一話 悪魔志望者
目が覚めたら、全て消えてしまえばいいのに。
チリンチリン、とベルの音がしてハッと我に帰る。いけない、仕事中にぼーっとしちゃってた。
あのベルの音がしたと言うことは、あいつがここに来るということだ。
そう思った矢先、風とともに空を飛んであいつが現れる。彼はスタッと地面に着地して口を開いた。
「レイー!久しぶりー、元気?」
「久しぶりって、一昨日も会った。帰って、こっちはお前と違って仕事中なの」
「ひっど! 俺だって仕事中だし! それにどうせ今お客さんいないんだからいいじゃん」
まあ、確かに客はいないけど。
「お客さん」というのはわかりやすく言うと死者だ。ここはいわゆる「地獄」に行く道の途中にある小屋。悪魔の小屋と呼ばれている。
私はここに来た死者が本当に「地獄」に行くべきなのかの審査をするのが仕事だ。だけど私はそんな判断ができる器じゃないから、マニュアル通りの質問をしてマニュアルの通りに審査している。
基本的にはみんな「地獄」に行って問題ない人たちだけど、たまに「なんでここに来たの?」と思うような、いわゆる「天国」行の方がいいんじゃないかと思う人もいる。
本当に面倒くさい、いやな仕事だと思う。
なんで私がそんなことをしているのかというと、悪魔だから。ただ、それだけだ。
「いやーレイは今日もきっちりしてるねー。ワンピースの袖のボタンまでちゃんととめてて、暑くない?」
「いや、別に」
「書類もきっちり積んであるねー。大変でしょ、いちいち整理するの。なんだったらお客さんいなくて俺の手空いてる時手伝うよ?」
「客が居ようと居なかろうと仕事中は仕事中だバカ。遊びに来ただけなんだったらさっさと帰って」
この、「ソウ」という名前の天使は私とは逆で、死者が「天国」に行くべきなのかの審査をしている。私がここで働き始めた時からしょっちゅう遊びに来るのだ、仕事中に。
私とこうして仲良くしてくれる人は珍しい。ましてや天使だったら。
天使と悪魔の仲は良くも悪くもないけど、さすがに仕事場を離れる事には上司から説教を食らっていると聞く。どうしてこうも懲りずに来るか。
「言ったじゃん、仕事中って。遊びに来たわけじゃないよ」
「じゃあさっさと用件を言って」
「はいはい。気が短いんだから……。今日の用件は、この子! この子さ、ここで働かせてあげて?」
ひょこっとソウの背中から顔をのぞかせたのは中学生くらいの男の子だった。背が私と同じくらいで童顔。確か私が百六十センチないくらいだから、その子はちょうど百六十センチくらいだろう。
黒いスーツ着てるけど、似合ってないなあ。表情がまだ幼い。
人見知りなのか、一瞬目を合わせただけであとはこっちを見てもくれずに下を向く。
「ちょっと、なんでよ。あんたが連れてくるってことは天国行の方に行った子なんでしょ? 天国行にしないんだったら天使としてそっちで働かせたらいいじゃない。わざわざここに連れてこなくても……」
「俺も最初は天使にしようと思ったんだけど、本人たっての希望なんだよ。悪魔になりたいって。悪魔の中で一番親しみやすいのレイだろうし。他の奴みんなちょっと怖いじゃん」
他の悪魔は結構いかつい感じで、確かにとっつきにくいかもしれない。
だからお願い! とソウが手を合わせる。お人よしなのはいいけど、私まで巻き込まないでよね、まったく。
人が増えるのはいいけど仕事を教えてから使えるようになるまでには時間がかかる。そして仕事を教えるのは私だから私の仕事も増える。
そしてなにより。
悪魔なんて残酷な仕事に就かせたくない。
私は少しためらってから、まだ少しソウの背後に隠れている男の子に声をかける。
「ねえ、君。ここがどういうところか、悪魔がどういうものなのか、ソウから聞いてるの?」
男の子は強い瞳でこくりとうなずく。
「そう。悪魔の仕事は残酷よ。それでもなりたいの?」
またこくりと頷く。
「そう。……いいわよ、悪魔になりなさい」
ソウのお人よしは今に始まったことじゃない。天使だって、悪魔ほどじゃないにしろ残酷な仕事だ。だったら本人の希望に合わせた方がいいだろう。
「うん、レイならそう言ってくれると思ってた! じゃああとはよろしく、ちなみにその子の名前はリョウだから!」
早く帰らないと怒られる、といいながらソウはふわっと飛び去っていく。だったら無駄話してないでさっさと要件に入りなさいよ。小さくなっていく背中を見ていると隣から視線を感じた。
はあ、どうすればいいのよ。私新人教育なんてしたことないんだけど。
「えっと、リョウ、君? 私はレイ。まあ知ってのとおり悪魔ね。あなたにもこれから悪魔になってもらうわけだけど、悪魔がどういうものかはソウから聞いてるのよね。他に何か質問はある?」
「……その翼……なんで白黒なんですか……?」
「ああ、これ。……呪いよ」
私の翼は、左は黒で右が白だ。普通悪魔は両方黒、天使は両方白。私だけが違う。
私が昔お世話になったおじいさんは言っていた。これは呪いだと。そしてその呪いを解けるのは、同じように、翼の色が対じゃない者だけだと。
私はもう何年も悪魔をやってるけど、翼が対じゃない悪魔にも天使にも会ったことがない。つまり、この呪いはきっと一生解けないだろう。まあ翼の色が違うところで困ることといえばちょっと目立つことくらいだし。
「呪いって……?」
「ごめんね。その話はしたくない」
ちょっと目立つだけ、だがずいぶんそれで嫌な思いもして来たのだ。翼のことを聞かれたり注目されたりするのにはもう慣れたが、あまりしたい話じゃない。
「他に質問は?」
「ええと、今は多分大丈夫です……」
頼りなさげな感じでリョウ君が答える。さっきの言い方ちょっときつかったかしらね。
そわそわとあたりを見回したリョウ君は何度かちらちらと私に目線を送った後また俯いてしまう。
「何?私顔に何かついてる?」
「え、えと……その、レイ、さん、ですよね?」
「そうよ。私はレイ。それがどうかした?」
「悪魔になる前は人間だった……?」
「そうよ。リョウ君と同じで、死んで悪魔になったの」
「僕のこと覚えてますか……? レイ……さんが亡くなる前、家近くだったんですけど……」
そんなこと言われても、私が死んだの五、六年前だしね。こんなおどおどした子いたかしら。
「んー。覚えてないわ。ね、そろそろいい、仕事の説明をして。次のお客さんが来たら早速仕事覚えてもらいたいし」
「え、あ……はい。よろしくお願いします」
リョウ君がぺこっと頭を下げる。ちゃんとしてる子じゃないの。
彼は長めの前髪が目にかかって手で軽く払う。その仕草をなんとなく目で追ってしまった。
「ええと、なにか……?」
「ああ、いえ。なんでもないわ。じゃあまず……そうね、この小屋の紹介からしましょうか。ここは悪魔の小屋。まあ、名前そのまんまね」
話しながらリョウ君に中に入るように促す。
「椅子が二個向かい合ってるでしょう。片方には悪魔、片方にはお客さん──死者が座る」
「そこで地獄に行くかどうかの審査をする……んですか?」
「そう。で、地獄行きになった人は右側にあるドアから、天国行きになった人は左のドアから出る。それぞれの行き先へ繋がってるわ」
「さっき……外にいた時は、ドアが一つだったと思うんですけど……」
スーツの襟をいじりながら、ごく控えめにリョウ君が訊く。
私は振り返って頷いた。
「その通りよ。外からは一つしか見えないわ。だって外と繋がってるドアは一つだもの。で、審査の仕方は……まあ、それは明日でいいわ。今日は、次のお客さんが来ても私の仕事を見てるだけでいいから」
リョウ君はまだ襟を触りながら頷く。
さっきも思ったけど、前髪ちょっと長くないかしら。まあそういう髪型なだけなのかもしれないけど。
「あとは……あ、部屋用意するわね。用意するっていうか、空き部屋適当に使って。机とベッドくらいはあるから」
二階へ階段を上りながら説明する。
「洋服とか、そういう必要なものは次ソウがこっちに来た時に一緒に買いに行けばいいわ。ここが私の部屋だから、何かあったら言って。リョウ君の部屋は……ここでいっか。私の部屋の向かいね」
「あ……ありがとうございます」
「ひとまずこんなもんかな。よし、他に質問は?あ、さっきも言ったけど仕事については明日話すから。あと、リョウ君って呼ぶの長いからリョウって呼ばせてもらおうかな」
「はい、全然いいですよ。じゃあ、あの……僕も一つ、聞いていいですか……?」
いいわよいいわよ、別にそんなに物怖じすることないのに。
「レイさんさっき、ソウさんが帰る前……悪魔は残酷な仕事だって言ってましたよね。あれって……どういう意味なんですか……?」
更新は不定期です。
もう一つの連載「二年間で何ができますか? ~AIと妖精と同居生活~」も連載中です。こっちをメインで投稿しています