務め
(正妻としての務めとは何だ。何が求められているのだ?)
案内された部屋に寝転がりながらラルは考え込んだ。
(一応正妻をすると明言してしまった以上、引くわけにはいかない。せめて形だけでもするのが道理というもの・・・。)
あれからエルゲスとはすこしの間別々に行動をした。
体を洗われ、身なりを整えられ、肌触りの良い白い寝巻を着せられた。
メイドたちにさんざんとかしつけられたくせ毛は、そのかい虚しく思い思いの方向に向かっている。
ベグに大きな部屋へ案内された。
鍛冶屋のかまどほどの大きさのある書斎机に大きな椅子、村長の家の玄関よりも大きい本棚に洋服箪笥、それに見晴らしのいい大きな窓があった。
ラルの部屋、になるらしい。
小さな空き部屋で申し訳ない、と言っていたがラルにそこは広すぎた。
どこに立っても座っても落ち着かない。
部屋には緑色の絨毯が敷かれていて、そこに寝転がってみると少しは気分も和らいだ。
窓からの西日が部屋を優しく照らしている。
(夜の務めはさっさと後妻なり側室なりをとってもらうとしてだ。)
先ほどのマッチ棒(ラルはすでに名を忘れていた)は寝室はエルゲスと一緒と言っていたが。
自分ひとり床で寝ればいいだけだ、と考えていた。
(人前に出ても奴の顔に泥を塗らぬように、訛りを直そうか。)
エンガル国もイオの国も多少発音や表現に違いはあるものの、言語は同じであった。
しかし優先順位は低いように思われる。
王族が他国の右も左もわからぬような姫君を嫁に迎えることなど、よくある話だ。
それに比べると訛りはひどくちっぽけなものだろう。
(女性としての嗜みとやらを覚えたらいいのだろうか。)
サガの民の主婦は家事や育児の合間をぬって刺繍や生け花を楽しんでいた。
だが残念ながらラルには美的センスとやらがこれっぽちもない。
絵も刺繍も何もかもへたくそだ。
剣舞とて生活するために親父からたたき込まれたものだ。
音楽になら多少の覚えがあるものの、音を広い空間の中に広げるのには気が引ける。
(まずは文化の違いを覚えることからか・・・。)
きっとこれだろう。
どんな姫君とても相手の国の文化の一つや二つ、教わっているはずだ。
それに思い返してみればラルはこの国のことをほとんど何も知らなかった。
これで正妻とはサガの民の女として恥ずかしい。
問題はそれを誰から教わるか、ということだった。
(エルゲスから習うのはお断りするとして。)
正直あの男には会いたくない。
では、誰が適任であろうか。
初日からエンガルの国王にあまりいい印象を持ってもらえなかったことくらい、ラルとて自覚している。城の者には真っ向から願い出たとして相手にはしてもらえないと考えたほうがいいかもしれない。
(マッチに頼もうか・・・。)
頼み込めば少しくらい教えてくれるかもわからない。
だが生憎、すでに名を忘れてしまっている。
名前を知らないと、この城で人探しは大変そうだ。
(城の者もどんなものがいるか知っておけねばなるまい。)
ラルの知っている一番大きな家の者は使用人の顔と名前、性格をきちんと把握してそれに似合った仕事を与えていた。
きっとここでもそれは同じではなかろうか。
なるべく多くの人と接さなければならない。
それに、もしかしたらサガの民の生き残りのことについて聞き出せるかもわからないのだ。
(そうだ・・・。)
名案を一つ思いついたところで瞼が重くなってきた。
そういえばここ数日まともに寝ていなかったからな。
そんなことを思いながらラルはゆっくりと闇の中に吸い込まれていった。
「これはどういうことだ。」
べグは主の仮面の下の顔色を窺った。
主、もといエルゲスは絨毯の上で眠っている妻を凝視している。
「眠っておいでのようですが・・・。」
仮面の下の表情はやはり見えないが、長年の付き合いで状況を少し楽しんでいるということがわかった。
「あそこの村には、このような風習があったのか。」
このような、というのは絨毯の上で寝る、ということだ。
「いえ、聞き及んでおりませんが。・・・運びましょうか。」
「いや、いい。」
エルゲスは身に着けていたマントを脱ぎ、絨毯の上に大の字で寝ころぶ正妻をそれで包み込んだ。
ゆっくりと丁寧に抱きかかえると自身の、そしてラルとのの寝室へと運んで行った。
後ろに控えていたメイドたちの中には驚きを顔に隠せないものもいるようだ。
べグ胃のあたりを押さえた。
エルゲスは寝室の前でべグやメイドたちを下がらせると、暗がりの中月明かりだけを頼りにラルを寝台へと下ろした。
つい先日まで刃を自分の方へ向けてきた少女の寝顔を妙な気持で見つめていた。
目は半開きで口はだらしなく空いている。
マントにシミを作っていたが気にもとめなかった。
彼女の赤いくせ毛に触れようとしたが、その手は宙を掴んだだけで力なく下ろされた。
もう一度彼女の寝顔を見つめる。
あの村を襲っていなかったら、この寝顔は一体どんな男が見ることになったのだろうか。
いや、それは最早考えたって仕方のないことだとため息をつき、床に寝ころんだ。