じゅうに
酷い気分だった。
頭がズキズキと痛んで、石でも飲み込んでしまったかのように胃が重たい。
肩と左目に矢を受け、谷底へ落ちていった魔王の姿が勝手に何度も何度も思い出されて、気を抜くと叫びだしそうだった。
魔王が崖下に落ちた後、私は泣きわめいてそれから少しだけ冷静になって、彼がそう簡単に死ぬはずがない、助けなければと思い崖を降りようとした。
しかしユリウスに阻まれ、離してと大声をあげながら抵抗しているうちにガツンと頭の後ろに衝撃が走って、気が付くと初めて見る部屋にいた。
つまるところ気絶させられて、よく知らない場所に閉じ込められたのだ。
手は後ろで縛られており、部屋の中での移動は自由だったが、もちろん扉も窓も開きそうになかった。
外は鬱蒼とした森が広がるばかりで、とっぷりと夜の闇に沈んでいる。
しばらくすると侍女と兵士らしき男が二人でやってきて、手を解いて食事をとらせてくれたが、食べる気になんて到底なれず手はほとんどつけなかった。
どれだけ尋ねても彼らは明日になればユリウスから話があるとの一点張りでまとも取り合ってくれず、結局私はこの部屋でまんじりともせず朝を迎えることとなった。
部屋の内装を見るに少々古いが客間の一つであるようだ。私が気絶していた時間を考えると、あの崖からそう離れたところではないはず。
逃げることも考えたが、ここがどこかわからないことや、自分一人でどこまで逃げられるかを考えるとあまり賢い考えとは思えなかった。
それでもなんとか耐えられたのは、魔王がそう簡単に死ぬはずがないと分かっていたからだ。
退魔の矢で傷ついたとしても、魔王があれくらいで死ぬはずがない。
もしかしたら傷ついたのは勇者の体だけで、魔王自身は無傷なのかも。もし彼が傷を負っていたとしても、回復魔法ですぐにいやせるはずだ。
だから彼は私を探しに来てくれる。
そしてここから救い出してくれるはずだ。
きっと。
それから丸一日は、監禁状態だった。
わかったことは、ここはおそらく貴族の別荘であること。あの崖から馬で半日以内につくところにあること。周囲が杉の森に囲まれており、人の出入りは少ないようであること。
最も可能性が高いのは、ここは別荘地帯であり、私がいるのはユリウスの実家が持っている別荘の一つだという線だ。
もしかしたらユリウスの協力者であるカペル侯爵関係の屋敷かもしれない。だからといってどうにかできるわけでもないのだけれど。
魔王はどうしているだろう。
すぐに来てくれると思っていたが、もしかしたら私が考えるより傷は深かったのだろうか。
それとも……。
窓際に座っていた私は、頭から嫌な考えを追い出したくて窓のふちに頭を軽く打ち付けた。ゴツンと鈍い痛みが走って、少しだけ冷静さを取り戻す。
このままこの部屋でおとなしくしているだけじゃいけない。
考えなきゃ。そして何か行動しなきゃ。
でも私になにができるのだろう?私はいつだって流されるままで、自分では何も選ぶことなんてできないのに。
夕日に燃える森を見つめていると、不安に心が潰れそうになる。
爪が食い込むほどに拳を握り続けていると、唐突に部屋のドアが開いた。
「ユリウス様がお呼びです」
それは思いがけず、見知った顔だった。
「ヘルガさん?どうして、あなたがここに」
私を迎えに来た侍女は、魔王の屋敷で一緒に働いていたメイドさんだった。
ちょっと融通が利かなくて、でも仕事だけはきっちりとこなす人で、仲良くはなかったけれど私は彼女に少なからず好意を抱いていた。
けれど彼女がここにいて、ユリウスの命令で私を迎えに来たということは、つまり。
「スパイだったってわけ?」
我ながら刺々しい口調だった。
彼女はいつものように顔色一つ変えず、私についてくるよう促す。
また騙された。
そんな思いから足元が少しだけぐらついたけど、ぐっと踏ん張って毅然とした態度で彼女の後をついていくことにした。
これ以上惨めな自分になりたくなかったし、これから私が向かうのは憎いユリウスのもとであったからだ。
絶対に今度は騙されたりなんかしない。
私は、私の頭で、心でちゃんと考えて、魔王のところへ帰るのだから。
「手は縛らなくていいの?」
私が自由なままの手をわざと広げてみせると、ユリウスは困ったように微笑んだ。
「逃げたいなら好きにするといい。だけどそれでは君は真実を知ることができなくなってしまうよ」
それがすごく余裕のある顔に見えて、私は居心地の悪さに襲われる。それでも決意を新たにしたばかりなのだからと、なんでもないふうに彼の正面に腰かけた。
「真実って、あなたが私の父を陥れたことでしょうか」
ユリウスは頷くわけでも、首を横に振るわけでもなく、頭を斜めに傾げる。
「君たちが諸悪の根源が僕であると考えていることは知っているよ。確かに僕はどちらかと言えば悪党だし、君を見捨てたと言われれば否定はできないけど、君の父上を陥れたわけじゃない」
「悪いけど、見苦しい言い訳にしか聞こえません」
ユリウスはまた曖昧な困ったような笑みを浮かべる。
その笑みを見た瞬間、ぐわっと腹の底から抑えていた怒りが噴き出して、私は自分の頬が熱を持ったのがわかった。
「あなたって昔からそうだわ。いつも曖昧にほほ笑んで、はぐらかしてばかり」
婚約が決まって、私なんかでいいのかと尋ねた時も。いつ結婚式をあげるつもりかと聞かれた時も。
そして父が捕まった時なんかは顔すら見せなかった。
「そうだね。でも、もうはぐらかすつもりはない。君が聞きたいであろうこと全てを話そう」
挑むようににらみつけると、ユリウスはまた微笑もうとしてやめた。彼なりに誠意を見せようとしたのか、それともただ単にこれ以上私を刺激しないようにしようとしたのかはわからなかった。
「……どうして私たちを襲ったの?」
私と魔王が砦へ向かったことは、おそらく屋敷にメイドとしてもぐりこませていたスパイのヘルガから聞いたのだろう。
ヘルガはいつも通りの感情の見えない顔で、ユリウスの後ろに控えている。
「あの時、最初に私たちを襲ってきた男たちは何者?どうしてあなたは彼らを殺して、さらに勇者様にまで弓を向けたの?」
「順を追って話そう。まず、僕は君を助けたつもりだったんだ」
「あの人を崖下に落としておいてよくもぬけぬけとそんなことが言えるわね!」
「でも、彼は死んでないだろう?だって魔物なんだから」
わかりきった事実を言うような口ぶりだった。
私はとっさになんと返したらいいのかわからず、言葉に詰まる。
「神殿から拝借した退魔の矢だったんだが、殺すには至らなかったみたいだ。相当強い魔物なんだろうね。それに君がそこまで彼を慕っているなんて知らなかったんだ。僕は純粋に魔物とともに行動し続ける君を助けたつもりだった。許してくれ」
そんなことはどうでもいい。
魔王が生きているだろうとは思っていた。
けれどどうしてそんなに確信を持って言えるの?何を知っているの?
「あの人は生きてるの?」
はやる気持ちを抑えられず、早口に尋ねた私に彼はあっけらかんとなぜ魔王が生きていると知っているのか、その理由を告げた。
「彼とは昨夜、ここで会った」
「……嘘」
ユリウスは否定されることが分かっていたように、何かを取り出した。
「これを渡すように頼まれた」
血の付いたタイだった。
震える両手でそれを受け取る。確かに一昨日魔王がつけていたもので間違いない。
私が見繕ったものだから、ちゃんと覚えている。
黒ずんだ血はパリパリと固く乾いていた。
もしかしたら崖下にこのタイだけ落ちていたのかも。そしてそれをユリウスの部下が拾ってきただけなのかも。
だけどあの崖はそう簡単に上り下りできるような崖じゃない。
それに崖下は急流だったから、魔王が落ちたとしてタイも一緒に下流へ流されていくはず。
ということは、本当に。
「あの人はここに……」
だったら。
だったらどうして、私を。
「彼が勇者の体をのっとった魔物だということはわかっていたんだが、まさか魔王を自称するとはね。さすがにこれは死んだなって思ったよ」
カラカラと嫌に陽気に笑って、ユリウスは姿勢を崩した。
そして低い位置で結んだ髪の毛を解いて、ガシガシと後頭部を掻く。長い金髪がパラパラと肩から滑り落ちた。
優し気な風貌がどこか怜悧なものに変わる。
「ただ彼の目的は君の安全を確認することと、お互いの情報を照らし合わせることだったから、殺されずに済んだし、彼も目的を果たしておとなしく帰ってくれたってわけ」
「ど、どういうこと?目的って?」
意味が分からず混乱する私に、ユリウスはすっと真剣な表情をする。
柱時計がボーンと重たい鐘の音を鳴らして、部屋に差し込む夕日は色の濃さを増していく。まるで部屋の中は燃えているように赤かった。
「すぐに答えてあげるべきなんだろうけれど、まずは僕の罪を告白しようか」
そう言った彼は、そのときはじめて本当に申し訳なさそうな顔をした。
「前提として僕はカペル侯爵の仲間ではない。いや、まぁ、表面上は彼に従ってはいるが、僕の目的は侯爵の罪をつまびらかにすることだった」
「それって……」
「そうだね。そこにいるヘルガが僕の命で、君たちのもとで働いていたように、僕もまたスパイなんだ。ただし僕は誰に指図されるでもなく、自分の意志でそうしている」
「なぜ、そんなことを」
正直あまり頭のよくない私はすっかり混乱してしまって、なぜだとかどうしてと聞き返すことくらいしかできなかった。
「カペル侯爵家は長い間、横暴の限りを尽くしていた。自分たちの利益のために他の人間を利用して、邪魔になったら違法な裁判で追放、もしくは死刑にしてきた。そして侯爵の力に群がる汚い貴族共も腐るほどいる。その中の一人が、僕の父だった」
魔王が父の裁判を調べた時に、カペル侯爵に関係する不審な裁判の記録をいくつか見つけたと言っていた気がする。裁判官を自分の息のかかった者と交代させて、相手が裁判の結果を覆す暇を与えることなく刑を確定させている、と。
ユリウスは立ちあがり、壁に掛けてあった地図を眺めた。
「僕はこの国を変えたい。隣国とのくだらない小競り合いを続け、大して期待もしていない勇者を魔王のもとへ送り出し、惰性で王家が支配するこの国の在り方を変えたい。そうでなければ早晩、この国は隣国ともども他の大国に飲み込まれる定めだろう。それこそ魔王が攻めてきて、一夜にして消滅したって本当はおかしくない。誰かが危機感をもってやらねばならないと思った。だから僕はカペル侯爵に近づいた。幸い彼に気に入られることはわかっていたから、上手く立ち回って、機嫌を取るだけで良かったんだ」
「大した自信ね」
皮肉に対して、ユリウスはははっと乾いた声をあげる。
「僕は彼の特別なんだよ。まぁ、とにかくそうして僕はただの伯爵の息子という以上の地位を得た。力を得た。将来有望な青年貴族として人望を集め、少しずつ仲間を増やし、地盤を整え次に僕たちが目指したことは、この国にとって害悪でしかない公爵を追い落として勢力図を塗り替えることだった」
ユリウスはトントンと地図のカペル公爵領を指で叩いた。
公爵領は王都からずっと東にあり、やや辺鄙なところにある。しかし王が直接統治している領地よりも大きく、その力を誇っているように見えた。
「侯爵の悪事は数えればきりがないが、君の父上が死ぬ原因になったのは、砦への物資輸送の組織的な横領事件だ」
「組織的な横領ってことは、砦への物資を侯爵だけではなく何人もの貴族たちが横領していたと?」
ユリウスはゆるゆると首を振った。
「何人、だなんてかわいいものじゃない。かなり大きな組織だよ」
その言葉を聞いた瞬間、嫌な考えが脳裏に閃いた。
私の父は、砦に送る麦の管理をしていた。
「まさか……」
青ざめた私に、ユリウスは慌てたように付け加えた。
「安心して。君の父上の潔白は保証する。……だが、だからこそ、侯爵たちは子爵を生贄に選んだ」
もうすでに剥奪された父の爵位をユリウスが口にしたことが少し驚きだった。
私はユリウスが父を陥れて、私たち家族の不幸を招いたと信じていた。
けれどそれは違うのだと彼は言う。
そして昨夜魔王と話し合ったのだとも。
ユリウスは私が思うような人間ではないということだろうか?でも彼はさっき、自分は少なくとも悪党だと言ったのだ。
あれは私の反発を招かないように適当に言った言葉だったのか。
魔王はユリウスと何を語り合って、私をここに置き去りにしたのか。
もし彼がわざと私を助けなかったのだとしたら、それはつまりここが安全だと、彼は判断したということなのか。
ぐるぐるする思考は父のこと、魔王のこと、ユリウスのことをめぐって堂々巡りを繰り返していた。
とはいっても自分の頭では真実などたどり着けそうもなくて、ひとまず父の話の続きを聞くことにした。
でもすべてをうのみにしてはいけない。
騙されてはいけない。
「父は横領に関わっていなかったのに、どうして生贄になんて」
「横領は続いていたが、それでも大きな事件はなく小狡い奴らが満足するだけで上手く収まっていたんだ。それが狂い始めたのが、王女の婚約者だった公爵がこの組織的な横領に自分もかませろと言い始めたことが原因だった。将来王女の夫となり、この国の中枢を担っていく自分に逆らえば横領を公表すると無謀にも侯爵を脅した。もちろん元締めとして利益を享受していた侯爵がその要求を快く思うわけがない。もともと邪魔くさかった奴が、本格的に邪魔になっただけ。そしてカペル侯爵は公爵を殺すことにした。砦へ視察に行くことを逆手にとって、絶対に自分が疑われないように私兵に敵国の兵士の鎧を着せ、横領の証拠ももみ消そうとした。そしてその主犯に生贄として、君の父上が選ばれた」
「だから、それはどうして!」
なかなか核心に触れないユリウスにいらだって、つい声を荒げてしまう。
ユリウスはふうと小さく息を吐いて、目を伏せた。
そしてついに私たち家族が転落した原因を、平淡な声で冷酷に告げる。
「……その娘が、アウレリアが僕の婚約者だったからだよ」
長くなりそうなので、いったんここまで。なんだかすわりは悪いですが、次回は来週金曜21時に。