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魔王は自身が人間の国で過ごすには、少々人間界のルールに疎いということを自覚していた。

なので勇者の体を得ても、一か月ほどは人のいる街には下りず、遠見の術で人の暮らしというものを観察した。

そこで魔王は人間の世界の様々なルールを学んだ。

人間はそれぞれ役割を分担し、群れ全体として機能をするよう貨幣というものを媒介に各々足りないものを交換し合っていた。

食べ物。服。家畜。家。装飾品。そして、人も。

奴隷と呼ばれる人間たちだ。

強い魔物が弱い魔物を従えるように、人間もまた人間を従えてこき使っていた。

ただ人間が魔物と違っていたのは、彼らの上下を決めるのが純粋な力だけではなく、金や生まれもった階級であるということだろう。

幸いなことに魔王はそれなりの財宝を持っている。

一時期黄金とか宝石とかいう光物にはまっていたのだ。今思うとなぜそんなカラスの真似事をしていたのか謎だが、こうして役に立とうとしていることを考えるとあながち無駄な行為ではなかったようだ。

とにかく魔王は自身の財宝を金貨に変えて、まずは奴隷を買うことにした。

なるべく教養のある、若く元気な個体がいい。

そしてその奴隷に人間の国を案内させるのだ。

奴隷は持ち主に絶対に逆らえないという契約魔法を購入時にかけられる。

自身の秘密を守りつつ、従順に言うことを聞く存在は、現在魔王の最も欲するものである。しかも一度買ってしまえば、衣食住の保証をしてやるだけでいいという。

いい。すごくいい。

金ならまぁまぁ持っているし、買った奴隷が役に立たなければ新しいのを買って、前のは食べてしまえばいいだけの話だ。

うん。すごくいい。

我ながら頭がいいのではないだろうか。


というわけで魔王は人の街におりて一番に奴隷を買った。善は急げ、である。

奴隷は若いメスにした。

最初は元気がなくすぐにでも死にそうに見えたが話しかけていると、急に元気がよくなり、買ってくれとおおいにやる気を見せたので、魔王は自らの勘を信じて、君に決めた!とその奴隷の代金を支払った。

物の価値についてまだよくわからないのだが、商人の口ぶりからするにまぁまぁ高い奴隷だったらしい。この奴隷は元貴族の娘でとかなんとか言ってにやにやしていたが、健康で教養のある個体ならなんでもいい魔王にとってはどうでもいい情報だったのでほとんど聞き流しておいた。


「あ、あの、私はアウレリアといいます」

奴隷はおどおどと魔王をうかがいながら、か細い声でそう言った。

「アウレリア?それはお前の種の呼び名?」

「……種?えっと、一族の名のことですか?それでしたらアウレリアは私の名前で……」

私の名前、ということは人間にはそれぞれ固有の呼び名があるということだろうか。

魔王は通りにいる人間たちを見回し、これらすべてに名があるということになんだか圧倒される気持ちだった。というかいちいち覚えるのが面倒くさそうだと思った。

「勇者様のことはなんとお呼びしたらいいでしょうか?」

魔王は魔王なので、なんと呼べばいいと聞かれても困ってしまう。

そういえばさっきこの奴隷はこの体のことをリーンハルトと呼んだ。

しかし今は、勇者様とも呼ぶ。

それぞれに呼び名があり、しかもその呼び名は一つではないのか。

ううむ、ますます面倒くさい。

「好きなように呼べばいい」

面倒くさくなってそういうと、奴隷は少し困ったような顔をした。


魔王は奴隷を連れて一度街を出ることにした。

どういうわけか奴隷市場からずっと自分の後をつけてくる人間たちがいるのだ。

おそらく奴隷を買ったときに金貨をたくさん持っているところを見られたのだろう。魔物にも他の魔物が捕らえた獲物を横取りする連中がいるが、人間界においてなにより価値を持つのは金貨らしい。なにせ人の命すら買えるのだから。

森の入り口で、奴らは襲い掛かってきた。

金貨と奴隷、どちらも渡せば命だけは助けてやると言うので、それは困ると言うとふざけた野郎だと笑われた。

その笑いかたが下卑ていてあまりに不愉快だったので、とりあえず本体をちょろっと出して、さくっと一匹残らず殺しておいた。

人間界では同族を殺すことはあまりすすめられた行為ではないらしいので、わざわざ人の目のない森まで我慢したわりには虫を潰すようなものであった。

つまらん。

勇者ではない人間はこんなに簡単に死んでしまうというのなら、人間界で暮らすうちは力加減に相当の気遣いをしなければならないだろう。

そんなことを考えていると、連れていた奴隷はいつの間にか気を失って倒れてしまっていた。

顔が死んだように真っ青になっていたので一瞬慌てたが、すぐに起きたので胸をなでおろす。あーびっくりした。

奴隷は人間の中でも、若いメスの個体で見るからに脆弱な存在であることを鑑みるに、自分のような圧倒的に強い個体を前にしてあまりに恐ろしい思いをしたに違いない。かわいそうなことをしてしまったと魔王は少し反省した。けれど相手は奴隷なので、まぁいっかとすぐに開き直った。

奴隷が殺した人間の血で汚れてしまったので、服を脱がせて魔法で洗ってやることにした。人間が飼育しているヤギや牛の世話をするように、奴隷の世話をしてやるべきだと考えたのだ。

奴隷は青ざめていた顔を真っ赤にしてちょっと泣いた。けれどおとなしくしていたので、かまわず綺麗にしてやる。

青くなったり赤くなったり人間は大変だ。

だがその大変なところは、見ていて面白い。

「あなたは……何者なんですか?」

綺麗にし終わると、奴隷はガタガタ震えながらそう尋ねてきた。

なので素直に自身が魔王と呼ばれる存在であること。勇者の体に入った経緯などを素直に教えてやった。

魔王は基本的に寛大で素直なのである。悪く言えば、考えなしともいう。

「ま、魔王様はこの国で何をなさるおつもりなのですか?」

「観光だけど」

「か、観光?」

「俺が人間を滅ぼしに来たのかと心配しているの?大丈夫、大丈夫。人間を滅ぼすとつまらなくなってしまうからね。それに神に怒られる」

「神!?神って、か、神様?」

「うん。でも自称だから、お前たちの言う神とは少し違う」

ちなみに魔王は自称ではなく他称なので、魔王はその点では神より自分のほうがマシだと思っている。

奴隷は魔王の言ったことを一回では理解しきれなかったのか、しばらく放心していた。

しかし市場で買った干し肉とパンをやると、それを恥ずかしそうに受け取ってもそもそと食べ始めた。

一生懸命食べるさまを見ていると、うんうん、もっとお食べ。元気になるんだぞ。と微笑ましい気持ちになる。

「美味いか?」

「は、はい……」

再び顔を赤くして、奴隷はパンをかじる。

人間が家畜以外に猫や犬を飼うのを見たことがあるが、存外こういう気持ちを味わうために飼っているのかもしれない。


奴隷が食べ終わるのを待ってから、これからどうするかを話し合うことにした。

「魔王様は観光されるだけでよいのですか?」

「できれば人間の暮らしというものを体験してみたい」

「人間の暮らし……」

奴隷はそう呟いて、真面目な顔で黙り込む。

何もしゃべらないのはつまらなかったが、奴隷が一人で顔を青くしたり冷や汗をかいたりうなったりするのを見るのは表情の観察もかねて興味深い。

「この国で、その勇者様の体で暮らすとなると、どうしても目立ってしまうと思います」

「目立つのはよくないことなの?」

「魔王討伐にむかったはずの勇者がなぜいるのだと騒ぎになります。そのうえ万が一、魔王だとばれてしまえば人間は魔王様を倒そうとするでしょう」

「ふむ。騒ぎになるのも戦いになるのも困るな」

魔王は別に人間たちを騒がせたくてやってきたわけではないのだ。

奴隷は何か大変な決意をしたように、神妙な面持ちでこう続けた。

「ですので、魔王を討伐して帰ってきたことにしてしまいましょう」

「それはそれで目立ってしまうのではないのか?」

「ええ。でもその代わり立派なお屋敷や褒賞ももらえるでしょうし、なにより王国で堂々と暮らす権利を得られます」

屋敷というと、棲み処か。

それと人間の国で堂々と暮らす権利。

金には困っていないが、なるほど。悪くない。

だが魔王が魔王を倒したと吹聴するなど、随分とみょうちくりんな状況になってしまうのではないだろうか。

……まぁ面白そうだからいいのだが。

「その……お気に障りましたか?」

魔王が思案にふけっていると、奴隷が今にも死んでしまいそうな調子で尋ねてきた。

「なぜ?」

「魔王様に向かって、魔王が倒されたということにしようなどと言ってしまったので……」

「いや、かまわない。お前の言うとおりにしよう。別に魔王であることとかどうでもいいし、棲み処がもらえるというのが何よりいい」

魔王があまりに素直だからか、奴隷はなんだか拍子抜けしたような顔をした。それからなぜか少し嬉しそうにはにかむ。

奴隷はほほ笑むと少し幼くみえる。

「では、まず服を買いに行きましょう。私はもちろんですけど、魔王様のお洋服もかなりボロボロですので」

「そうか。わかった」

魔王がそう答えると、奴隷はほっと息を吐いたのだった。


その次の日、魔王は奴隷を伴って街で服を着替えた。

よくわからなかったので奴隷がすすめるままにシャツやらコートやら買ったのだが、それなりの荷物になった。

こんなに買う必要はないのではないか。そう言うと、

「いいえ。勇者様がみすぼらしい格好をしていては舐められてしまいます。王族や貴族というのは、とにもかくにも着ているもの、身に着けているもので人を判断します」

と豪語するので、そういうものかと納得した。

そのわりには奴隷自身の服を買うのはやたらと遠慮するので、店員に何着か見繕わせてそれを買うことにした。

とても感謝されたので、自分以外の者に何かを買い与えるというのは、大変気分のよくなる行為であると知った。奴隷も喜んでいるし、また何か買ってやろう。金ならある。


その足で王都へ向かい、翌日謁見を申し込むと控えの間に通され、数時間ほど待たされた。

待っている間とてつもなく暇だったので、部屋にかざってある花瓶や彫像を投げて遊ぼうとしたら奴隷に泣いて止められた。

「じゃあ何か面白い話をしてくれ」

「えぇ……急にそんなこと言われても」

そう言いながらも、奴隷はおとぎ話というものを披露してくれた。

ドラゴンと姫の悲しい恋の話。誰が一番賢いか争う三人の賢者の話。嘘つきなキツネがこらしめられる話。

ようやく王と会えるとなった時には、奴隷の声は少しかすれていた。


王との謁見は思っていたよりもあっさりしたものだった。

人間の王はぶよぶよとした肉に覆われた、ころころとした生き物だった。丘の上から転がしたら、きっところころとずっと下まで転がっていくのだろう。

「勇者様は、魔王を倒した時に呪いを受けてしまったのです」

そう王に伝える奴隷の心音が、魔王の地獄耳に届く。えらく緊張しているらしい。

「いかような呪いだ」

「記憶を失ってしまわれたのです」

え、そうなの。初耳。

と思わず言いかけたけれど、しゃべったら面倒なことになりそうだったのでしかつめらしく頷いておく。

とりあえず勇者は旅の果てに魔王を討伐することに成功した。しかしその際、魔王から呪いを受けてしまい記憶を失ってしまった。仲間は魔王との戦いでみな死んでおり、その上記憶を失って困っていたところを奴隷と出会いこうして王国に戻ってきた。

というのが、奴隷が考えた勇者の設定だ。

魔王を倒した証を見せろと王がうるさいので、適当に宝石をくれてやると王は魔王こと勇者よりも宝石に夢中になり、報酬として屋敷と爵位を与えるということで謁見は終わりを迎えた。

後日ちゃんとした祝いの場を設けると、王の次に偉いという男に無表情に告げられ、魔王と奴隷は与えられた屋敷へ向かうことにした。

なんでも最近まで貴族が住んでいたタウンハウスで、すぐにでも住めるようになっているのだという。


「ここは……」

「知っているところ?」

奴隷はうんともすんとも言わないで、夢でも見ているような虚ろな目で屋敷の中を見回した。その瞳は檻の中から空を見上げていた時のものと少し似ていて、なんだかおもしろくない。

「王の棲み処に比べると、随分と小さいな」

居心地が悪かったので率直な感想を言うと、奴隷ははっと我に返ってちょっと怒ったように肩を怒らせる。

「そりゃ、子爵家のタウンハウスなんだから小さいでしょうけれど、家具はアンティークだし外観だって立派でしょう?」

「なぜ不機嫌になる」

「……ごめんなさい」

「なぜ謝る」

「主人にとるような態度ではなかったと、反省しました」

「ふーん」

奴隷は怒ったかと思えば、今度はしゅんと項垂れて買ってやった若草色のワンピースの裾を握りしめる。

再びゆっくりと屋敷を見回した奴隷の目は、不安げにゆらゆらと揺れていた。


「魔王様。私は奴隷になって、住む家があるありがたさ、お金がないことのみじめさをほとほと思い知りました。私は昔、貴族の娘でした。その頃の暮らしをまたできるとは到底思っていません。でもまさか、またここに住めるなんて……魔王様、本当にありがとうございます」

なんだ、突然。

真意がわからなくて戸惑う魔王に奴隷は深々と、膝につくのではないかというほどに頭を下げる。

「私、魔王様がこの先どんなことをなさったとしても、ついていきます。だからどうか、私を捨てないでくださいね」

魔王はその問いには、あいまいに頷くだけにとどめておいた。

早く屋敷の中を探検したかったからである。



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