市来来襲、挑戦状を手に
インターネットで古いゲームの攻略ページを探す。キーボードの鳴る声が、仕事を遂行してる気分をアゲアゲにしてくれる。歴史ゲームファンは、自分のサイトに資料的価値を見出してることが多く、まだ続いているサイトが多いのに、まりんは驚いていた。
その中から有名な歴史イベントを探す。『奥羽の鬼姫』『三本の矢』『凡将の隠居』『清洲会議』など有名な歴史的事件が網羅されていた。動画サイトでイベントの一部始終を知る。
「知識で負けるなら近道を選ぶだけよ」そういうと、まりんは一冊の書物を取り出した。分厚い百科事典ぐらいあるそれは、戦国自体の歴史的事件を、新聞記事のようにまとめたものである。この重い書物を、まりんは自転車の荷台に括り付けて持ち帰った。坂道ではペダルが鉛を入れたように重くなった。三半規管が壊れた鶴のように、ハンドルが左右に揺れる。苦労の末に持ち帰ったバイブル、これが救いへの道筋となるだろう。
読み進めていくうちに、使えそうなイベントが整理されて頭にはいっていく、『友情の茶会』これは、使えない。『厳島の戦い』舞台的に不向き、『墨俣の一夜城』秀吉役は緑川さんにはどうかな。頭の中で取捨選択をしていく。集中力はいい、気温のうざさを一陣の風で吹き飛ばすように忘れさせてくれる。目覚まし時計のベルが鳴った。まりんは椅子から離れて、簡単なストレッチを十分程度やり、凝り固まった筋肉をほぐす。関節がリズミカルに鳴って気分がいい。
次は溝手君の実態調査。用意してた書籍を開く。ADHDと比べてASDは障害の全体像が掴みづらく、説明も難解なものが多い。一般人は常識を本質的に把握してるが、その常識が日本人の観念からかけ離れているとしたら。援助者は、何も描かれていない白地図を片手に彼我の差について探る作業をすることになる。一人一人個性が違うように、障害の度合いも違う模様を彩っている。インクをつけて折り曲げた紙のシミがひとつひとつ違うように、自閉症スペクトラムの困り具合や障害の程度は幾千もの幅があり、パターン認識できるような楽なものではないということがわかった。
結局、溝手君と親しい人たちに彼の特徴について尋ねなきゃならない。本人に直接訪ねてもいいが、彼は皆に心を開いてくれるだろうか。まりんは、ここ数日の溝手との確執を考えると、頭の梁に思い鈍痛を感じた。クラスの男子に、それとなく溝手君が誰と親しくしてるか訊いてみようと思った。おそらく彼は、競技かるた部の部員とは、例の一件で馴染めていないはずだから。
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朝の教室はいつもの様に騒がしく、空気が波立った水面を思わせ、活きのいい小魚がそれぞれの泳ぎ方で水面に飛び込んでくる。元気がいいのか、何かいいことがあったのか朱理は同級生とハイタッチをして入室してきた。そうだ、今日は緑川が医師の診察を終えて結果報告にやってくる日。まりんの心も空気を入れなおしたボールのように弾む。
山の頂上で感じるような、澄んだそれでいて緊張感を含んだ空気に教室が包まれた。教師の野島の後ろについて来た緑川は、いつものオーラに抱かれて、皆の前で挨拶をする。
「いままで、ご心配をおかけして申し訳ございませんでした。診察の結果、完全回復しました」
遠くから列車の音が響いてくるような、小さな拍手の音が大きくなって彼を取り囲んだ。鳩の羽ばたきにも似た音は祝福の楽曲と化して鳴りをひそめなかった。
とそこでノックの音がして、教室の戸が開き、小柄な金髪ツインテールの女生徒が、端正な足取りで近づいてきた。手にはバラの花束を持って。写経に朱筆を入れたような鮮やかさが、生徒の目をくぎ付けにする。
「緑川さん、ご回復おめでとうございます」
他校生の市来希沙の突然の訪問だった。彼女は平然と生徒の方を向くと、「ヒュッテマリア女学院の市来希沙です」と挨拶をして、深々と小さな頭を下げる。そしてすぐに「本日は、学院を代表して、念努高校へ表敬訪問に参りました」と述べた後、再度お辞儀をする。
朱理から「誰なのあいつ」とひそひそ声で話されたが、まりんはあっけに取られてすぐに返事が出来なかった。教師の野島は、咳払いをした後、「わざわざおいで頂きありがとうございます。説明はあとで、私の方から行います」と告げた。
「ありがとうございます。いい返事をお待ちいたしております」市来は、教師に礼をしたあと、また教室の方を向き直って「それでは皆様ごきげんよう」と声をはずませて帰って行った。
「実は、話を持ち込まれて、まだ検討していないんだが。彼女の方から『文化部の対抗戦を行わないか』との打診を受けた」
クラス内が驚きの声に包まれる。まりんは、市来からの挑戦状だと薄々感じていた。身体の中から厚いものがこみあげて胸に這い上がって来た。心は決まっていた。




