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天上地獄

作者: 田中聡志

 地獄界にある噂が広まった。

 獄卒の法八にその噂が届いたのは、割と早くのことだ。法八は他の獄卒との関係は希薄であり、噂ごとの類とは無縁であった。しかし、そんな自分の耳にまで早く届くのだからたいしたものだ、と法八は思ってみたのだが、実際には自分に直接話し掛けられたのではなく他の獄卒たちの会話を耳に入れただけであった。

 なんでもこの度、閻魔様は生前に善事ばかりしてきた者を地獄に落とし、悪事きり行ってきた者を天上道に送りなさったという。

 噂好きな獄卒たちは「なんでまた?」、「気でも違ったのかね、閻魔様は」と隠すこともなく思ったことを口にした。話のネタを仕入れてきたと思われる獄卒は「なんでも、その善人ってのがとんだ狸らしい。目に見える行いこそ美しいが中身は欲まみれだとか」と言うと、他の者は「なるほどなるほど」と口々に感心した。

「しかし、なんで悪人は天上行きなんだ? あんまりにもおかしくはないかい」

 ひとりの獄卒が尤もな疑問を口にする。

「それが聞いたんだが、おいらの頭じゃあ理解出来んかった」

「あはは。馬鹿だねぇお前は」

 皆で頭の悪そうな声を立てて笑った。

 その話を聞いた法八は、獄卒たちの浅薄さを軽蔑しながら閻魔の真意を妄想した。

 きっとこういうことではなかろうか。

 その悪人は元は善人であった。しかし、何か不幸なことが身の上に起こり悪事を働かなければ生きていけない事態に陥った。だから彼(男か女かはわからないが便宜上彼と呼ぶ)は盗みを働いたかもしれない。人を殺めたかもしれない。残虐なことを多くしたのかもしれない。

 盗みを働きそいつは苦しんだのだろう。人を殺め後悔したのだろう。そんなことをして得た金で飯を食って申し訳なかったのだろう。そしてしまいには肉を食っても「牛や豚も俺なんかに食われるために生まれてきたわけじゃなかろうに」と思うかもしれない。なんの気なしに蚊を潰せば「どうしてこいつは自分に殺されなければならなかったのだろうか」と考えるかもしれない。以来、酷く心細い気持ちにかられたのかもしれない。

 誰よりも不幸を憎み、誰よりも生きることに真剣であった。誰よりも正しく生きたかったのである。生きながら地獄を味わった彼に死んでなお、地獄に落ちろと言えるだろうか。否、言えない。

「お前はこれから幸福を知りなさい。正しく生きることを知りなさい。よってお前は天上地獄に行くことを命ずる」

 閻魔様にとって悪人そのものよりも、悪人が出来上がってしまう世界にお怒りになった。だから善人面した偽善者が、ただ自分を良い奴だと思われることに必死な偽善者が、悪を憎む振りして自分を棚に上げる偽善者が許せなかったのだろう。

 法八はそう妄想したのであった。

 そう思うと法八は涙ぐみたい気持ちになった。何かに頭を下げたい気持ちになった。

 閻魔にか? その悪人にか? いや、どちらでもない。もっと超越した何かに。

 ゲラゲラと騒ぐ獄卒の声が聞こえる。もはやそんなものはどうでもよかった。法八はせめて自分だけはしっかりあろうと強く誓ったのであった。


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