テスト前の緊迫が押し寄せる波のように
教科書を開き、ノートをそばに置いて、授業のポイントをマーキングして頭に叩き込む。テスト勉強は地味だ。出てくるところが事前にわかるので、模擬テストのような広範囲から出題されるものではない。だから、勉強自体としてはやりやすいが、頭の中の知識を試されるような快感はない。
コスメも、買いたいウェアも頭の隅に片づけて、ひたすら要点を記憶し、引き出すマシーンと化す。副委員長である自分には、過去になかった体面がのしかかってきている。学級委員たるもの、成績が下では目も当てられないと思う。せめて中の上を目指さないと、申し開きが立たない。時計に目をやる。ピンク色の時を知らせる機械は意地悪で、中々針を進めてくれない。秒針の音が耳から消えて、教科書の文字が音声付きで脳裏で躍る。
ふと、緑川は、どのぐらいの頭の良さなのか、気にかかる。部活もやり委員長もこなすのでは、時間が足りなくなることはないんだろうか。まりんも、競技かるた部に顔を出しているが、比較にはならない。緑川は乗馬をしたり、殺陣を習ったりもしているらしい。果たして寝ている時間はあるのだろうか。
自分の想い人の、頭が良くなかったら残念な気分になるかもしれない。忙しいのは言い訳になるだろうけど、それでも、平均以上はキープしてもらいたいと考えていた。その雑念を振りほどいて、勉強に戻る。片思いで火照った頭を、試験準備は程よくクールダウンしてくれる。時折家がきしんでラップ音が鳴るけれど、恐怖心などはなく、静寂の中に吸い込まれていく。やがてフロー状態に入って、自分が有能になったような気がする。
試験前は、教室内の空気が少し変わる。日を重ねるごとに、プレッシャーが増し、無駄口を叩く人が減ってくる。日差しを遮るカーテンが、風にはためく。その慌ただしい音に刺激されたのか、いけ好かない男子が、自分の不安を解消するために、からかいに来た。髪をうっすらと染めていて、テストを諦めて、日々を自堕落にすごしているような男で、要するにチャラいだけの存在なのだが、ニヤニヤ笑いながら近づいてきた。面白そうな玩具を見つけた子供のように。
「いいよな。まりんお嬢様は、生霊を飛ばしてカンニングし放題でさぁ」
ちょっとムカつく。テスト中は頭がさえていて、感情が揺り動かされることがないので、ほぼ生霊は出ない。それに、仮に他人の答案用紙を見たとしても、その答えを当てにはしていない。まりんは自分の頭に記憶されている答えを書くのみだ。
「クラス委員が成績下だったら、格好がつかないよなぁ」
相手は、まりんが無反応だと知ると、かさにかかって畳みかけてきた。みのりの、やめなさいよという声が響くが、意に介さない。無視するに限ると思い、相手を軽蔑した目つきで睨んで、口はへの字に固める。強い意志で敵を拒絶した。
「因縁つけてる暇があったら、試験準備でもしたらどうだ」
意外な声が、まりんの耳に届いた。声が裏返って甲高くて格好が悪いけど、意を決して発言したことは、わかる。
「なんだよ自閉症のくせに」
そのセリフで、声の主が分かった。溝手だった。前にまりんの髪形をくさしていた男子だ。ふーん、意外と男気はあるみたいねとまりんは思った。溝手のくせ毛が風に揺れて、彼の顔に影を差した。
「その言葉でお前の程度が分かる」
ちょっとヒョロヒョロした声で格好は悪いが、言ってることに間違はない。件の男子は、溝手を睨むが、溝手は平然としていた。気圧されたのか、相手は舌打ちを数回すると教室外に出た。
「助けてくれてありがとう」
まりんは、溝手の前に行き、軽く頭を下げて礼をした。
溝手は「どういたしまして」というと自分の席に戻った。
「割と正義感あるじゃん」みのりが感心したようにつぶやく。
「今まではちょっと不思議な人だとおもっていたけど」まりんも正直に感想を述べた。
緑川が教室の中に入って来た。今まで席を外していたんだろう。贅沢かも知れないが、助けてくれるのは溝手よりも緑川の方が良かったと、頭の中でシーンを再構築して反芻した。溝手はまりんの中では少し株が上がったが、未だにちょっと不思議な奴扱いで、正義の若武者=緑川には遠く及ばなかった。
まりんたちの学校生活は、来るべきテスト期間に向けて時間が重みを増し始める。クラス委員の活動をこなしながら、頭に知識を詰め込み、息抜きと称しては、近くの喫茶店で教科書片手にスイーツを口にする。同級生は、どの位置に属するのだろうか。半ばマラソンの順位を予測するかのように、クラスメイトの学力付けの階層を、あれこれ想像するのが楽しかった。
そしてテストが終わった後の楽しみ、緑川の部の小公演が、校庭で開かれる。果たして彼は、どんな変化を魅せてくれるのか、楽しさと厳しさがグラデーションを作り、心の中はカオスな期待感でいっぱいになった。