さんのに
ユリウス・フォルトナーと私の出会いは、十五年前にさかのぼる。
当時私はまだ生まれたてほやほや、歩くのだってまだおぼつかない一歳で、ユリウスは四歳年上のすでにしっかりした男の子だった。
私の家は子爵家、彼の家は伯爵家。
五歳という幼さですでにユリウスは同年代よりも優れていて、格下の我が家と伯爵家が婚約するなんてことはまずありえないはずだった。
けれど先々代同士が友人で、彼らの遺言のおかげで私は彼の婚約者になれたのだ。
そして予想以上にユリウスは素敵な青年に成長し、予想通りに私はありふれた貴族の娘に成長した。
誰が見ても私たちは釣り合ってはいなかった。
それでもユリウスは私にずっと優しくしてくれていたし、年相応に夢見がちな女の子だった私は彼と早く結婚したいなって、きっと結婚したら幸せになれるわって。
そう信じて疑わなかったのだ。
「けれど私のその夢を壊したのもユリウスでした」
帰りの馬車の中は、夜の空気に満ちて少しひんやりしていた。
東屋に現れたユリウスは、祝賀会を抜け出してきた勇者を探しに呼び戻しにきたのだと言った。
ユリウスは相変わらず優雅で、気品に満ちていて、格好良かった。
彼のまとった白い服すらまぶしくて、私は顔すら上げられなくなかった。
怒り。
どうして父を告発したの?私たち一家のことなんてどうでもよかったの?
悲しみ。
どうして婚約者だった私に父のことを相談してくれなかったの?
愛しさ。
どうしてやっぱり格好いいだなんて思ってしまうの?
そんな感情や問いで、頭と心がぐちゃぐちゃにかき回される。
二人が言葉を交わしている間、私は彫刻になったかのように無心で頭を下げ続けた。たぶんそうやってユリウスや自分の感情から逃げていたんだと思う。
ひとまず魔王も抜け出したままではよくないと思ったのか、ユリウスとともに会場へ戻ることになった。
「長居はしない。お前は馬車の準備をしに行きなさい」
「はい」
そう耳元で告げて魔王は東屋を出た。
そのすぐ後をユリウスも追おうとして、立ち止まる。
「……生きていたんだね」
「……はい」
「話したいことがある。今は勇者様のところで働いているのだよね?」
なんだか含みのある言い方だった。
「……はい」
同じ言葉ばかり繰り替えし、視線すら合わせない私にユリウスは苦笑したようだった。
「近いうちに会いに行く」
来なくていいです。
そう言いたかったけれど、喉のところがぐっと重くなって、結局何も言えない。
そうして私とユリウスの短い再会は終わった。
彼が立ち去ってから、私は機械的に魔王の言いつけに従って帰りの馬車の用意をした。
魔王も宣言通りそう時間をかけずにやってきて、私たちは帰路へとついたのだった。
「あの男は知り合い?」
馬車の中でそう尋ねられて、無言で頷く。
知り合い以上に複雑な関係だというのに、もはや婚約者同士でもなければ、貴族と奴隷である私と彼は知り合いという他ないのかもしれない。
「どんな知り合いだ」
それは魔王にとっては暇つぶし以外の何物でもなかったのだろう。
所詮、彼からすれば私の人生など暇つぶし程度なのだ。
そう思うと怒りがこみあげてきて、どうしようもなくみじめになった。
けれど同時に誰かに吐き出してしまいたいという思いもあり、私はユリウスとの出会いから、婚約者であったこと、そしてそのユリウスの告発のために父が処刑され、母と兄も死に、自分は奴隷になったことを話した。
魔王は窓枠に頬杖をついて、ぼんやりと私の話を聞いていた。
彼は私に同情しなかった。
ただ、時々ふーんとかへぇとか軽い相槌を打つくらい。
魔王様からしたら取るに足らない話かもしれないけれど、ちょっと反応が淡白すぎやしないですか?
そう内心憤っていると、魔王がぱっと窓の外から私に視線を移した。
「お前はあの白い男を憎んでいるのか?」
「憎む……」
私はユリウスを憎んでいるのだろうか。
そっと胸に手を当てみる。
憎いといえば憎い。
けれど悪いことをしたのは父で、ユリウスはそれを暴いただけ。
でもユリウスは私たちを助けてはくれなかった。
そのせいで母も兄も死んで、私は奴隷になって……。
だからやっぱりユリウスが悪いのだ!
……そう一途に憎むことができればどれほどよかっただろう。
こんな身分に落ちても、私の中のユリウスは優しい婚約者のままで、だからといって罪を犯した父のことも憎みきれなかった。
決して優しくて家族思いとまでは言えなくとも、父は私にとって唯一の父なのだから。
「私は誰を憎めばいいのか、恨めばいいのかわかりません」
魔王は不気味なほど静かな瞳で私を見て、一言かわいそうだねと言った。
そして初めて出会った時と同じように、そっと頭を撫でてくれた。
そうか。私、かわいそうなんだ。
罪人の娘だから自業自得なんじゃなくて、そう思っていいんだ。
そう思うとぽとりと涙がこぼれた。
もう一生分泣いたと思っていたけれど、魔王といると思い出したように涙がこぼれる時がある。
屋敷につくまで私はメソメソと泣き続けた。
意外なことに魔王は暇だとか、鬱陶しいだとかは一言も言わなかった。
次の日の朝、さっそくユリウスからの使者が来て、昼過ぎに訪問したいとの旨を告げてきた。
いや何も次の日に来なくてもよいではないか。
こちらは会うだけでも心がつらいというのに、そんな立て続けに顔を合わせるとか正直凄く嫌だ。
しかも何か話があるとも言っていた。
なんだ。いまさら何を話すというのだ。
というか純粋に会いたくない。
なんかもう考えるだけで憂鬱だ。
ユリウスに会わなくて済むなら、屋敷全部の床拭きをしたっていい。そして私が磨き上げたピッカピカの床でユリウスが滑って転べばいいと思った。
「ユリウス・フォルトナーってあの白い服の男か」
今日も遊びに出かけようとしていた魔王を引き留めユリウスの訪問を伝えると、うへぇと嫌そうな顔をする。
「そうです。白い服の男です」
肯定しておいてなんだが、たぶん白い服以外にも特徴はいっぱいあると思う。
嫌だ嫌だと思ってはいても、私はこの屋敷で働く奴隷なわけで。
しかも唯一魔王の事情を知っている身なので自然と秘書みたいな仕事もしているとなれば、ユリウスの訪問を隠れてやり過ごすなんてわけにはいかなかった。
時間通りやってきたユリウスに、私のような身分の低いものが伯爵家の方とお話なんてとてもできません。なんて言ったりもしてみたのだが、勇者も同席するなら問題ないはずだと言われ、その勇者様は勇者様でじゃあ適当に本読んでていい?とか言う始末。
結局私は応接間でユリウスと対面することになった。
「昨夜は本当に驚いた」
硬い表情と声でユリウスは言った。
なんとか親しみを表そうとしているのか、それともやはり向こうは向こうで気まずいと思っているのか、浮かべる笑みは彼にしてはどことなくぎこちない。
「アウグスタ様と、エーリヒのことは残念だった……」
母と兄の死を悼むようにユリウスは長いまつげを伏せる。
少し離れた窓辺で魔王がページをめくる音がした。
「はい」
自分でもびっくりするくらい冷たい声だった。
ユリウスは苦笑して、私をまっすぐ見つめた。
うっ、顔がいい。
なぜ神はユリウスにこんな、私好みの顔面を与えたもうたのだ。
「こんなことを言っても信じてもらえないかもしれないが、僕は君をずっと探していたんだ」
「私を?」
「君が僕を頼ってうちの屋敷に来た時、家の者が僕には知らせずに勝手に君を追い返してしまった。そのことを知って僕はとても後悔し、すぐに君を探そうとした。しかしすでに君は行方不明になっていた」
ええ、そうでしょうね。私、あの後奴隷になったんです。
そう突っぱねてやろうと思った。
けれど口が動かなくて、結局はぁと気の抜けた返事をしてしまった。
「それで昨夜、君と再会して、色々噂も聞いた。君は騙されて奴隷になり、運よく勇者殿に拾われたのだと」
そうなのかい?と優しく尋ねられ、私はまたはぁと気の抜けた返事をした。
「大変だっただろう」
「……でもこうして勇者様に拾っていただいて、このお屋敷にも戻ってこられましたから」
中身は魔王で、もしかしたらこの国を滅ぼしてしまうかもしれないんですけどね。
なんてせめてもの気持ちで、意地悪く心の中で付け加える。
けれど当の魔王は我関せずと読書に勤しんでいるので、なんだか格好つかないなと苦笑してしまう。
今日の本は、お気に入りのケルル騎士物語だ。
きっと早く街に遊びに行きたいのだろうな。
そう思うとユリウスを追い返してはくれなかったが、おとなしく同席してくれた魔王に対して少しだけありがたい気持ちになれた。
「ユリウス様、一つ聞いてもよろしいでしょうか?」
「ああ」
「父を告発する時、どうして教えてくださらなかったのですか?」
「君は優しい子だから、父を思って逃亡を手伝う可能性があると思った。だから告げなかった」
つまり私たち家族が逃げるのを阻止するためだったというわけか。
なるほどね。
そんなに私は信用ならないと。
じゃあ、多少恨み言を言っても構わないだろう。
「母は父の後を追って自殺しました。兄はくだらない喧嘩の末に刺し殺されました。私も泥水をすすって、騙されて奴隷にまで身を落とし……。いくら父が悪いことをしたとわかっていても、私はあなたが憎いです」
始めて憎いという言葉を口にしたけれど、やっぱりそれはどこか実感の伴わない感情だった。
「すまなかった。……だがわかってほしい。僕はこの国を守らなければならなかった。君の父上を野放しにしていては、砦の襲撃よりももっと大きな戦いが起こっていたことだろう。そうなればまた多くの兵が、いや民が犠牲になっていた」
「……ええ、わかっています。わかっては、いるんです」
だから私は誰のことも中途半端にしか憎むことができない。
この膝の上で握りしめたこぶしを誰に向けたらいいのかわからない。
「アウレリア」
名前を呼ばれて顔を上げると、ユリウスの何か決意をしたような目に見つめられる。
ぐぅ……!悔しいけれど、格好いい……と思ってしまう自分が憎らしい。
「僕に罪滅ぼしをさせてほしい」
そう言って彼は立ち上がり、私の前までくると静かにひざまずいた。
そして私の手を取り、真摯な声でこう続けた。
「君の身分を回復できるよう国王に掛け合おう。そして身分が回復するまで、うちで客人として丁重にもてなすと約束する」
「身分を、回復する……」
「そうだ」
そんなことできるのだろうか。
よしんばできたとしても、私が罪人の娘であることにはかわりないではないか。
それでは今と大して変わらない。
いや、むしろ……。
「それは困る」
「勇者殿?」
異議を唱えた魔王は、本から視線も上げないままこう続ける。
「アウレリアは俺の奴隷だ。つまり正当な対価を支払って手に入れた所有物だ。俺は魔王の呪いで記憶もあいまいだし、アウレリアにはまだしばらく働いてもらわなければ困る」
「所有物だと……?彼女は人間だ。物のように扱うなど失礼だ」
「貴殿も奴隷は所有しているのだろう?」
「それとこれは別だ」
「貴殿の奴隷と、俺の奴隷。どちらも法律に定められたルールに従って手に入れたもの。そこに違いはないはずだ」
「彼女は悪辣な者どもに嵌められて奴隷になったのだ。正当な身分に戻してやらねばならない。それが僕の責務でもある」
「貴殿の責務など俺の知ったことではないな。それに俺は俺で、アウレリアと約束をしている。約束は守るもので、破るのは人間として恥ずべき事だとここにも書いてある」
トントンと爪先で本のページを叩いて、魔王は表情の読めない目でユリウスをひたりと見据えた。
約束……?
約束なんかしただろうか。
私が約束を思い出そうとしている間、ユリウスと魔王は静かににらみ合っていた。
先に折れたのはユリウスのほうだった。
「わかりました。彼女の代金はいくらでしたか?支払います」
「……は?」
思わずそう声が漏れた。
まるで横っ面をはたかれたような衝撃。
だって、彼女の代金って、代金って。
グワーッと顔に血が集まるのが分かった。
それはユリウスに再会してから初めて明確に抱いた怒りだった。
「結構です!」
気が付くと私はその場に立ちあがって、そう怒鳴っていた。
確かに私は金で売り買いされていた奴隷だ。いまだって契約魔法で魔王に逆らうことは絶対にできない。
だけど私にだってプライドはある。
というか、物扱いは失礼とか言っておきながら代金とはなんだ!
だいたい身分を回復させるとか、私の代金を支払うとか、そんなことをするくらいならもっと早く手を差し伸べてくれればよかったのだ。
なにが後悔しただ!
なにが正義の貴族だ!
あったま来た!!!
「私だって好きで奴隷なんかなったわけじゃありません!ですが、あなたにそこまで情けをかけていただく義理もありません!」
「アウレリア、落ち着てくれ……」
「私は落ち着いています!」
殴りかからないだけマシだと思ってほしいくらいだ。
肩を怒らせ、湧き上がってくる感情と必死に戦う私の肩に誰かの手がのせられた。
振り返るといつの間にか魔王が背後に立っていて、にやりと嫌な感じの笑みを浮かべている。
「俺の奴隷が失礼した。しかしこれ以上怒らせてしまうと、屋敷の仕事に支障がでるかもしれん。お引き取り願えるだろうか」
「……わかりました。今日のところはお暇させていただきましょう」
ユリウスはやれやれと首を振りながら立ち上がった。
そしてとても弱ったような様子でこう言う。
「アウレリア、君も一度冷静になれば考えが変わるかもしれない。その時はまた話し合おう」
考えは変わりません!と怒鳴りつけてやりたかったが、頭の隅っこでそしたら一生奴隷かもよ?と冷静な自分がささやいて、ぐっと言葉が喉から腹の底に落ちる。
でもやっぱりムカついたので、無言で頭を下げて応接間のドアを開けた。
「お客様がお帰りです」
ユリウスはほとほと困ったという風に苦笑いして部屋を立ち去ろうとした。
しかしドアをくぐったところで首だけを魔王のほうへ向けてこう言った。
「リーンハルト殿」
「なんだ?」
私のほうからはユリウスの顔は見えなかったが、随分と険しい声色だった。
「あなたは魔王を倒した勇者様だ。その点においては間違いなく偉大な人物なのだろう。だが昨日今日とあなたの性格、人柄を見る限り、私はあなたと王女の婚約に大いなる不安を感じたと言わざるを得ない」
それはつまり王女との婚約には反対だという意思表明だろうか。それともいずれ敵対してもおかしくないということなのか……。
「それを決めるのも貴殿はないな」
なんでそこで煽るようなことを言うんですかー!
ハラハラする私を挟んで彼らの間に一触即発の空気が流れる。
先に折れたのは、やはりユリウスだった。
彼はふっと鼻で軽く笑い、では失礼すると今度こそ応接間から出ていった。
ユリウスが帰ったのち、魔王はこう叫んだ。
「書を捨てよ、街へ出よう!」
たぶん何かの本のセリフなのだろう。
妙に素直というか、子供っぽいので、すぐ影響をうけるのだ。
外出用のコートを着せながら、魔王の機嫌がすこぶるよいことを確認して、私は少しだけ気になっていたことを尋ねることにした。
「魔王様」
「ん?なに?」
「実は王女様とご結婚なさるおつもりとかじゃ……」
「んなわけあるか」
「よ、よかった……」
ユリウスに対して、王女との婚約を決めるのはお前じゃないとかけっこうなことを言っていたので、少し不安になってしまったのだ。
この国がどうなろうと知ったことかと魔王の奴隷になったわけだが、王女と結婚とかちょっとどうしようかと思った。
万が一そんなことになったら、さすがに良心が咎めるというか、まぁことの責任とかを感じてしまうだろう。
「あのユリウスとかいうやつが気にくわなかっただけだ。それに王女とかいうあのメスは顔を合わせてからずっと俺の顔ばかり見ていて、話しもつまらなかった」
「メスって言うのやめましょうね。人間は男と女です」
「む。そうだった」
まぁこれでしばらくユリウスとは会わないだろうし、魔王は王女と婚約するつもりもないみたいだし、ああでも婚約を断ったら断ったで大変なことになってしまうのだろうな。
うぅ、頭が痛い。
「甘いものが食べたい……」
気が付くと、ほとんど無意識にそう呟いていた。
「じゃあ今日は甘いものを食べに行くか」
「え?あ……わ、私そんなつもりでは」
「なんだ。もう気が変わったのか?残念だが俺は今日は甘いものを食べる日と決めたからな」
わがままな奴めと肩をすくめて、魔王は外へ踏み出した。
「ま、待ってください!」
慌てて追いかけようとして、足が絡まってつんのめる。
こけないように変なステップを踏む羽目になった私を見て、魔王は愉快そうに笑った。