よん
「あの、本当に王女様と婚約するおつもりはないんですよね?」
「ない」
「でもこの馬車の行き先って」
「王宮だけど?」
アウレリアの顔には納得いかないとでかでかと書いてある。
買ったばかりのころはこちらの顔色をうかがってびくびくしていた彼女も、最近ではだいぶん表情や態度をころころと変化させるようになった。
人間界は面白いものがたくさんあるが、最初は観光用の杖程度にしか思っていなかったアウレリアもまた面白いもののひとつとなっていた。
もう少しとぼけて遊ぼうかと思ったが、アウレリアの困った顔を長く見るのはなぜかあまり面白くないなと気づいて、魔王は自身が王宮に向かう意図を話すことにした。
「王宮の蔵書に興味がある」
「蔵書?」
「調べたいことがある」
格好つけて言ってみたが、アウレリアははぁと間延びした返事をするだけだった。
主人のことだろうが。もっと興味を持たんか。
まぁいいや。
魔王が次に言うことを聞けば、アウレリアも事の重大さがわかるだろう。
「加えてなんと、ケルル騎士物語の原本の一部があるらしい」
これは一大事である。
見ることができる可能性があるというのならば、何が何でもこの目で見なければならんだろう。
一人鼻息を荒くする魔王に、アウレリアはなんだそういうことですかと控えめな笑いをこぼした。
「なんだ?」
「いいえ。ケルル騎士物語は魔王様のお気に入りですものね」
「お気に入り?」
「はい。だって他の本は一度しか読まれないのに、何度も読み返してらっしゃるでしょう?もう完結しているのに、私に続きを探してこいと無茶を言って」
「ふーん、お気に入りね……」
確かに言われてみればそうかもしれない。
だがケルル騎士物語は本当に面白いのだ。
初めて読んだときは早く次を、早く次をとめくるページがとまらず、読み終わった後ももう知っている内容だというのになんだかんだと特に面白かったところを読み返してしまう。そして読み終わると読む前の自分とは少し違う自分になれたような気がする。
物語というのは、なんとも面白い。
もっと早く読んでいれば、魔王はもっと違う自分になっていたのだろうかと時々夢想してみたりする。
けれど現在進行形、すさまじい勢いで魔王は自身が変化していると感じていた。
というのも、今日王宮へ行く理由がアウレリアのためであったからだ。
最初に違和感を覚えたのは、ユリウスの対応があまりに素早かったことだ。
再会して次の日の昼に会いに来るなど、なかなか情熱的である。
それだけの情熱がありながら、アウレリアを見つけられなかったというのはなんだかおかしな話ではないだろうか。
仮にアウレリアの父の事件とやらで、ユリウス自身は寝る暇もないくらいに忙しかったとしよう。それでも信頼のおける他者に捜索を任せればいいだけの話だ。
加えてアウレリアは何も自ら行方をくらましたわけではない。探そうと思えばいくらでも痕跡を見つけられたはずだ。
それとも伯爵家とやらの力は女一人見つけ出せないとでもいうのだろうか。隣国と通じていた罪人を見つけることはできるのに?
ということを踏まえ、ひとまずユリウスはアウレリアを探すつもりなどなかったという前提で考えていくことにしよう。
ユリウスはアウレリアを探すつもりなどなかった。
もしかしたらユリウスはアウレリアのことを実はとても嫌っていて、常々目の前から消えてほしいと思っていたのかもしれない。
もしくは、アウレリアの父が罪人だと分かった時点で、彼女への興味関心全てを失っただけなのかもしれない。
あるいは、落ちぶれたアウレリアが自分の知らないところでひっそりと死ぬことを望んだのかもしれない。
人間界にきてまだ日は浅いが、魔王にだって貴族の暮らしと庶民の暮らしがまるで違うということくらいはわかる。
アウレリアの話を聞く限りでは、罪人の娘であったために働こうにもどこも雇ってくれず、暮らしは困窮していったという。
食べるものを得られなければ死ぬのは自然の摂理。
魔王が少し考えてわかることなのだから、ユリウスが分からないはずがない。
もしもユリウスがアウレリアにどこぞで死んでほしいと思っていたのだとしたら、それはなぜなのか。
魔王は存在が生まれてこのかた、何かに死んでほしいと思ったことはないのだが、人が人に死んでほしいと願う時、そこには何かしらの理由があるように思う。
人間が誰かに死んでほしいと願う時、それはその相手が自身にとって不都合な存在である時だ。
なんの力も持たない脆弱な小娘にすぎないアウレリアが、ユリウスにとっての不都合な存在だったとして、それはなぜなのか。
そして何より気になるのは、ユリウスが魔王に向けたあの目だ。
本人はきっと隠していたつもりなのだろうが、あいにく魔王はそういう感情には敏感なほうであった。
一昨日、アウレリアを解放しろだとか、王女との結婚がどうのと騒ぎ立てて、こちらを睨みつけてきた時。
ユリウスは間違いなく、魔王に対して激しい嫉妬を抱いていた。
いつか殺してやる。
そんな声が聞こえてきそうなほどだった。
あの男、正義の青年貴族ともてはやされているようだが、その中身は見た目ほどお綺麗ではないらしい。
そういうのを暴くのも一興だろう。
ま、飽きたらやめればいいだけだし。
人様の人生がかかった問題に対して、飽きたらやめるなんてとんでもなく無責任なのだが、それは仕方のないことなのかもしれない。
だって魔王は魔王なので。
王宮につくなり、魔王はアウレリアと引き離され、王女の待つ部屋に放り込まれた。
「ああ、勇者様!会いに来てくださるなんて、わたくし、とても嬉しいです」
「本日もご機嫌麗しゅう、王女殿下」
「そんな固い態度では嫌だわ。わたくしのことはシルヴィアと呼んでくださって構わないのですよ。だって私たちは、その、近いうちに婚約することになるでしょう?」
かわいらしく頬を染めた王女は、薄く細かな刺繍が入った白い布を幾重にも重ねたドレスをふわふわ揺らし、魔王の訪問を歓迎した。
ゆるいウェーブを描く銀髪に、透けるように白い肌。
その姿は雪の妖精のようだともっぱらの評判なのだが、魔王的はなんかでっかい綿埃みたいだなと思った。
「ええ、実はその件でお願いがあって参ったのです」
「まぁなにかしら」
王女は魔王の手を引き、一緒のソファに腰掛ける。
彼女はちらっと魔王の、いや勇者の顔を見てぽっと頬を赤くした。
なるほど。この顔は王女のお気に入りというわけなのだな。
それは都合がいい。
「王宮にはこの国で最大の図書室があると聞きました」
「図書室?あるけれど、あまり楽しいところではないわ」
人間の世界には数えきれないほどの本があるというから、てっきり人間は本が好きなのだと思っていたのだが、そうでもない人間もいるのか。
きっとそういう人間には読書以外の楽しみがあるのだろう。なるほど。
そういえばアウレリアはどのような本が好きなのだろうか。自分に本をすすめるくらいだから、読みはするはずだ。一度その件について話してみたい。いやでもなんか最近は忙しい時に声をかけるとちょっと怖いから、タイミングを見計らう必要があるだろう。
少し考えこんでしまった。
魔王はほんの少し生まれた沈黙をとりなすように、微笑んで見せた。
「私は恥ずかしいことに、学がありません。このままでは王女様の伴侶としてふさわしくないと考え、勉学に励みたいと考えたのです」
「伴侶だなんて、そんな、気が早いわ」
まんざらでもなさそうに王女は身をくねらせた。
魔王は伴侶にふさわしくないと言っただけで、伴侶になるとは言っていないけどなと内心呟く。そういうのを人は屁理屈という。
「勇者様もわたくしとのことを一生懸命に考えてくださっているのは嬉しいわ。案内してさしあげる」
「では、控えさせている私の奴隷を呼んできますね」
「え?」
魔王はちゃきちゃきアウレリアを控えの間から呼び寄せて、さぁ案内しろと王女をせっついた。
「あの、どうして、その奴隷も……?」
なにがダメなんだ?
だって探し物をするのだから人手がいるではないか。
アウレリアを見て少し不機嫌になった王女を前に首をかしげる魔王を見かねて、アウレリアがこそっと耳打ちしてくる。
「王女様の手を握って差し上げてください」
「なんで?」
「いいから。とにかく、それで機嫌が直ります。たぶん」
試しに王女の手を握ってみた。
「案内していただけますか?」
「え、ええ……」
ちょっと乱暴な手の取り方だったが、むしろ王女の機嫌は予想以上によくなった。
「勇者様の手は大きいのですね」
そりゃまぁ王女に比べれば大きいだろう。
「でも、どうしてこんなに冷たいのかしら。これじゃまるで死体だわ」
そりゃまぁこの体、死体だし。
ちらっとアウレリアに助けを求めて振り返ると、口をパクパクと必死に動かしている。
えーと、なになに?
きんちょう?
きんちょう……ああ、緊張か。
……緊張、で、なんだ?緊張がどうしたのだ。
ええい面倒くさい。
「緊張」
魔王がそのままの単語を呟くと、王女は緊張とオウム返しに言った。
それこそ緊張の一瞬が訪れた。
しかし王女はまぁと顔をほころばせる。
「勇者様も緊張していらっしゃるの?……ふふふ、わたくしもです」
なんだかよくわからんが、上手くいったようだ。
自分だけのけ者されたようで、少し面白くなかった。
「ここが図書室です」
王女につれ来られた図書室は、広大な空間の壁という壁はすべて本に埋め尽くされており、樹海のように本棚が並べられていた。地下にも本を収容している空間があるらしく、本を読むための机と椅子も用意されていた。
入口近くの奥まった小部屋から一人の老人が出てきて、王女に慌てて臣下の礼をとる。
「王女様が図書室にいらっしゃるとは珍しい」
「この人はここの管理を任せている人なのよ」
老人は魔王にも丁寧に頭を下げ、久しぶりの客人ににこにこと気のよさそうな笑みを向けた。
「こちらの方は?」
「勇者様よ」
「おお、あなたが魔王を倒されたという!」
魔王は、魔王を倒した勇者らしく老人の握手に快く応えた。
まぁ本当は勇者じゃなくて、倒されたはずの魔王なんだけども。
「勇者様はお勉強をなさりたいそうなの」
「それはそれは。剣に優れたお方と聞いていましたが、学問にも興味がおありとは」
「……時にケルル騎士団の原本の一部があるとうわさで聞いたのですが」
「ケルル騎士団ですか?ははは!それだったら私も見てみたかったのですがね。ここにあるのは原本といえばクインベリー物語や歴代国王の記した日記くらいでしょう」
がっくりきた。
なんだ……ないのか……。
そっかぁ……ないのかぁ……。
いや、別にそれを目的にきたわけではないのだし、ここにないならいつか原本を保管している場所を探していけばいいのだ。
どうせずっとこの国にいるつもりなど毛頭ないわけだし。
老人が部屋に戻っていったのを見送って、魔王は王女を椅子に座らせた。
王宮の中の図書室にもぐりこむことには成功した。もう王女に用はない。
「案内ご苦労。お前はここで眠っていなさい」
王女の目の前に手をかざし、眠りの魔法をかける。
魔王がかざしていた手を下した時には、もう王女は夢の世界へ旅立っていた。
「王女様は眠ってしまわれたのですか?」
「邪魔だからな」
「そういう言い方ちょっとどうかと……」
「じゃあ、暇だろうからここで眠っていてもらおう」
「ああ、それいいですね」
アウレリアは王女の肩にわざわざ毛布を掛けてやる。
随分と甲斐甲斐しいことだ。
それからアウレリアと手分けして本を探し、閲覧禁止の棚がある部屋の錠前を握りつぶして侵入したりして、必要と思われる本をすべてそろえた。
図書室の一番奥、最も人に見られる可能性の少ない場所を選び、本体の一部も総動員して一気に目を通す。見張りをしていたアウレリアは魔王の本体の一部が体から出たり入ったり、ページをめくったりしても特になんとも思わなくなっているようだった。慣れが早いというのは人間のよいところである。
二時間ほどでほしかった情報はそろった。
必要以上の長居は不要ととっとと図書室から撤退し、帰路につく。
その馬車の中で、唐突にアウレリアがああ!と大声をあげた。
「うるさい」
耳元で大声とは、迷惑な奴め。
「王女様を起こさないで、出てきてしまいました!」
王女?あの綿埃か。
確かに眠らせた記憶はあるが、起こした記憶がない。
「忘れてた」
「だ、大丈夫でしょうか?眠りの魔法って解呪しないと、眠り続けるなんてこと……」
「そのうち勝手に目が覚める」
アウレリアは魔王の返答に、ほっと胸をなでおろした。
しかしまた心配事が出てきたのか、おどおどとこんなことを言う。
「でも魔王様の印象が悪くなってしまうかも」
「印象が悪くなって困ることが?」
「……人に悪く思われるのは、嫌な事でしょう?」
「どうせ百年後にはみんな死んでる」
「それは……そうでしょうけれど」
「それより調べていたことについてだが」
「え、あ、はい」
王女とかどうでもよかったので、魔王は早々に話題を切り替えることにした。
ある程度状況証拠も集まっているし、少しくらい話してもいいだろう。
「俺はお前の父の事件とやらを調べていたのだ」
「ど、どうしてですか……?」
父の事件と聞いてアウレリアはやや顔を青ざめさせる。
魔王にはなぜ彼女が青ざめるのかよくわからなかったが、無視して話を続けることにした。
アウレリアに早く教えてやりたかったのだ。
そうすればきっと彼女が喜ぶものと信じていた。
「アウレリア。お前の父は嵌められたのかもしれない」
「はめられた?」
「ユリウス・フォルトナーとその仲間にな」
そう言った魔王の顔は、まさしくドヤ顔と呼ぶのにふさわしいものだった。