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みさき党誕生

「こちらです」

 招かれたところは、一塁側のベンチだった。

「もう少しすると、照明が全て消え、スポットライトがグランドに落ちますので、その輪の中に入って、ピッチャーマウンドまでゆっくりと歩いていってください」

 トイレの中の男性達の会話に偽りはなく、内野のダイヤモンドの形に沿って、外野は人で埋め尽くされていた。

 その最前列には、テレビカメラを持ったクルーが何組かいたが、全て外国人だった。

 と、突然、全ての照明が消え、場内が少しざわついた。

 ギュルルルルルル

「さっ、どうぞ」

 どこから落ちてきたのかわからないスポットライトの輪の中に一男が一歩踏み出すと、場内には割れんばかりの拍手が起こった。

 しかし、右手と右足、左手と左足を一緒に動かし、操り人形の様に歩きながらピッチャーマウンドへ向かう一男の耳には、紳士用おむつとズボンが擦れあう、カサカサ、という音しか耳に入らなかった。

 ピッチャーマウンドに着いた。

 拍手の渦はさらに大きくなった。

「ほ、本日は、お、お暑い中、お、お忙しい中を、ご、ご参加頂きまして、ま、誠にありがとうございます」

 蚊の泣くような一男の声は、あっという間に拍手の渦に飲み込まれた。

「わ、私、な、永年勤めました会社を、わ、わけあって、た、退職いたしまして・・・」

 ここまで話すと、一男は、演台におかれたペットボトルの水をぐいと飲んだ。

 すると、これまでの緊張が嘘のように胃の奥底へと流れて行き、肛門がキュッと締まった。

「初めのうちは、朝からパチンコへ行って、昼間から、定食家で、皆さんが日替定食を食べてる横で、ビール呑みながら冷や奴をつついていました」

 拍手が笑いに変わった。

「せやけど、そんなん、一週間で飽きました。

 皆さんと同じく、私も無趣味な人間です」

 小さな笑いが起こった。

「そのうち、家でおる時間が増え、嫌でも、テレビを見る時間が増えていったんです。

 最初の頃は久しぶりに見るワイドショーだとか、三十分枠の連続ドラマとか、あと、情報化番組って言うんですかね、そんなんが凄く新鮮に感じたんですよ。

 ところが、さきほどの昼間のビールやないですけど、一週間で飽きてしまったんです。

 どこのチャンネルひねっても、同じ様な内容で、出演者も同じ様な、さっき他の局で出てたのに、っていう顔ぶれで、私、言葉でお分かりだと思うんですけど、大阪の人間でして、向こうでは、皆さんご存じだと思いますけど、ヨシモトの独壇場なんです。

 ゴールデンタイムもそうなんですけど、それ以外の時間帯いうたら、どこのチャンネルひねっても、金太郎飴みたいにヨシモトのタレントが出てくるんです。完全に持ち回りなんですよ。だから、とっくに旬の過ぎたタレントや芸人でも細々と食べていけるんです。

 新しいものが生まれない土壌になっているんですよね。今の大阪という街の元気のなさにつながってるかも知れません」

 一男はミネラルウォーターを口に含んだ。

 観衆は、じっと聞き入っている。

「ゴールデンタイムも同じようなもんです。

 視聴率の取れるタレントを呼んできて、その周りに何の芸もない芸能人を並べるんです。 ちなみに、ここで言う芸能人の“能”は英語の“NO”ですから」

 また、笑いが起こった。

「彼らは白いボードを持ってくだらないアドリブをしゃべり、視聴率の取れるタレントにいじくられて、ただ笑われてるだけなんです。

 決して、人を笑かせてるわけやないんです。

 そんな似たような番組ばっかりなんですよ。

 視聴率取れるんやったら、おんなじ様な内容でもかまへんからとりあえずやっとけ、そんな感じなんでしょうね。うちの局はどんなことがあってもこれでやっていく、という信念がないんです。

 確かに、スポンサーから高額なお金を受け取ってるから、それなりの視聴率は取らなあかんのはわかりますけど、余りにもそれだけやったら、オリジナリティーな番組なんか全く作れないと思んです。流す番組が作れないんだったら、電波を一時的に止めればいいんですよ。無理して、くだらない番組を作る必要ないんですよ。

 現に、皆さんご存じかどうか、各テレビ局とも、昼間に二時間ドラマの再放送を毎日流しているんです。

 ほんと、テレビなんかいらんな。

 私はつくづく思いました」

 プロ野球の日本シリーズの勝利監督インタビューのコメントに反応するかのように観衆は声援と拍手を一男に送った。

「ところがですね、そんな、くだらないテレビに出演しているそんな奴ら、・・いや、そんな人達が、毎年、高額納税者に名前を連ねているんです。

 誰が彼らの給料を払ってるんですか?

 そう、テレビのスポンサーです。

 そのスポンサーの企業で働いているのは誰ですか?」

 小さなざわめきが起こっただけだった。

「えっ?

 聞こえませんよ。

 あの、なんの芸も持たないくせに、芸能人気取りして、いい気になっている奴らにベンツを買ってあげたり、フェラーリを買ってあげてるのは誰ですか?」

 一男は、サッカー選手がゴールを決めた後に観客に向かって、誰がゴールを決めたんだ?と耳に手をあてて聞くポーズを、ドームの中の参加者に向けた。

「俺達だ、   俺達だ、   俺達だ、   俺達だ、   俺達だ、   俺達だ、 

 俺達だ、   俺達だ、   俺達だ、   俺達だ、   俺達だ、  俺達だ

 俺達だ、   俺達だ、   俺達だ

 俺達だ、  俺達だ、  俺達だ 」


 一男は、甲子園球場で聞いたことのある、地の底から沸き上がってくるような阪神タイガースの応援を思い出すと、止まっていた足の震えが再び起こり始めたのを確認した。


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 典子は、ユニットバスでシャワーを浴びて出てくると、一人暮しを始めてから覚えたビールの缶を開けた。

 テレビの電源を入れると、ジャンクが画面に登場した。

「やあ、頑張ってるやんか」

 ジャンクは、鬼気迫る形相で、足を引き摺りながら、前に進んでいた。

 番組終了までの時間が、三十分を切ったことを、画面隅の数字は示していた。

「ほら、もうちょっとや」


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「出版社に勤めたいって言っているんです」

 岬の妻、和枝は、娘の里見がトイレに立った隙に室井に口を開いた。

「やめたほうがいいですよ、こんなヤクザな世界。

 奥さんだって散々苦労されて、わかってらっしゃると思いますけど」

「ええ。

 だけど聞かないんですよ、いくら言っても。

 あの人の意志を受け継ぐんだって」

「じゃあ、あの時のことは大体娘さんにはお話されたんですか?」

「いえ、聞かれれば答える程度だったんですけど、あの子なりに周りの雰囲気からいろいろと感じとったみたいで。この間、やっちゃダメなんですけど、そっと机の引きだしを開けたら、あの時のことを書いた本がたくさん出てきて」

「娘さんだってわかってたんですよ、自分のお父さんが自ら命を絶つような人間じゃないことくらい。

 私も、岬は絶対に誰かに葬られたといまだに確信しています。そして、誰が葬ったのかも、大体は検討がついています」

 里見が戻ってきた。

「里見ちゃんさあ、お父さんの跡を継ぐんだって」

 和枝は、えっ、と言う顔を室井に向け、里見は、お母さん言ったのね、と言う抗議の目を和枝に投げかけた。

「ええ、一応・・」

「じゃあ、俺も協力するよ。社長じゃないから、よしっ俺んとこへ来いっては言えないけど、出来るだけのことはするよ。だから、それまでに大学へ行ってしっかりと勉強して、いろんな人と出会って、いろんなものの考え方を聞いてくるように。経験に勝るもの無し、俺の格言だから」

「わかりました」

「よしっ、じゃあ乾杯しよう。

 今日は、みんなの本当のスタートの日だから」

 言うと、室井は、食後のコーヒーを持ってきたウェイターに、ワインとグラス三つを頼み、最後に、今日車で来たんで、明日必ず取りに来るから一晩ここの駐車場で預かっておいてくれとそのウェイターにお願いし、無理矢理イエスと言わせた。

「室井さんは普段はテレビは全然見ないんですか?」

 ワインに口をつけ、この世の終わりのような顔をして苦さを表現した里見が室井に聞いた。

「見ないことはないよ」

「何見てるんですか?」

「スポーツ番組と、ドキュメンタリーくらいかな。

 スポーツ番組っていっても、訳のわかんない芸能人が応援団みたいなことをしてはしゃぎ回ったり、元OBが何も知らないくせに解説者ぶってうんちくを垂れているようなやつは見ないよ。

 WOWOWのような、ただ黙ってプレイだけを見せてくれるようなやつだけだよ。

 里見ちゃんは?」

「ほとんど見ません」

「この子ったら、意地張っちゃって」

 和枝がちゃちゃを入れた。

「だって、本当に見たい番組なんかないんだから」

 里見は、顔を少し赤くして反論した。

「別に見たっていいんだよ。

 俺達だって、みんな、“テレビっ子”だったんだから。

 ドリフターズだ、欽ちゃんだ、ひょうきん族だ、てね。

 昔は今と違って、たいていテレビは一家に一台しかなかったから、毎月一回、みんなであみだくじで、自分がチャンネル権を持てる曜日を決めるんだ。自分が見たい番組の曜日に当たればいいんだけど、そうじゃない曜日が当たると、後で返すからって言って、一時間だけ枠を借りたりして、ワイワイガヤガヤと楽しくやってたんだよ。

 それが、この国も変に豊かになっちゃったから、子供たちもみんな自分の部屋を持つようになり、テレビも一人一台の時代になった。

 結果、テレビへの依存が異常に高くなってしまった。

 そのうち、俺達は、学校を出て働くようになると、仕事だ付き合いだって、テレビなんか見る時間に家に帰らなくなる。たまの休みに見ると、くだらない番組の多さに驚く。おそらく、自分たちが世の中の流れの外にいるってこともあるし、出ているタレントの半分以上は名前も知らないってのもあると思うんだ。

 だけど、どう見ても、絶対的にその番組がおもしろいとは思えないんだ」

 室井の声の大きさに、周りのテーブルの人のナイフとフォークを持つ手が止まった。

「民放だって、特に地方局なんかいいドキュメンタリーを作ったりしているんだ。

 だけど、そんないい番組を掻き消してしまうくらいたくさんのくだらない番組があるんだ。

 そんな番組に出ている、いわゆる“タレント”という言葉で一括りできる連中。あっ、そうだ、里見ちゃん、英語のtalentの単語の意味ってわかる?元もと『才能』もしくは『才能のある人』って言う意味なんだって。誰が付けたのか厭みだよな。才能の欠片もない人間達をそんなふうに呼ぶんだから。で、そんな、タレントの皆様が、毎年高額納税者に名前を連ねてるんだ。そら、中には、充分、金の取れる人もいるよ。ああ、この人だったらこれだけ稼いでも納得できるなってのが。でも、そんなのは、ほんの一握りだよ」

「うまくいきそうなんですか?」

 里見が、指先にでも乗りそうな小さなケーキを口に運びながら室井に聞いた。

「ああ、きっと、同じ思いの人がたくさんいるはずだ。里見ちゃんのお父さんのような人が」

「もう一人の、山田さんって言ったかしら?」

 和枝がお付き合いで飲んでいるワインで頬を赤く染めながら聞いた。

「大阪の人で、日本で一番の商事会社で営業部長をやっていたんだ。それが少し分け合って会社を辞めて、家でぶらぶらしていたんだ、そしたら、さっきの話じゃないけど、久しぶりに見たテレビの余りの惨状ぶりにこれではいけないと思って」

「やっぱり、いるんですね、そういう人が」

 里見が二つ目のケーキをフォークに乗せて言った。

「山田さんにも、生きてれば里見ちゃんと同じ位の娘さんがいたんだ」

「生きてれば?」

「大きな病を患っていたらしい。

 それ以上は詳しいことは知らない。

 いい親父だよ、山田のおっさんは。

 頭が無茶苦茶いい。

 ああいうのを本当の“タレント”って言うんだよ」

「今日は?」

「今頃、東京ドームで雄叫びを上げてるよ」


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「私は、この国から、テレビを無くさなければいけない、ほんまにそう思いました」

 地鳴りのような歓声は鳴り止まなかった。

 すると、突然、バックスクリーン上のオーロラビジョンに、必死の形相で走るジャンクの姿が映り出された。

〈さあ、いよいよ日本武道館が見えてきました。長かった、本当に長かった100キロのドラマがまもなく終焉を迎えようとしています〉

 いつもの曲をBGMに、一男も観衆もオーロラビジョンに見入った。

 やがて、ジャンクは日本武道館に入った。

「みなさんっ!!」

 一男の声がドームの中に響き渡った。

「今、彼は、・・・正に、ゴールを迎えようとしています。そして、戦後のお茶の間に娯楽を提供し、今や完全に私達の生活の一部になった“テレビ”が、今、任務を終え、彼と肩を並べゴールを迎えようとしています」

 ジャンクが白いテープをきり、多くの出演者に迎えられた。

「彼のゴール、そして、“テレビ”のゴールは、私達のスタートですっ!!」

 オーロラビジョンから泣きじゃくっているジャンクの姿が消え、額に汗の雫を浮かべ、口の周りに白い泡を付けた一男の顔のアップが映し出された。

「みなさんっ、・・・、本当にすばらしい、ほんまもんだけが評価されるような国に私はこの国がなってほしいと切に願います。もうこれ以上、安直な、見せかけだけのまやかしはいりません。

 どんなことがあろうと、絶対に政権を取ってみせます。絶対にっ!!」

 観衆はみな立ち上がり、一男に割れんばかりの拍手を送った。

 拍手は、やがて、「やまだーっ」の歓声に代わり、最後には「やーまーだっ!!」のシュプレヒコールとなってドームの中を席巻した。

 そして、一男は、頬に涙を伝えながら、マツモトキヨシで買った成人用おむつに、わずかな暖かみを感じた。


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「あら、もうこんな時間やわ」

 二本の缶ビールで顔を真赤にした典子は一人ごちると、部屋の隅に置いてある小物入れから爪切りを取り出した。

 畳の上に腰を下ろすと、新聞紙を拡げ、プチンプチンと指の爪を飛ばし始めた。

〈十一時のニュースです〉

 テレビには髪を七三に分けたNHKのアナウンサーが映っていた。

〈今日、衆議院の解散総選挙が9月25日に行なわれることが決定しました〉

「そんなん、誰がやったって一緒やって。選挙やるだけ税金の無駄遣いやねんから、何もやらん方がよっぽど国民の為やわ」

 典子は手の指の爪を切り終え、足の指に移った。

〈今日、テレビなんかいらないキャンペーンと称した催しが東京都内の会場で行なわれ、多くの参加者が集まりました〉

「物好きなもんがおんねんなあ。テレビ見たなかったら、切っといたらええねん」

 画面には、額に汗して唾を飛ばしながら喋る一男の姿が映っていた。

「あ痛っ、また、深爪してもうたがな」

 最後の親指の爪を切り終えた典子が顔を上げると、画面には一男の姿はなく、代わりに気象予報士が、近づきつつある季節はずれの台風の進路予想を説明していた。


 11

〈ピザ買ってきたんだ〉

 室井の大きな声が受話器の向こうから聞こえた。

「朝から結構ハードですね?」

〈何が朝だよ、時計見てみろよ。〉

 眠い目を擦って見ると、備え付けの小さな時計の短針はじっとこっちを見るように、

11と12の間で止まっていた。

 カーテンを開けると、大きな窓には叩き付けるようにして雨が降り注いでいた。

 すぐに乱暴なノックの音が聞こえた。

「おいおい、昨日の英雄も台無しだな」

 部屋に入ってきた室井は、一男の顔を見るなり言った。

「それになんだよ、この汚い部屋は。

 俺が持っていた山田さんのイメージが壊れちゃったよ」

 テーブルの上には、握り潰したビールの缶や、食べ散らかした寿司の折、そして、横に寝転がったグラスの縁には、漫画の吹き出しのように茶色い水溜りができていた。

「男寡夫ってこのことを言うんだよな」

 洗面台へいって一男は自分の顔を映した。

 寝癖のついた髪、腫れた瞼、口元にはよだれの痕跡と見られる白い筋が付着していた。

「室井さん、シャワーだけ浴びるんで少し待ってて頂けますか?」

「ああ、いいよ。

 私も下着着替えて待ってるから早く出てきてね」

 室井の笑い声を遮るようにバスルームの扉を閉めると、シャワーの栓をひねった。

 熱い湯を頭から浴びながら、一男は昨日の夜のことを思い出した。

 演台から降りた後、スタッフの人に打ち上げに行きましょうと誘われたが、どうしても一人で飲みたかったので、丁寧に断り、差し出してくれたタクシーチケットも受け取らず、水道橋の駅から電車に乗った。

 新宿で降りると、駅の構内にあるコンビニで缶ビールと乾きものとアーリー・タイムスのハーフボトルを買い、ホテルへ戻る途中にある寿司屋で、にぎり一合半を買った。

 二本目の缶ビールを開けたところでやっと体の震えが止まり、腹が減ったからと蛸の寿司を摘みながら、今典子はどこで何をしているのかなと思い、アーリー・タイムスの最後の一滴をグラスに注いだとき、思い出したかのように鞄の中から千代美の位牌を取りだしたところで記憶は止まっていた。

 シャワーから出ると、テーブルの上が片づいていた。

「俺は正義感が強いし、きれい好きでもあるんだ」

 室井が、どこで借りてきたのか、ほうきと塵取りを手にしながら言った。

「ところで、これは一体なんなんだ?」

 マツモトキヨシのレジ袋を室井は指さした。

「ちょっ、そ、それは・・・・」と言ったがすでに遅く、室井は袋を持ち上げると、中から成人用おむつをつまみ出した。


 二人で散々笑った後、「じゃあ今から、昨日の成功と山田さんのご苦労を労って乾杯だ」と言って、テーブルの上にピザの入った四角い箱を置き、室井は部屋の冷蔵庫から缶ビールを取ってきた。

「ここのは高いから、私、外で買ってきますよ」

「いいじゃないか、今日はお祝いなんだから」

 景気よく二本の缶ビールのプルトップを開けた室井は「乾杯ーっ」と言って、一男に渡した缶ビールに自分のアルミ缶をぶつけた。

 二日酔いでからからに乾いた肝臓に、また新しい酒が染みていくのがわかった。

「笑いすぎて腹減っちゃったよ」

 室井がピザの蓋を開けると、酒臭かった部屋に、チーズの焼けた匂いが拡がった。

「しかし、山田さん、あんたは役者だよ」

「何がですか?」

「昨日の演説、今朝、スタッフから画像を送ってもらって早速見させてもらったけど、最高だったよ。台本無しであれだけできるんだから。特に、大阪弁で訴えるとこなんかすごく説得力があったよ。

 もし、今回の件がぽしゃっても、俳優か、新興宗教の教祖様で食べていけるよ」

「無理ですよ。

 私はほんまに、自分の思っていることを観衆の方に伝えたい、ただ、それだけを思て喋っただけですから。

 せやけど、変な話し、確かにあれは一回やったら病みつきになりますわ。

 ロック歌手が、みんな乗ってるかっ!て言う気持ち何となくわかりましたわ」

「そしたら、街頭演説なんかは全部山田さんに任せるよ」

「や、やめてくださいよ。

 もう、おむつしながら人前で話すのだけはこりごりですわ」

 二人は、ピザを口から離すと部屋の天上に向かって大笑いした。

「で、反響はどんなもんですか?」

 一男は缶ビールを傾けながら聞いた。

「すごいよ。

 世界中のメディアからアクセスがあった。

 本当に政権を取るつもりか、って言う質問があったから、取るつもりがなかったらこんなことはしないよと答えておいたよ」

「NHKだけは来てましたよね」

「一応、国営放送だからな」

「日本のメディアからは?」

「全部見たわけじゃないけど、アクセスはなかった。

 新聞も各紙、スポーツ新聞も全部見たけど、東京ドームの“と”の字もなかったよ。

 その代わり、国内からのアクセスは十万件を超えている。それもほとんどが、俺達の考え方に賛同するってやつだ」

「すごいやないですか」

「ああ、思っていた以上の反響だ。

 中におもしろい書き込みがあってな、静岡の中学生からで“すごく感動しました。あなた達の考えもよくわかりました。でも、テレビを無くすのだけはなんとかしてもらえないでしょうか。僕達、急に明日からテレビがなくなると言われるとどうしていいのかわかりません。なんとか考え直してください。お願いします”だって」

「もう私らが政権取るもんやと思ってるみたいですね」

「可哀想だから、どこかの社長の受け売りで返事を打ってやったんだ。

“これは、破壊と創造です。本当にいいものを新しく造り出すための破壊です。始めはいろいろと不便なこともあるでしょうけど、きっと、今以上にすばらしいもの、それを文化と言うのは少し大袈裟かも知れませんけど、必ず生まれてくるものと信じております。どうか御理解ください”ってね」

 一男は、グリーンペッパーの袋を切りながら笑った。

「あの子らにとったら切実な問題ですからね。

 せやけど、私らの考えに興味を持つだけでも大したもんちゃいます」

「子供たちだって、何かを感じてるんだよ。

 今のままじゃダメだって。

 だけど、俺達と違って、それを言葉にできないから、こっちまで聞こえてこないだけで、その辺のバカな大人よりはよっぽど考えてるんだよ」

「ワインでも飲みましょうか?」

「いいねえ。あと、ピザだけじゃ何だから何か取ろうよ」

「今日はお祝いですからね」

 一男は少し頬に火照りを感じながら受話器をとった。


 チーズクラッカーをかじりながら一本一万円のワインをのみ、一男は、昨日の夜の室井の話に耳を傾けた。

「泣かせますよね。

 こうなったら、何がなんでも実現させなあきませんね」

「ああ、頑張らなきゃな」

 台風がかなり接近してきたのか、窓を叩く雨の音が部屋の中にまで聞こえてきた。

「政見放送で話すことは大体まとまりました?」

「昨日山田さんが話したこととほとんど同じだ。

 ただし、興奮せずに、泣かずに、標準語で、そして、一番大事なことだけど、おむつは履かずに話す」

 一男はクラッカーの粉を口から噴き出させながら「もう、勘弁してくださいよ」と言った。

「冗談だよ、冗談。

 でも、基本的にはほとんど変わらないよ。 テレビをこの国から無くしたら、企業にはこんないいことがありますよ、奥様方、化粧品もぐんとお求めやすくなりますよ、おまけに、インターネットも国が一元管理しますから、お子さんが自分の部屋で一人変なネットを見なくなり、人を傷つける子どもなんかいなくなりますよ、あっそうだ、お年寄りの方、NHKはこれまで通り残します、おまけに無料です、相撲もちゃんと見れますから、ってみんなにとっていいことばかり喋るつもりだ」

「党員は?」

「公募する。明日ネットで流すよ」

「集まりますかね。なんだかんだ言ったって、私らの考えに賛同してくれる人ってほとんどがサラリーマンでしょ。立候補するとなったら、会社によっては応援している党との兼ね合いから退職してくれと言われる可能性もあるし、退職してもし当選せえへんかったらって考えたら、躊躇しませんかね。党の考え方には賛成、もちろん応援します、せやけど立候補までは、ってことに」

「最悪集まらなかったときは、めぐみちゃんにお願いして、名前だけ借りることにしている。

 そもそも俺は、比例区で稼ごうと思っている。

 個人ももちろん大事だけど、党に投票してもらう、というイメージを持っているんだ。

 だから、そんなに全国を走り回って選挙運動をしようとは思っていない。

 ここと思う比例区でがっぽり稼いで、小選挙区は絶対に勝てそうな地区以外には立候補者は立てないつもりだ。

 自民党が地盤の地方都市へ行っても、何しに来たんだってお年寄りに言われるだけだよ。俺達の考えを理解してもらうにはもう少し時間が掛かる。

 その代わり、都市部では、全ての区に立候補者を立てるつもりだし、立てた立候補者は必ず当選させるつもりだ。絶対にやれると思っている」

「わかりました。で、党の名前はなんか考えました?」

「それが、いろいろ考えたんだけど、なかなかいいのがないんだ。

 テレビなんかいらない党、小学生が立候補してるわけじゃあるまいし、NOノーTELEVISIONテレビジョンの頭を取って、ノッテレ党なんかどうだ。言いやすくていいだろう。今、ノッテレ党が乗ってれとう、なんて、しゃれも言いやすいだろう。でも、あれだな、日テレ(ニッテレ)が怒ってきそうだな、真似するなって・・・」

 一男は何も言わず、クラッカーを赤ワインに浸して口に運んだ。

「こんなのはどうだ?

 山田さんがよく言う“ほんまもん”をそのまま使って、ほんまもん党ってどうだ。ストレートでいいと思うんだけど」

「やめてくださいよ、そんな、大阪市の職員が考え出しそうなキャッチフレーズみたいなのは」

「じゃあ、これはどうだ?

 本当の“当”と“党”をかけて“本党”ってのは。シンプルでいいと思うんだけど」

「室井さん、こんなん言うたらなんですけど、余りにもセンスがなさ過ぎますよ」

「そうかなあ、他になにかいいのあるか?」

「岬党、ってどうです?

 岬さんの意志を継いでやるわけですから、漢字じゃちょっと固いイメージがするんでひらがなで“みさき党”ってのは。

 ちょうど岬に立って日の出を見るように、これから開けてゆく新しい時代を見守る、というイメージで」

「それはいいよ。

 よしっ、それで決定だ。みさき党。いいよ。最高だ。

 山田さん、あんた本当に頭がいいって言うかセンスがいいよ、本物のタレント(素質のある人)だよ」

 室井は嬉しそうに一男を讃えると、チーズを赤ワインに浸して口に放り込んだ。


 12

 9月に入って初めての月曜日、みさき党は正式に旗揚げをした。

 さすがに各紙も取り上げないことにはいかず、政治面の片隅にそっと記事を載せた。

 しかし、テレビのワイドショーやニュースでは一切取り上げられず、“完全無視”の暗黙の了解は守られていた。

 そして、その日から三日後の各紙に“一万人に聞きました、あなたはどの政党を支持しますか? ”の結果が円グラフで掲載され、みさき党は、ケーキセットのショートケーキのような扇形を描き、自民党、民主党に次いで第三党に指示された。もちろん、そのことに対するコメントは何も書かれていなかった。


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「来週、NHKが取材に来るってさ」

 室井は、滅多に着ないスーツを着て少し落ち着きなさそうに一男に言った。

「HPへのアクセスも五百万件を超えたよ」

「と言うことは、今日の室井さんの政見放送にかかっているということですよね」

「やめてくれよ、山田さん。

 久しぶりに緊張してんだから、これ以上プレッシャーかけないでくれよ」

「せやけど、予想以上に自民党への指示が高いですよね」

「みんなこれまで、宗教団体だけがどうして税金を払わなくていいんだっていう思いがくすぶっていたとこにぽっと火が点いちゃったからな。

 でも、考えてみれば当然だけどな。

 坊主って言いながらさ、保育園を経営したり、ベンツを乗り回してみたり。

 宗教法人の代表だっていいながら、どう見ても、その辺の町金の社長にしか見えないやつばっかりだからな。宗教に従事しているとはとても思えないよ」

「自民党との一騎討ちですかね?」

「たぶんな。

 まあ、今日の俺の政見放送で、自民党への挑戦権を獲得してみせるよ」


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〈我々みさき党が、政権を取った暁には、この国からテレビを無くします〉

「えらいこと言うてるなあ。そんなんほんまにできんのんかいな」

 リンゴの皮を剥きながら、典子のパート仲間の満代が、休憩室の隅に置かれてある十四インチのブラウン管テレビを顎で差した。

「せやけど、この前、NHKでなんか決起集会の模様流してたけどえらいようさんの人集まってたで。

 それに、新聞に載ってたけど、街頭のアンケートで、自民党、民主党に次いで支持率は三位やねんて」

〈そうです、彼らのギャラを払っているのは私達なのです。そのお金が、テレビを無くすことで全て浮いてくるんです。企業は、その浮いたお金で設備投資を行ないます。景気が良くなりますよね。商品の販価に反映させます。化粧品なんかすごく安くなります〉

「えーっ、ほんまに?」

 満代は口の端にリンゴをくわえながら言った。

「せやけどやっぱりあかんわ、ヨン様のドラマが見られへんようになんねんから」

〈お年寄りの皆さん、ご安心ください。NHKは残します。それも、受信料は無料です。これまで通り、ゆっくりと相撲中継を見てください〉

「いやーっ、それやったら問題ないわ。私この党応援するわ」

 満代は、ちょっと見て見て、と言わんばかりに典子の肩を何度も叩いた。

〈そして、現在、無法地帯になっているインターネットも、テレビ同様、国が一元管理いたします。子どもさんが黙って自分の部屋でアダルトサイトを見たり、一握りの大人が、幼児ポルノを見て良からぬことを企んだり、未来ある若者が、顔も見たこともない、もちろん、話したこともない人間と、レンタカーを借り、ホームセンターで練炭を買う。そういったことは無くなります〉

「決めたっ、私は決めたで、今度の選挙はまじめに行くわ。この党、なんて言うんやったっけ?」

「みさき党」

「そう、そのみさき党に絶対投票するわ」

 昼休みの終わりを告げるブザーがなった。

「典ちゃん、選挙っていつやったっけ?」

 席を立ちながら、満代は典子に聞いた。

「確か、九月最後の日曜日やったと思うよ」

「あっ、そう。そしたら、その日は休ましてもらうようチーフに言うとこ」

 扉を開けて部屋から出ていこうとした満代が、まだテレビを見て立ち止まっている典子に声をかけた。

「どしたん?」

「いや、なんか、この喋ってる人、どっかで見たことあんねん」


 13

 公示日を翌日に控え、世論調査による、みさき党の支持率はついに40%を超え、45%の自民党に次いで2位になった。

 海外メディアは、みさき党を“KAMIKAZE”と呼び、さすがの民放各社もこれ以上無視することは不可能と判断し、各局がこぞって特番を組んだ。


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「しかし、つぶれたファミレスを改装して選挙事務所にするとはなあ」

 室井は、机の上に直に置かれた達磨の頭を撫でながら一男に言った。

「ちょっと縁起は悪いですけど、家賃は安いし、それに厨房が残ってますから、ここで料理したら、毎日弁当ばっかり食べんでいいでしょ」

「まあ、あんたが考えてやったんだから、間違いはないんだろうけどな」

 室井は持っていたサインペンで、達磨の片目を黒く塗りつぶした。

「せやけど、予想以上に集まりましたよね」

「さすがに若いのは来なかったけど、それにしても半分以上が無職だぜ。定年退職してリタイアした人を差し引いてもすごい数だよ」

「景気なんか、一つも良くなってないんですよ。

 政治家は、踊り場から脱却した言うてますけど、実は、まだ、階段を降りてるんですよ。

 どこの企業も過去最高利益や言うて嬉しそうに報告してますけど、あれだけ、必要な人間まで切ってリストラしたんですから、利益でて当然なんですわ。今、利益のでない企業なんかは正直言うてバツですわ。

 人間のモラルも下がってますけど、この国が造ってるモノ自体の品質も間違いなく下がっていますから。

 それを食い止めるためにも、絶対に今度の選挙は勝たなダメなんですけどね」

「あんたが言うと妙に説得力があるなあ」

「いやいや、そんなことないですよ。

 室井さんの政見放送もなかなかのもんでしたよ。

 すごくわかりやすかったし、あれやったら地方のお年寄りでも、私らがやろうとしてることをわかってくれたんちゃいますかねぇ」

「そうかな、それならいいんだけどな」

「だって、このデータ見てくださいよ」

 一男は室井に一枚の紙を渡した。

「都市部の支持率は、元もと高かったんでそんなに伸びてないんですわ。

 せやけど、地方の支持率が、急激に上がったんですよ。

 こんなことやったら、地方にも候補者を立てといたら良かったですね」

「いや、なんだかんだ言ったって、まだ、地方では自民党には勝てないよ。

 もう少し時間をかけて、この次の選挙くらいで考えればいいよ。

 それより、山田さんさあ、このデータなんだけど、あんたの地元の近畿地区があまり良くないよな」

「それはね、たぶん、タイガースとヨシモトが原因やと思います。

 室井さんね、関西には、ご存知かも知れませんけど、サンテレビと京都テレビいう放送局があるんですわ。

 ここが、タイガースの試合のほとんどを放送していて、特に甲子園での試合なんかはどんなに試合時間が長くなってもプレーボールからゲームセットまで見せてくれるんですわ。

 関西の親父にとって、それを見ながらビールを飲むのが最高の娯楽、大袈裟に言うたら関西人としてのステイタスなんですよ。

 それと、あとは、なんやかんや言うてもヨシモト新喜劇やと思います。

 あれはなんて言うか、私ら関西人の遺伝子に組み込まれてるんでしょうね、たぶん。

 私も、見ていてそんなにたまらんほどおもしろいとは思わないんですけど、ついついチャンネルを合わしてしまうんですよね」

「へー、そんなものなのか」

「ですから、その二つが無くなってしまういうことで、抵抗感があるんやと思いますよ」

 室井の携帯が鳴った。

「はいーっ・・・・あっ、どうも、ご無沙汰しています」

 室井は一男の顔を見て舌を出した。

「あっ、そうですか。

 えっ、これからですか?

 いえ、無理ではないですけど・・・」



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