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愛すべき者たちへ  作者: 朝霧梅之介
2/2

Platonic Love










もし運命の赤い糸が目に見えたなら、僕のそれはきっと初めから彼女に繋がっていただろう―――






その女、花村瑞樹はまさにこの学校の「窓際の花」だった。

ただし、花は花でも薔薇や百合のような大層なものじゃなくて、その辺の道端に咲く花のことだけれど。

こげ茶色の瞳に、毛先が脱色して茶色みがかったショートヘア、平均以上の身長を持っていても、癖になった猫背のせいでそれを生かせていない。

 成績は良くて上の下。部活には入っていないが、だからと言って積極的に勉強をするわけでもないので、成績はあまり安定していない。

要するに瑞樹は、目を引く絶世の美女と言うわけでもなければ、目を反らしてしまうほど醜い女と言うわけでもなく、何年に一度の鬼才と言うわけでもなければ、手の付けようのないほど頭が悪い訳でもない、何処にでもいる普通の女子高校生というわけだ。

 そういう者たちは「主役ヒロイン」を傍観する者になっても、「主役ヒロイン」本人になることはない。これは絶対の決まり事だ。

 

夢も希望もない、そう思うだろうか。

 だが、それが瑞樹と同種である者たちにとっても、ほんの一握りしかいない頂点に立つ者にとっても、この学校では―――否、この社会では「当然」であり、且つ当の本人である瑞樹にとっても「日常」だった。






 この学校の「王」と呼ばれる倉本泉は、日常的に纏わりつく女たちに辟易していた。

 化粧の匂いも、悲鳴とも取れる歓喜の叫びも。

 初めは嗅ぐだけで、聞くだけで、「人よりも優れている自分」を実感できた。

 けれど、今はただ気持ち悪くなるだけで、何も感じない。

 それでも、本人の意思とは関係なく「王の花」たちから延ばされる手を、泉は悪戯に受け取り続けた。

 人の温もりが欲しい、ただそれだけの為に。

 

 

 そんな時、泉は瑞樹に出会ったのだ。

いや、「出会った」という言い方には、少し語弊があるかもしれない。

正確には、泉が瑞樹を見つけたのだ。

 ―――あの日は、教室から見えた夕陽がとても美しい日だった。

 あたり一面を紅色に染めるそれを眺めながら、泉は別館にある図書室に向かう。

何故か、と問われれば、何となくとしか答えることはできない。泉は、目に見えない何かに導かれるように、図書室へ足を進めていた。

図書室はシンと静まり返っていた。その中で本を捲る音だけが、異様に大きく聞こえる。

その音を辿って視線を彷徨わせると、窓際の隅の席で一人黙々と読書に勤しむ一人の女子生徒がいた。シャツに記されている校章の学年色が藍色であることから、泉と彼女が同じ学年であることは明確だった。

泉は本を一冊手に取って、入り口近くの――尚且つ彼女の姿を見ることが出来る――席に座った。残念ながら、せっかく選んだ本は始めから読む気はなかった。

彼女は―――花村瑞樹は本を読みながら、時に嬉しそうな、時に悲しそうな、時に怒ったような、そんな風にコロコロと表情を変えていた。

何時しかそんな彼女から、泉は目が離せなくなっていた。

どれくらいか経って、瑞樹の読む本はどうやら佳境に入ったようだ。本の世界にのめり込んでいく瑞樹の周りの空気が、どんどん張り詰めていく。

その時、本棚の向こう側からギャハハハと下品な、図書室には似つかわしくない笑い声が響いた。泉は気付かなかったが、本棚の向こう側の席にも人が居たようだ。

瑞樹は本から顔を上げて、迷惑そうな表情を浮かべると、静かに本を閉じて図書室を出て行った。

泉はまだ笑い続けている彼らに、邪魔されたと苛立ちを覚えた。

小さく舌打ちをすると、借りた本をもとの場所に戻して図書室を出て行った。

すでに瑞樹の姿はそこにない。

泉は体中の血液が沸騰でもしたような感覚に襲われていた。

体中が熱くて、熱くて堪らない。


―――少女漫画や恋愛小説、ロマンス映画のような恋は信じていない。それでも、これが「運命」だということは分かる。彼女の心が欲しい、彼女のすべてが欲しい、そう願う僕は滑稽なのだろうか。


既に答えが出ていることを自問するほど、泉は愚かではない。

泉はにやりと不敵な笑みを浮かべると、心持軽やかな足取りで帰路に着いた。






 何かきっかけが必要だった、瑞樹が泉に「出会う」ための。

 そのために泉は、たとえ遠回りになろうとも何かにつけて瑞樹の教室の前を通るようになった。

 周りに纏わりつく女たちの間から、一瞬だけ見える瑞樹を探す。瑞樹を見つけることは、存外簡単なものであった。図書室の時のように、教室の窓際の隅の席で本を読んでいるからだ。ただし、「倉本泉」が廊下を通っていることに気づいていても、瑞樹は相変わらず本に熱中していて、こちらをチラリとも見ようとしない。

 

こんなことを数日続けて、―――やっとその時が来た。

 珍しく本から顔を上げ物思いに更けっていた瑞樹の視線と、その瑞樹を探す泉の視線とが搗ち合ったのだ。

 すぐにそれは周りの女たちによって遮られてしまったが、泉は歓喜に満ちていた。

 人を掻き分けるようにして、泉は瑞樹の下に向かう。

 机の前に立つと、瑞樹は迷惑そうな表情を浮かべて、泉を睨みつけてきた。意志の強い、凛とした瞳だ。

 泉の背筋にビリっと電流が走った次の瞬間、泉は瑞樹に唇を重ねていた。泉自身ですらほとんど無意識のうちに。

 瑞樹は脳が現実から逃避しようとしているのか、ただ呆然としていた。

 「何するの!」

 突き飛ばそうと瑞樹がドンッと胸を押したけれど、体格差もあり、泉には正直なんの影響もなかった。

 しかし、一度退いた方が賢明と泉は判断して一歩下がった。

 ついに泉は、歓喜の気持ちを自分の中に押しとどめことが出来なくなり、くつくつと笑い始めた。

 まるで猫が背中の毛を逆立てるように瑞樹が警戒しているのを見ると、泉は少し長めの前髪をかき上げて言った。

 「君に決めた」






 泉は瑞樹の「特別」になれて、ただ単純に嬉しかった。

 ―――けれど、あることに気が付いてしまったのだ。

 花村瑞樹の運命の赤い糸が、自分のそれとは繋がっていないことに。

 泉の糸は確実に瑞樹の下に繋がっているというのに、瑞樹の糸は泉の知らない「誰か」の下に繋がっている。

 それがたまらなく悔しくて、泉はこれが本当に恋人同士かと自分でも疑いたくなるような行動をとった。

 ただ人形のように引きずり回して、常に自分の傍らに置いた。

幸いなことに、「倉本泉」に選ばれてしまった瑞樹に助けの手を差し伸べるものは、居なかった。それに、瑞樹がすでに諦めに近い気持ちでいることを知っている。

だからこそ、泉は「安心して」こんな言動が出来た。


泉の中で変化が起こったのは、梅雨が終わって晴れた暑い日が来るようになった頃のことだ。

答えは、至極単純で簡単なものだったのだ。

瑞樹の糸が泉の知らない「誰か」に繋がっているのなら、その糸を断ち切ってしまえばいい。ただそれだけのことだ。


―――答えの見つかった泉の行動は早かった。

その翌日、泉は普段より早く起きて瑞樹の家に向かった。到着した時、ちょうど瑞樹が泉を迎えに行こうと、家を出たところの様だった。

家の門に佇んでいた泉を見て、瑞樹は唖然とした表情で目をしばたたかせた。

その表情が泉には面白くてたまらなかった。笑いを堪えて肩を震わせていると、瑞樹が不思議そうに顔をしていた。

その日の昼、男子生徒が「恋人の手作り弁当」についての話で盛り上がるのを聞いて、泉は突然瑞樹の手料理が食べたくなった。

その話を瑞樹にすると、できないと即答された。瑞樹が料理を苦手としているのは、すでに知っていたことで、泉も簡単に引き下がらなかった。攻防戦を何度か続けて、結局瑞樹が折れた。その日の泉は、まるで遠足の前日の小学生のように、わくわくして眠ることが出来なかった。

次の日の瑞樹は、昨日まで綺麗だった手が絆創膏だらけなうえに、目の下には隈が出来ていて痛々しいさまだった。

予想通り瑞樹の作った弁当は、凄まじくまずいものだった。馬鹿正直に「まずい」というと、案の定瑞樹は泣きそうな表情を浮かべたけれど、空になった弁当箱を見ると嬉しそうに微笑んだ。


恋は人を馬鹿にする。

恋人の喜ぶ顔見たさに、泉は金に糸目を付けずに何でも買い与え、恋人が喜ぶことを何でもした。

瑞樹は大抵困惑の表情を浮かべていたけれど、微かに嬉しそうに笑った。

 それが泉は嬉しくてたまらなかった。


 ―――だから、泉は瑞樹のその笑顔が怯えに変わっていったことに気付けなかった。


 「別れましょう、泉くん」

 「え……?」

 週末何時ものように泉の家に訪れ、夕食を共に食べた後、習慣となりつつあった映画鑑賞の為にソファーに二人並んで座ったとき、突然瑞樹が話を切り出した。

 思ってもいなかったことを言われ、一瞬泉の思考が停止した。

 瑞樹は俯いたまま、それ以上何も言わなかった。

 「なんで?」

 やっとのことで出た言葉が、それだった。部屋を支配するテレビの音も、今の泉の耳には届かない。

 「……なんで、か。そうだな……泉くんの隣に居るのに、私は相応しい人間じゃないからかな」

 「誰かが、そう瑞樹に行ったのか?」

 「うんん、私がそう思うの。今は物珍しさで興味が有るかもしれないけど、きっと泉くんもすぐに気が付くよ……私が相応しい人間じゃないことに」

 ―――だから私と別れて、貴方は貴方に相応しい運命の相手を早く探しに行って?

 瑞樹の声が段々と弱々しく擦れていき、最後は音にもならなかった。

 でも、泉にはその声が聞こえた。

 ナニヲイッテイル?

 あの時のように自然にくつくつと笑いが漏れた。自分でも恐ろしいほどの怒気の含まれた笑い声に、瑞樹は顔を真っ青にして怯えていた。

 瑞樹が思わず後ずさりすると、泉は瑞樹の手首を掴んで引き寄せた。

 「痛いっ!」

 瑞樹の指の感覚がなくなるほど強く掴んでしまい、痛いと訴えられたが泉は聞く耳を持たず、代わりに笑い声をたてるのを止めて瑞樹をギロッと睨みつけた。

 「僕に相応しくないから別れる? 冗談じゃない!」

 瑞樹の肩がビクッと震え、生理的に目から涙が零れ落ちた。それを見た泉は手首を掴む手を少し緩めたが、離しはしなかった。

 「瑞樹はどうやら勘違いしているみたいだ。僕に相応しいかどうかなんて、選ばれた時にもう決まっているんだよ」

 「でも……それなら、他と一緒だよ。だったら、やっぱり別れて貴方は他の女性と……」

 「僕が選んだのは、君だけだよ?」

 ―――だって、君は僕の唯一。僕の「運命」なんだから。

 瑞樹は訳が分からないという、表情を浮かべた。

 それもそうだ。「倉本泉」が、相手をとっかえひっかえする女たらしと言うのが、周知のことだからだ。

 泉は苦笑して瑞樹にこう言った。

 「僕は延ばされた手を取っただけだよ。自分から手を伸ばしたのは、瑞樹だけだ」

 流石の瑞樹も呆れたのか、脱力して泉に寄り掛かった。

 「ね、これで僕と別れる理由はないでしょ?」

 先程とは打って変わって嬉しそうにニコニコと泉は笑う。

 ―――ああ、でもね。

 泉は掴んで離さなかった、勿論これからも離すつもりはない瑞樹の手首を口元に持っていき、掌に小さくリップ音を立ててキスをした。

 

―――僕が君に出会ったあの時にはもう、瑞樹には僕から離れる選択肢はなかったんだよ?






 もし運命の赤い糸が目に見えたなら、僕のそれはきっと初めから彼女に繋がっていただろう―――


 ―――けれど、どうやら彼女の糸は僕ではない「誰か」に繋がっていたようで。

それならば、と僕は彼女の糸に自分の糸を絡めて、それを第に固く強く結んでいき、何時しか解けなくしていった。

 糸を絡めたのが、図書室で会ったあの時なのか、目が合ったあの時なのか、或はもっと前なのかは僕自身にも分からない。

 それでも、僕の知らない「誰か」に繋がる彼女の運命の赤い糸は、確実に僕のものにして――――――断ち切った。

















Happy end......?

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