生活3
秋風が吹き渡る庭は、花も人も多くはなかったが、それでもラルを大いに満足させた。
体を包み込む風が気持ちいい。
庭は一日で回るのには広すぎる。
珍しい動植物が集めてある建物は外から眺めただけだし、大きな田畑は結局何を育てているのか二人に聞いてもわからなかった。
森に入ろうとするともう暗くなるのでと足を止められてしまう。
家畜小屋も立派だ。
城の裏には兵士や貴族たちが乗る馬がつなげられている。
「おーーーーい!!」
大きな声で中にいた男に手を振ってみると、声が届いたのかひょいと帽子を片手であげて返事を返された。シャナに咳ばらいされたが、こんなに嬉しいことがあったのはずいぶん久しぶりのことのような気がする。馬小屋、と言っても小屋というほど小さくはないが、その近くに既視感を覚える建物があった。
赤いレンガでできた、煙を黙々と吐き出すその建物は
「鍛冶屋か。」
煙が上がっているということは、今も誰かが汗水たらして働いているということだろう。
「はい、おっしゃる通りです。」
よく知っているのだなと言わんばかりの反応がエルナから、
「主に馬具を作らせております。」
とシャナが教えてくれた。
そうか、とだけ答えてしばらく赤煉瓦のそれを遠くからじっと見つめていた。
するとちょうど中から男が汗を拭きながら出てきて、その姿が親父と重なったのだが顔には出さないように努めた。
「・・・・・・疲れた、もう帰ろう。」
わずかに動揺する侍女を置いて足早に城へと戻っていった。
冷たい風が木から葉を奪っていた。
城の入り口には細いマッチ棒のような彼がラルたちを出迎えた。
「ええと、あなたは確か・・・・・・。」
「ベグでございます。」
そう言って恭しく頭を下げる。
「ああ、べ、ベグ。何の用だ?」
すると顔をあげて
「夕食の支度が整いました。エルゲス様がお待ちです。」
と伝える。
盲点であった。
ラルは食事は別々でとるものだとばかり思いこんでいたので
「や、やつと一緒でないとだめなのか?」
と言ってしまった。
「実はエルゲス様がそうするように、と。」
非常に申し訳なさそうな顔で答えられるとラルは仮病を使って一人で食べようとしていたのを諦めざるを得なかった。
まったく嬉しくない知らせであったが物は考えようだ。
食事の時くらい油断するだろう、そしたらその時が復讐を遂げる絶好の機会である。
何も刃や毒だけが人を殺すのではない。
食器や箸、すべて武器だと思い込めばいい武器になる。
(丁度腹もすいてきたところだし、都合がいい。首も食事も頂戴することにしよう。)
幸いエルゲスは城の中ではつまみ者で、もしかすると奴を手にかけた者は通常よりも罰が軽いかもしれない。
そんなことを考えながらベグの背についていった。
ベグに連れられてラルと二人の侍女は王宮の中では小さめの部屋に入った。
そこには四角い食卓に大きな椅子が二脚、絵画から出てきたような燭台に、豪勢な料理の数々がすでに盛り付けられた美しい食器が並べられていた。
さらに部屋の四隅に従者と侍女が一人ずつ立っている。
片方の椅子にすでに腰を下ろし、一人の従者に書類を渡している大きな黒い影は言うまでもなく宿敵エルゲスの姿だ。
食事の時にすら彼は鉄兜を外さないつもりらしい。
ラルは動揺していたが平然とした態度で従者に案内された椅子に腰かける。
シャナがいつの間にか用意した布巾で手を拭き、正面に座るエルゲスを盗み見た。
蝋燭で照らされた彼の顔は、鉄兜のせいか、とても不気味なものに見えた。
外はすっかり暗い。
「では、いただこう。」
エルゲスがそう言ってナイフとフォークを手に取る。
ラルも真似してみたがなんだかぎこちない。エルゲスがやっているのを見よう見まねで試してみるが。
――ガチャン!
エルゲスは勿論、部屋にいたすべての人間が不安げにラルの手元を一斉に見る。
彼女は生まれてこの方箸一筋である。
「す、すまぬ。」
何のこれしきと手に力をこめ、盛り分けられた肉を切ろうと試みるが、
――ガチャ、ガチャ、ギ、ギ、ギイ。
どう考えても不快な音と四方から飛んでくる視線に狼狽える。
視界の隅でシャナが手を額に当てるのがわかった。
「も、申し訳ない・・・・・・。」
羞恥で顔が赤くなるのが分かった。
すると、くつくつと、目の前の鉄兜がおかしそうに笑う。
「な、なにがおかしいのだ!」
むきになってかかると
「いや、何の配慮もせずにすまぬ。」
と謝られたがまだおかしそうに笑っている。無駄に形のいい唇がきれいに弧を描いていた。
「箸を持ってこさせるか?」
と尋ねられたが、
「いや、貴様の正妻をやると決めたのだ。これくらいやってみせる!」
とはねつけてまたすぐに視線を戻し手に力を込めて肉を切ろうとする。
当然本人は、部屋にいた者がその時それぞれどんな顔で、気持ちでその言葉を聞いたかは知る余地もない。
(だが肉よ、もう動いてくれるな。皿よ、肉とともに動くでない。さあ離れて、切られて、口の中へ入るのだ。)
すでに死んだはずの肉と格闘していたラルは、エルゲスが席を離れたのには一切気づかなかった。だから
「教えよう。」
と言ってその大きく硬く、やけどの跡が残る暖かな手を両手に添えられた時は心臓がはねのけるかと思ったほどだ。
「力が入りすぎている。指も、手首も。」
そう言ってラルの指や手首をほぐし、形を教えていく。
「それに、腕も肩もほら。」
大きな手が腕も肩もほぐしていく。
「そう、そうだ。少しずつ慣れたらいい。」
背中に直接触れてはいないものの、エルゲスの体温を感じる。
悔しことに敵に背中をとられた状況にあるわけで、今は復讐をあきらめようと頭の片隅で考えた。