新学期
大変申し訳ないのですが、個人的事情によりエターナルする可能性が高くなっております。
ご了承ください。
枯れ木が芽吹き始め、残雪と入れ替わるように春の花や小さな緑が、地表という舞台を別の色で染め上げる。空にかかる雲は、冷たい雨は降らせても、全てを白一色に染め上げる雪を忘れたかのように漂っている。新しさという物は、いつも希望を従えて、周囲の空気を明るく変化させる。負の予兆は微塵にも感じられない。
クラス替えが終わり、高3の春まで一緒に過ごす仲間が決まった。真ん中分けの黒髪が目立つ、高津まりんは周囲を見渡し、知った顔を探した。見覚えのある丸顔にショートボブの女生徒がいた。名前の表に、見覚えのある文字列を見つけた時から目星はついていたが、実物を目にすると、安堵に変わる。
「みのり──。あなたもこのクラスなんだ」
「まりん、一緒のクラスでよかった」
彼女の名前は、勝山みのり。前のクラスで一番仲の良かった女子だ。他にも前のクラスで一緒だった男子の姿が見える。名前はなんだったのか。あまり親しくない男たちだったけど、これから仲よくすればいい。新しいクラス編成に対する戸惑いと期待が入り交じって、大きなざわめきとなって教室を包む。その空気を破って、担任の教師が現れた。
「今日からこのクラスを担当する野島耕三だ。科目は日本史を教える。よろしく」
教師の下になると彼らはとたん静かになる。人が侵入した野原の虫のように、かなでていた旋律がぴたりと収まった。
「それから、高津まりん。彼女は生霊浮遊症という珍しい体質だ。びっくりするかもしれないが、配慮してくれ」
高津まりんは肩身が狭くなった。一万人に一人という珍しい症状のせいで、どこに行っても安心できなかった。こうして、担当教諭が説明してくれるのはありがたい反面、最初にレッテルを貼られてしまっているようで嫌だった。高校だからいじめはないだろうが、好奇の目で見られるのはごめんだった。明かされてしまっては仕方がない。大人しく過ごすことを心に決める。問題は、症状の発動がコントロールできないこと。
生霊浮遊症というのは、自分の意に反して、情動が強く揺さぶられることが起きると、彼女の生霊が相手の近くに飛んで行ってしまうのだ。はたから見てると、高津が二人いるような状況になる。実害はないのだが、初めて見た人は驚きの声を上げる。
高津は、自分のことで頭がいっぱいになり、担任教諭の注意事項を聞きそびれていた。後で、みのりに聞けばいいと思って、心を落ち着かせる。ホームルームが終わり、各自、自由に席を移動した。
「大丈夫よ。前のクラスでもさしたる問題は起きなかったじゃない」
「でも、変な先入観を植え付けられたみたいで嫌」
生徒たちの話し声に交じって、自分に対する批判の声が聞こえた。発言元をたどっていくと、メガネ男子が怒ったような口調で、勝手に高津の品定めをしていた。高津は、まずそのことにイラっとした。心の中のささくれを逆方向になでつけられたような感触が、胸を襲う。
「とにかく俺は、真ん中分けの女性は認めない。第一ださい」
(なにこいつ。勝手に人のヘアスタイルに注文を付けて)と高津が思っていると、そのメガネ男子はこちらに向かって怒った顔を向けてきた。
(なにさ、私のこと勝手に非難した上で怒ってるの)高津は不機嫌になって、足で机のパイプを蹴った。机が揺れて、筆箱が落下した。缶ペンケースだったので派手な音が響くと同時に、件の男子が「あ──っ」と大声を上げた。
「あんたさ、さっきから人の髪形をけなしたり、睨みつけたり、挙句の果てには人の失敗をはやし立てて、何考えてるのさ」
「まりん、また飛ばしてる」
みのりの言葉に気づかされた高津が、視線を伸ばして見ると、自分を睨んでいたメガネ男子の目の前に生霊の自分がいて啖呵を切っていた。周囲の視線が生霊の高津まりんに集まる。
彼女は慌てて生霊を招き寄せて合体した。メガネ男子は、高津まりんの前まで来ると、重そうな口を開いた。ぶっきらぼうで低い声だった。
「髪型を勝手に批判してごめん。だけど別のヘアスタイルの方が似合うと思うよ。それから俺は怒っていない」とだけ言うと踵を返して自分の席に戻って行った。
「何、あの上から目線のメガネは」高津まりんはご立腹の様だった。
「知らない人だけど、先生の話だと発達障害らしいよ」みのりがすかさずフォローを入れた。
「発達障害、何それ?」高津は目を白黒させていた。
「私もよく知らないんだけど、他人の気持ちがわからない人みたい」
「そんなのもわからないの?」
高津は想像もできなかった。他人がどう思っているかなんて、自分の言動が相手にどう伝わるか、そのことで相手がどう思って、こちらにどうリアクションをするかといったことは常識の範囲内じゃないのと思った。だから、彼は、私の気持ちもお構いなしに、好き勝手が言えるのだと思った。
「そんな嫌なことは忘れて、楽しいこと考えよう」
みのりに言われて、気分を変えることができた。チャイムが鳴り、休み時間の終わりを告げた。