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なな


ユリウスが連れてきた女性は、線の細い、儚げな美少女だった。肩なんかぶつかったらそこから割れて壊れてしまいそうだ。

だから彼女がわき目も降らずに魔王へ駆け寄り、その胸に飛び込んだ時は心底驚いた。

「リーンハルト!」

涙の粒がキラキラと宙を舞う。

まるでお芝居でも見ているような心地で、私は瞬きを繰り返すばかりであった。

美少女に泣きながら抱き着かれる勇者の図である。

いや中身は魔王なんだけれども。

抱き着かれた当の魔王はどうしたらいいのかわからないらしく、見事に固まってしまっていた。

中途半端に広がった手が行き場を探してうろうろしている。

「私ずっと待っていたのよ。それなのにあなたは本当になにもかも忘れてしまったというの?」

忘れたというか、中身は別人なんだが。

そんな魔王の心の声が聞こえてきそうだ。現に困り果てて、私に助けてくれと視線をよこしてくる。

「申し訳ありません。勇者様は魔王の呪いで記憶を失ってしまっているのです」

代わりに私が答えると、彼女は涙を湛えた瞳でキッとにらみつけてくる。

にらまれても、そういう設定だからどうしようもない。

それとも体は勇者ですけど、中身は魔王なんですよとでもいえばよかったのだろうか。それこそ質の悪い冗談としか受け取ってもらえないだろう。

私は彼女自身ではなく、彼女を連れてきたユリウスに事情を問い詰めることにした。

「これは一体どういうことですか?知らせも出さずに訪問するなんて失礼ですよ」

「彼女がどうしても行くと言ってきかなくてね」

魔王から父の事件に関する疑惑と、推察を聞いた今となっては、ユリウスの困ったような苦笑いもわざとらしいものに見えてしまう。

「どういうことでしょう?あの方はどなたです?」

心なしか問い詰める声も険しくなっていた。

ユリウスは相変わらず困ったように微笑みばかり。

「彼女はリーゼ。勇者殿と同郷の者で、勇者殿の恋人だ」

「恋人……」

わずかばかりのショックを受けて、視線を魔王とリーゼに戻すと、自分に抱き着いたままおいおい泣くリーゼに魔王は心底うんざりした顔をしている。

なんてことだ。

生き別れた恋人の感動の瞬間だというのに、リーゼが抱き着いているのは彼女の恋人を殺した魔王なのだ。

頭が痛くなってきて、こめかみを指でさすってみたがこの状況を解決しない限り、頭痛は治りそうもない。

「とにかくどこか、落ち着いて話ができる場所にご案内します」


普通なら応接間に案内するところなのだが、リーゼが勇者と二人っきりで話したいというので中庭に案内することにした。

部屋に二人だけにしてもよかったのだが、リーゼの身の安全の保障ができないし、魔王のことだって心配だった。中庭なら話が聞こえないところから二人の様子をうかがうことができるし、助けを求められればすぐに対応できる。

私としてもユリウスと狭い部屋で顔を突き合わせるのは嫌だったので、せめて広い空間で彼と対峙できるのはありがたかった。

魔王とリーゼは庭の中でもひときわ大きい樹の木陰で、話すことにしたようだった。

時々風に乗って言葉の断片が聞こえてくるが、内容まではわからない。

待ってた。

どうして。

リーンハルト。

切れ切れに聞こえてくるリーゼの声は切なさと不安に揺れていた。

私は庭に運び出したテーブルに紅茶の用意をして、ユリウスにどうぞと勧める。

彼は何食わぬ顔でそこに座り、私が持ってきた紅茶をじっと見つめた。

彼の低い位置で結って肩に流した髪が風にさらさらとなびいている。

この男が私の両親と兄を死に追いやったのだ。

もっと腸が煮えくり返るような怒りを感じるのだと思っていた。

けれど実際ユリウスを前にして、私の心はむしろ冷え冷えとしていた。

もちろん怒りがないわけではない。許されるなら頬を引っ叩いて、まともな墓すら作ってあげられなかった私の家族へ地べたに這いつくばらせて謝罪させてやりたい。

確固たる証拠があったのなら、今すぐにでもそうしただろう。

だが残念なことに証拠はない。

だから私は冷静でいられた。

この男と顔を合わせるのは心底嫌だが、もしかしたらヒントを得られるかもしれない。

なぜなら魔王の考えが正しければ、ユリウスは私たちが自分たちを破滅させうる証拠を探しているのではと疑っているのだから。

「君はいま幸せなのかい?」

私が考えを巡らせていると、唐突にユリウスがそんなことを尋ねてきた。

「それはどういう意味でしょう?」

「貴族の娘だった君には、いまの生活は辛いんじゃないかと思って」

馬鹿にしないでよと怒鳴りつけてやろうかと思ったがやめた。

挑発でもしているつもりなのだろうか。

それとも本心からそう思って言っているのなら、おせっかいもいいところだ。まぁ本心からそんなことを言うくらいなら、いつかの昔に彼は私のことを助けてくれたはずだ。

だとすればこれは私がまだ自分になびくと思って言っているのかもしれない。

そのお綺麗な顔で優しい言葉を吐けば、すぐに私がメロメロになると思っているのだろう。

現に昔の私はそうだったのだから。

思い出すといたたまれなくて仕方なくなるので、さてと思考を切り替える。


私は、ここでどう反応すべきなのだろう。

敵対心をむき出しにして、全面抗争に突き進むのはなんとなく浅はかな考えのような気がする。

かといって何も知らないふりができるだろうか。

もうすでに私は彼に対して随分冷たい物言いをしてしまっている。

魔王は滔々と語りかけてくるリーゼとは見当違いの方向を眺めながら、時々こちらを観察しているようだった。

心配してくれているのかしら。

一瞬そんなのんきな考えが浮かんで、嬉しくなってしまって、どうして私ってこうなんだろうとちょっと自分が情けなくなる。

でも少しだけいい意味で肩の力が抜けた気がする。

どうせ私はあまり頭はよくないのだ。無理して何か聞き出そうとすれば、逆に不審がられるかもしれない。

「いまの生活がつらいかと聞かれれば、仕事は大変ですし、風当たりがつらいと感じることもあります」

けれど奴隷になる前、一番お金がなかったころに比べれば、毎日寝るところもあるし、食事だって三食取れる。今朝なんかはすごく豪華だったんだから。

それに魔王の世話ができるのは私だけなのだ。

なんて責任重大な仕事なのだろう。

そんなことを内心で思っているのなど知るはずもないユリウスは、そうかと悲しそうにその長いまつげを伏せる。

「では考えは変わっただろうか」

「考え?」

「僕のところへ来て、身分を回復する話だよ」

そういえばそんな話もあったっけ。

「ユリウス様はどうしてそこまで私を気にかけてくださるのですか?」

「……君の父君を告発したことを後悔はしていない。けれど私には、元婚約者として、告発したものとして、君に責任があると思ったんだ」

依然とたいして変わらない返事だった。

「ユリウス様はあの後、王女様の婚約者候補の筆頭になられたそうですね」

ユリウスの笑みが少し崩れた。

口元に苦々しい影が生まれる。

「周りが勝手に言っていたことだ。それに今は勇者殿が王女殿下の婚約者だ」

すぐにもとの穏やかな笑みを取り戻し、ユリウスは何食わぬ顔でそう言う。

「まだ決まっていないと聞きました」

「ほとんど決まったようなものだよ」

「ならどうしてリーゼさんを連れてきたのですか?」

カップとソーサーが触れて、カチャンと硬質な音を立てる。

ユリウスは魔王たちのほうを向いたまま、目だけで私を見る。

「誤解しないでほしい。彼女は教会で働いていてね、勇者に会いたいけれどどうしたらいいかわからないと神父に相談していたんだ。その神父がたまたま知り合いだったんで、僕のところに紹介されて来たんだ」

「それで乞われるまま連れてきたと」

「だってかわいそうだろう?彼女は勇者が帰ってきて、結婚する日をずっと待っていたんだからね。だというのに勇者が忘れたの一言で済ますなんて、あまりにひどい話じゃないか」

どこかよそよそしい言葉だった。


「私も、あなたと結婚する日を夢見ていました」

気が付けばそう口走っていた。

自分が何を言いたいのかもよくわからないまま、口が勝手に言葉を紡いでいく。

「だというのにあなたは父を告発した。私の家がどうなるかわかっていたはずです。それはひどい話ではないのですか?」

ユリウスはきっとまた笑顔ではぐらかすのだろうと思った。

けれど彼はぐっと顎を引きしめて、私を射抜くように見つめてくる。

「僕のやっていることはこの国のためなんだ」

彼とは長い付き合いだというのに、初めて見る顔だった。

いくら批判されようとも、自分の道は正しいのだと信じ切っているような眼だ。

私はてっきりユリウスは我欲のために私たちを利用した卑劣な男だと思っていた。だから彼がこんな顔をするなんて予想外で、圧倒されてしまって、何も言えなくなってしまった。

やっぱり魔王の言っていたことはすべて推測に過ぎなくて、父は本当に罪人だったのかもしれない。

そんな考えが再び湧き上がってくる。

じわじわと冷や汗が噴出してくる。

足元がぐらぐらと揺れている気がした。

……ダメだ。

このまま引き下がっては、いままでと何も変わらないじゃないか!

答えの出ないマイナス思考に陥りかける自分を叱咤する。

そうよ。

ユリウスはいつだって自信に満ちていて、優雅にほほ笑んでいた。

でもそれはきっと彼が本当に正しいことしかしない人間だからなのではなく、そうやって本当の自分を隠していただけなのかもしれない。

私はついぞ気が付くことができなかったけれど、彼は私にきっとたくさんの嘘をついていた。そうでなければ、父を告発することを最後まで黙っていられたわけがない。

私はもうこの男に振り回されたりなんかしない。


「枕元に父が立って言うんです。早く見つけてくれって」

俯いたまま、わざと聞き取りづらいようにぽそぽそと言う。

私は注意深くユリウスの様子をうかがっていた。

「早く見つけてくれって何度も繰り返すんです。でも私、何のことかさっぱりわからなくて……」

ユリウスの目じりが引きつったようにわずかに痙攣したような気がした。

本当かと聞かれても、自信はないのだけれども。

「きっと首のことだろう。君の父君は首を落とされた。首を落とされた罪人が自分の首を探して刑場をさまよっているという噂を聞いたことがある」

なんだかもっともらしいようで、変な返事だった。

お前の父親は罪人として死んだのだと、わざわざ突きつけるような言い方だ。

もう少し畳みかけてみようか。

そう思って口を開きかけた時だった。


「きゃあ!」

絹を裂くような悲鳴が上がった。

リーゼが頭を抱えて、うずくまっている。

私は慌てて彼女のもとへ駆け寄った。

魔王が何かするとは到底思えなかったが、絶対の自信があるわけでもなかったのだ。

「どうしました!?」

うずくまったリーゼを面倒くさそうに見下ろしながら、魔王はなぜか左手の上に右手をかぶせるようにしている。

「たいしたことじゃない。蜂が飛んできただけだ」

彼が手を開くと、中にはぱっきりとした黄色と黒の蜂が羽を休めていた。

「ほら、さっさとここから離れろ」

魔王がそっと息を吹きかけると、蜂は言葉が分かっているかのように飛び立ち、薄青い空に消えていった。

「手を刺されたりはしませんでしたか?」

「さぁ」

勇者の体に入っているせいかよくわかっていない様子の魔王に代わって、急いで手のひらを確認すると赤い点のようなものが見える。

「刺されてるじゃないですか!」

私が大声を出すと、魔王の死んだ目がなぜか生き返る。

「大変だ。蜂に刺されてしまったようだ。すまないが、今日はお引き取り願えないだろうか」

そんなにリーゼと話すのが嫌だったのか、魔王はそそくさと彼女を残して屋敷に戻ってしまった。

屋敷の主人にそう言われてしまっては仕方ないと、ユリウスもリーゼを連れて帰ることになる。

玄関へ見送りに行くと、彼はなぜか勇者殿に伝えてくださいと前置きしてこう言った。

「リーゼさんはしばらく僕の屋敷に留まる予定ですので」


「人質でも取ったつもりなんだろう」

ユリウスの伝言を告げると、魔王ははんと鼻で笑い飛ばした。

その手にはもう蜂に刺された跡などどこにもない。

蜂に刺されたところはどうしたのだと尋ねると、治したと短い返事が返ってきた。

「人質ってリーゼさんが?」

「勇者が恋人を見捨てるのか?と暗に脅しているともいえるな。残念なことに俺にとってはどうでもいい話だ」

「……でもリーゼさんは本当に勇者様の恋人だったんですよね」

「そうだろうな」

魔王の返事はそっけない。

きっと自分には関係のないことだと思っているのだろう。

けれど。

「けれど、勇者様を殺したのは魔王様です……」

残酷だと思った。

勇者は魔王を倒しに行った。だから魔王は勇者を殺した。

そしてその体を使って人間の世界にやってきた。

魔王にとっては勇者の命など塵芥みたいなものなのかもしれない。

だけど勇者には彼の帰りを信じて待つ恋人がいた。

事情を知らないリーゼからすれば、たまったものじゃなかっただろう。

せっかく恋人が生きて帰ってきたというのに記憶を失って、王女と婚約するかもしれないなんてことになっているのだ。

彼女はきっと勇者が本当に記憶を失ってしまったのか、それとも都合のいい理由で自分を捨てようとしているのではないか、そんな不安でいっぱいだったはずだ。

そしてそんな事態を招いてしまった原因は私にもあった。

私は私が生き延びるために、魔王の人間の暮らしをみたいという希望をかなえようとした。

その結果、王女の婚約や、父の事件に関する疑惑、そしてリーゼを傷つけることにつながるなんて思いもしなかったのだ。

なんだか自分が現在進行形でとんでもないことをしでかしていると、いまさらながら責任を感じてしまう。


魔王はぼんやりと蜂に刺されたはずの手のひらを握ったり開いたりしていた。

そして反省したように、そうだなと小さい声でつぶやいた。

彼はなにか思うところがあったのか、そのまま考え事に没頭してしまう。

その横顔を見ていると、魔王はとても素直で、もしかしたらいい人なのかもとなんて性懲りもなく思ってしまうのだ。

だから私は、この先また彼が残酷なことをしたとしても、たぶん彼のことを嫌いになれないのだろう。

いや、認めるべきなのかもしれない。

彼は案外素直で、好奇心の塊で、だけど私たち人間とは相いれない世界に生きている恐ろしい怪物だ。

だけど私は、明日どうなるかもわからなかった私を拾ってくれて、私のために父の事件を調べようとしてくれて、家族も友人も失った私のことを唯一心配してくれる魔王のことが、好きなのだ。

これがどういった種類の好きなのかはまだ判然としないのだけれど、この国と恋人を失ったリーゼの涙に背を向けられるくらいには、彼のことが好きなのだ。



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