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それぞれの思惑

「前祝いで、なんかぱーっとやりましょか?」

「やりたいけど、ルームサービスは大概飽きたしなあ」

「そうですよね。

 ホテルを出るときは護衛の車に守られて、逃げるようにして選挙事務所に向かい、一日が終わると、また、逃げるようにしてここに戻ってくる、その繰り返しですからね」

 民放各社は、なんとかみさき党、強いて言えば、室井と一男の揚げ足を取ろうと、滞在しているホテルのフロントのロビーに取材陣を張り込ませるなどして、二人の行動を二十四時間監視していた。

「立ち食いうどんで、素うどんと安もんのちらし寿司が食べたいですわ」

「今日で最後だよ。

 明日からは堂々とどこへでも行けるんだから」

「そうですよね。

 じゃあ、いつものルームサービス頼みましょうか」

「ああ」

「適当に頼みますよ」

「山田さんのセンスに任せるよ。

 でも、ちらし寿司だけはやめてくれよ」

「どうしてなんですか?」

「こっちのちらし寿司なら食べたいくらいだけど、山田さんが食べたいと思っているちらし寿司はなあ・・・」

「いやなんですか?」

「俺も一回だけ食べたことあるんだ、向うのちらし寿司を」

「美味しかったでしょ?」

「いや、まずくはないんだよ。だけど、高野豆腐だとか椎茸だとか蒲鉾を小さく刻んだやつだとか、その上から錦糸玉子を掛けた姿が何か貧相でさあ」

「それがいいんですよ、あっさりとしてて」

「わかるんだけどさあ、俺達がちらし寿司って言うとさあ」

「わかりますよ。

 あの、お造りがいっぱいのったやつでしょ。

 私も、会社に入った頃、こっちへ出張に来たとき初めて食べたんですよ。

 出てきた瞬間、目が点になりましてね、こんなんちらし寿司ちゃうやろって。

 食べ方がわからへんから、周りの人見てたら、いきなり上からばーっと醤油をかける人もおれば、いったん小皿に醤油を入れてわさびを溶いてから掛ける人もおるし、中には、お造り定食を食べるように、お造りはお造り、ご飯はご飯、ときちんと分けて食べる人もおって、もうわけわからんかったんで、わさびをお造りに塗りたくって、その上から醤油をばーっと掛けて、牛丼食べるみたいに掻き込みましたわ」

「ちらし寿司って言うから、あくまでも“鮨”なんだよ。山田さんとこのは“鮨”じゃないよ」

「それは違いますよ。

 あくまで文化の違いです」

「あっ、山田さん、初めて、俺の言ったことに意見したな」

「食い道楽の街で生まれ育った人間ですから、これだけは譲ることは出来ませんよ。

 私もね、大阪よりこっちのほうが美味しいと思ったのは、鰻と蕎麦と枝豆です。

 これだけは正直負けを認めます。

 せやけど、その他は、誠に申し訳ないですけど、大阪のほうが美味しいです」

「だけど、にぎり鮨と天ぷらはこっちも負けていないだろ?」

「美味しいんですけど、値段が高すぎますわ。

 上天丼が三千五百円て、大阪やったら暴動起きますよ」

「そんなもんなのかなあ。

 でも、山田さんさあ、俺達が政権取ったら、あんたもずっとこっちで暮らしていかなきゃダメなんだからさ、そろそろこっちの食文化を認めてさあ、朱に交わればじゃないけど、早いとこ染まっておいたほうがいいんじゃない」

「いや、だめです。

 だいたい、うどんにコロッケを沈めるような食文化を認めるわけにはいきません」

「わかったよ、もう山田さんのうんちくはいいから、早く何か頼んでくれよ。腹減っちゃったよ」

 大きなメニューを持って電話を掛けに行った一男を目で見送りながら、室井はテレビをつけた。

 画面には、土曜日のゴールデンタイムらしく、何人かの若手のお笑いタレントが、いろんな格好に変装して、うれしそうにスタジオのセットの中を飛び回っていた。

「こいつら明日の選挙のことなんか考えてんのかな?」

 缶ビールを二本持って一男が戻ってきた。

「そら、ちょっとは気にしてるんちゃいますか。

 こいつらだって、たくさんいるお笑いタレントの中から選ばれてきた者なんですから、決してアホではないでしょ。なんらか考えてると思いますよ。

 電波に自分たちが乗らなくなる、生の舞台だけでほんまにやっていけんのかな、あかんかったら干されんねやろな。どうしよ、いまさらサラリーマンなんかようせんしっ、て」

「だけど、実際に残れるのは、二人か三人、そういうことだよな」

「おそらくそうでしょうね」

 二人は缶ビールのプルトップを開けながら頷いた。

「で、山田さんさぁ、大きなお世話かも知れないけど、奥さんとはどうすんだよ?」

「さあ、どうしましょ。

 こいつらより、もっと深刻な問題なんですけどね」

 一男は笑いながらテレビの画面を指さした。

「いい奥さんじゃないかよ。

 あの女子高性を引き摺ってきてくれたときも、俺のほうを見て深々と頭を下げてくれてさ、本当なら二言三言自分の手柄を俺やあんたに話したっていいのにさあ、黙って事の成り行きを見てさ、そっと帰っていっただろ。なんて言うか、決してでしゃばらず、そっと影で旦那を支える、俺は感激したよ。まだ、こんな女性がこの国に残ってたんだなって。自分の権利ばかり主張する、でしゃばりな、髪の茶色いブスな女どもに聞かせてやりたいよ」

「ありがとうございます。

 まあ、確かに自分で言うのも何ですけど、出来た女房やと思います」

「俺も、嫁さんてもらったことがないから想像でしか喋れないけど、山田さんにはあの人が必要だと思うよ。冗談抜きで」

 呼び鈴が鳴った。

「おう、来た来た、腹減ってたまんないよ」

 ボーイが金色のカートを押して入ってきた。

「で、山田さん、何頼んだんだよ?」

「明日の選挙に勝つどん、と言うことでカツ丼を頼もうと思ったんですけどなかったんで、カツサンドにしときました」


 16

「いやあ、最高の天気だよな、正にゴルフ日和だよ」

 九月二十五日日曜日、衆議院総選挙当日、日本全国は、暑い夏がやっと過ぎ去り、さわやかな初秋の風がそよぐ好天に恵まれた。

「でも、選挙日和じゃないよな」

 大山巌はティーにゴルフボールを乗せながら言った。

「ナイスショット!」

 大山の打ったボールはハーフトップとなり、百ヤードも行かないうちに、台風が運んできた雨をたっぷり吸ってすくすくと成長したラフの中に吸い込まれた。

「うちは、土砂降りのほうが良かったんだよ。結束力が強いから。なっ、先生」

 大山はキャディーにクラブを渡しながら、公明党党首の樽井を見た。

「いえいえ、それは昔の話でしょ。天気なんて関係ありませんよ、先生」

 先生と呼びかえされた大山のなりは、スキンヘッドに黒いサンバイザー、胸をはだけた黒のゴルフシャツに突き出た腹に乗ったスリータックの黒のパンツ、どう見ても“先生”ではなく、“組長”だった。

「ファーッ」

 樽井の打ったボールは大山よりは高く天に舞ったものの、途中から大きく右にスライスし始め、やがて大きな林の中に飲み込まれてしまった。

「樽井先生、肩に力が入ってますよ。リラックス、リラックス」

 プロレスラーのようなボディーガード二人と、大山、樽井、を乗せた乗用カートは、地獄へ落ちていくようにして、打ち下ろしコースのカート道を下っていった。


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「おい、町田、酒買うてきてくれ。

 退屈でしゃあないわ」

「ワンカップでいいですか?」

「もっと大きなん売ってないかのう、一升瓶とかで」

「そら無理でしょ」

「せやけど、ちょっと酔っぱらわんと間が持たんわ。

 見てみい、この閑散とした国技館を。

 中入り後やいうのに、序の口の取り組みから全然人が増えてへんやないか。

 まあ、これだけ外国人力士ばっかりになってもうたらしゃあないけどな」

〈東方東龍王東前頭四枚目 中国福建省出身 高砂部屋〉

〈西方千代牛西前頭六枚目 米国ユタ州出身 九重部屋〉

「言うてるしりからこれや。

 ところで、町田、ジャンクはどうしてんねん?」

「あきません。

 すっかりマラソンにはまってもうて。

 社長に言われた通り、あの後、別府温泉へリフレッシュしに行ったんですわ。

 それが、前の晩遅うまで酒飲んでても、朝起きたらあいついないんですわ。

 暫くしたら、汗まみれになって帰ってきて『町田さん、体を動かすことがこんなにいいとは思わんかったですわ』言うて、一週間ずっとその調子ですわ。

 おかげで、戻ってきてから出る番組がことごとく不評で、昔の面白味がなくなったって、プロデューサーみんなから総スカンですわ。

 唯一、健康食品のコマーシャルが回ってきたのが救いですけど」

「そうか。

 マラソンを走ったのがあいつにとって良かったんか悪かったんかわからんなぁ」


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〈投票率は70%を超える見込みです〉

「無党派層が、うちか自民に入れるかですね」

 一男は、おにぎりをぱくつきながらテレビに見入っていた。

「そうだな。

 政治に関心を持たない若い奴らはどっちに入れると思う?」

「まだまだ、テレビが好きって言うか、なくなったら困る世代やと思うんです。

 せやけどあの子らはデフレの中、全てが小さくなろう小さくなろうとする社会の中で育った。物が安なる、景気が良くなるって言う言葉には一番敏感なはずです。

 あとは神のみぞ知るでしょ」

「そうだよな、こんなこと神にしかわかんないよな」

 室井は指に付いた米粒を舐りながらテレビのリモコンを手にした。

「まだまだ先は長いんだから、あんまりこんな番組見るのはやめようや。体が持たねえよ」

 ニュースキャスターが消えると、円い土俵が画面に映った。

「相撲ってまだやってたのか。

 てっきり、もうこの国からなくなったと思ってたよ」

 自民党総裁、岸本日本国首相が、満面に笑みを浮かべて、青い目の力士に自分の体くらいある優勝杯を渡していた。

「せやけど、相撲ってどうなると思います?」

「なくなるんじゃないか。

 週刊誌に載ってたけど、NHKが相撲協会に払っている放映料は年間30億らしいよ。

 単純に計算して、一場所十五日間、年間六場所で九十日、一日にして三千万。

 放映料がゼロになるんだから、今よりそのぶん売り上げを増やさないといけない。

 入場料を平均五千円とすると六千人だ。一万円としても三千人だ。

 今の状況で毎場所毎日三千人だ六千人だって、入場客が増えると思うか」

「無理でしょうね」

「力士の数を今の半分以下にするか、それか、年六場所を毎月の十二場所にして、全国を回るんだ。今月は北海道場所、来月は東北場所ってな。それで十二月に東京ドームでも借りて、“年間王者決定場所”と銘打って、各場所の優勝力士で年間王者を競わせるんだ。

 それでもだめなら、外国人力士が増えたことだから、日本、アメリカ、モンゴル、ヨーロッパに分けて各国総当りのリーグ戦をやって優勝国を決めるんだ。ほとんどこうなったらプロレスのノリだけどな。

 だけどそうなったら、テレビでやらないほうがいいよな。

 プロレスがテレビでほとんど中継されなくなってかなりたつけど、東京ドームだ横浜アリーナだ大阪城ホールだっていろいろ興業をうってるけど、どれも満員札止めの超満員だからな。

 ある程度もったいぶったほうがいいかもしれないな」

「マニフェスト変更しますか?」

「そうだなあ、選挙に勝ってから考えるか」


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「樽井先生、今日はちょっと調子が悪かったですな」

「いえいえ、いつもあんなものです」

 すっかり日が落ちたゴルフ場の、誰もいないレストランで二人は向かい合ってウィスキーの水割りを嘗めていた。

「それにしてもなんですなあ・・」

 大山は、縁にぎざぎざを付けた正方形のクラッカーに乗ったチーズを太い指で摘んだ。

「何でもかんでも法律で雁字搦めにするのも考えもんですなあ。

 見てくださいよ、樽井先生」

 大山はチーズを噛りながら、だれ一人座っていないテーブルの群れを目で指した。

「昔のゴルフ場じゃ考えられないじゃないですか。

 みんなプレイも楽しみにしていたけど、風呂から出て飲むこの一杯を本当は一番楽しみにしていたかも知れない。だから、本当はあまりゴルフが得意でもないし好きでもない人間でも、このためだけに来たりしていたんだ。

 それが今や、ウーロン茶一杯飲んで『じゃあ、お疲れ』でしょ。

 確かに、飲酒運転は減って、交通事故で亡くなる人の数も大きく減りましたよ。

 だけど、何て言うのかな、何か、みんな元気がなくなってしまったでしょ。

 ゴルフ場なんかただでさえどこも経営が苦しいのに、更に飲食の売り上げが大幅に落ちてしまったんだからたまんないと思いますよ」

 大山はボトルの底に残ったウィスキーを樽井のグラスに注ぐと、遠くにいるウェイトレスに空になったボトルを翳してみせた。

「昔、何かで読んだんだけど、儒教ってあるよね、あの孔子が説いたやつ、その中の言葉で、あまり規則や法律で組織を縛ってしまうと、その組織は活気を失ってしまうといったような話があったんだ。まさしく今のこの国の現状だよな。

 だからだねえ、樽井君」

 大山は、チーズの乗っていないクラッカーを取るとテーブルの上に直に置いた。

「岸本が造ろうとしているクソくだらない法律は絶対に阻止してくれよ。

 あの野郎、これまでの恩をなんだと思ってやがんだっ!」

 大山は、おもむろに、机の上に置いたクラッカーに右の拳を叩き付けた。

 ウィスキーのボトルを持ってテーブルに近づいてきたウェイトレスが驚いて後ろ退ってしまった。

「樽井君、どっちが勝つんだ?」

「なんとも言えませんが、どちらも過半数には届かないと思います」

「じゃあ、キャスチング・ボートを握るのは我々じゃないか。

 民主なんてほっといても分裂するだろうし、社民、共産は今まで通りだろ」

「ま、まあ、そうなんですが。

 但、みさきは、絶対に連立はしないと公言しておりますので」

「そんなの、奴らだって、どうしても政権が取りたいと思ったら考え方を変えざるを得ないよ」

「まあ、それならいいんですけど」

「とにかく、なんとか君の力で説き伏せてくれ。

 やっと与党になれたんだ、また野党に戻るのは君もいやだろ。それこそ本当に元気がなくなっちゃうよ」

 レストランの入り口に置かれた大きな柱時計が、投票の終わりを告げる午後八時の鐘を鳴らした。


 17

 自民党、みさき党共に過半数に満たないことが判明したのは、月曜日の明け方だった。

「すいません、油断してしまって。もう少し遊説に行くべきでした」

 みさき党は、近畿ブロックで思わぬ取りこぼしをしてしまった。

 比例区では自民党と星を分け合ったが、小選挙区、それも一男の地元の大阪で、十九ある選挙区のうち、十三を自民党と接戦の末、落としてしまった。

「やっぱり、私の悪いイメージがまだ残ってたんですわ」

「そんなことないって。

 大阪の人はやっぱり、目の前からタイガースとヨシモトがなくなることにどうしても耐えられなかったんだよ。

 いいんだよ、それで。

 選挙ってのは本来、国民の声の反映なんだから」

 お通夜のように静まり返る選挙事務所に、自転車のブレーキ音が響き渡った。

「朝刊です」

 額にタオルを巻いた配達員が、ドサッと新聞の束を入り口のテーブルの上に置いた。

「お兄ちゃん、もう明日からいらないから、戻ったら所長さんにでも言っといてくれ」

 室井が言うと、配達員は少し残念そうな顔をして「わかりました、またお願いします」と言って出ていった。

「惜しかったよなあ、あと五つで過半数だったのになあ」

 若い運動員がため息と思われるような声を出して新聞を持ってきた。

“大激戦 自民みさき共に過半数とどかず”

 特別国会までの熱い30日始まる”

 一面に大きな文字が踊っていた。

 一男はコーヒーに一口だけ口をつけると、新聞を捲った。

“みさき 236  自民 215

 公明  10  民主  10

 社民   2  共産   2

 無所属   5”

「もっと差がついてもいいと思うんですけどね。

 比例の得票率じゃあうちが48%で自民が40%ですからね」

「小選挙区制の文だよ」

 室井は、ページを捲らずに新聞を置いた。

「山田官房長官さあ、これからどうする?」

「さあ、どうしましょ。

 とりあえず、眠たいから寝ましょか」

「そうだ、それが一番いいよ。

 あんたの言うことはやっぱり正しいよ。

 おい、悪いけど誰かタクシー呼んでくれないか」

 室井が事務所の奥に声を掛けたとき、わかりました、の代わりに「代表、お電話が入っております」と言う声が帰ってきた。

「さっそくか・・・」

 電子音が鳴って、テーブルの上の電話に振られてくると、室井は受話器を取った。

「室井ですが、・・・・・あっ、どうも、・・・・・ええかまいませんけど・・・・・あっ、出来れば滞在しているホテルに来ていただけませんか、・・・・あっそうです・・・そうです・・・わかりました、じゃあフロントで私の名前を言ってください、・・・・はい、ではお待ちしておりますので」

 受話器を置いた室井はフーッと大きな溜め息を吐いてコーヒーの入ったカップに手を伸ばした。

「誰からですか?」

「岸本首相の秘書からだ。

 すぐにでも会いたいって」


 高層ビルの隙間から、また新しい陽が上り始めた。

 歩く人は背を丸めて、皆、一目散に職場へ向かう。

 昨日の夜、この国の行方を左右する戦いがあったことなど、その姿からは想像できなかった。

「山田さんさあ、たまには大阪へ帰ってこいよ」

 眠っていたと思っていた室井が突然体を起こして言った。

「せやけど、今日からいろいろと忙しくなるし・・・」

「一日や二日くらい大丈夫だよ。

 奥さんと会ってさ、ちゃんと話してきたら。

 あんたはもう国会議員なんだから、奥さん呼んで議員宿舎で暮らせよ。

 党のトップがチョンガーで、NO,2が奥さんと別居中じゃあカッコがつかねえだろ」

「でも、今日は岸本首相と・・・」

「俺一人で会うよ。

 どっちみち話は決まってんだから。

 なんとか連立を・・・、断るだけだからな」

「一人で大丈夫ですか?」

「岬みたいにならないか心配してくれてるのか?」

「いえ、そ、そういう意味やないんですけど・・」

「あいつが飛び降りたのも、ホテルだったんだ。

 誰にも言わず、誰かと会っていたんだ。だけどそれが誰なのか警察は調べなかった。ただの自殺だろって。

 山田さん、俺に何かあったら、ちゃんと証言してくれよ、自殺するような人間じゃないって」

「ほんまに何も悩み事ありませんか?

 実は、日に日にプレッシャーが大きくなっていて、酒で紛らわせているものの、もうそれもそろそろ限界で、何かのきっかけできゃーーーって発狂してしまうかもしれない・・・そんな状態やないでしょうね」

「山田さん、大阪の人間はみんな持ち回りでヨシモト新喜劇の脚本を書いてんのか」

「やっとわかって頂けました」

「ああ、大いにわかったよ。

 だから、その大阪へ帰ってこいよ」

「ほんまにかまいませんか?」

「いいよ。

 そのかわり、ちゃんと奥さんを口説いてくるんだぞ」

「わかりました。明日の夜には戻ってきますんで」


 結局、一男はほとんど眠れなかった。

 部屋のテレビをつけると、ちょうどNHKの正午のニュースが流れていた。

 自民党とみさき党を中心にした、政権獲得への水面下での動きが活発になるでしょうと、つるりとした顔のアナウンサーが他人事のように喋っていた。

 シャワーから出ると、典子のアパートへ電話を入れようと思ったがやめて、財布だけをズボンのポケットに入れ、一男は部屋を出た。

 フロントでキーを渡しながら、室井さんは?と聞くと「まだおやすみのようです。ルームメーキングの人間がずっと部屋の前で待ってるんですけどね」と自分の言ったくだらない冗談にフロントマンは笑った。

 エントランスの自動扉を出ようとしたときいつもの条件反射で周りに目を配ったが、あれだけいた民放の報道陣は何か大きな竜巻にでも吹き飛ばされたみたいに、人っ子一人いなかった。

 止まっていたタクシーに手を挙げ乗り込もうとした時、車止めに止まったシルバーのベンツが目に映った。

 よく見ると、助手席で峰社長が携帯電話を耳にあてていた。

「東京駅まで」

 ホテルから離れていくタクシーの中からシルバーのベンツを見ると、峰社長が、いつもと違った神妙な顔つきで口をパクパクと動かしていた。


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〈お見えになりましたけど〉

 シェイビングクリームが付かないように受話器を口から離しながら「えっ!? もう来たの?早えよなあ。ちょっと十分だけ待ってて貰える」と室井は言った。

 そして、十分たって部屋に入ってきたのは、岸本首相ではなく、公明党の樽井党首だった。

「申し訳ないです、アポイントも取らずに」

 ルームサービスのコーヒーが来る間、樽井は、なんとか連立で政権を取れないものかと、何度もテーブルに頭を擦り付けた。

「うちはあくまで単独での政権獲得を考えていますので」

 室井は、コーヒーカップの中に白い渦巻きを造りながら答えた。

「そこをなんとかお考え直していただけないでしょうか?」

「樽井先生、お立場はよくわかります。ですけど、私ども党は旗揚げの時に何がなんでも単独で政権を取ると誓いました」

「それは重々承知しております。

 閣僚に名前を連ねさせてくれとかそんな下らないことは言いません。やろうとなさっていることに一切口は挟みません。とにかく、一緒に名前を連ねさせてください。それだけでいいんです。なんとか・・・」

 テーブルに擦り付けた樽井の額から煙が出てきたとき部屋の電話が鳴った。

「はい、わかりました、じゃあお通ししてください」

 樽井はテーブルに額を付けて今にも逆立ちでもしそうな勢いだった。

「樽井先生、申し訳ないですけど、次の方が見えたましたので今日はこのあたりで・・」

 樽井は真っ赤になった額を室井に向けた。

「どなた様で?」

「岸本首相ですよ」

「連立のお話ですか?」

「たぶんそうでしょう。

 だけど、樽井先生、さっき言いましたように、イエスとは言いませんのでご安心ください。

 但し、自民党が唱っている課税の話には私も賛成です」

 樽井は、初めて、獲物に食らいつく鮫のように、どこを見ているかわからないが、何かの強い意志を表わしている、そんな目をした。


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 新幹線が京都駅に着いたとき、一男は降りようかどうか迷った。

 しかし、疲れと寝不足と空き腹の体に流し込んだ350ミリリットルの缶ビール一本で赤くなった顔で典子に会いに行くのには抵抗があった。

 飲んだ勢いで、と思われるのが嫌だった。


 新大阪駅のホームに降り立つと、初老の女性が「あれ、この間選挙に出てた、何とか、あっそうや、山田さんや、ほら、痴漢かなんかして騒がれてんけど奥さんが・・・・」と甲高い声で話し、周りにいた人が「ほんまや」と騒ぎ出したので、どうも、と苦笑いを浮かべながら階段を駆け降り、小走りでタクシー乗場に向かった。


「里帰りですか?」

 信号で止まった途端、タイガースのナイター中継の声を絞って運転手は一男に聞いた。

「まあ、そんなもんです」

 一男は、一刻も早くこの国からテレビを無くそう、真剣にそう思った。

 マンションの三つ手前の信号でタクシーを降り、久しぶりの町をゆっくりと歩くと、人の顔のポスターがたくさん貼られた木のパネルが立てかけられていた。

 昨日終わったばかりなのに、遠い昔の出来事のように感じられた。

 一つ手前の信号を渡り、背広の内ポケットから鍵を取り出すと、何気なく十二階建てのマンションを見上げた。

 真中あたりの、道路沿いと反対側の角部屋から明かりが漏れているのを見て、一男は、マンションの一階から、一、二、三、四、五と階を数えていったが、明かりが漏れている部屋は、間違いなく、二十年住み慣れた、五階の我が家だった。


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「すいません、わざわざお越し頂きまして」

 室井が頭を上げると、耳からイヤホンをたらした、鉄仮面のような男二人を従えた岸本が笑いながら右手を差し出した。

「はじめまして」

 ソファーに腰掛けた岸本は「早速ですが」と言って足を組んだ。

「どうですか、室井先生。うちと大連立を組みませんか」

「総理大臣、私は、貴党が提唱している税制には賛成です。

 消費税は一番平等な税だと思うんです。

 年金生活者や低所得者層に対しては酷な税に映りますが、誰からも徴収できる、言ってみれば、税金を納めていない連中、もしくは納めようとしない連中からも徴収できますからね。

 それを国民はNOと言った。

 じゃあ、もっと平等な税を導入しましょう。

 明らかに、莫大な収入があり、宗教に携わっていると言いながら、ベンツを乗り回し、夜の町を闊歩している、一切税金を納めていない連中からも徴収しましょう。

 もちろん国民はYESと言いました」

「いやあ、そこまで理解していただいてるんなら話しは早いですよ」

「だけどね、総理大臣、先程もある党の代表が来られたんですよ。どこの党かは言いませんけど」

「で、NOと答えられた」

「おっしゃるとおりです」

「わかりますよ、室井先生は意志が強いですから、一度決めたことは絶対に曲げられない。

 だけどね、先生、法律を新しく創るってことは大変なことなんですよ。今回の選挙も結局はそれが発端ですからね。それに、お分かりだと思いますけど、先生のところは参議院に議席を持っていませんよね。もし、政権を取って法案が衆議院を通っても参議院じゃうちの協力がないとダメなんですよ。衆議院に差戻されたら、今度は三分の二の賛成が必要ですよね。となると、またうちの協力が不可欠になってくるんですよね」

「参議院で賛成を得られないのなら、衆議院をまた解散しますよ。

 今度は三分の二の議席を取る自信がありますから」

「室井先生、昨日終わったばかりなんですよ。

 それをまた一年以内にやるなんて、もっと現実味のある話をしてくださいよ」

「じゃあ、うちの法案が通るよう協力してくださいよ」

「ですから、大連立を組もうとお話をしているんじゃないですか」

「いえ、私が協力してくださいと言っているのは、野党として、という意味です」

 岸本は一瞬、えっ、と言う顔をして足を組み直した。

「何度も申しますけど、うちは単独での政権奪取しか考えておりません。

 但し、みんな、政治だとか経済、あと外交や税制、なにもかも素人です。ですからそこのあたりは是非ご協力を頂こうと思っております」

「それなら一緒に手を取り合ってやっていこうじゃないですか」

「いえ、あくまで、主導権はうちが握ります。

 連立でやるとなると、どうしても、自分たちの考えが百パーセント通るとは思えません。

 そのうち、目標がぼやけてきて、自分たちがやろうとしていたことはいったいなんだったんだ?

 そんな状況になるのを恐れているんです」

「長い時間と、国民の大事な税金を使って、またあの面倒くさい選挙をやるんですか?」

「ええ」

「うちと組めば、まあ、この国からテレビを無くすというのも、私もいろいろとテレビ関係の人との付き合いもありますので、今すぐにっていうわけにはいきませんけど、段階的にはやっていけるはずです。それに、先程、先生にご賞賛頂いた税制の件も一緒に推し進めていけば、この国の未来は大きく変わっていきますよ」

「総理大臣、誠に申し訳ないですが、今おっしゃられた“段階的に”、この言葉が私は信用できないんですよ。

 その段階を踏んでいるうちにきっといろいろな横やりが入り、そのうち、先程も言いましたが、話が有耶無耶になってしまう。

 私はそれが嫌なんです。

 ですから、あくまで、単独で政権を取ります。

 今日のところは誠に申し訳ないですが、お引き取り願います」

 岸本は暫くの間腕を組んで目を瞑っていたが、大きくため息のような息をつくと目を開け、突然怒鳴り声を発した。

「秘書の内村を呼んでくれっ!!」

 内村は飛んでやって来た。

「明日の午前中の予定はどうなっている?」

「午前九時から、民放各社会長様との懇談会、その後午前十一時半から、ヨシモト峰社長様とご会談の後ご会食となっています」

「すまないが、全部キャンセルしてくれ。

 あとの指示はすぐに出すから、とりあえず、すぐに連絡を取ってくれ、頼む」

 内村は、入ってきたときより更にスピードをあげて部屋を出ていった。

「じゃあ、室井先生、お互いがんばりましょう」

 岸本は立ち上がると、右手を室井に差し出し、二人は、固く握手をした。

「だけどさあ、選挙だけはもう辞めにしときましょうよ。また日本中を走り回るのかと思うと気が重いですよ」

 言い残すと、岸本は、二人の鉄火面に守られるようにして、部屋を出ていった。


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 樽井は走る車の中で夕刊を拡げていた。

“自民みさき今夕トップ会談大連立へ”

 本当に室井は自民の誘いを突っぱねるのだろうか、だけど自民が掲げる税制には賛成だと言っていた、結局は旨く首相に言いくるめられてYESと言ってしまうんじゃないのか。

 大山先生には何て言おう。俺はこの先いったいどうなるんだろう?

「すまないが、次の信号で降ろしてくれないか。急用を思い出したんで。大山先生のところへはタクシーで行くから、事故渋滞に巻き込まれたので少し遅くなると先生には伝えておいてくれ」


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 岸本首相を送り出し少し一息ついたたフロントマンの金井は、身長百八十五センチ、体重百三十キロは下らない、髪をポマードで後ろになでつけた男がフロントの前を通り過ぎるのを見て、どこかで見たことがあるなあ、それもつい最近に、と思った。


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「家は住めへんかったら傷むって言うけどほんまやわ。

 クモの巣なんか張ったことなかったのに」

 典子はホットプレートの中で沸騰する湯の中に白菜を放り込みながら言った。

「そうやなぁ。

 で、な、典子さぁ、突然やねんけど、もう一回一緒に住んでくれへんか」

 少し間を置いて、典子は「ええけど」と言った。

「そうか。

 東京やけど大丈夫か。

 あいつら、うどんの中に、コロッケ入れて食べるんやで。そんな変なとこやけど」

「私も、向こうのこと片づけてこなあかんからすぐには無理やけど、なるべく早よう行くようにするわ」

「すまんなあ、無理ばっかり言うて」

「かまへんよ、一応夫婦やねんから」

 典子は笑いながらうどんの玉をホットプレートに落としこんだ。

「せやけど、えらいもんやなあ。

 ちょっとの間、大阪離れてただけで、このうどんすきから出汁の香りを感じ取ることが出来るんやから。

 これまで、そんなこと感じたこと一回もなかったもんな」

「向こうでは何食べてたん?」

「ルームサービスばっかり。

 変に有名人になってもうたから、のこのこと定食屋に出かけられへんかったんや」

「せやけど、もし政権取れたらあんたもなんとか大臣になるんやろ。そしたら今よりもっと行動が制約されるんちゃうの」

「間違っても、ガード下で安酒は飲まれへんやろな」

「そしたら、明日はお好み焼きでも焼こか?」

「いや、昼過ぎにはこっち出るからまた今度向こうで焼いてくれ」

「忙しいんやな」

「今日も、室井さんは岸本首相と会ってるわ」

「政権は取れそうなん?」

「何とも言えん。

 お互い過半数に届いてへんから、よその党とどう組むかやな。室井さんはあくまで単独でいくって言うてるけど、自民党も必死やから、何してくるかわからんからな。あくまで数の勝負やから、どう転ぶかわからんわ」

「そうなん」と言った典子は席を立つと、テレビの電源を入れた。

「また、しょうもないのん見るんか?」

「ひょっとしたら、もう見られへんようになるかも知れんから」と言って、典子は大きな旅行鞄の中からビデオテープを取り出した。

「今、ビデオテープがどこ行っても売ってないんやで。みんな、最後になるかもしれんテレビを片っ端から録画してんねんて」


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 部屋の電話が鳴った。

 樽井は出ようかどうか迷った。

 音は鳴り止まなかった。

 どうか止んでくれ、樽井の願いは聞き入れられず、電話は更に鳴り続けた。

 大山先生が、ドタキャンを怒って掛けてきたのか、それとも夜のニュースで、みさき党を説得できなかったことを知ったのか。

「先生、夜分遅くにすいません、岸本です」



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