俺のプロローグ
冬の始まり、12月も終わりに近づく、その夕暮れ時の雲が赤なのか青なのかよく分からない色にぼやけている中、俺は某大学からの帰り道を気分良く歩いていた。
合格発表の掲示板に掛けられた真っ白い布がどけられる前は、こんな気分とは地球とアンドロメダほどの距離が開いているくらい逆も逆、手に汗は滲みついでに額にも滲み、喉は乾くわ声は出ないわで、つまりは最悪にドキドキしていたわけだが、俺の日頃の努力の結晶は俺を裏切らなかった。
受験番号10633神崎孝助……合格。
最高の気分だ。
特に重要な得点源だったのは霊都史-れいとし-だろう。
死後の世界、魂の世界、その史実。
200年前から始まったそれは、今ではメジャーな研究分野になっていて、こうして高校の選択科目として教えられるまでになった。
3年からの選択科目だが、世界史と同じ担当の高村講師はなんとも大人しげなおじいさん先生で、その話術は催眠術師仕込みかと思われるほど机に突っ伏してしまうものだった。
でも何故だか俺は今年からやけにこの霊都史が気になり、催眠術を耐え、授業の終わりに質問しに行ったり、長々と夕陽を見ながら語り合った記憶もある。
霊都史の始まりは、ちょうど、200年前。
そのちょうど200年前、世界各地で8千万人が突然ぷっつり死んだ。
大罪人ローグ・リューテルギス…その男が実験に失敗したかなんかで、霊都側も2千万人、つまり合計で1億人の魂が消え失せた。
大慌てになった世界に、どこからか光の羽根を持った天使が現れ、そこで初めて霊都と呼ばれる死後の世界を認識した。
認識した、と言っても本当に見た人はいない。
その記憶を持ったままこの世界に帰ってくることはできない。
霊都史に載っているのはすべて、天使が書いたり言ったりした事だけだ。
本当のところは誰も知らない。
一時期は霊都に行こうと自殺する人が増えすぎて、天使が慌てて霊都からやってきて医療技術を持ち込み、今ではちょっとやそっとじゃ死ねなくなったもんで、寿命くらいでしか霊都には行けないらしい。
死ななければ行けない場所
ロマンがあるよなぁ
将来は霊都を研究する人になるのもいいかもしれない。
淡い期待のキャンパスライフに、将来の目標が乗っかり、充実した毎日になるに違いない。
そんな霊都に思いを馳せながら帰り道を歩く。
直前まで頭に色んなものを詰め込みまくった昨日の疲れから来た大きな欠伸を噛みながら、俺は帰り道の途中にある大型ショッピングモールに寄る事にした。
自分への御褒美を買う為だ。勉強漬けで少し前に出た好きなゲームの最新作を3ヶ月も買えていなかったので、合格したら真っ先にやろうと思っていたのだ。
地上4階、地下2階からなるモールの、目的地のゲームショップがある4階へ向かう。
入口にほど近いエレベーターに足を向けてみると、何だか並んでる人が見えたので、心の中でため息をつきつつ、今が日曜日の夕方である事を思い出した。
並んでる人にやけにカートを持った子連れが多いわけだ。
あの中に混じってエレベーターを待ってもいいが、さっさと自分の足で上まで登って買って帰りたい気持ちが強かった。
それに、ちょっと前から続くこのウキウキした気持ちはこの身体を何分の1かに軽くしているようだった。
エレベーター横の階段に脚をかけ、二段飛ばしで上がって行く。
こんな晴れやかなのは久し振りだ。鼓動を早める心臓も心なしか嬉しそうに跳ねている…と思う。
4階に着いてからは早かった。
ギラギラした目ですぐさま目的のものを見つけてレジへ持っていき、前々から用意してあった代金をちょうど支払って「袋いりません」とだけ言ってすたすた階段の所まで戻ってきた。
手持ち鞄の中にそれを仕舞いながら階段を降りようと脚を降ろした途端____
音もなく、すべての光が消えた。
視界はどこまでも黒になる。
とりあえず動揺して階段から転がり落ち無かった自分を軽く褒めるとして、下ろしていた足を戻し、記憶を頼りになんとか踊り場の壁に手をつけることが出来た。
全くなんて時に停電だよ、こんな日くらい素直に帰らせてくれ。
制服のズボンのポケットからスマホを取り出しライトをつけようとしたら、パッと非常口の緑色のランプが光った。
たぶん非常用の電源があって、それが作動したんだろう。
続いておばさんの声でアナウンスが流れた。
「ただいまの停電の原因を調査しています。お客様は落ち着いてその場を動かず、この放送の指示に従ってください。」
うーん、まぁ、従わんでも帰れるかな。
このショッピングモールには何度も来ていて、非常用階段の場所も案内されずとも分かるが、どうせそこは今から混み合うだろう。
このままスマホのライトを付けてこの階段を降ってしまえ。
俺はちゃっちゃと帰ってゲームをやりたい。3ヶ月分も遅れがあるんだし。
右手は手すり、左にスマホを持ち階段を降る。
ショッピングモールの階段は広く緩やかに造られていて、危なげなく降りられた。
明かりがある時と大差ない速度で2階の踊り場が見えるところまで降りてきた時、
その踊り場に人影を見た。
たぶん、高校の女子の制服。その上から黒っぽいコートを着ている。制服のリボンの色は暗くてよく見えない。同じ学年だろうか。
停電からしばらく経つし、非常用の階段へのアクセスもさっきアナウンスされていた。
なんでここの階段に?
俺とは違ってそいつは明かりを何も手にしていない。
何してんだろ。話しかけるか…?
人に明かりを向けるのって失礼だよな…
と無駄に頭を回していると、
「神崎さん」
呼ばれた。
女の声だ。
どこかで聞き覚えのある。
というか1週間くらい前の登校日に聞いた気がする。
まとまらない頭のまま一応、
「お前誰?」
と言って返事を待ちながら一段一段降りて2階の踊り場に近づいていく。
「あ、すみません、春日谷です」
春日谷?同じクラスの春日谷文歌か、一体こいつはなんでこんな所に?
こいつは3年のクラス替えで同じになって隣の席のやつだ。
男ウケを狙ってるみたいな黒髪セミロング、白い肌に薄い化粧、見た目からしたら清楚ビッチ?白ギャル?とにかく裏のありそうな、ダークな一面がありそうな外見をしてて、メガネにお下げの図書委員みたいなお淑やかな娘が好きな俺としては関わりたくなかったんだが、向こうがやけに話しかけてくるし、話してみるとこいつは何故か敬語だしで意味分からんやつだった。
別に付き合ってるとかはないし特別仲がいいわけでもないと思う。
ただ学年ではかなり可愛いんじゃないかな、こいつ、全然タイプじゃないけど。
黙らせとくのもあれなので俺はとりあえず手を掴めそうな距離まで春日谷に近付いていく。
「春日谷、何やってんだ?明かりもつけずに階段降りる気か?結構危ねえぞ」
続けて、一緒に降りるか?を言おうとした瞬間、
「ごめんなさい」
というやけに透き通った春日谷の声が聞こえ、それを脳が理解する前に、
____ボッ
俺の身体は内部から爆破されたような熱さに襲われた。
「ッッッ_____!!!???」
喉も焼けて声も出なかった。
ギリギリ動く目で自分の腹を見たら、春日谷の暗闇で薄く光る白い手と、それに握られる赤黒い直刀が、俺に突き刺さっているのが見えた。
意識が身体と同じに内側から燃え消えていく最後に、俺は涙を流した春日谷の、妖しくも綺麗な顔を見た。
そして、俺の腹から引き抜かれた直刀を、自身にも刺している春日谷の姿を見た。