魔王は旅に出ることにした
「それでその後どうなったの?」
好奇心旺盛な少年の問いに、人の好さそうな店主は立派な腹を揺らして焦るな焦るなと笑った。
「魔物は少女をばくんと丸のみにしちまったんだ!そして」
咳ばらいをしてわざわざ声音を変えた店主は、少年を怖がらせようとでもしているのか両手を広げて威嚇するようなポーズをとる。
「この娘を生贄として受け取った。向こう百年魔物の森に手出ししなければ、我らも人間の国に手出しはしないだろう。娘の献身に感謝するがいい。と王都の兵士たちも震えあがるような恐ろしい声で言って魔物の森へ飛んで行ったそうだ」
「ふーん」
「それで生贄になってくれた娘のことを忘れないためにも、来年からこの時期に祭りを開こうって話が出てるんだってよ」
「おじさんはその魔物見た?」
「ははは!こんな辺鄙なところからじゃ、どんなデカい魔物だろうと豆粒にしか見えんよ。それにその夜俺は女房と喧嘩して、戸口で必死に謝ってたからなぁ」
がはははと豪快に笑う店主に合わせて、少年もけたけたと笑い声をあげる。
少年としてはその後どうやって妻と仲直りしたのかというところが気になるところだ。今後の参考として役立つかもしれないので。
客が来なくて暇そうにしていた果物屋の店主に少年が捕まって、先月起こったという王都の魔物騒動について語られてだいぶん時間が経った。
少年はその騒動について誰よりもよく知っていたのだが、暇なのは自分もまた同じだったので、これも一興と店主につきあってやることにしたのだ。
「それでその魔物と対峙した若い貴族が、今度王女様と婚約することが決まったんだとさ」
「へぇおめでたいね」
「なんでも貴族にしちゃ偉く正義心のあるお方らしくてな、去年砦が奇襲された事件の真犯人も暴いたとかで、そりゃもう凄い人気らしい。それがまたどえらい色男だってんだから、うちの娘が王都に行きたいってうるさくてなぁ」
「そんなに色男だったかなぁ」
「坊主、知ってんのか?」
「ちょっとね」
ニヤリと分不相応な顔をする少年の背後にいつの間にか立っていた若い女が立っていた。少年と同じく小ぎれいな身なりをしており、どこかの女中にしては物腰に品がある。
彼女は少年の首根っこをひっつかむと、外見の印象とは裏腹にもう!と声を荒げた。
「探しましたよ!」
「ありゃ、見つかっちゃった」
「ちょっと道を聞いているうちに居なくなるんだから!」
「なんだ、坊主、子守りつきかい?あんま困らせるもんじゃねぇぞ」
「すみません、相手をしてもらっていたみたいで。何か失礼なことをしませんでしたか?」
女に肩をがっちり拘束された少年は、相手をしてやっていたのは自分だとむくれたが子供だからと誰もまともに取り合ってはくれそうになかった。
人を見た目で判断しないでほしいが、どう見たって子供なので仕方ないかとため息をつく。
話の区切りもよかったし、二人が立ち去ろうとすると、店主が林檎を一つくれた。
旅をしているとたくさんの短い出会いがあり、時にはこんなふうに思わぬ親切をもらうこともある。悪意に出くわすことも多いが、それもまた面白いと思えた。
「なにを話してたんですか?」
「恐ろしい魔物が王都に出た話。生贄として身をささげた娘を讃えて来年から祭りが開かれるらしいぞ。よかったな」
恥ずかしいのかみるみる女の顔が、さきほど貰った林檎のように赤くなった。
「魔王様が変なこと言うから……。なんですか生贄って。私そんなつもりじゃなかったのに」
「ちょっとしたお茶目だよ。たまには魔王らしいことがしたくなった」
適当なこと言ってとブツブツ文句を言いながら、アウレリアはすっかり小さくなった魔王の手を握った。
アウレリアの手のひらは硬くざらついている。古い火傷跡のように。
魔王の体から槍を抜いたときに負った傷だ。
聖なるものの力が働いているせいで、魔王の力では傷は癒せても跡までは消せなかった。
柔らかく美しかった彼女の手のひらを惜しむ気持ちはもちろんあるし、申し訳ないとも感じている。
しかしそれ以上に、この跡が彼女が自分を選んだ証なのだと思うととても満たされた気持ちになるのも事実だった。
魔王はアウレリアを丸のみにはしたけれど、別に食べたわけではなかった。
こう舌の上に上手いことのせて食べたっぽい言動をしただけだ。
すごくしゃべりづらかったから、よほど聞き苦しい声になってしまっていたのだろう。あの場に残っていた人間たちの半分くらいが魔王の声を聴いて失神しかけていたのは、ちょっと申し訳なかった。
「お前、もう冗談でも食べてもいいなんて言うんじゃないぞ」
子供の体を借りているため前よりもずっと低くなった位置からアウレリアをじっとりと見つめると、彼女はなんですか突然と怪訝そうな顔をして、急に恥ずかしくなったのか口の端をもごもごさせる。
「前に魔王様が私のことを食べたいとおっしゃっていたから、私、喜んでもらえると思って……。これでもう怖いことはなにもなくなるんだって。あの時は本気でそう思ったんです……。あ、でも、今は嫌ですよ!魔王様のお世話をしなきゃいけないですからね!」
「ふーん、ならいいよ」
誰かにやるくらいなら、食べてしまいたいと思ったのは本当だ。
だが自分の傍にいたいと思ってくれていると知ったうえで食べたいとはならんだろう。
だって食べたらもう会えないじゃないか。
自身の一部になると言えば聞こえはいいが、ようは消化しただけだろうに。
だから食べてくださいと言われた時、なんかそれでうまいこと場を収める作戦だと思ったのだ。あとになってあれは本気だったと知ったわけなのだが。
おそらくあの時、アウレリアは魔王の瞳を見すぎてしまったのだろう。
魔王にその気がなくとも本質的に魔性であることに変わりはない。
瞳にあてられて、自分の望みと魔王に喜ばれることの区別がつかなくなっていたのかもしれない。
まぁ本人は現時点で後悔をしている様子もないし、魔王だってアウレリアを食べなかったのだから問題ないだろう。
あの時、アウレリアが何を望もうと、魔王は彼女を自分のものにするともう決めてしまっていたのだから。
ちゃんともう逃がしてはやれないと伝えたのだから。
ただまぁもう一つ勘違いがあるとするならば、魔王は死ぬつもりで決闘場に引きずられて行って槍も甘んじて受け入れたが、おそらくそれでも死ぬことはできなかったであろうということだ。
厳密にいえば魔王には死という概念がない。
魂まで破壊されたとしても、数百年もたてば元通りになるだろう。
だからあの場で処刑されることを選んだのは、復活のために眠っている間はアウレリアを失う悲しさを味合わずにすむと考えてのことだった。
もちろんあれで死ねるのなら、それはそれでよかった。だってずっと生きていても退屈なだけなのだし、アウレリアはあくまで人間として幸せにしてやりたい、幸せになるべきだと本気で思っていたのだ。
まぁそれもアウレリアが魔王を選んだ今となっては、いらぬ気づかいだったのだが。
ちなみにアウレリアを丸のみにした後、果物屋の店主が言っていた通り二人は魔物の森付近まで飛んで逃げた。
そこで運よく人間の子供の死体を見つけたので、これ幸いと勇者の体に入っていた時と同様に体を借りることにした。本体のままでは目立って仕方ないし、うっかり尻尾が滑ってアウレリアを殺しでもしたらいけない。
子供の死体に乗り移っている間、アウレリアはあの巨体がどうやってこの中にと興味津々だったが、魔王自身も原理はよくわかっていない。なんかやってみようと思ったらできてしまったからできるだけだ。
とはいえこの体は少々不便がすぎる。
以前は魔王がアウレリアの歩幅に合わせて歩いていたのに、いまや魔王が合わせてもらっている点がなにより屈辱的だ。
もっとふさわしい新しい体を探さなければならない。
次はアウレリアの好みでも反映させて選んでみようか。
それか一から肉体を創造するのも一興かもしれない。
普通の死体よりも頑丈で、アウレリアの願いもなんだって叶えられるような。
「そういえば、まだ果たしていない約束があったなぁ」
「約束ですか?」
「空を掴ませてやると約束した」
「えっ!あれ本気だったんですか!?」
「勢いで約束したからできるかはわからんが、それでも一度約束したからには努力すべきだろう」
「いえ、その、私てっきり別の意味だとばかり……」
「なんだこの空以外に空があるのか?」
頭上に広がる青い空を指さすと、みるみるアウレリアの顔が赤くなった。わかりやすくころころ変わる表情は、彼女の魅力の一つである。
彼女の手を引いてどういう意味か教えるよう強請ったが、もごもごと口ごもるばかりで要領を得ない。
けれどあまりにしつこいからか、観念したアウレリアは弱々しい声で言った。
「……私にとって空を掴むことは、こうして魔王様と一緒にいることと同じなんです。だからもうすでに約束は果たされたと言いますか」
「よくわからん」
「わからなくてもいいです。とにかくこの話はもう終わり!」
そっぽを向いたアウレリアのトウモロコシの穂みたいな髪の毛がふわふわと風に舞った。
その隙間から赤い耳が見えていて、ああ、かわいいなぁと思う。優しくてふわふわしているのに、気を抜くと身の内から弾けてしまいそうな感情が駆け巡った。
「アウレリア」
「なんですか?」
「好きだぞ!」
「はいはい。私もですよ」
見た目が子供なためかアウレリアの反応はそっけない。
見てろ、今にお前好みの体でリベンジしてやるからな。
魔王はそう誓って―――いや、もう魔王でもなんでもないか。
俺はそう誓って、アウレリアの手を引いて駆け出した。
「さぁ、世界は広いぞアウレリア!」
これにて完結となります!
長らくのお付き合いありがとうございました。活動報告にあとがきをあげていますので、お暇でしたらどうぞ。