(回想2)
(これは一体何なんだ。)
ランマルは目の前に広がる光景を前にして、声を失っていた。
膝が震える。
息が荒くなる。
首が締め付けられる。
足から力が抜け落ちる。
ランマルは、焦げ臭い瓦礫くずの上にへたり込んだ。
いつもの見慣れた風景とはまるで違う。
家が無い、家畜小屋が無い、鍛冶屋が無い、人影が無い。
無い、無い、何にも無い。
ああ、これはきっと夢なのだ。
悪い悪い夢なのだ。
そのように思おうと何度も試みたが、やはりそれは現実で。
「親父?どこだ?親父―――――!」
立ち上がり大きな声で父を呼ぶが、返事はない。
「シゲルは?レンはどこだよ、親父を見なかったか?親父はどこにいるんだ?」
がれきの中を走り回りながら知人を探すが、人っ子一人見当たらない。
ああ、ここはきっと自分の生まれ育った村ではなく、どこか別の村なのだ。
そのように思おうと試してみたが、やはりここはその村で。その翼をもぎ取られた天使のような気持ちであった。
同時に、親父にはもう二度と会えないのだと、悟った。
一体いつから雨が降り始めていたのだろう。
鈍色の空からつと涙が流れ落ち、しゃがみこんだランマルの肩を、背を、腕を、頬を撫でいく。
しかし、ランマル自身からは、不思議とそれは流れなかった。
「おい、もう取るもんは取り切ったぞ。帰ろうぜ。」
「ああ、そうだな。風邪ひいちまう。」
どれ位そうしていただろう。
突然聞こえた会話に、ランマルははっと我に帰った。
山賊だろうが盗っ人だろうが、最早自分にとってはどうでもいいことだった。
とにかく情報が欲しい。
親父は生きていないのか、どこにるのか。
みんなは今、どこに居るのか。
誰の仕業で、こうなってしまったのか。
ランマルはすっかり力の抜け落ちた足を動かしてどうにか前へと運ばせていた。
次第にその歩調は早くなり、息が上がってくる。
「お、おい。どうした姉ちゃん・・・」
突然現れたみすぼらしい少女に、男二人が驚いたのは言うまでもない。
「みんなどこにいるんだ!ここはどこなんだ、いつこうなっちまったんだ!」
男は二人組で、独りは背が高くやせ細り、もう一人はランマルの肩くらいの背で少し肥えている。
彼らの鎧からどこかの隊の歩兵であることが分かった。
ランマルは背の低いほうの男の胸倉をつかんでゆすった。
「おおおい、やめろおお」
背の高い男は泣きそうな声で訴えた。
ランマルはあわててつかんでいた男を投げ飛ばした。
「まあ姉ちゃん、落ち着けや。サガのもんかい?よくもまあ無事だったもんで・・・」
細身の男がこちらの様子をうかがうようにしながらなだめてきた。
先ほど突き飛ばされたほうの男はカエルがつぶれるときのような声を出し、したでもぞもぞとうごめいている。
「生き残りは。」
「えと、国が引き取ったのさあ。」
細身の男が一歩後ずさる。
「どの。」
ランマルが一歩詰め寄る。地を這うような声だ、と自分で聞いていて思った。
「え、エンガル国でさあ。」
細身の男がいまだ転がっている哀れな相方を心配そうにちらと見て、また視線をランマルへと戻す。
「サガの民の村はイオ国の領地だ。」
サガの村はイオ国の国境沿いに位置していて、普段は国の存在をあまり意識することはなかった。
そしてそれはイオ国の方でも同じようであった。
イオ国とエンガル国はさほど仲がよろしくはない。
だが戦を起こすほどではないはずだ。
「ああ、そうだ。そうだとも。でもご存じで?エンガル国のお世継ぎ争いの件は。」
「いろいろ大変らしいな。」
サガの村の山を一つ越えるとエンガル国になる。
山の向こう側は乾燥していて荒涼とした草原が広がっているらしく、滅多なことでは人が来ない。
孤立している村ゆえ入ってくる情報が少ないのだ。
エンガル国には、隣国の辺境の地にまでその仲の悪さをささやかれるほどの三兄弟がいて、父王は何かと手を焼いているらしい。
「そうなんでさあ・・・。で、国王陛下が今憑かれておいでで、そろそろ世継ぎを決めようと皆慌てているんでさあ。」
憑く、という言葉が王族に対して使われるということは、重い病気でも患っているのだろう。
ここまで考えたランマルは、体温が一気に冷え切っていくのを感じた。
導き出された答えに、歯をぎりと噛みしめる。
「・・・くだらない他国の、王族の兄弟喧嘩に巻き込まれたというわけか。」
男はバツが悪そうにランマルから目をそらしてもう一人の男のほうに声をかけた。
「そ、そうでさあ。・・・・・・おい、お前いい加減に起きろや。」
ランマルは構うことなく続ける。
「・・・・・・赤毛の大男は、生き残りの中にはいたのか。」
「ああ、あの赤毛ですかねえ、そ、そういやあ・・・。」
急に歯切れが悪くなる。
「言え。」
いない、と頭の中でもう一人の自分が静かに口を開くが、一方で、そんなはずはないと主張し、騒ぐ自分もいた。
「えと、ねえお嬢さん・・・。」
なかなか答えようとしない男に苛立ったランマルは、そっと腰に備え付けてある剣の方へ手を伸ばす。
思わず後ずさった男が瓦礫に躓きしりもちをついた。
「し、死んだ奴はみんな火にくべられてさあ・・・、確かに、その、赤いのも焼かれてた、のを・・・・・・。」
喉が締め付けられるように痛かった。
「だれが命じた。」
感情の全くこもっていない、死んだ魚の目をし、うすら笑うずぶ濡れの少女を見て、男は小さく短く悲鳴をあげた。
「え、エルゲス殿下でさあ・・・。もう、いいよなあ、お嬢さん。そろそろ勘弁して・・・」
勘弁してほしい、男が言い終わるころにはもう目の前の赤毛娘は消えていた。
辺りを見回すと森の中にちょろりと尾のような赤毛が消えていくのが見えた。
男は安堵のため息を漏らし、今なおうずくまる相棒を起こして割り当てられた仕事場に戻ることにした。自分のところの隊長と、先ほどの狼のような娘が対峙しなければいいと願いつつ。
しばらく山を下ると、開けた土地に大きな人だまりができていた。
ランマルは気配でそれが兵士達だと分かった。
ひょいと木の枝に乗り移りその様子を観察する。
雨をしのぐテントを張っているところであった。
移動が楽にできるものではあったがいかんせんこの人数。
移動するのにさぞかし時間がかかるだろう。
ざっと百五十人はここにいる。
それに木を切り倒し、道を作っているところを見ると土地勘のあるランマルはすぐに下の広場にも兵士が流れ込んでいるのだと察した。
この広場に馬はいない。
台地がゆがんだり風に削られたりして出てきた粘土層がぬかるみを所々につくっている。
一方下にある広場の方は表面には水はけのいい比較的大きな砂粒があるため大きな荷物や馬はそちらに連れていかれているのだろう。
それにここら一帯はよく土砂崩れが起こる。
身分の高いものはなおのことここを避けたのだろう。
ふうと息をつくとランマルはこっそり下の広場へ行くことにした。
見たところ捕虜もいないとなればここにとどまる意味はない。
一刻も早くとらわれた村衆を見つけ、逃がしてもらわねばならない。
そして何よりも自分の父親の安否をもっと信頼のできる人に聞きたかった。
下の広場ではランマルの睨んだ通り馬が何頭もいる。
だがあまりいい馬ではなかった。
テントも歩兵らしきものたちと大して変わりはない。
そして捕虜の姿もない。
ランマルはもう一つ下の広場に行くことにした。
雨が当の昔に止んでいることには気が付かなかった。
だがランマルの指先は冷え切った刃のように冷たかった。
三つ目の広場にきてランマルは胸が高鳴るのを感じた。
そこには捕虜こそいなかったものの、一目で身分の高い者たちが集まるところだと分かった。
馬の美しさ、そしてその数が違う。
テントが違う。
何より兵士の身に着けている鎧が一目見ていいものだとわかるものだった。
ランマルは目を凝らし、テントの様子をうかがう。
もう日は暮れかけていて、夜目の比較的よく効く彼女でさえ集中せねばならなかった。
が、幸いなことに阿呆な兵士共はランマルの目の前で火をおこし始めた。
ランマルは木の上でバランスをとりながら広場を見渡した。
暗いところからだと明るいところの様子がよくわかる。
ふと大きなテントが目にとまる。
あれだ、と思った。
宿敵がのうのうと羽を伸ばしているテントは。
今エルゲスとやらの首が何よりも欲しかった。
悲しむよりも、弔うよりも、敵の首が欲しかった。
異常だ、と言われればきっと否定はしない。
だが今ランマルは悲しむことそれ自体を恐れていた。
悲しみのどん底からもう二度と上がって、日の光を浴びられない気がしていた。
悲しまないためには何か無我夢中で取り組めるものが必要だった。
それが単に敵の首だというだけで。
ランマルは今、自身の心がとても落ち着いていると感じていた。
夜に大きな目を開いて獲物を狙う、フクロウのように、彼女の心は静かだった。
例のテントからある人物が出てきたのが遠目に見ても分かった。
それは妙な被り物をしていて、ただならぬ存在感を漂わせていた。
遠くにいるはずの人物となぜか目が合った気がして、ランマルは思わず武者震いする。
迷いなどなかった。
きっと奴には血も涙も無いに違いない。
だから、と、木から飛び降り剣を鞘から引き抜く。
体中が燃え上がるように熱いのに、頭と剣を持つ指先は冷え切っていた。
息をつく暇もなく目標めがけて突進する。
ランマルは、その日エルゲスと対峙した。