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十五話

次で最終話です。

「タカノリ! 何処にいるんだタカノリ!」


俺は叫びながら防砂林を走っていった。外はやや灰色の空が見えて夜明けが近いことを示しているがまだ暗い。

明け方の前なのだろう。うっすらと海岸の向こう側まで見える。

そしてノンストップで走り続けたときに海岸の砂浜。そこの波打ち際に人影が見えたのが分かった。

裸足のまま海に立つその人影が着ているシャツの色からそいつがタカノリであることが一瞬で分かった。


「タカノリ、そんな所に居たのか!」


俺は嬉しかった。自分が見捨ててしまったタカノリに再開できたのだ。

あいつとの距離が十メートル近くになったときにこれまで返事すらしなかったタカノリが振り向いた。

薄い暗闇の中で見るあいつの顔はいつものような大人しげで何かに脅えたような感じではなく、

かといって昨日の昼間みたいに何かに取り付かれたような薄笑いすら浮かべていない。

青白く見える顔には能面のような無表情。そして無色のビー玉のように濁った瞳が俺を捉えた。


「タカノリ…」


ここで俺はようやく気づく。タカノリから猛烈な悪臭が漂っている事に…こいつの顔の右半分が腐りきって黒ずんでいることに…

ニヤリと、タカノリが邪悪な表情を浮かべる。水面に足が触れた瞬間に俺は何か固い鋏のようなものに足首を掴まれ引きずられていた。


「―――ッ!」


頭の中が真っ白になり、パニックになる。既にタカノリの姿は消えていた。騙されていたのだ!

俺は徐々に海に引きずられていった。何が起きているのかわからない。

引っ張られていく間際に俺は必死に抵抗しようとした。しかし力は物凄くとても抵抗できるようなものではない!


「うわぁっ! た、助けてくれーっ!!!」


頭の中にあったのはタカノリの事でも、あの少女の事でもない。

ただ誰でもいい、ひたすら死にたくないと願う。そして誰かに助けを求めていた。

そんな願いもむなしいまま成す術もなく海へ引きずれ込まれていくのだった。


(これは…)


俺は見た。海の中で俺を見つめる眼差しがあることを。

それは巨大なものだった。一対のまるでバスケットボールほどの有りそうな赤い瞳が俺を見ている。

二メートル近くある巨大な鋏。それが俺の脚を捉えているものの正体だった。

そして全容は分からないが、海中を蠢く長大な尾までを見立てで目測すると優に十メートル以上はある巨体は確認できる。

シルエットだけであえて言うならカブトガニとか蠍みたいな多関節生物を合わせたような姿をしているような気がした。

醜悪かつ巨大なその「バケモノ」は馬鹿な獲物が引っ掛かったことを喜ぶように、赤く巨大な瞳を邪悪に歪ませた。


(こいつが、叔父さんの言っていた海神なのか?)


無我夢中に足をばたつかせて抵抗するが、水の中は奴の領域だった。

あいつにとって水がある場所は自分の領域であり、やつはその中での神に等しかった

俺にはどうすることも出来ないのだ。一瞬だけ白いものがゆらゆらと海中を漂っているのが見えたが気にも留めなかった・

全てを諦めかけたその時だった。海に光が煌いたのは。

まるで夜が一瞬にして昼になったかのようだった。温かい光が俺と怪物を照らす。

そして【海神】は光を恐れるようにして俺の脚を離して海底の闇の奥へと消えていった。


(君が助けてくれたのか?)


光の中に一瞬だけだが、あの白い少女の姿が見えたような気がしたのは果たして幻覚だったのか?それは永遠に分からなかった。







「ノブオ! おい、大丈夫か!」


俺はゆっくりと目を開けた。朝日の光がまぶしいがやさしかった。

次の感覚はざらざらした砂の感覚だった。口の中が少しジョリジョリして気持ち悪いから海水と一緒に唾を吐いた。

それで若干楽になったともいえなくも無い。気分は相変わらず最悪で頭はズキズキしていた。

鈍痛が頭の奥に居座っているような感じだ。薬が欲しい、欲しいが直ぐに楽になるのは厳しいかもしれない。


「…俺はどうしてここに?」


「浅瀬で倒れていた所を引き上げたんだ。もう少しで溺れるところだったぞ

お前、いきなり訳の判らないこと叫びながら飛び出して行ったんだ!

俺達もようやくそれで目を覚ましたんだけど…一体どうしたんだ?何が起こったんだ?」


一体どうした。とは俺の方が聞きたいものだった。

タカノリを追ってここまで走った事はおぼろげに覚えている。

訳のわからないことを叫んでいた。というのも記憶にない。


「いや、俺はタカノリが還ってきたと思ってたんだ。そしてここまで走って来た

そうだ…ここまでは覚えているんだが、後は……」


思い出そうとしても思い出せない。浜辺まで必死に走ってきて、海に引きずりこまれて―――――

―――――――そこで何か恐ろしいものを、人知を超えた化け物を見たような気がする。

…が、それも断言できない。記憶が途切れ途切れになったように曖昧だからだ。

それに俺は溺れたはずだった。浅瀬ではなくもっと深い場所で…そして最後に光を見た。

タカノリを追ってきてどうしてここで倒れているのか?


「タカノリが帰って来た…それは本当か⁉今のあいつは何処に居るんだ?」


「いや…あいつはもう帰って来ないと思う。根拠は無いけどそんな気がするんだ」


「え…」


「あいつは…もう……」


ユースケは何か言いたげだったが、直ぐに口を噤んだ。

俺はそんな友人の姿を見てなんとも言えない気持ちになる。

とにかくあいつは帰って来ないのだ。そういう確信はある。


(タカノリ…)


俺は昇り始めた太陽に照らされ始めた海を見た。夜の深遠とは違う光を浴びて白い漣を撃つ穏かな海面。

しかし、つい数時間前までそこは深淵よりなお深い奈落の闇の奥のような有様を見せつけていたのだ。

その向こう側にあいつは消えていった。未だに人知の及ばない深い海底の底へと、悪神への生贄として…

もしかしたらかすかに残った意識の残滓が、暗く冷たい海底の孤独をを紛らわせる為に俺を呼んだのかもしれない…と思った。



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