな出来事に見えていたかも知れない。しかし少女の行いはミチカの異世界での秒針を確実に動かしたのだった。
「――かかってこいや異世界!」
「……何いってんだお前」
※メタル界のゴッドファーザー▶ロニー・ジェイムズ・ディオ氏