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溝手君トイレにこもる

 初夏の日差しが夏を羽織り、日増しに強まる太陽光線が存在感を増しつつある中、まりんたちは、みのりの競技かるた高校大会の予選を応援していた。結局、溝手右京は何故か読唇術のマスターを頑なに断り、大した実績も残せぬまま、補欠の地位に甘んじていた。


 みのりたちの部は、善戦空しく予選で敗退し、大会出場はならなかった。部員たちは、何かあるごとに溝手の非協力的な態度に文句をつけた。


「走らないサラブレッドは駄馬より劣るんだよな」

 二年生が彼に対して吐き捨てるように語ったセリフ。カチンときた右京は、二年生に頭から突っ込んでいった。

 他の部員たちが分け入って二人を止め、クールダウンさせるために双方を引き離した。そのすきに溝手は教室を出てトイレにこもってしまった。リノリウムの床を蹴る足音が哀しく廊下に響く。後を追うものは誰もいなかった。一人きりの寂しい反抗。


「困ったわね。あれじゃあ高校生じゃなくてただの子供じゃない」

 顔をしかめて溝手の行動に眉を顰めるみのり、まりんは、男子トイレの中に入り込むと、個室のドアを拳で叩いた。乾いたノック音と、ドアのきしむ音がトイレ内にこだました。


 個室内は静かだった。時折り溝手の荒い息が、静寂の空気をかき乱す。彼は何を考えて個室にこもっているのだろうか。まりんはもう一度、ドアをノックした。やがて、拳が痛くなったので、小休止して、鏡の前で自分を見ていた。少し表情が険しかった。溝手に対する疑問が目の周りに張り付いて、持て余した感情を浮き彫りにしていた。


 足音が聞こえる。空間を引き締めてクールに塗りなおすような、軽快でいてどことなく存在感のあふれるリズム。緑川の足が床を敲いている。ワイヤーを抜いた手術の後、調子はすっかりいいようだった。

「おや、何かありましたか」

「溝手君が個室にこもって出てこないの」

 彼ならなんとかしてくれるはず、まりんはありったけの期待感を緑川にぶつけて様子を見た。が、意に反して彼は、トイレから出てきてしまった。


「何もしないの」

「どうやら彼はパニックになってしまっているようです。しばらく一人で大人しくさせましょう。クールダウンしたら一人で出てきます」

「パニックって何」

「アスペルガー症候群の症状で、極度の興奮状態になると自分がコントロールできなくなるのです。今はそっとしておきましょう」


 緑川は溝手を個室に残して、部室へと向かった。まりんはキツネにつままれたように、眼を中空にさまよわせたまま、緑川の後をついていき廊下でわかれて部室へと向かった。


「なぜ、溝手君は読唇術を嫌がったのかしら」一年生の女生徒が口を開いた。

「そりゃ怠け者だからだろ」忌々しそうに二年生が答えた。

「あれだけ勉強して学年上位に行く人が?」今度は彼の事情を知るみのりが口を挟む。


「そんなに凄いのですか」先ほどの一年生が改めて問いただした。

「だって溝手君は三日か二日ぐらいで百人一首をすべて覚えたのよ」まりんも援護射撃をした。

「うーん。謎だな。一度本人に聞いてみようか」二年生が先ほどとはうって変わって感想を述べた。


 やがて重く引きずるような足音がして溝手君がもどってきた。すこし表情がくぐもっていた。

「みなさん、すみませんでした」彼は頭を深々と下げて周囲にお辞儀をした。


「ちょっと不思議に思ったんだけど、なぜ読唇術を拒んだのでしょうか」部長のみのりが相手を追い詰めないように柔らかい口調で問いかけた。


「これは昔からなんですが、他人から進められたことは受け付けないことがたまにあります。それはどうしようもできない。興味のない事はてこでもやれないのです」

溝手はすまなそうに口を開いて、思いのたけをぶつけ始めた。遠慮がちに訥々と、彼の吐く息で、ギスギスした空気がやわらかく解けていくようだった。


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