委員決めの日
放課後が終わり、みのりは競技かるた部へ顔を出す。まりんは、部員でもないがついていく。
部室内では、数名の部員が素振りをしていた。まりんが来ると、全員姿勢を改めた。漫画のおかげで全国的にカルタブームなのだが、ここ念努高校では、日の当たらない部になっていた。
「漫画の華やかさにつられて入部するんだけど、地味だから脱落するんだ」
みのりは寂しそうに笑う。二年生がみのりを含めて三人、三年生が二人、部員としてもギリギリの人数だ。まりんはここで読手を買って出ている。彼女の声は、高音で良く通るので、みのりが拝み倒して、カフェでのスイーツ週一でやっとOKを出した。
二人向かい合って、百人一首の札を取る。ときたまに同時に払われて、札がはるか先まで飛んでいく、一瞬の瞬発力は、のんびり屋のまりんには真似できない。
長時間の正座は足に、感覚の麻痺をもたらす。休憩時間、部員は足を延ばしたり、さすったりして痺れと闘っているが、まりんはなぜか平気である。彼女は、小学生のころから書道を習っていたので、正座は生活の一部だった。
部活が終わり、部員がまりんに礼を言う。部員は礼儀正しく、きびきびしている。ベッドメイクのアルバイトをさせたら、よく働きそうなイメージがある。まりんは正座こそできるが、てきぱきとした動きはどちらかというと苦手なタイプで、家に帰るとソファーが親友という生活態度だった。
帰り道、通学バスに乗り、みのりとおしゃべり、新しいクラスの印象と、今日の出来事を振り返る。まりんがトラブった相手の名前は、溝手右京だと教えてもらった。
「頭はいいけど、変人みたいね。あまり関わらない方がいいかもね」
「決めつけるのは悪いけど、今日のあの態度はむかついたわ」
今日名前を知ったのが、変な奴一人とは残念なスタートだった。時間がたてば、もっといい出会いもあるだろうとまりんは今後に期待した。
*
その溝手だが、自転車で一時間かけて帰宅していた。どちらかというと反射神経が鈍く、運動音痴気味な溝手だったが、自転車に乗ることだけは苦にはならないようであった。歩行者に気を付けながらも、人のいない所では最速のスピードを目指す。唯一の自主トレがこの自転車通学だった。
自宅に戻り、母親を探す。暖色系のブラウスにベージュのクロップドパンツを着ていた母は、化学繊維のモップでほこりを払っている。溝手は私服に着替えながら、母に尋ねてみた。ストライプのシャツにデニムを着て、腕を組んで立ちはだかる。
「母さん、俺の表情っていつも怒っている?」
「ええ、そうよ。たまには笑顔にしなさい」
「そうかな、わからないや」
溝手は自室に戻り、科目の予習を始める。タイマーをセットして、アラームが鳴ると、鏡を出して自分の顔を見た。眉は上がり、目は半分閉じられてしかめられて、口は弓のように曲がっていた。自分の怒り顔を見て彼は驚いた。
「こんな顔でいままで暮らしていたのか」
その後必死に、笑顔の練習をしたが、なかなかうまく動いてくれない。特に目を笑わせるのが難しかった。顔の筋肉の動かし方の習得は、途中で切り上げ、得意な勉学へ頭を切り替えた。
*
クラスの各係を決めることになり、委員長を選ぶことになった。この場合、たいていは立候補者がおらず推薦で決まることが多い。一年の時に同じクラスにいた男子には、頼りになりそうな顔ぶれはおらず、推薦は他の誰かに任せようと誰もが考えていた。
「クラス委員に立候補します」
斜め後ろの方から、重みのある大人びた声が響く、振り返ってみると、長身の男性が背筋を伸ばして立ち上がっていた。時代は違うのだが、若武者の雰囲気を漂わせている、不思議な魅力の男性だった。
ふいにまりんは肩を叩かれた。また生霊が飛んでしまったようだ。クラスに笑いが巻き起こる。まりんは首筋まで真っ赤になって、生霊を戻した。
「またやってしまった。ちー」
空気が落ち着いたころ、担任の野島がいぶかしげに、男子生徒の方をながめて口を開く。
「緑川、部活もあるけど大丈夫なのか」
「大丈夫です」
彼が話すと、教室内の空気が引き締まった。僧侶が学級に乱入して説法を始めたような緊張感が、クラス全体にいきわたった。まりんは、彼の居場所から薫風が流れてくるような錯覚を覚えた。
「高津、副委員長をやってみないか」
野島からの急なお誘いである。この場合は有無を言わさず受けることになる。まりんは覚悟を決めた。
「謹んでお受けいたします」
二人そろって、黒板の中央に立ち、クラス全員の顔を見渡す。果たしてこれだけの人をまとめることができるのか、まりんは表情が硬い。もう一人の緑川と呼ばれた男性は堂々としていた。
「緑川和馬です」
「高津まりんといいます」
顔見世を終え、それぞれの席に戻る二人。以後、つつがなく各委員は決まっていった。