室井の死
恐る恐る取り上げた受話器からは、信じられない声が飛び込んできた。
「明日の午前中のご予定は如何ですか?」
樽井はクローゼットに跳んで行き、背広の内ポケットから、よれよれになった手帳を取り出した。
「大丈夫です」
「じゃあ、赤坂のいつもの所で十一時にお待ちしておりますので」
「私でいいんですか?」
「ええ。
まあ、朝刊読んで頂ければわかると思いますので。
じゃあ、夜も遅いので、失礼いたします」
岸本は一方的に電話を切った。
樽井は掌を大きく目の前で拡げ、暫くの間じっと見つめていた。
18
「ちょっとあんた見てみい」
典子は、眠い目を擦りながらリビングに入ってきた一男に朝刊を渡した。
“みさき党 自民、公明との連立拒否”
「公明党とも会ってたんか」
一男はコーヒーの入ったマグカップを口に運んだ。
「いったいどうなるん?」
典子はトーストにマーガリンを塗りながら聞いた。
「社民党と民主党は自民党に付くやろな。共産党は相変わらず独自路線やし、公明党がどう出るかやな」
「せやけど、自民党のあの税法案に従うわけいかへんやろ」
「たぶんな。
そうなったら首班指名で室井さんが指名されて晴れて総理大臣になるんやけどな。
ただし、まだ過半数にまではいかへんし、うちは参議院に議席を持ってへんから、何をするにも大変やけどな」
「そしたら、まだ、テレビがなくなるのはちょっと先やね」
「俺は一日も早くなくしたいんやけどな」
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樽井は食い入るように新聞を見ていた。
掌にじわっと汗がにじんだ。
迎えの車が来たことを告げるチャイムが鳴った。
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ルームメイキング歴十五年の高田チレは、もうすぐ十二時になるにもかかわらず、唯一ドアのノブに札の掛かった部屋の前で腕を組んで立っていた。
確か、半年以上の長期滞在者の部屋のはずだった。
永年の勘から、チレはフロントへ電話を入れることにした。
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ビールが喉を流れていかなかった。
「樽井先生、お互いいろいろと大変ですよね」
岸本がビール瓶を持ったので、無理矢理グラスを傾けたが、半分も飲むことが出来なかった。
「ちょっとお疲れのようですね」
岸本はビール瓶をテーブルに置くと、グラスに残っていた自分のビールを一気に飲み干した。
「樽井先生、酔っ払わないうちにお話ししておきましょう。
朝刊は読まれましたか?」
「ええ」
「あの通りなんですよ。
室井先生も、志を持ったすばらしい方なんですよ。だけど、政治家としては如何せん経験がないせいか、遊びの部分がないんですよね。
遊びってのは、昔自動車教習所で習いましたよね、ブレーキの遊び、その遊びです。
自分の考えだけが百パーセントぎちぎちに自分を支配しちゃあダメなんですよ。わずかだけでも他人の考えを聞き入れる隙間がないとね。
で、樽井先生、あなたもお立場上大変なのは察します。
民主と社民は連立にイエスと言っています。
私も政権は維持したい。
樽井先生、もう一度一緒にやりませんか?」
樽井は室井と大山の顔を思い浮かべた。
「うちも公約に掲げた以上、やっぱりやーめたって言うわけにはいかないので、段階を踏んで、徐々に緩めていきますよ。影響はゼロではないですけど、それに近いものにします。そうすれば先生も納得していただけるでしょう」
「ええ」
樽井は力なく言葉を吐いた。
「段階的じゃあダメですか?」
「え?」
「室井先生は、その、段階的、が信用ならないと強くおっしゃられましてね」
「そうなんですか」
「じゃあ、樽井先生、イエスと理解してよろしいんですね」
「は、はい」
「ありがとうございます。
また、与党ですよ、頑張りましょう」
差し出した岸本の手を樽井はやはり力なく握った。
19
一男が室井の死を知ったのは、東京へ向かう新幹線の中だった。
自動ドアの上で流れたテロップに、乗客の大半を占めるスーツ姿のサラリーマンからどよめきの声が上がった。
携帯が震えた。
本当なのかともう一度テロップを見ながら通路を歩きデッキに出た。
「室井さんが・・・」
典子だった。
「わかってる。
それより今どこや?」
「まだ家やけど」
「とりあえず、すぐ出ろ。
それで、どこでもええからホテル借りろ。
名前は偽名を使うんやぞ」
「なんでそんなこと・・・」
「室井さんは殺されたんや」
えっ!と言う典子の声を聞く前に一男は携帯を切った。
デッキを出ると、どよめきはまだ続いていた。
振り向きざまにテロップを見ると“自公民社連立へ”と言う文字が左から右へ流れていた。
ホテルに着くと鈴生りになった報道陣が一男にフラッシュを浴びせかけた。
〈いつお知りになりましたか?〉
〈党首に何かひどく悩んでいる様子はあったのですか?〉
「自殺とちゃうわいっ!!」
言いたかったが言えずにエレベーターに乗り込んだ。
室井の部屋の前には、立入禁止、と書かれた黄色いテープが張られ、白い手袋をした刑事と思しき男や鑑識の人間が忙しそうに立ち回っていた。
「山田さんっ」
一昨日まで一緒に声を枯らしていた運動員が、みんな目を真っ赤にして一男に駆け寄ってきた。
「どうしてなんですかっ!!」
「俺にもわからへん」
「なんで室井さんが自殺なんかするんですかっ!」
「せやから俺にもわからへんて言うてるやろっ!」
怒鳴り声に涙が交じった。
山崎という刑事が状況を説明してくれた。
死因は首吊りによる窒息死、死亡時刻は昨日の深夜から今日の朝に掛けて、「ここにバスローブの紐を掛けられて」と部屋の通気孔を指した。
「昨日はお会いには?」
「朝、一緒に選挙事務所から戻ってきまして、それぞれの部屋に入りました。自民党の岸本首相と部屋で会うとは言ってました。公明党と会うとは聞いてなかったです。それで私は午後から大阪に戻りました。出るときに部屋に電話を入れようと思ったんですが、疲れて寝入っていると思いやめました」
「公明党の方とは、岸本首相の前に会われています。ご本人にまだ確認は取れていませんが、フロントマンが部屋に通したことを認めています。
岸本首相が帰られてからは来客はありません。これもフロントマンが認めています。
聞くと、室井さんは、ルームメイキングですらも必ずフロントを通していたということですから、知らない人間がフロントを通らず部屋のチャイムを鳴らしても、室井さんは出なかったと思います」
「遺書は?」
「遺書のない自殺なんていくらでもありますから。
検死解剖の結果を見てからですけど、自殺に間違いありません。
いろいろなプレッシャーから発作的に、と言うところでしょう」
「事件性は?」
「今の所なにも」
「誰かの指示を受けた男がなんらかの手段で部屋に侵入して、もちろん一人じゃないですよ、嫌がる室井さんの首に無理矢理紐を掛けて、自殺に見せかけた」
「山田さん、サスペンスドラマの見過ぎですよ」
言うと山崎は、室井が首を吊った通気孔の下にできた黒い染みを跨いで部屋を出ていった。
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室井のお通夜はしめやかに行なわれるはずだったが、テレビ局各局はそれを許さなかった。
余計なことするからだよ、芸能レポーターと称する不思議な職業の人達の繕った暗い顔の頬にはそう書かれていた。
町の小さなセレモニーホールは、みさき党員、運動員、集談社の社員、そして僅かだが他党のトップの人間達で溢れ返った。
岬の妻の和枝と娘の里見も、一度だけだが一男と目が合い頭を下げた。
典子も、行きたい、と言ったが、一男は止めた。
東北から出てきた室井の年老いた両親の手を引き、人垣を掻き分け祭壇にたどり着いたとき「えらいことでしたな」と一男の肩越しから声がした。
ヨシモトの峰社長だった。
「ご両親さんですか。
このたびは御愁傷さまで。
ほんまにええ息子さんやったんですけどねえ」
峰社長の関西弁と声の大きさに圧倒されぽかんとしている二人を一男は遺族席に座らせた。
「昔の人はよう言うたもんですなあ“出る杭は打たれる”まさにその通りでんなあ」
周りの人間が一斉に峰社長を見た。
「社長さん、ちょっと」
一男は室井の両親に頭を下げると、峰社長を連れてホールを出た。
一斉にフラッシュがたかれ、芸能レポーターがあっと言う間に二人を囲んだが、プロレスラーのような峰のボディーガードが簡単に蹴散らしてしまった。
「社長、もう少し場所をわきまえて話してくださいよ」
「何がやねん。
俺は事実を述べただけやないか」
「ご両親が来てはるんですから」
「そんなもん関係あるか。
あんたらがしょうもないことするからやないか」
「何がしょうもないことなんですか」
「室井はんも死なずにすんだんや。
結局はあかんかってんから」
「まだわかりませんよ」
「何言うてまんねん。
公明党が妥協して、自公民社で連立が決まったいうて、ニュース見てないんでっか」
「まだ過半数には届いてないでしょ」
「総理大臣には岸本はんが指名されるのは間違いないんでっせ。
そしたら、あとの無所属の人間も何やかんや言うて説得されて自民党に入りまっせ。確か、あの無所属の五人は、あんたの大嫌いなタレント議員のはずでっせ」
「タレント議員?」
その時「社長、焼香始まりましたわ」と男が峰社長を呼びに来た。
「ほな、山田先生、私はこれで失礼しますわ。
あっそや、先生、党の名前はやっぱり室井党に変えまんのか、はっはっはっはっ」
峰社長はボディーガードに包まれるようにしてホールへと消えた。
そして、その後ろを、背中を丸めた樽井が大柄な男と歩いていったことに一男は気がつかなかった。
20
結局、室井の死は自殺ということで片づけられた。
一男は、絶対に室井は殺されたと確信して、誰か怪しい人間を見なかったかと、ホテルの全てのフロントマンに尋ねたが、答えはいずれもNOだった。
岸本首相が帰った後、誰かが部屋に入ったのは間違いない。しかし、室井はああ見えても用心深いところがあるから、フロントを通していない知らない人間には絶対に扉を開けないはずだ。すると、室井の知っている人間、一度は会ったことのある人間だ。じゃあ、いったい誰だ。誰が、室井を殺す必要があったんだ。室井に連立を断られた岸本首相が、見せしめとして殺し屋を雇ったのか。あっ! 峰社長だ。あの日、大阪に帰るとき、ホテルの前に止めた車の中にいた。岸本からの依頼を受けて、そういえばあの男もそうだが、いつも周りに付いているボディーガードはどう見ても堅気ではない、あいつらが部屋に入って抵抗する室井を担ぎ上げ、吊るしたひもで・・・しかし、峰社長は口は悪いが、自分でも言っていたように、人の命に手を掛けるようなことはしないように思える。じゃあ一体誰なんだ? 公明党の樽井党首か? 確かに立場的には完全に板挟み状態だ。室井に連立を断られ、どうしようもなくなって発作的に・・・
電話が鳴った。
「もしもし」
〈・・・・・・・・・・・〉
受話器を置いてカーテンを捲ると、新宿の空が白み始めていた。
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「先生、くれぐれもお願いしますね」
岸本の声が耳について離れなかった。
止めていたビデオの再生ボタンを押した。
岬和枝と娘の里見がインタビューを受けていた。
〈あの人の遺志を継いで出版社で働くと言っているんです〉
和枝が笑いながら話す横で、少し照れくさそうな里見の表情が映し出されていた。
早送りボタンを押す。
室井の両親が出てきたところで再生ボタンを押す。
〈正義感の強い子でした。
それに、自分が決めたことは絶対に曲げなかった。頑固だった〉
そうですとも、と夫の言葉に頷く母親。
〈自殺なんか絶対にする子じゃないです。私らは誰かに殺されたと思っています〉
樽井は停止ボタンを押した。
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眠い目を擦って一男が登院すると多くの報道陣が待ち構えていた。
「党首、首班指名では岸本前首相の指名が確実視されていますが・・」
一男は室井の死後、みさき党党首の座に着いた。
「今後、第一党の野党としてみさき党はどういった行動を・・・」
「この国からテレビを無くすというマニフェストは引き続き掲げていくのですか・・・」
一男は、言葉の代わりに、ファースト・フード店のマニュアルに書かれてあるような笑顔を報道陣に返した。
一男は、まだ座り慣れない席から周りを見渡した。
公明党、民主党、社民党、共産党の僅かの党員が、自民党の大きな塊の後ろでいじけるように座っていた。
そしてそのまだ後ろに、傍観者のような形で、五人の無所属の議員達が座っていた。
投票が始まった。
先に行なわれた参議院の首班指名では、自民党党首の岸本が指名されていた。
紙に自分の名前だけを書くのに少し違和感があった。
手が震えていた。
脂汗が額から頬に伝い、机の上にぽとんと落ちた。
“山・・・田・・・一・・・男・・・”
215に公明党の10民主党の10社民党の2、全部足して、えーっと237。間違いない。みさき党の236より1票多い。
岸本は投票用紙を持って行進する人の連なりを見ながら、同じ計算を何度も繰り返した。
おっ、樽井さんじゃないか、何か顔色が悪いなあ、大丈夫かな、だけど、ちゃんと考えてあげないとダメだよな、あんな適当なこと言っといたけど、室井さんだったらもっと食らいついてきたはずなのに、まあ、そこが樽井さんの悪いとこであっていいとこなんだけど、政治家としては少し優しすぎるよな、まあ、段階的にとは言っといたけど、低い階段を何段も作って適当にお茶を濁しておこうか、おっ、議長がでてきたぞ、発表だ発表、指名されたときは笑顔で答えないとな、おいっ、早くやれよっ、早く。
「首班指名、開票結果を報告致します。
山田一男君」
236だな、よしっ。
「237票」
えっ!? なんでだよっ、236だろっ! 誰だ、無所属の奴が誰か1票入れたのかっ、これじゃあ同点じゃねえか、また話がややこしくなるぞっ。どうなってんだっ!!
「岸本武三郎君」
237だな。
「236票」
・・・・・・・・・。
「竹田宗雄君 2票。
白票5票。
よって、山田一男君を内閣総理大臣に指名します」
一男はきょとんとした顔をして立ち上がり、ぜんまい仕掛けの人形のようにゆっくりと頭を下げた。
そして、岸本は、口から泡をとばし、壇上に駆け上がっていこうとするところを、周りの自民党議員に押さえつけられた。
21
「首相、いいお住まいですね」
元Jリーガーの浜中玄議員は、散らかし放題になっている一男の部屋を見回して言った。
「首相ってのはやめてくださいよ。なんか、背中がむず痒くなりますよ」
「ずっとここで?」
元プロ野球選手の江島拓郎議員が聞いた。
「もう食べ飽きましたけど、御飯も食べられるし、部屋の掃除もお願いすればすぐしてくれるし、道楽もんにはいいですよ」
「だけど、もう首相官邸に住めるんですからね」
元俳優の城俊彦議員が、現役時代から全く衰えを見せないバスを響かせた。
「せやけど、男一人で住むのもどうかなと思ってるんですけどね。ちゃんと部屋の掃除とか誰かしてくれんのかなあと心配してるんですけど」
「なんやったら、一緒に住みましょか。あっちの趣味はないですけど、部屋の片づけくらいやったらやらしてもらいまっせ」
元漫才師の島田貴彦議員が身振り手振りを交えていった。
「お気持ちだけ頂いときます。
ちなみに私もあっちのほうの趣味はありませんので」
六人声を上げて笑った。
「で、皆さん、お忙しいところ集まっていただいて恐縮なんですけど」
「今日の投票の件ですよね」
城がバスを響かせた。
「大丈夫ですよ。
僕達は、どこかの党みたいに、何の信念も持たずに、とりあえず長いものに巻かれておけ、とは違いますから。自分たちが、これは、と思ったものに賛成の手を上げるようにしているんです。だからどこの党にも属さないんですよ」
江島が自信ありげに話した。
「今頃血眼になって自民党は犯人捜しをしてるんちゃいますか」
島田が、コーヒーに口をつけながら言った。
「そうなんかあ・・」
一男は腕を組んだ。
「江島さん、じゃあ、皆さんが今日の投票で誰の名前も書かへんかったと言うことは、言うてみれば、うちの党の考えにも賛成しかねるっていうことなんですよねえ」
「みんな迷っているんです」
ずっと黙っていた、元女子バレー五輪代表の白田貴美議員が口を開いた。
「プロ野球界にとってはいいことだと思いますよ。
今のままじゃあジリ貧だし、まあ、組合なんか作って、余りにもファンを無視して選手達が金金金と言いすぎた結果ですからね。自分たちで自分たちの首を絞めただけなんですよ。
口では、ファンの為、と言いながら一番ファンを無視していたのは選手達ですからね。ちょっと三割を打ったり、二桁勝ったからと言って、過去に何の実績もないのにやれ一億よこせだ二億よこせだ。長島さんや王さんなんてお金のことなんて一言も言わなかったですから。
一時大リーグが、年棒の件でもめてストをうったりして、ファンにそっぽを向かれた時期がありましたよね。ちょうどそれと同じですよ。ちょっとは頭を打っていいんですよ」
「江島さん、厳しいですよね」
元Jリーガーの浜中が言った。
「真剣にプロ野球界の将来を心配しているんですよ。
でも、首相のおっしゃる通り、人気のないチームにとっては、どこのチームだとは言いませんけど、すごくいいことだと思うんです、テレビがなくなるっていうのは。
もともとテレビ中継なんかほとんどなかったですから、年間の放映料なんて僅かだと思うんです。
観客動員数は間違いなく増えますから、鉢を大きくすればいいんですよ。
五万人も十万人も入るスタジアムを作って」
「それは、うちも一緒ですよ。
余りにもスタートが華々しすぎたんで今の落ちぶれ度が余計に悲惨に見えるんですよね。
一万人入る試合なんて滅多にないし、人気のないチーム同士でしたら三千人程度のお客さんしか入らないのはざらですから。
テレビ中継だって、NHKだけで、民放はせいぜい開幕戦くらいしか中継しないですから。
但、鉢だけは大きなところを持っていますんで、今より試合数を増やせば充分にやっていけると思うんです」
言い終えると浜中は満足そうな笑みを浮かべた。
「私たちはオリンピックの予選とか何年に一回の大きな大会しかテレビ中継がなかったですから」
「でも、いつ見ても会場は満杯やないですか」
一男が言った。
「そうなんです。
声援なんかすごくて、あの雰囲気でプレーをすると癖になっちゃうんですよ」
「プロにすればいいんですよ。
もっと試合数を増やして、全国をサーキットすればいいんですよ。絶対にお客さんは入りますよ。バレーにしたってラグビーにしたってファンの数は野球やサッカーに負けないはずですから、冬のスポーツだって決めつけないで一年中やったらいいんですよ」
「なんか景気のええ話ばっかりしてまんなあ」
島田が白田と一男の間に割って入り、そして続けた。
「私はもうええんですよ、引退しているから。
せやけど、残された後輩には、テレビがなくなる言うのは酷やと思いますよ。劇場だけで食べていける芸人言うたら一握りのそのまた一握りやと思います。とくに、首相もご存じやと思いますけど、大阪なんかヨシモトの独壇場でしょ。テレビがなくなったら峰社長は黙ってないでしょう。とんでもない額のお金が入ってこなくなるんですから」
「確かに黙ってないですけどね。
でも、さっきのバレーの話やないですけど、鉢を大きくしたらいいんですよ。一万人二万人入る劇場を造ったらええんですよ。
ヨシモトさんやったらそれくらいできるでしょ。
それで食べていかれへん芸人は辞めたらええんですよ。
今の大阪の芸人は甘やかされています。
ちょっと売れてきて、関西のローカル局のレギュラーでも持つようになったら、収入が安定してくんのか、舞台に立てへんようになる。立っても、全然力が入ってないのがわかります。
そらテレビのほうが、顔も売れるし、収入も多なるから気持ちはわかるんです。
舞台やったらなかなかお客さんも笑ってくれへん、特に大阪のお客さんはべたですから。
テレビやったら、おもしろくなくても、番組のスタッフとかが無理矢理笑うから、本人らは自分たちがおもしろいいうて勘違いするんですわ。
あれは笑わせてるんじゃなくて、笑われてるんですわ。こいつ何してんねん、いうて」
「えらい、首相、大阪の芸人には厳しいですな」
「愛の鞭ですよ。
安直なことばっかりやってたらほんまもんは作れませんから」
「でもね・・・」
城のバスが響いた。
「俳優ってのは、聞こえはいいですけど、案外収入は良くないんですよ。
高倉健さんや渥美清さんみたいに映画一本で食っていけるってのは本当に例外ですから。
だから、テレビドラマに出たり、つまらないと思っていてもバラエティー番組に出て自分より一周りも若いお笑いタレントにいじくられてもじっと我慢しているんですよ。
そのテレビがなくなっちゃうと、本当にきついと思いますよ。
食べていくネタが映画と舞台に限られますから」
「せやけど、まともに演技できるっていうか、ちゃんと演技の勉強している人なんかほんの一握りでしょ。すぐに淘汰されて、今よりはすっきりとしていいんやないですかね。わけのわからんタレントやアイドルの映画なんかもなくなると思いますから」
「それだったらいいんですけどね」
「大丈夫ですよ。
本物だけがきちんと評価される、そういう世の中にきっとなるはずです。
それと、わたしは、もっとこの国を明るくしたいと思っているんです。
今はなんか、一億総ひきこもり時代って言うか、まあ、インターネットの発達もあって、みんなが家の中でなんでも済ませてしまえるんですよね。せやけど、インターネットいうのは、本当は、過疎地で住んだり、足が不自由でなかなか外に出られへんお年よりが使うもんやと思うんです。
どんどんみんなが外へ出るようになったら、室井さんも言うてましたけど、いろんなとこでお金が落ちて、景気も良くなると思うんです。
今はネット関連の所へお金が集中してしまってますから、政府がいくら景気が上向いてきた言うてもみんな実感がないんですよ」
部屋のチャイムが鳴った。
「皆さん、お呼び出しして申し訳なかったです。
時間が来ましたんで、このあたりで」
「首相」
島田が立ち上がりながら言った。
「結論はすぐに出さな・・・」
「いいです、いいです。
あくまで私の考えを話させてもらっただけですから。
皆さんも、それぞれお考えやお立場があると思いますんで、無理強いはしません。
今日はどうもありがとうございました」
言うと一男は部屋を出ていった。
翌日の朝刊の表紙には、
“前代未聞! 連立崩れる
みさき党山田新首相誕生”
という大きな文字が踊り、その文字の十分の一くらいの文字で、前首相の岸本の「信じたくはないが、どこからか造反議員が出たようだ。調査の上、それなりの対処をしたい」と言ったコメントが載り、それよりさらに小さな文字で、「我が党から造反議員が出なかったことを信じています」とのコメントを残して、公明党党首の樽井が国会議員を辞職したことを伝える記事が載せられていた。
テレビ欄のゴールデンタイムには“緊急特番”の文字が横に並び、社会面には、在京のテレビ局の社員が国会議事堂前でデモを行なうとの記事が載せられていた。
そして、そのデモの様子の写真が載ったその日の夕刊に、テレビがなくなることへの抗議からか、全国の小学校で授業ボイコットが起きていることが伝えられていた。
「大変なことになりましたよね」
岸本前日本国首相が、どうしても一度食べてみたかったと言ってとったルームサービスのチーズクラッカーをかじりながら一男に言った。
「どうしても新しいことが始まるときはこうなりますよ。
消費税が始まったときもそうやったでしょ。
それに、まだ、この国からテレビがなくなるって決まったわけやないんですから。
首相が、ご協力いただけるんやったら別ですけど」
「いえいえ、私も亡くなられた室井先生と同じで、信念を貫く男ですから」
「首相、私たちは、世の中を本当に良くしたい。いいものをきちんと評価できる世の中にしたい。ただその為だけにやっているんです。
どこの党の人間であろうが、どこの派閥の人間であろうが、そんなん関係ないんです」
「室井先生とはえらく違いますねえ。
あの方は、何がなんでも自分の党がイニシアチブを握ってやるっておっしゃってましたから」
「いえ、私もその考えと同じなんです。
但、現実を見ますと、法案が衆議院を通過したとしても、参議院では議席がありません。
それに、今、どうしてもこの時期に決めておきたいんです。
この国は熱しやすく冷めやすい、時が立って、風化されるのが一番恐いんですわ。
それに、私たちは、政治に関しては素人の集団ですから、お力をお借りできればと」
「山田さん、いえ、失礼しました、総理。
私はまだ諦めていません」
暫くの沈黙のあと、岸本は一口ワインを嘗め、立ち上がった。
「総理、官邸は結構きれいに使ってきたつもりです。
奥様は?」
「呼ぼうと思ってます。
もう、こっちのほうが安全やと思いますんで」
「そうでしょう。
もう大丈夫ですよ」
岸本は一男と握手を交わすと、部屋を後にした。
22
一男は、首相官邸に移り住んで一週間後にテレビ廃止法案を衆議院に提出した。
無所属の五人が、考えを理解してくれ、無事衆議院を通過したが、三日後に提出した参議院では、見事賛成票ゼロ票で否決され、一男は衆議院を解散した。
税金の無駄遣いだと、テレビ局をグループに持つ各新聞社は社説の中で強く批判した。
そして、今年二回目の衆議院選挙は十二月最後の日曜日、クリスマスの二十五日に行なわれることが決まった。
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「奥さんに追い出されたんですか?」
フロントマンの金井が一男に聞いた。
「そうやねん、誰にも言わんといてな」
鬼のような顔をして仁王立ちするSPに挟まれて一男は笑い声を上げた。
「まじめな話、ここから僕らは始めたんやからね。なんか向こうにおってもどうも落ちつかへんし、もう一回、原点に戻ろうと思ってな。嫁はんは向こうに置いてきた、何かあったらまずいからな」
一男の言う通り、選挙戦の火蓋が切って落とされてから、みさき党候補者への嫌がらせが相次いだ。
ある選挙事務所に、猫の尻尾が送り付けられたり、街頭演説中の候補者に生卵が投げつけられたり、そしてとうとう二日前の夜、選挙活動を終えて自宅に戻る候補者が二人組の少年に襲われ怪我を負った。
幸い怪我は軽く、捕まった二人の十六歳の少年は、警察の取り調べに対して、テレビがもう見れなくなるのが嫌だった、と供述した。
「悪いけど、前使わしてもらってた長机あったでしょ。あれ、また使わしてもらわれへんかな。すごい便利いいんよ」
「わかりました。すぐにお持ちします」
しばらくすると、金井は長机を持って部屋にやってきた。
「いやあ、ボディーチェックされちゃいましたよ」
「悪いなあ、無理ばっかり言うて。ほんまは官邸におったらええんやけど、さっきも言うたけどなんかこう落ちつかへんねや」
一男はテレビを点けた。
「相撲ってまだやってたんですよね」
金井が部屋の隅に長机を備えながら言った。
「また外人力士の優勝か」
白い肌に青い目の力士が優勝杯を受け取っていた。
「今時相撲なんか見るっていったら年寄りだけでしょ。
そのうち無くなっちゃうんでしょうね」
「多分そうやろな」
「でも、相撲はテレビ中継を続けるんですよね」
「ああ。