ごのいち
「そこで俺は事件の資料を集め、参照し、真相を探ろうとしたわけだ。さながら無実の罪を着せられたギーゼを救うために奔走するゲオルクがごとく!」
馬車の中で力強く魔王はそう叫ぶ。
出た、ケルル騎士物語。
本当にすぐ影響を受けるんだから……。
……今度、私も読もうかな。
いやいや、今はそんなことよりも。
いま魔王はなんと言った?
ちょっと想定外すぎて、頭が一瞬違う方向に飛びかけてしまった。
父がはめられた?
誰に?ユリウスに?
つまり、
「父は、無実だった、と?」
「そうかもしれない、という話だ」
「そんな、なんで」
「まだ決定的な事実がないから詳しいことは話さない。だが可能性はある」
魔王はどうだ?と私の顔を覗き込んだ。まるで褒めてほしい子供みたいに。
けれど私は彼が期待するような返事をしてあげることができなかった。
父は、ユリウスに、はめられた?
その言葉がぐるぐるして、なんだか気持ち悪くなってくる。
魔王の悪い冗談かも。
けれど、本当かも。
父は無実だった。ユリウスにはめられたのだ。
そんな。
そんなの。
「うそよ」
足元にぽっかりと穴が空いてしまったみたいだった。
ようやく自分の足でまた歩き出したと思ったのに。
私はこの道を歩まなくてもよかったというの?
私は、私たちは、あんな苦しみを味わう必要はなかったっていうの?
なぜか冷や汗が噴出した。
「なんだ?喜ばないのか?」
喜ぶ……。
ああ、そうか。普通こういう時って喜ぶもの、なのかも。
でも、私は全くそんな気分にはなれなかった。
母が死んだ時も、兄が死んだ時も、奴隷になった時も。
私はそのたびになんとか折り合いをつけてきた。
何かの間違いだったらいいのに。これは実は夢で、目覚めたらいつもの自分の部屋で、家族もいつもどおり生きていたら、なんて何度も妄想した。
けれど現実は容赦なくいつも目の前にあって、私はどんなにみじめで、理不尽でも、仕方ないと自分に言い聞かせてあきらめてきたのだ。
それが全部、必要のないことだったなんて急に言われたって……。
「少し、驚いてしまいました。そんなこと、考えたこともなかったから」
「ふーん」
嘘だ。
ずっと、そうだったらいいと思っていた。
でも遅い。
遅すぎる。
もう何もかも戻ってこないのに。
それくらいなら、ずっと……。
「ずっと知らないままでいたほうがよかった」
「へ?」
「そんな顔をしている」
「私……」
私が答えられないでいると、魔王は興味を失ったとばかりに腕組をして馬車の外を眺め始めた。
そして私たちは互いに口を開くことなく、馬が蹄を鳴らす規則正しい音を聞いているうちに屋敷へと戻ってきたのだった。
父は本当は無罪なのかもしれない。
その言葉の意味を魔王は説明してくれなかった。まだ語る段階にない。だが可能性はある。
一晩明けて、もっと詳しい話を聞きたいと思えるくらいには私は立ち直っていた。
あまりゆっくり眠れなかったけれど、それでもだいぶ冷静になれたと思うし、なにより父の無実という事実のもつ重大性も客観的に理解できたと思う。
けれどそのことを魔王に聞こうにも、昨日私の反応が芳しくなかったためか彼はどこかすねた風にそのうちと繰り返すばかりだった。
「はぁ、魔王のくせに子供みたいなんだから……」
少しでも父の、我が一族の汚名をすすぐ機会があるのならば、早くそうしなければ。
そのために私にも何かできることがあるかもしれない。
昨日はひどくショックで何もやる気がでなかったのに、たっぷり一晩かけて落ち込んだおかげか今日はむしろ早く無実であることを証明しなければという焦りに私は襲われていた。
これってもしかして情緒不安定とかいうやつだろうか。
ははは!まさかね!まっさかー!
「はぁ……」
もうダメだ。何を信じればいいのかわからない。
もしも。
もしも父が本当に無実で、父をはめたのがユリウスだったとしたら、私はユリウスを殺してやりたいと今度こそ心の底から思えるのかもしれない。
私たちが味わったのと同じだけの苦しみを味わせてやる!殺してやる!
そんな激情に支配されたら、さぞこの中途半端な気持ちも楽になるのだろう。
けれどそれは少しだけ怖いことのような気もする。
まるで自分が自分でなくなってしまいそうで、怖い。
魔王が街に繰り出して、機嫌がよくなるのを見計らって父のことを聞こう。
そう考えていたのに、朝から魔王はなんと一人で王宮へ行ってしまった。
なんでも王女にこの間のお礼と、図書室に置いてきてしまったことを詫びにいくのだそうだ。
ついていこうとしたのだが、お前は屋敷にいろと命令されてしまえば、私に逆らうすべなどない。
王女なんてどうでもいいと言っていたくせに。
やはり、魔王でも王女ほどの美少女に好意を寄せられればなびくものなのか。
なんだかむしゃくしゃする気持ちを抱えながら、溜まっていた屋敷の仕事をこなしていると、よく言えば職人気質、悪く言えば融通の利かないあのメイドが見知らぬ青年を連れてきた。
「フランツの代わりに今日から働くことになったカールです」
「よろしくお願いします!」
茶髪のはきはきとした感じのいい青年だった。
ぱっと見、お、ちょっと格好いいかもと思ったが、よく見ると少し惜しい。
しかしユリウスや魔王といった美形を見てきた身としては、ちょっと惜しいくらいがなんだかほっとする。
……こんな時にも格好いいとか格好よくないとか、自分は何を言っているのだろう。ああ、なんかもう自分のことすらほとほと嫌になってきた。
今頃魔王は王女と仲良くお茶でもしているのだろうし、なんだかなぁ。
私のもやもやを吹き飛ばそうとでもするかのように、新人のカールはニカッと輝くような笑顔を向けてくれた。
カールは前任のフランツとは比べ物にならないくらい、気が利いて、なにより私に対しても普通に接してくれる。
フランツは私のことを完全に舐めていたし、時々指示を無視することがあった。
なんでも田舎の父が死んだので畑を継がなければならないと逃げるようにやめてしまったのだが、こうしてカールという良い使用人が入ってきたことを考えると、むしろやめてくれてよかったなと思う。
こうして屋敷の雰囲気は以前よりもずっと良くなったのだが、私のもやもやが晴れることはなかった。
「こういう男が女はいいのか」
朝起きたら唐突に男女の恋物語が読みたいなどと魔王が言うので、何冊か見繕って渡すと彼はさっそくそれらに目を通し始めた。
例の黒い触手を出して何冊も同時にパラパラめくりながら、ほーんだのへーだの言う。
背中から黒い謎の触手が出ているのには、もう慣れた。
人の首を切断するほどの鋭い鎌にもなるし、ページをめくる手にもなるそれは、見慣れてしまうとなんだか蛇みたいだ。
「お、この男はなかなか大胆だな。こっちの物語の男よりも、オスとして優秀な感じがする」
「……あの、バカにしてます?」
「してないしてない」
いや絶対、してる。
一通り目を通し終わったのか、魔王はなるほどなぁとひとり言を呟く。
「まず見目が麗しく、武芸もそこそこできて、将来が有望で、ピンチを救ってくれる男がいいわけだな。ふむふむ、積極的に口説いてくる男もいいが、寡黙なのもまたよしと」
ロマンス小説を冷静に分析しないでほしい。
なんだか急にいたたまれなくなるので。
「そういえば、この中にお前のお気に入りはあるの?」
「……これです」
先ほどオスとしては優秀ではないと言われたほうの物語を指さすと、さすがの魔王もちょっと気まずそうな顔をした。
それから何事もなかったかのようにその本だけ、机脇に積んでいる本の塔の一番上に置いた。その本の塔は魔王が一日の終わりに読む本を積んでいるもので、さっきはちょっとバカにしたふうだったくせに読むつもりらしい。
無理しなくていいのにと思いつつ、自分の好きな小説を読んでもらえると思うと少し嬉しかったりもする。
さっきの小バカにしたような言動は忘れないけど。
「……王女様とはうまくいっていますか?」
珍しく恋物語が読みたいなどと言い出したのだから、たぶんそういうことなのだろう。
なんだか寂しい気持ちになりながら訪ねると、魔王はニヤッとなんだか嫌な笑い方をした。
「この間、ユリウスと王宮で会ったぞ」
「……そうですか」
「お前や王女とのことをまた言われた」
勇者の正体が魔王なことを知っているせいか、ユリウスの対応がまともなものに思えてきてしまう。
もしかしたら彼は私の家族の仇かもしれないというのに、なんだか変な感じだ。
今日も魔王は王宮へ行っている。
なんでも今日は王女ではなく、王女の従兄弟たちと会うのだそうだ。
魔王は私がいなくてもうまくやっていけているらしい。
この数日間あちこちを飛び回る魔王を捕まえては、父のことを何度も聞こうとしたのだが、そのうちそのうちとはぐらかされてばかりだった。
仕方ないので自分で当時のことを思い出して整理してみようとしたのだが、どういうわけか記憶はぼんやりとしていた。
思い出せるのは書斎にこもって、難しい顔で書き物をしている父の姿だけ。
よくよく考え見れば、父は私たち家族とはあまり話したがらない人だった。
私たち家族はきっと仲の良い家族ではなかった。破綻もしていなかったが、たぶん温かくもなかった。それでもやはり懐かしいと思うのは、それが永遠に失われてしまったものだからだろうか。
とてつもなく憂鬱な気分に襲われて、私は思わず机に突っ伏した。
今月末に払わなければいけない諸々の経費の計算もしなきゃいけないのに……。
父がいつも難しい顔をしていた理由がなんとなくわかった気がした。
その時、ふと気が付く。
「そういえば、お父様はどんな声だったかしら?」
思い出せなくてぼんやりしていると、肩を叩かれ我に返る。
「アウレリアさん、大丈夫ですか?」
「ごめんなさい、ちょっとぼおっとしてしまったみたいで」
「勇者様もいないんですし、少し休んだらいいじゃないですか。あ、そうだ!俺お茶もらってきますね!」
「それなら、私が」
私が全て言い切るより早く、カールは台所のほうへ走って行ってしまった。
ここ半年で一番人に優しくしてもらっている気がして、なんだかじーんとくる。
お茶をもらって帰ってきたカールにお礼を言うと、彼は少し照れたように顔を俯ける。
そして言いにくそうに口の端をもごもごさせていたかと思うと、決意したようにぱっと顔を上げた。
「今度よかったら、飯でも食いに行きませんか?」
「え?」
「二人で」
びっくりして固まる私に彼は慌てたように付け加える。
「いや、その、変なことを考えているわけではなくて、アウレリアさんいつも屋敷にいてあまり外に出ないみたいだし、これからも仲良くしたいなと思って」
デートのお誘いというより、親睦を深めたいということだろうか。少しだけ行ってみたい気もするが、二人っきりはちょっとなぁ。
なにより私は魔王にお伺いを立てないといけない身なのである。
しかしこの場でばっさり断るのも悪いので、予定を確認してみるとだけ伝えた。
とか言っていたのだが。
数日後、私はカールとともに夕暮れの街を歩いていた。
誘われた日の夜に、魔王にいちおう食事に誘われたことを伝えると、
「行ってきていいよ」
などとあっさり許可が下りてしまったのだ。
「え!?いいですか!?」
「いいよ」
まるで興味がないといった返事に、軽くショックを覚える。
いや、だって、そんなあっさりいいよとか、いいのか!?私はあなたの奴隷なんですよ!?
と叫びそうになったのだが、行動を制限されないのだから願ったりかなったりではないかと思い直した。
ただこの屋敷にやってきたばかりのころは、なんでも私に尋ねて、どこへ行くにも一緒だったことを思い出すと、少し寂しいような気持になる。
というか少しムカつく。
最近の魔王は私が屋敷の仕事を真面目にやっている間、王女や王女の従兄弟とかと遊び惚けていたわけである。
それなら、私だって……!
というわけで、私はカールの誘いを受けることにしたのだった。
ちなみにあの仕事に命をかけているメイドさんも誘ったのだが、にべもなく断られてしまった。
街には昼間出ることが多いので、夕暮れの街は少し新鮮だ。
鐘塔の向こう、夜が夕日を抑え込むように空を覆っている。
昼間は明るく開放的な通りも、夜になると街頭のオレンジの光に照らされ落ち着いた雰囲気に変わる。
営業している店の種類もがらりと変わっていて、そこに集まる街の人間も昼間とは少し雰囲気が違う。飲み屋が多いが、何を売っているのか判然としない怪しい店も多かった。
きっと魔王が一緒に来ていたら、怪しい店に突入していったことだろう。
本当に図体は大きい子供みたいな人だ。
……まぁ、いまや王女たちみたいな高貴な方々と交友関係を持つような、立派な方になられたみたいですけど。
私は魔王のことを考えるのはやめて、カールと世間話をしながら、大通りのパン屋の角を曲がって脇道に入った。
てっきり飲食店が多いほうへ行くものと思っていたのだが、私たちの歩く脇道はどちらかというと夜は閉めている店が多いように見受けられる。
変だなと思い、私は立ち止った。
「カールさん、そのお店ってここから近いんですか?」
「ああ、ここらへんあまり店が開いてないから不安になるよね。でも、大丈夫。この路地を入ったところだから。場所は悪いんだけど味は保証しますよ!」
そう言ってカールは私の肩をぐいぐいと押して路地に入ろうとする。
「え、ちょ……!」
彼が私を押す力が意外にも強いので、私は耐えられず押されるがままに路地に入ってしまう。
しかしそこは真っ暗な路地だった。
店なんてどこにもなければ、明かりすらおぼつかない。
「あの、本当にこの先に」
振り返った私はカールが持っているものを見て固まった。
彼は手に大振りのナイフを持っていたのだ。