第3話 鬼児も哭かずば討たれまい
むかしむかし、あるところに。
おばあさんとももたろうが、たのしく暮らしていました。
そんなももたろうのモラトリアムな日々にも、ついに転機が訪れます。
めでたし、めでたし。
めでたいが、ここで終わっては、なにがなんだかわからない。
ももたろうは例によって本日も、自室に引きこもっておりましたが。
ふと時計をみると、午後3時。今日はおばあさんがカレーを持ってきていないことに、気がつきます。
ももたろうは物理的に空腹を感じているという、避けがたい問題を実際、抱えておりました、が。
いつもカレーに文句を垂れている手前、自分からはなかなか、「カレーもってこいよ」とは言い出しづらいものがあります。
ももたろうのプライドが許しません。
俺からは要求しづらいんだから、気を遣えよ。その辺察しろ、使えねぇババァだな。
ももたろうは意地を張って、空腹のまま無為な時間を過ごします。
やがて、陽は落ちて。
8時を回っても、おばあさんはカレーを持ってきません。
ももたろうの怒りと空腹が、遂に限界を迎えました。
「ババァの野郎、なめやがって!ちょっとしばいて、わからせてやらなきゃならないな!」
ももたろうはようやく、重い腰をあげました。
「おいババァ!!」
怒りに任せて、ももたろうが、台所の引き戸を叩きつけるように乱暴に開けます。返事はありません。
「ババァ!おいマジいい加減にし…」
ももたろうが、ぎょっとして立ち止まりました。台所のかまどに、おばあさんがもたれかかるようにして、倒れています。
床にはまな板がひっくり返り、作りかけの、なにやら丸い物体が。あちこちに転がり、潰れています。
「バ…バァ…。」
まったく予想していなかった事態にももたろうは、その場にへたへたと座り込んでしまいました。
村のお医者様の、庵。待ち合いの囲炉裏の端で、ももたろうは、ひとり。
おばあさんが大事そうに抱えていた、日記帳に目を通しています。
おばあさんが開いていたページには、村のおばあさん仲間から聞いて勉強してきたらしい、「きびだんごの作り方。」その下には、今日の日付とともに、おばあさんの意気込みが記されています。
『×月×日。今日は、吉江さんたちに最近はやっているという、きびだんごの作り方を教わってきた。なんでも、その昔。東国の蛮族を征伐した、朝廷のえらい将軍様が好まれたモノだそうで。男の子が食べると、立派なおさむらい様に育つのだという。ももたろうもきっと、喜んでくれるだろう。』
ももたろうは、おばあさんの日記を前へ、前へとめくっていきます。
『◯月◯日。ももたろうが、カレー以外のモノをたまには作れと怒っていた。わたしのせいだ。ももたろうが、いつも喜んでカレーを食べてくれるのに甘えて、母親としての役目を放棄していた。ももたろうはずっと、わたしに気をつかっていてくれていたのだ。こんなことにも気づかないなんて、なんてダメな母親だったのだろう。ごめんね、ももたろう、ごめんね。』
『□月□日。今日もももたろうは、部屋から出てこない。きっと、思うところがあるのだろう。ももたろうなら、きっと大丈夫。母親のわたしが、信じてあげなくては。』
『▽月▽日。ももたろうが、朝から部屋から出てこない。何か嫌な事でもあったのかときいても、お前ら愚昧な旧弊人には理解できないと言うばかりで、教えてくれない。心配だ。』
『▲月▲日。最近、村の子どもたちが、ももたろうのことをウソつきだ、ほらふきだといじめているらしい。ももたろうが、お舟にご招待された話をきいて、きっと、嫉妬しているのだ。ももたろうは最近、たしかに、わたしたちは空のお星さまに住んでいて、お日さまのまわりをぐるぐるまわっているのだとか。難しい事を言うようになった。わたしにはよくわからないが、かしこいももたろうには、わかるのだろう。きっと将来は、えらい学者さまになるにちがいない。』
『●月●日。帰って来たももたろうは、急に無口になったように思う。慣れない宴席で疲れているのだろう。カレーを作ってあげたら、残さず食べた。』
『■月■日。月がやけにまぶしいとおもって空を見たら、見たこともないような光り輝く円い大きな乗り物が、空に浮かんでいた。中からは、背の低い、変わった服を着た方々が。異国の、えらい方々のようだった。ももたろうがお舟にご招待され、おご馳走のになると言っていた。まだ帰って来ないが、こんな山中の田舎暮らしだ。たまには羽目を外して、楽しんで来ることも必要だろう。』
ももたろうはどんどん、日付を遡っていき。遂に、一番古い日付に行き着きました。
『◎月◎日。川から拾ってきた桃の中から、男の子が産まれた。これはきっと、仏様がわたしに授けてくださったものにちがいない。なんとありがたいことだろう。ももたろうと名付けた。ももたろう、わたしがお母さんだよ。お前は、わたしの一番の宝物だ。どうか、逞しく優しい、立派な男の子に育っておくれ。』
日記帳に、ぽた、ぽたと、ももたろうの涙が溢れ落ちます。
「かあさん…。」
ももたろうは子供の頃の呼び方で、おばあさんを呼びました。
みしり。板張りの床のきしむ音に顔を上げると、奥の部屋からお医者様の先生が出てきたところでした。
「先生!かあさんは!かあさんは!?」
ももたろうはすがりつくように、お医者様の先生に尋ねます。
「急性きびだんご中毒。それに、過労もある。」
お医者様の先生は、力なく首を横に振りました。
「そんな…。」
ももたろうが、お医者様の先生の足元に、額を擦り付けるようにして土下座します。
「先生!お願いします!かあさんを、どうか、かあさんを助けてください!お金は 、いくらかかっても構いません!俺が死ぬ気で働いて、一生かかってでも、必ず返します。だから、だから。お願いします!どうか、かあさんを、かあさんを、助けてください!!」
ももたろうは頭を下げたまま、お願いします、お願いしますと叫び続けます。その肩に、お医者様の先生の手が、優しく置かれました。
「その言葉が聞きたかった!」
お医者様の先生は、しゃがみこむようにしてももたろうと視線を合わせます。
「大丈夫!お母さんは、ちょっと疲労が溜まっているだけだ。2日も入院して、点滴を打ってしっかり休めば、元気になるよ。」
お医者様の先生の肩を掴む手に、グッと力が入ります。
「お金はいつでもいいから、安心しなさい。そのかわり、ももたろう君。君がしっかり働いて、必ず返すんだよ。これからは、君がお母さんを助けてあげるんだ。いいね。」
ももたろうの顔に、パッと明るい光りが射します。
「先生!ありがとうございます!先生!俺、俺、明日からすぐに。いや、今日から。今日、今すぐから、働きます!先生、かあさんをどうか、よろしくお願いします!!」
言うが早いか駆け出して行くももたろうを、お医者様の先生はウムウムと、頷きながら見送るのでした。
その日。ももたろうは、生まれて初めて、山へしばかれにいきました。ももたろうはかつておじいさんがそうであったように、存分にしばかれます。
ドMのももたろうは、たちまちのうちにしばかれるのが病みつきになり。ついには、帰ってこなくなりました。
血は、争えませんでした。
ところで。
「サルを倒してきた。」
いぬたろうが、ネコさんに話かけます。
「知らん。」
ネコさんは、興味がないと言うように、ごろりとあっちを向いて、寝てしまいます。
ネコさんがかまってくれないので、いぬたろうは少し、さびしくなってしまいました。
「(そろそろ、鬼ヶ島に攻め込んでみるべきだろうか。)」
いぬたろうは考えます。
「鬼ヶ島に行ってくる。」
いぬたろうは、たったか駆けて行ってしまいました。
ネコさんは面倒くさそうに、ちょっとだけ、耳をぴこぴこと動かしていぬたろうを見送りました。
駅のホームに、ひよこさんがいます。
「おにがしまは、こっちですか。」
ひよこさんが、駅員さんに話しかけました。親切な駅員さんは、ひよこさんの差し出した「江ノ島」と書いてあるキップを見て。
「あぁ、江ノ電なら、この電車ですよ。」
と、教えてくれます。ひよこさんは駅員さんにお礼を言って、江ノ電に乗りました。
電車のボックス席で、ひよこさんは駅弁を食べているおじさんと向かい合っています。
「ひよこさんは、どちらに行かれるんですかい。」
親切なおじさんがききました。
「おにがしまに、おにをたおしにいきます。」
ひよこさんは答えます。
「ほぉ、そいつぁすごい。しっかり、がんばってくだせえよ。」
おじさんはお弁当の唐揚げを頬張りますが、なにか言いたげなひよこさんを見て。
「あ、いけねぇ。トリは食べたら、よくないよなぁ。」
とあわててお弁当をしまいます。
「まどが、たかいですね。」
ひよこさんが、座席から窓を見上げています。
「ようがす。手すりに乗せて差し上げますよ。」
親切なおじさんは、ひよこさんを手すりに乗せて、窓の外を見せてあげました。
湘南の海が、きらきらと輝いています。線路の外を、電車とならんで。たったか駆けているいぬたろうを、ひよこさんが見つけました。
その頃。水面では、うにが暴れていました。うには海を埋め尽くすようにプカプカと浮かび、その様はさながらお盆のあとのくらげか、帝国海軍の撒いた機雷といったところです。
TシャッツとTバックを身につけたサーファーたちが、海に入れずに。呆然と、うにを眺めています。
「あれが、おにがしま、ですね。」
浜辺から望む江ノ島。ひよこさんが、いぬたろうに語りかけます。
「ああ、いよいよ、決戦だ。」
いぬたろうが、言います。
二人は万感の思いを込めて、江ノ島を見つめます。
トラックでの旅。賑やかな、都。暴走族との抗争。バイク屋さん。港町の、潮の香り。サル。江ノ電。すべてが、昨日の事のように思い出されます。
「行くか。」
いぬたろうが遂に、その1歩を踏み出そうとした、その時。
バリバリと、背後からバイクの爆音が聴こえてきました。
「水くさいですぜ。あたしを置いていくなんざぁ。」
黒いレザースーツに身を包んだ親切なおじさんが、ひよこさんのハーレーに跨がっています。おじさんはてれくさそうに笑いながら、頬についたご飯粒をピンと指で弾きました。
「俺たちは、一生アンタについて行くと決めたんだ。断ったって、ついて行くからな。」
暴走族の総長が。お兄ぃさんたちが。同じく、バイクのエンジンをふかします。
「江ノ島に行くお客様、よろしければご案内いたしますよ。」
駅員さんが、カチカチとキップ鋏を鳴らします。
「おっと。俺たちだっているんだ。忘れちゃ、困るぜ。」
かにたちが、カチカチと鋏を鳴らします。
「サルは、きていませんね。」
ひよこさんが言います。
「サルは嫌いだから、いいんだ。」
いぬたろうが答えました。
「よし。ではみんな、行こう。決戦だ。」
いぬたろうの号令一下、ここに集ったふつうの犬のいぬたろう率いる日本一のいぬたろう軍団が、今。最後の決戦へと向かいます。
先頭は、いぬたろう。うにを蹴散らしながら、たったか駆けて行きます。
続いて、ひよこさんを乗せた、おじさんのハーレー。バリバリと、うにを轢き潰して行きます。
その後ろを、暴走族の総長が、お兄ぃさんたちが。同じく、バイクで突っ走ります。
さらに、かにたちが、かにかにと。蜂がぶんぶんと唸り、栗はうにと間違われ、うんこは波に流され、臼はぶくぶくと沈んでいきます。
殿をつとめる駅員さんが、「江ノ島ツアーリズム」と書いた幟をはためかせ、走ります。
鬼ヶ島では、鬼たちが。うにのせいで島から出られないので、スッカリ退屈をしていました。
「都、いきてー。」
鬼が言います。
「クラブで遊びてーなー。」
鬼が答えます。
「港、いきてー。」
鬼が言います。
「かに、食いてーなー。」
鬼が答えます。
そこへ、バリバリというバイクの爆音とともに、いぬたろうたちが駆け込んできました。
鬼の大将は、犬が来たと聞いて。
「やぁこれは、ありがたい。うにをやっつけてくれたのですね。」
と、いぬたろうたちを迎えました。
「犬からうまれた、いぬたろう。天に代わりて、成敗いたす。」
いぬたろうは、得意の台詞を返します。
「ふつうですね。」
鬼の大将が言いました。
「犬パンチ。」
いぬたろうは鬼の大将を、ふつうのパンチで倒してしまいます。
「なにをするんだ君は!失礼じゃないか!」
鬼の副将が、ぷんぷん怒りますが。
「犬パンチ。」
ひよこさんは鬼の副将を、ふつうのパンチで倒してしまいます。
「へへっ。じゃあ、あたしも、犬パンチ。」
親切なおじさんも、ふつうのパンチで鬼を倒してしまいます。
「犬パンチ。」
「犬パンチ。」
「犬パンチ。」
暴走族の総長が、お兄ぃさんたちが、かにたちが、駅員さんが。次々とふつうのパンチで、鬼を倒してしまいます。
「もう、犬パンチは許してください。」
鬼の大将が言いました。
「(もう、許してやってもいいか。)」
いぬたろうは思いました。
鬼を倒したひよこさんは一躍、都の有名人となり。暴走族のヘッドとして、今日も総長やお兄ぃさんたちと一緒に、バリバリとバイクで都のパトロールをしています。「誠」の旗をはためかせたひよこさんたちは、都の平和を守るヒーローとして、いつまでも活動を続けました。
親切なおじさんは鬼の大将からもらった金銀財宝でバイク屋さんを大きな工場に発展させ。のちに世界のHONDAというブランドを立ち上げることになり、伝説的なバイク職人として、後世に語り継がれました。
かにに支配された港町は、その後、異国との貿易に門戸を開き。国際港として大いに栄えました。これが、のちの大阪港です。
独身になったおばあさんは、都のクラブで毎晩、遊びに行くようになり。鬼たちと楽しく、フィーバーでオールナイトロングです。
そして。
鬼を倒して満足したいぬたろうは、今日もふつうに暮らしています。
いぬたろうは水を飲んだり、ネコさんと一緒に寝てみたりしながら。
ふつうの日々を、ふつうに過ごしていくのでした。
(めでたし、めでたし。)