王都カレジェフ
うとうとしてははっと目覚め、またうとうとしてははっと目覚め、を何回もやっていた。
そうしているうちに浅い夢を見た。
イザナギはどれほどの夢を見ていただろうか。
少なくともあまりいい夢ではなかったことは確かだろう。
そっと目を開いた。
薄暗い馬車でカーテンから眩しい朝日が目を射抜いてくる。
あれからあたたかい服に着替えさせられたといえ少し肌寒いと感じると、息が白いことに気付く。
重たい体を起こし視線を上にあげると鉄兜をかぶる男の姿があった。
兜の下からじっと見返された気がして思わず俯く。
敵の前で寝るとは恥さらしもいいところだが仕方がないかと言い聞かせた。
自分の向かいに座っている奴は、と兜の男をじっと見据えた。
こいつは驚くほど何もしてこない。
てっきり欲に身を任せて抱きつぶすのかと思っていた。
(今夜辺りにことを起こすのだろう、いや、腐っていてもこいつは王族。好きな時に欲を満たせる人種だ。今すぐに、と言われてもおかしくはない・・・。)
だがまてよ、とイザナギは思う。
(娼館でこいつがあたしを見たとき、顔を抱えていなかったか?それはきっとあまりに理想とかけ離れすぎていて、失望した、ということだろう?)
いやしかし、と思い直す。
(なぜ嫁に迎えたんだ?)
兜をまじまじと見つめながら考えた。
「寒いか。」
先ほどまで微動だにせず、こやつもしや人形かと思い始めていた男が突然口を開いた。
ひゅっと息を飲んでぶんぶん首を横に振る。
そしてふいと顔をそらし窓の外を見ようとしたが、カーテンに阻まれたためその布を眺めることにした。だんだん視界が悪くなり、肩や首から力が抜け、瞼がずっしりと重くなってくる。
寝るな寝るなと言い聞かせてもこの欲求には勝てそうにはなかった。
再び壁に身を預け馬車に揺られていた。
次に目を開くと陽の光が顔の右側を照らしていた。
壁から離れてきちんと座ろうと思ったが、先ほどよりも体が重い。
目だけを動かすと見覚えのあるマントにくるまれているのだと分かった。
(まさかな・・・。)
イザナギは姿勢を正し、前に座る男を恐る恐る見上げた。
(嘘だろ。)
マントは着ていなかった。
「貴様、何で・・・・・・。」
「寒そうにしていた。」
淡々として言った。
「寒くないといったぞ!」
少々声を荒げると外から
「殿下、いかがなさいました。」
と声がした。
「案ずるな。」
また男が淡々と返す。
うまいことかわされたな、と腹立たしくなった。
敵の施しは受けないぞと目で訴えながらずいと黒いマントを差し出す。
「俺は大丈夫だ。そなたが身に着けると良い。」
何を勘違いしたのか、的外れなことを言われてしまった。
実際車内は寒かったので誰のものかはあまり考えずにくるまることにした。
「どこへ行く。」
相手の顔を見ずに聞いた。
感情の読み取れない声で答えが返ってくる。
「王都カレジェフへ。」
「サガの生き残りはどこだ。」
「そこで保護している。」
イザナギはきっと兜の中の男を睨んだ。
「ことごとく焼き払っておいてから『保護』だなんて、いい度胸をしているな。『捕虜』の間違いだろう。」
しばらく間があってから言い方が悪かった、すまないと謝られて逆になんと言い返していいかわからなかった。
そのあとの「捕虜」ではないという訂正はイザナギの耳には届かなかった。
「で、あたしの親父は?」
「俺たちが立ち入ったとき既に何者かに殺されていた。」
何を言われたのか分からなかった。
聞き間違えとさえ思えて何度か聞き直したが答えは同じだった。
部下の誰かがやったのだろうといっても首を縦には振らなかった。
聞けば心臓を背後から一突きされていたという。
思い切り耳をふさげば、気配で男が謝っているのが分かった。
その時馬車が止まって、外の兵が声をかけてきた。
曰く、休憩して朝食にしようと。
慌ててマントを男に押しつけ隅でしわクチャになっていたヴェールで顔を隠した。
くすりと笑われた気がしたが、きっと気のせいだろう。
車を降りる際、先に外に出た男に手を差し出された。
そのとき初めてイザナギは自分が妾であることを思い出した。
心の中で呪いながらも体裁を整えるためにしぶしぶ手を取った。やはりその手はあたたかかった。
一行は峠を越えたところで止まっていた。
馬車の止まったあたりから木がぽつりぽつりと生えている。
苦労の多そうな茶色い髪の老人は今からこの山を下り、彼方に見えている王都を目指すのだといった。
一週間ほどでつくらしい。
イザナギは少し山を登り、その景色を見渡した。
朝日を浴びている木々は囁き、遠くの方に見えている石造りの家が密集している辺りは白く光っているように見えた。
王都と聞いて建物ばかりのつまらない場所だろうと高をくくっていたが白い大きな建物の間に緑が入り込んでいるのが見える。
山鳥が朝を告げていた。
草の露がきらめいていた。
風は澄んだ青空を吹きわたっている。
美しい、そう思った。
だが同時に自分はあそこに幽閉され、あの男のいいようにされるのだと思うと少し晴れていたイザナギの心に暗雲がたちこめた。
腹を満たし喉を潤し用を足し、少し体を動かしたところで馬車に乗り込み移動となった。
今度はカーテンを開けることになった。
少し前まで自分にぎゃんぎゃん吠えたてていた男その三あたりが
「お召し物をどうぞ。」
と丁重に羽織り物を差し出してきたときは笑いをこらえるのに必死であった。
「で、カレジェフに貴様の妾は何人いるんだい。」
静かな馬車の中で口火を切ったのはイザナギの方であった。
平地に差し掛かっていて、ぽつりぽつりとかわいらしい白い壁のレンガの家が見え始めていたころだ。
エルゲスは首を傾げた。
「正妻であるそなた一人以外、妾は俺にはないが・・・・・・。」
イザナギの思い込みが一つ解消された。