ろく
「全部教えてください。父のこと、昨夜のこと。全部」
アウレリアのまっすぐで強い視線が魔王を射抜く。
朝日の中、彼女の癖の強いくすんだ金髪がキラキラと輝いている。
魔王はこの時初めて、本当の意味でアウレリアと見つめあったような気がした。
思い返せば出会った頃の彼女は、いつもびくびくしていてこちらの顔色ばかり窺っていたように思う。魔王もまだその頃は人間のことなどよくわからなかったし、アウレリアには興味もなかったので、どうでもいいと思っていた。
けれどともに過ごすうちに、彼女は次第に明るくなり、笑顔を見せるようになった。おそらくそれが彼女の元々の性格なのだろう。
一緒に街へ出かけ、多くの未知の発見をした。
屋敷の中を忙しそうに走り回る姿なんかは森を駆け回るリスのようで、魔王は読書の合間に時々それを眺めたりもした。
魔王にとってアウレリアは最も自分に近しい存在になっていた。
だからこそ、昨夜のことは失敗だった。
まさかあんなにアウレリアが自分のことを恐ろしがるなんて思いもしなかったのだ。
アウレリアがさんざん泣いたすえに気を失うように眠った後、魔王は一人反省した。
別に自分も人間になれた気がしたなどと言うつもりないし、別になりたくもない。魔王はいままでもこれからも怪物だし、そんな自分を嫌になったことはなかった。
けれど人間からすれば自分は恐怖の対象であるのだ。
そりゃそうだ。
自分はやろうと思えば、一晩で人間の国を亡ぼせるし、国民すべてを平らげることだってできる。
人間の目の前で人間を食べるのは、確かに残酷なことだったのだろう。
それに魔王がいくらアウレリアを食べるつもりはなくとも、それを彼女自身が信じられるかというのは別の話なのだ。
だからアウレリアが起きたと聞いた時、魔王はもう潮時かなと思った。
きっとアウレリアは魔王にこの国から去ってほしいと願うだろう。もしかしたら他の人間に魔王の正体をばらすかもしれない。
それでいいと思った。
短い間だったが想像の何倍も楽しかった。
アウレリアにはこれまでの働きに免じて十分な金銭を与えて、奴隷から解放してやろう。
そして自分はしばらくどこかジメジメして日のささない陰気な森で眠ろう。
たぶんその間に百年くらい経つから、起きててもアウレリアのことを覚えていたら墓でも探してみるのもいいかもしれない。
魔王は自覚していなかったが、相当落ち込んでいた。
けれど魔王の予想とは裏腹に、アウレリアは怒っていないと言った。
魔王のことは怖いけれど、嫌いではない、と。
その目は強がっているわけでも、嘘をついているわけでもないように見えた。
心底ほっとした。
それと同時に、昨夜一人で反省しているときに自分もふと恐ろしさに襲われたことを思い出した。
アウレリアは人間なのだ。
魔王が力加減を間違えればいともたやすく死んでしまうし、そうでなくともその命は瞬きのうちに燃え尽きてしまうほどに短い。
アウレリアはいつか死んでしまう。
そのことに気が付いて、魔王は自分が何もない真っ暗闇に一人きりで放り出されたような心持ちになった。そんなことは初めてだった。
魔王は自身が存在してから、長いこと忘れていた恐ろしいという感情を味わうこととなった。
「まず初めにわかってほしいのは、俺はお前のために何かしてやりたいと思ったということだ」
隠していることをすべて話せと言われ、魔王はまずそう前置きした。
「昨夜は少し方法がまずくて、怖がらせることになってしまったわけだが」
アウレリアはぎこちなく微笑む。
それでと促され、魔王はいよいよ自分がここ数日でまとめた情報を彼女に開示することにした。
「最初におかしいと感じたのはユリウスの態度だ」
祝賀会でアウレリアと再会してからのユリウスの行動が性急すぎると感じたこと。
そのわりにはアウレリアが没落したときのユリウスの態度が冷たすぎること。
ユリウスが自身に激しい嫉妬を抱いているようだということ。
それらから何が言えるわけでもなかったが、何かが変だと感じたこと。
「お前の話だけでは不足だと感じ、事件の詳細を知るためには王宮の蔵書を調べる必要があった。あそこには裁判の記録や資料があったからな」
「それで何かおかしなところが?」
アウレリアは期待しているような、不安そうな、複雑な表情をしている。
王宮からの帰りの馬車の中で、魔王がお前の父ははめられたかもしれないと告げた時と比べると、ずいぶんとマシな顔になっていた。
「お前の父の事件の裁判は驚くべき速さで判決が下されていた。それもある時期を境に、急激にだ」
「ある時期?」
「裁判官が交代したんだ」
「そんなことがあるんですか?」
「ここ数十年の事件を流し見てみたら、似たような事例がいくつかあった。そのどれもが病気を理由に裁判官が交代してすぐに死刑もしくは無期限の投獄のどちらかになっている。その交代した裁判官は同一人物とまではいかなかったが、系譜を辿っていくと全員カペル侯爵家と何かしらのつながりを持っていた」
「カペル侯爵……」
アウレリアは記憶をたどるように視線を空中に漂わせて、あ!と声をあげた。
「ユリウスから何度か名前を聞いたことがあります。目をかけていただいているって」
「らしいな。王女付きの侍女たちからも同じようなことを聞いた」
ユリウスは時々王女のもとを訪れることがあり、侍女たちの憧れでもあった。ゆえにその動向は彼女たちの興味の対象でもある。
王宮に通ううちに顔見知りになった際に、魔王はユリウスのことをいくつか彼女たちに尋ねていたのだ。
そして魔王は、そもそもの疑問点に移る。
「だいたいなぜ、隣国は王女の婚約者なんかを狙ったんだ?」
「……そりゃ王女様と結婚するような貴族ですから、殺せば国が混乱すると思ったのでは?」
「ならなぜ追い打ちをかけてこない?襲撃はあれっきりだった。そもそも砦を襲撃したのは本当に隣国の兵士だったのか?」
「え!?」
「隣国の兵士の格好をした人間たちが、砦を襲えば必然的にみなそう思うだろうが、裏を返せば格好させ整えていれば誰だって隣国の兵士の振りができるということだ」
目を白黒させるアウレリアを横目に、魔王は話を王女の婚約者だった公爵に戻す。
「公爵の話に戻るが、公爵は領地こそ広いが、強力な私兵を持っていたわけでも、政治の中心にいたわけでもない。言っては悪いが優れているのは血統だけだ。狙われる理由がない」
「たまたま公爵様が砦に来るようだから狙った、ではダメなのですか?」
「公爵は視察に来ていたんだぞ。公爵自身の護衛もいるし、砦は視察に備えて万全の状態だった。俺が事前に情報を得ることができたなら、公爵が視察に来ない警備の手薄な日を狙う。つまり狙いは公爵だった」
魔王はフォークで卵を真っ二つにした。
皿の上にどろっとした黄身が流れ出る。
「公爵が死んだことで、王女の婚約者の座が空席に戻った。そして俺が第一候補になったわけだが、それまで誰が第一候補だったと思う?」
事件の全貌が見えてきたのか、アウレリアは少し青い顔でささやくようにユリウスと呟いた。
「そう、ユリウスだ。ユリウスとカペル侯爵はつながっている。そして隣国と思わしき兵士たちの襲撃によって公爵が運悪く死に、ユリウスは王女の婚約者第一候補となった」
「ユリウスは王女様の婚約者になるために、私の父を犯人にしたてあげて公爵を殺した」
「だが確信にいたる証拠がない。このままでは推測の域を出ない話だ」
「そんな……」
「そこで昨夜お前が襲われた件になるわけだ」
「私?」
「ユリウスたちはお前の父を利用して公爵を排除した。ユリウスは正義の青年貴族ともてはやされ、次の婚約者候補に躍り出た。しかしそこに魔王を倒した勇者が帰ってきた。犯人に仕立て上げた男の唯一生き残った家族、その娘、アウレリアを連れてな。ユリウスには俺たちがこう映ったはずだ。こいつらは自分を蹴落として、王女の夫になるつもりだとね。だからユリウスは祝賀会で再会してすぐに、ここを訪れたんだ。こちらの様子を探るために」
あの日、ユリウスから漂っていた濃厚な嫉妬の気配。
それは魔王が自分を差し置いて王女の婚約者になろうとしていることにたいする、激しい嫉妬だったのだ。
「それから俺はわざと王女や後ろ盾になってくれそうな貴族に接触し、アウレリアの父の事件を個人的に調べているという噂を流した。ユリウスに後ろ暗いところがあるなら、俺とお前が自分を破滅せようとしていると思ったはずだ。そしてその証拠に、カペル侯爵に頼んでお前に殺し屋を差し向けた」
カペル侯爵の系譜は頭にすでに入っている。
昨夜カールが依頼人として明かしたヘルマン子爵家は、侯爵家の遠い分家筋の家だ。
すっかり感心しきったように放心していたアウレリアが、急にん?と顔を曇らせる。
「あの私の勘違いかもしれないんですけど、魔王様は私がいつか襲われるかもってわかっていたんですか?わかってて、カールとご飯を食べに行くのを許可したんですか?」
「うん」
「ひどい!」
「でも危なくなったら助けられるようにちゃんと見守っていたぞ」
言い訳がましく付け加える魔王に、アウレリアはじとっとした視線を向ける。
「そういう問題じゃないと思います」
アウレリアは断固たる調子でそう言った。
眉間にしわが寄って少し怖い顔になる。
なんだ。何が問題なんだ。
困惑している魔王に対して、アウレリアは大きなため息をこれ見よがしについた。
「もういいです。でも次からそういうことをするなら、事前に教えてくださいね。私、本当に怖い思いをしたんですからね!ああもう私死ぬんだわって覚悟したんですよ!?」
アウレリアの剣幕に気おされて、魔王はちょっと小さくなった。
「……気を付けます」
「そうしてください!」
「それで話を戻すんだが……」
「どうぞ」
「ユリウスがお前を殺そうとしたのは、お前が自分たちを破滅させうる証拠を探していると思ったからなのかもしれない」
実は何度かこの屋敷には泥棒が入っている。
そのたびに魔王が食べてしまっているので、屋敷の人間たちもアウレリアも知らないのだ。
けれどそのことを今言うのは気が引けたので、魔王は黙っておくことにした。
今後はあまり人間を食べたり、殺すのは控えようと思ったのだ。
「裁判の記録に不自然に黒塗りになっているところがあった。そこにはこう書いてあった。『被告人は、私は私を糾弾する者たちもまた罪人であるという証拠を持っている』」
「どういうことでしょう?」
「わからん。だがお前の父が何かユリウスたちにとって不都合なものを隠し持っていたのかもしれない、ということだろう。そしてその証拠がハッタリであったのか、本物であったのかわからないままお前の父は処刑された。ユリウスたちは俺たちがそれを探していると思ったのかもしれない。心当たりはあるか?」
「……いいえ」
悔しそうに唇をかんで、アウレリアはうつむく。
自分の父がはめられたなんて思いもしていなかった娘だ。心当たりなどあるはずない。
ひとしきり話し終わった魔王は、フォークで真っ二つにした卵を口に入れた。
「とにかく俺が持っている情報はこれが全てだ。あとはお前がどうしたいかだよ」
アウレリアがはじかれたように顔をあげる。
その目は涙の膜が張って、チカチカと瞬いているように見えた。
「もし今の話のすべてが本当なら、私はこのまま泣き寝入りなんて絶対に嫌です。せめて死んでしまった両親や兄の名誉を回復しなければなりません」
その時彼女は、魔王の奴隷のアウレリアではなく、貴族の娘のアウレリアだった。
魔王が出会った時には失われていた、彼女が本来あるべき姿だ。
魔王は少しだけ、また寂しくなった。
自分が知らない過去のアウレリアがいることが、なんとなくショックだった。
けれどそんなものは持っていてもしょうがない感情だと思い、頭を振って忘れることにした。
「ならば俺は、お前の望みがかなうよう手助けしよう」
魔王にとってアウレリアは最も近しい存在だ。
だから魔王が近しい者へ特別に与えられる恩恵があるなら、彼女に与えてやりたいと思った。できるだけアウレリアの望む形で。
「ありがとうございます、魔王様」
アウレリアは深々と頭を下げる。
なんだか体がむず痒くなって、魔王は椅子の上でもぞもぞと動く。
「朝食がすっかり冷めてしまったな。早く食べよう」
そんな魔王を驚いたような眼で見ていたアウレリアは、ふふふと柔らかい笑みをこぼしたのだった。
朝食をすませ、これからどうするかという話題に二人が取り掛かろうとした時だった。
来客の知らせが入ったのだ。
「そんな予定あったか?」
「なかったと思いますけど」
いぶかしみながらも玄関に出迎えに向かう。
そこには相変わらずのキザな白い服に身を包んだユリウスと、見知らぬ女がいた。
アウレリアはさっきまで話していた話の内容が内容なだけに、ユリウスの姿を認めて体を硬直させる。魔王の地獄耳には彼女の心臓が不自然な音を立てるのも聞こえた。
いったい触れも出さずに、こんな朝から何の用だ。
そう尋ねようとして、魔王はギョッとした。
ユリウスが連れている見知らぬ女が、魔王を見た瞬間にボロボロと涙をこぼし始めたからだ。
そこそこ綺麗な顔を涙で濡らしながら、女はこらえられなくなったかのようにだっと駆け出す。
その姿はさながら生き別れた恋人と再会した物語のヒロインのようであった。
「リーンハルト!」
そして女は胸を掻きむしるような切ない声で勇者の名前を読んで、魔王の胸に飛び込んだ。
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