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十一話


気が付くと俺は白い霧の中に立っていた。


距離感が麻痺するほどの濃い濃霧の中で前方に人影が見える。おれはその方向に向かって走った。

どういうわけか、走っても走ってもどうしてかそいつに追いつけない。

見た感じの距離感では十数メートルしか離れていないはずなのに、徐々に距離を縮めるのがやっとだ。

俺はようやくそいつに追いついた。人影の正体は俺の良く知っている奴だった。


『おい、タカノリ。どうしたんだ、こんなところで?』


決して小さくない声で話したつもりだった、しかしタカノリは俺の存在を無視してスタスタと歩いていく。

再び距離を離されてゆく、俺は全力で走った。何故そうしたのかは分からない。

ただ、ここでタカノリの奴を引き止めないと、あいつがこの霧の奥まで言って二度と帰って来ないような気がしたからだ。


『おい! 待て、待てよタカノリッ!!』


走りながら搾り出すように大声で叫ぶ、それでも俺の声は霧の中に吸い込まれていきタカノリは何の反応も示さなかった。

昼間の落ち着かないで奇行を繰り返すあいつとはえらく違うような気がした、

そしてさっき一瞬だけ追いついたときに見たあいつの目は、霧の奥の何かを真っ直ぐに見つめているような気がした。

奥にあるものなんて俺の眼からはわからない。もしかするとタカノリの奴は俺の目に見えてないモノが見えていて、

それに惹き付けられているのだろう。察しが悪く、頭の出来もそこまでよくない俺でもわかった。

ただ、これがなんにせよあいつを止めなければいけない。いや、止めたかった。

なぜならタカノリは俺のダチだからだ、あいつは暗くてあまり絡みやすい奴じゃないが放って置けるほど俺は薄情じゃないのだ。


そしてそんな俺の前に立ちふさがる影があった。タカノリじゃない、別の人影だった。


『なんだ、あんたは?』


思わずそう答えていた。目の前の人影は時代劇で見るような白装束の女の人だった。

まるで邪魔をするように俺の前に立っていた女は腰を深く下げて一礼すると、吸い込まれるように白い霧のカーテンの奥に消えていった。


『クソッ!』


お陰でタカノリを完全に見失ってしまった。毒づきながら再び走る。何も見えない白い闇の中をひたすらに、全力で――――

霧はどんどん濃くなっていった、もう何も分からない。咽そうになるほどの濃霧の中をそれでも走っていった。

タカノリはそれでも見えない、あの謎の女も同様だ。俺は息苦しい頭の中で何か閃く事があった。

あの女の子がタカノリを連れて行ったんじゃないかとそう思った。だからあいつは俺の邪魔をしたのだ。

構うもんか、このまま霧が晴れるまで走ってやる!タカノリに追いつくまで―――――――――――――







――――――――いけない、その人はもう助からない。無理をすれば、あなたも――――――――








『声…?』


その声は決して大きくはなかったのだがはっきりと聞こえた。澄み渡った鈴の様な声が加熱した頭を冷やした。

それが合図になったかのように霧が晴れてゆく。そして明らかになった地平の空間には俺以外の誰も居なかった。

聞こえた声は知っている、あの女の子の声だ。真摯で透き通るかのような住んだ響きが心の奥底にまで響くみたいだ。

それに悪意のような感情は感じなかったが、胸の中に生まれた猜疑感は捨てられなかった。







「―――はっ!」


目が覚める。外はまだ暗い、が空は灰色で日の入り前の朝のようだった。

俺は誰にいわれるまでも無く跳ね起きて外に出た。けたたましく階段を駆け下りたので叔父さんかユースケが起きたかもしれない。

だが、今はそんな事に構っている余裕は無かった。俺は急いでタカノリの部屋のドアをノック無しに開けた。

ロッジから俺ははじけるように飛び出した。適当に靴に足を突っ込んでから形を整える事すらせずにひたすら走る。

防砂林を駆けていく間も空は徐々に明るくなっている。俺はただ突き動かされる衝動に従う様に。走り続けた。

木々の向こうに見えるうす暗い闇の奥に俺は人影の様な見たような気がした。あれはタカノリかもしれない。

わき腹の下あたりが休息を求めるように痛んでいたがそれを無視して足を動かし、林を抜けたのちに思わず叫んだ、


「タカノリッ!」


海岸に出て俺は周囲を見渡した。空はすっかりと朝を迎え入れ、水平線の彼方から顔を出す朝日がやけに鮮やかに映った。

明るくなった海岸にタカノリは居なかった。それでだけであいつがロッジに居ない事が直感できた。

砂浜を見て俺は不安が的中している事を知った、足跡が海面に向かって伸びていた。


「あいつ…」


足から力が抜けてそのまま崩れ落ちる。どういうわけかタカノリはもう二度と帰って来ないのだと、そんな予感がした。








次の日。俺はいきなりユウスケの奴に声をかけられた。


「おい、ノブオ。お前何処に行ってたんだよ! タカノリの奴はどうしたんだ?」


「…おっ、どうした。朝飯なら出来ているぞ」


「…」


心配してくれるユースケと叔父さんだったが、俺は答える気にはならなかった。

タカノリが海の向こうへ自分の意志で消えていったのだという事を…

しかし、それを話す気は起きなかった。信じてもらえないだろうという懸念もあるし、今更どうすることも出来ないだろうから。


「お前昨日からなんか元気ないな。タカノリ君はどうした? 一緒に遊びにいったんじゃないのか?」


「…ねぇ、叔父さん。早くここから帰らない」


「ノブオ。昨日泳いだ後からお前変だぞ? 気分でも悪いのか?」


「…」


「…どうした?」


叔父さんは真顔になった。普段はおちゃらけているが、この人は本当に頼りになるのだ。


「実は…」


俺は全てを二人に話した。昨日泳いだときの異変も、屋根裏に張り付いた子供のバケモノの事も、

そして霧の向こうに消えたタカノリの夢の事も―――――


「まずいな…。もう今はそんな事は起きていないと聞いていたんだが」


叔父さんは少し焦っているように見えた。いつも温厚そうに穏やかな光を湛える人が好さそうなたれ目が深刻な色を宿している。


「どうするんですか?ここってそんなにまずい場所なんですか?」


「正直に答えなさい。お前達…洞窟の祠に行って何かしたな? 鏡か人形に悪戯したな?」


言い方は優しかったが、口調には虚を見逃さないような断固とした響きがあった。

実際にやったのはダイキだが、そんなあいつを止めなかった俺達にも責任はある。

俺とユースケは厳しい叱責が跳んでくる事を覚悟して、体を緊張させた。

叔父さんの目つきは俺達を責めるような感じではなかったが、事態の深刻さを予想させるには十分だった。


「…」


「はい…」


「そうか」


叔父さんは厳しい表情になったが俺達を叱ったり、愚痴ったりするような事はしなかった。

それが何処かありがたくもあり、それで居てこの人を心配させてしまったという申し訳の無い気持ちで一杯になる。


「まずい事になった。とりあえず準備をしてここから出よう、夜にならないうちに」


「ノブオの叔父さん、タカノリやダイキはどうするんですか?」


「状況が切羽詰っている、いま二人を探している余裕が無い」


いつも余裕綽々出物事に当たっていた叔父さんの顔から焦りが見えた。そんな事は俺にとって初めてであり、

また、叔父さんの緊迫した雰囲気が自体の空気をなおさら深刻なものにしていた。

俺は落ち着かなくなってふとポケットに手を突っ込んだ。何か入っている。

それを引っ張り出すと白い布のようだった。広げてみると多少皺が入っていたが黄ばんでいたりという事は無かった。


(これって…?)


ポケットの中に入っていた一切れの布は、あの女の子が身にまとっていた着物の一部のように見えた。

それをどうしようか悩んだ後に俺は再びポケットの中に突っ込んだ。特に理由があったというわけではない。

ただ、なんとなくそうした方がいいとの予感が脳裏によぎったからに過ぎなかった。



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