じゅうさん
「私があなたの婚約者だからって、それがどうして私の父が無実の罪を着せられる理由になるっていうの?」
まったくもってわからなかった。
ユリウスに憧れる他の令嬢やその家族から疎ましく思われたり、露骨に嫌がらせを受けたりすることはあったけど、それとこの話が関連あるようには思えない。
それとも私が知らないだけで、私たち家族を恨む誰かとカペル侯爵がつながっていたとか?
「侯爵は自分の息子を王女と結婚させたかったんだ」
「でも侯爵の息子はみんなもう結婚なさってたはずじゃ」
「一人だけまだ結婚していない、そして王女と年の頃の合う息子が彼にはいたんだ。つまり、僕だ」
「それって」
「僕はカペル侯爵の息子なんだ。母と侯爵が浮気して出来た不義の息子。侯爵も僕が教えるまでは知らなかったらしい。もちろん戸籍上の父は僕が自分の本当の子供じゃないってことも、僕と侯爵が特別なつながりを持っていることも知らない。だから僕が侯爵に気に入られているのは自分のこれまでの努力があるからだ、なんて押しつけがましいことをよく言われて困るんだけど」
こんなふうに毒づくユリウスを見るのは初めてだった。刺々しく、どこかやけっぱちな雰囲気をまとっている。
けれどこれでようやく私には話が見えてきた。
ユリウスはカペル侯爵の隠し子で、侯爵がそのことを知った時にはユリウスはもう私と婚約していた。無理やり破棄させてもいいが、その場合なんの非もない子爵家を身分をかさに切り捨てたのだと思われる可能性があった。そうなればユリウスがこれまで築いてきた完璧な青年貴族としてのイメージに傷がつく。
そんな時に王女の婚約者であった公爵が、侯爵が行っていた悪事の尻尾をつかみ脅迫してきた。
侯爵は敵国の兵士が襲ってきたのだと事件をでっちあげ、ついでに自身の悪行の証拠も消そうとした。
そしてその犯人に、生贄として私の父を選ぶことで、ユリウスの婚約も自然解消される。
最終的には自分にとって目障りな公爵と私たち家族を抹殺し、ユリウスが王女の婚約者候補として確実な地位と信頼を得られるようにした。
「なんだ……そんな、そんなことだったの」
何かがごっそりと抜け落ちていく気がした。
私たちはやっぱり何も悪くなかったのだ。
しいて言うならば、運が悪かった。
そう言うしかないだろう。
まるで駆除される動物みたいだと思った。
たまたまそこに暮らしていて、普通に生きているだけなのに、誰かにとっては邪魔な存在だったから殺される。
お前たちはちっぽけで惨めな存在なのだと言われているような気になる。
自分たちの悪事をばらされそうになったから、砦の兵士たちを巻き込んで、公爵を殺して。
自分たちは罪を負いたくなくて、自分の隠し子を王女と結婚させたいから、私の父に罪を着せて。
そんなことのために。
そんなことのために、私たちは、私は、あんな目に……。
……私たちはそんなふうに誰かのために使いつぶされていいような人間だったのだろうか。
いや、そんなわけない。
そんなわけがない。
きっと誰かが救いの手を差し伸べたとしても、間違いではなかったはずなのだ。
むしろ真実を知っている人間がいたのなら、その人間に良心があったのなら、私たちを助けたはずなのだ。
けれどそれに唯一該当するであろう目の前の男はそれをしなかった。
それは、つまり、彼が私たちを見捨てたということに違いがないからなのだ。
「……顛末は、わかりました。でもまだあなたの罪とやらは聞いていない」
「すまなかった、アウレリア。僕は……」
「私はあなたに助けを求めたわ。そしてあなたは扉を開けなかった!私たちを自分の名誉のために見捨てた!」
「言い訳じゃないが、君が僕に助けを求めた時、僕は王都にいなかったんだ。襲撃後から証拠を回収しにいっていたからね。気づいた時には砦の襲撃は始まっていたし、僕にできたのは砦にあった横領の証拠と、カペル侯爵が送り込んだ兵たちが来ていた隣国の偽鎧を確保。そこから王都に戻って急いで君を探したけれど、その行方はわからなかった」
早口にユリウスはそう弁明したが、何ひとつとして信じられなかった。
たとえ真実だったとしても、納得なんてできるわけがない。
「そんなこと知らない!行方がわからなかった?ただ探さなかっただけでしょ!」
「君たちはあてどもなくさまよっていたつもりだっただろうけど、よく思い返して。君たちが途方に暮れた時、変に親切な人たちがいなかったかい?そしてその結果、君たちはさらなる苦境に陥ったはずだ。アウグスタ様が自殺に使った毒はどこから入手した?エーリヒが死んだときも、あれは本当にただの酔っ払いの喧嘩だったのか?君が奴隷になったのは、本当はずっと前から君に目をつけている奴らがいたからじゃないのか?」
「だったらなんだと言うのよ!」
そう立ち上がって怒鳴った私に、ユリウスは少し失望したような眼をした。
どうして、私がそんな目で見られなければないの。
「そこまでわかっているならなおのこと、あなたは私たちを見捨てたってことじゃない!」
「だからこれはすべて、あれこれ手を尽くして調べた結果わかったことなんだ。現に君はいま、アウレリアじゃない」
「私はアウレリアよ。訳の分からないこと言わないで」
「……ヘルガ、彼女の売約書を」
部屋の隅にずっと控えていたメイドのヘルガがすっと近づいてきて、一枚の書類を私に見えるように掲げた。
奴隷の所有権を主張する公的な書類だ。
私はとっさにそれを掻っ攫って、わななく手で広げる。
その奴隷名の欄には、まったく覚えのない名前が書かれていた。
「昨夜勇者から預かったものだから、正真正銘の本物だ」
「これ、私の名前じゃない……」
「そうだ。君はもう、アウレリアじゃない。奴隷になった時、アウレリアは戸籍上死んでいて、偽の戸籍を与えられて奴隷になった君はもう自分がアウレリアだと公的に証明する手立てがない。それと同時に、僕がアウレリアを探し出すこともできなかった理由がこれなんだ。おかしいだろう?奴隷は労働省にきちんと登録、管理されている。君の名前があればすぐに見つけられたはずなんだ」
「……嘘よ」
「嘘じゃない」
「嘘よ!何もかも馬鹿げてる!どうせなら、お前のことなんてどうでもよかったって言ってよ!そうすれば私はあなたに殴りかかって、そのまま絞め殺してやるのに……!」
へなへなと膝から力が抜けていって、私は床にへたり込んだ。
握りしめた手の中で、自分の売約書がぐしゃぐしゃになるのがわかった。けれどもうアウレリアという存在ですらないと否定された私にとって、売約書が本物なのかどうかなんてもうどうでもよかった。
ああ、でも、どうして、魔王は名前が違うことを教えてくれなかったのだろう。
それとも気づいていたけど、教えなかっただけなのか。
私はちゃんとアウレリアだと名乗って、彼はそう呼んでくれていたのに。
人間にはそれぞれ名前があるのだから、と。
ああ、そうだ。
魔王は人間の名前なんて本当は興味ないんだった。
私がそうしなきゃいけないって言ったから、彼はそうしていただけで、だから、
「名前が違っていても、どうでもよかったんだ……」
どうでもいい。
そう呟いた自分の声が脳内で反響して、ぐわんぐわんと大きくなっていく。
現実が遠のいて、私の周りを透明の膜が包んでいくような気がした。
「君が勇者とともに王都に戻ってきて、侯爵は君たちが自分たちを脅かす存在に違いないと考えた。何度か屋敷に夜盗が入ったはすだ。すべて勇者が、いやあの魔物が片付けてしまったとヘルガから聞いてはいるが」
上手く言葉が出なくて、私はゆるゆると首を左右に振った。
そんな事実があったとして、夜盗はきっと魔王が食べてしまったはずだ。そしてそのことを魔王が私に教えるわけがない。私がおびえると分かっているのだから。
もしかしたらユリウスも魔王が夜盗を食べたことを知っているのかもしれない。
片付けてしまったという言葉を言う時、彼は少し言いにくそうな顔をしていた。
「崖で最初に君たちを襲ったのは、侯爵か、彼の部下の兵だ。そして僕は君を助け出すチャンスは今しかないと思って、あの日崖に行った」
「助ける?」
「侯爵からも、あの魔物からも」
「あの人はそんなのじゃありません。あの人は」
私を助けてくれた。
「……魔物が人間を助けるなんてありえない。目的はわからずじまいだったが、退魔の矢を受けて彼はもう手を引くとここで誓った。君とこの国からはもう手を引く、と。だからもう大丈夫だ」
なにが大丈夫なのだろう。
というかこれは現実なのだろうか。
ただの悪い、悪い夢、なんじゃないだろうか。
次の瞬間にははっと目が覚めて、自分の部屋にいて、父と母がいつも通り静かに朝食を取っていて兄は夜遊びが過ぎてまだぐっすり眠っているのだ。
ああ、でも、それだと私は魔王とは出会えないのか。
あの人と一緒に過ごして、あの冷たい手と触れ合って、初めてのキスをしたこともなくなってしまうのか。
それはそれでとても悲しいことのような気がした。
私は、どこに戻りたいのだろう。
私の帰る場所は、どこにあるのだろう。
魔王にすら捨てられたというのに。
「ははは」
乾いた笑いが無意識にこぼれる。
なんだかもう、おかしくて仕方なかった。
「あはははははは!」
私はたぶん泣いていたのだろうと思う。
泣きながら笑っていたのだと思う。
悲しくて、辛くて、おかしくて。
魔王が私に取りついていた魔物なのだというユリウスの誤解を解く気にもなれない。
だってもしかしたら、取りつかれていたというのは本当のことで、馬鹿な私が気づいていなかっただけなのだと言われても、私には否定なんてできないのだから。
私は何一つ、本当のことなどわかってなかったのだから。
「アウレリア」
ユリウスが傷物に触れるような慎重さで私の背を撫でた。
私が慰めてほしいのはあんたなんかじゃない。
そう叫んだかもしれない。
けれど私が本当に一緒にいて欲しい、慰めて欲しいと思うあの人は、私のもとに不思議な魔法を使って現れてくれそうにもなかった。
魔王が私から手を引くと言ったということは、それはつまり彼が私に飽きて捨てたということと同義なのだから。