発達障害の勉強会
競技かるたの高校大会の予選を控えたある日、まりんはみのりの家で、発達障害の勉強会を開いている。夏の日差しは日を追うごとに強くなり、肌のぬくもりは外気に引っ張り上げられていく、まるで上手な講師がレッスンを続けるように。直射日光が風や空気の温度上昇に一役買って出た。
薄いレースのカーテンに遮られた室内。網戸越しの涼風がすっとする冷たさを部屋に注ぐ。テーブルの上には、透明な飲料がグラスの真ん中まで満たされている。見た目は透明だが、ほのかな果実の微妙な刺激が味覚をテストする。
「コンビニで売ってる本じゃ、いまいちわからないわね」
みのりは漫画交じりの入門書を軽くめくると、そのまま伏せた。パートタイマーの主婦が描いたような軽いタッチの漫画がカバーに載っている。その軽さはTシャツにプリントされたキャラクターのように見えた。
「空気が読めない。会話が続かない。興味のないことはしない」
もう一つの本に書かれている特徴を読み上げるまりん、そこには溝手が参加を断る理由が見当たらなかった。本の奥付を見る。有名な医学博士が監修を引き受けていて、インチキな本ではないようだが、やはり漫画仕立てでは、いまいち内容が薄く感じられてしまう。
「もしかしたら、溝手君は百人一首に興味が無いのかもしれない」
まりんの思い付きに、みのりは首を振った。サイドに流した髪の毛が額の真ん中に寄ってきた。
「百人一首全部を数日間で覚えた彼が、興味が無いと言えるの?」
みのりの返答にまりんは納得したが、もう一つ疑問が浮かんだのでぶつけてみた。
「競技かるたに興味が無いんじゃないの」
「そうか。競争は嫌いなタイプか」
「スポーツとか苦手だって聞いているし」
「ただ、テストで競うのは好きみたいだよね」
緑川に負けて悔しそうだった溝手の表情が、頭に浮かんだ。ゴーヤを噛みしめているような唇のねじれ方が印象的だった。
「競技かるたはスポーツか否か。まりんどう思う。岡目八目で答えてよ」
こちらの白日夢を打ち消すように、大きい声でみのりが一太刀浴びせる。目の前の半透明のスクリーンが、初冬の池の氷が割れかたのごとく砕け散る。
「ちょっと待ってね。考えてみるわ」
透明な飲料を一口ふくんで、喉を潤す。食道を冷たい液が波が打ち寄せるようにひいていく。
「札を取る一瞬だけのスポーツね。あとは頭脳戦だわ」
直感で答えを導き出して、告げるとテーブルの中央に盛られたスナック菓子をつまむ。乾いた音がまりんの言葉に囃子を添えている。
「なら、瞬発力を鍛えればいいんじゃない」
自信ありげにみのりは、低い声で空気を分けた。彼女は身を乗り出して、鍛え方を説明し始めた。
どうしても競い合いになる一字決まり、二字決まりの札を集めて集中的に札を読み、溝手に勝負を分ける緊迫した時間を経験してもらい、場に慣れるための経験値を積んでもらうのが、彼女の策だった。
「それだけかな。何か見落としていないかな」
ふと頭の中に、別の因子があるのではないかとひらめいて、今度はみのりの入門書をめくりはじめる。紙のこすれる音が、スナック菓子を拾う音と重なり合う。
「なんか、発達障害の人って耳が聞こえないことない?」
まりんの開いたページには、耳の聞こえづらさについて、軽く説明されたコラムがあった。囲いの中には
『すべての音を拾ってしまって判別がつかなくなる』と書かれていた。
「溝手君に関して言えば、あんまり話したことがないからわからない」
みのりは、視線を宙にさまよわせて、記憶を探っているようだったが、すぐにあきらめて目を伏せて、息を吐いた。
「これは、彼の友人に訊くしかないわね」
副委員長として、顔の広い自分の出番だとまりんは思った。溝手は、成績がいいのでスクールカーストでは割と上の方にいる。クラス内のテストで上位グループの男子とよくつるんでいた。
「明日、それとなく当たってみる」
まりんは立ち上がると、トートバッグに荷物を入れ始めた。手ごろな重さのバッグを肩に担ぐと、廊下を渡り玄関におりる。つま先で石畳を突いて足を靴に合わせると、靴紐を手早く占める。足の甲に緊張感が舞い降りる。
「じゃあ、明日学校で」
玄関先で別れを告げるみのりを後に、外に出た。太陽は高く上り、初夏の影はいつもより濃い目にアスファルトを染めていた。




