声と日射しと彼女の笑顔
港川湖市にたたずむ…。
いつの間にか日が昇り、その景色を見晴らせる小高い丘の上で朝日を眺めていた。
「……」
静寂が丘を包み込み、静かに波音が辺りに染み渡る。
本来の港川湖市の姿があった。
ただ朝方漁に出かける船や人々の喧噪がないくらいか…。
そんな街を眺めていると平和な街だったと改めて自覚させられる。俺はいつの間に平和な街に戻ってきたのだろう。
何か物音を感じ、隣に誰かいることに気が付く。振り向いたそこに立っていたのは、
「リリーファか…?」
立ち尽くすだけのリリーファは名前を呼ばれると、ニコッと微笑むだけ。
しばらく停止したままのリリーファは不意に方向転換し、足早に去っていく。
「おい! 待てよ!」
去っていくリリーファに手を差し伸べるが、肝心の脚が動かない。
「クソッ! 何で動かないんだよ…!」
うんともすんとも言わない脚を殴りつけても進まない。
リリーファの姿が見えなくなり、俺は項垂れる。
そして見えた脚元にはいくつかの手が俺の脚を掴んでいた。
「なんだこりゃ!」
地面から伸びる手は、腕は全部で五本。よく見ると俺の影から生えている。そこから見え隠れする顔はヘルメットでよく見えない。
「何だよこれ! 一体何がどうなってるんだよ!」
脚を掴んだ腕に引きずられて影に呑みこまれていく。
ズルズルと呑みこまれた影から最後の光が閉ざされたとき、俺は思い出した。
俺が殺した――。
「…ぁぁ」
薄い朝日が部屋のカーテンを通り抜けて視界に飛び込んでくる。ベッドに寝かされた状態で、錆びれた天井と点滅する電灯が視界に入る。
「夢オチかよ…」
酷い夢を見た疲れがドッと押し寄せる。額には汗が浮かんでいる。それを拭おうとして、左手の感覚が重いことに気付く。
手の行方を追うと、船で布を持ってきてくれた少女が椅子の上で寝ていた。
反対の右腕を動かそうとすると、肩から全身にかけて痛みが走った。その弾みで小さく声が漏れ出し、寝ていた少女が眼を覚ました。
「うん…? あ、おはようございます」
「お、あぁ、おはよう」
寝ぼけているのか、眼をこすりながら挨拶をされたので、同様に挨拶で返す。
「えーと、とりあえず手をどけてもらえるかな?」
「ああっ! ごごごごめんなさい! 邪魔ですよね!」
少女は勢いよく謝り、勢いよく手を引く。
やっと空いた左手で額の汗を拭った。
「すごいうなされてて、しんどそうだったから手を握ってあげようと思って、それで――」
少女はあたふたと何か言っている。
そのほとんどを聞かずにベッドから体を起こし、立ち上がる。
「急に立ち上がったら危ないですよ! 傷も塞ぎ切ってないし、二日も寝てたんだから…」
少女に諭されながらも、近くに立てかけてあったブートバスターを手にして、その冷たくも確かな感触を確かめる。
不思議と安心感が込み上げてくる。
そして少女に指摘された傷口を確認すると、少し歪ではあったものの、しっかりと傷口が縫合されていた。
「この処置は君がやったのか?」
「いや、それは私のお母さんが…」
「そ、そうなのか。すごい人だな」
傷口の縫合ができる母親とはただ者ではないのだろうな。
「ここにはお母さんと二人でいるのか?」
ベッドに腰かけて話し合う体勢をとる。
「いや、お父さんもいて、小さな子達も何人かいます。あの時、逃げ遅れたみたいで…」
そう言いながら少女は俯いた。この数日間、やはり厳しく辛い生活をしたのだろう。
「他の人たちは他の部屋だよな? ちょっとお礼言ってくる」
そして勝手に部屋から出ていく俺.その後をついてくる少女はペットのようだ。
廊下に出てみると、建物内はやはり古びていて、さらにいくつかの個室も存在していた。
「ここは病院かどっかか?」
「はい、ここは海沿いの小さな診療所で――」
「海沿い!?」
"海沿い"という言葉に過剰に反応し、思わず大声を上げてしまう。気付けば少女はものすごい距離を飛び退いていた。
「あぁ、大きな声を出してすまない」
ガタガタ震えながら、物陰から俺を見つめる少女は小動物のようだ。
ともかく、ここが海沿いの建物というのは行幸だ。このまま船を手配できれば港川湖市を脱出できる。
「ここです」
少女が一つの部屋を案内する。他の部屋とは違う雰囲気のドア。どうやらこの部屋に他の人たちがいるようだ。
「失礼します…」
ガラっとスライド式のドアを開いて、部屋に入る。
中には真ん中に大きな机が一つ。そこに座る二人の男女と、その周囲で戯れる子供数人と、銀髪を団子にまとめたリリーファだった。
「って、おいリリーファ! お前何してんだよ!?」
「あっ! テンシン! 起きたんだね」
「『起きたんだね』じゃねぇよ。お前こそ傷は大丈夫なのかよ?」
「大丈夫、大丈夫! すっきり塞がったし、痛みもこれくらいなら…!」
と言って傷口の無事を示し、ピョンピョンと飛び跳ねる。リリーファの動きに合わせて周りの子供たちも飛び跳ねる。どれだけ懐かれてるんだよ。
「ほらほら、あんまり動きすぎると傷口が開きますよ」
机に座っている女性がリリーファを宥める。
リリーファはその注意を受けて、素直にジャンプを止めた。子供もそれに倣う。
「どうも、助けてもらったようで、どうもありがとうございます」
「あの時は焦ったよ。なんせ伊織が急に『船を出してくれ』って言ってきてな。慌てて船を出したら船が崩れるわ、人が落ちてくるわで…」
勢いよく話し出した男性は無精ひげを生やし、日によく焼けたおっさんだ。
「あ、あのとき船の中にいた…」
「おう、俺は水口洋司ってんだ。この辺で漁師してたんだ。でそいつは娘の伊織 だ」
そう言って洋司さんは俺の隣の少女を指さす。そして指さされた伊織は小さく会釈する。
「あなたの傷も浅くはないのだから注意してくださいね」
もう一人の女性は水口華というらしい。伊織の母親で、傷口の縫合をしてくれたのは彼女だ。
「大体のことはリリーファさんから聞きました。大変だったでしょう」
そう言って華さんは熱いお茶を出してくれた。リリーファがどこまで喋ったのか分からないので、お茶を一口飲んで、慎重に返答をする。
「水口さんたちこそ、敵に襲われたりして大変だったでしょうに…。子供たちまで匿って…」
「隠れるなら子供が多くて賑やかな方が、ウジウジ考えなくていいし、こっちも助けられてるよ。それに、なぜか機械が近くまで来ても通り過ぎていってくれたから運が良かったな」
「そうですね。おかげで比較的静かに隠れることができてます。それに、食料もこの周辺を回るだけで結構な数はあったので、食べ物で困ることもありませんでした」
そういって向けられた視線の先には元気に伊織やリリーファと戯れる子供たち。想像以上に元気に暴れている。
全員が様々な恰好をしながらも、幼稚園のバッジをつけていることから、遠足中だったと考えられる。バッジは差し詰め、着替えてからも名前と顔を一致させるための工夫だろう。
「…で、話は変わるが、坂巻君やリリーファ君はあの機械を相手にしてきたんだよな?」
声のトーンを絞り、洋司さんが顔を険しくする。
「まぁ、一応。何機か倒したりもしましたけど…」
一方の俺は傷を気遣うふりをしながら、嫌なシーンが脳裏をよぎっていた。
洋司さんは俺の心配には気付かずに、話を進める。
「ここら辺にある漁船なんだが、大体が敵や自衛隊の攻撃作戦のときに浸水して動かなくなったんだよ。それでも何隻かは修理次第で動くんだ」
洋司さんの話を注意しながら聞き、概要を理解する。
「つまり、その漁船でここを脱出できる。と…」
「そういうこった。そしてもう修理は終わっている」
かなり大詰めだった。何だよ、俺のオマケ感…。
「じゃあ、出発できるじゃないですか」
「そんなに焦るなや。出発しても敵に見つかったら――」
そうか。相手には射撃されて沈没エンドもあるわけだ。
見た目や話し方と違って、洋司さんは慎重派なようだ。
「了解しました。船が出発してから敵の警戒は俺とリリーファで請け負います」
「そうしてくれるとこちらもありがたい!」
「言い方からして、『やってくれ!』って言っているものでしたよ」
華さんが洋司さんにやんわりツッコミを入れる。
華さんはおしとやかなイメージが強い。が傷の縫合ができるという事実が何とも不思議だ。血とか苦手そうなのに…。
「話がまとまったところで、お昼ごはんにしましょう。用意するんでちょっと待ってくださいね」
そう言って華さんは席を立った。
そろそろリリーファと話をつけたいので、一声かけてリリーファと退出する。
先ほどの部屋とは離れた部屋に入る。
部屋に入ると早々に、リリーファはお団子になっていた髪を解く。
「あー、言いたいことは色々あるが…。最初に一つ聞こう…」
「髪を下ろしたまんまだと子供たちが引っ張って痛いんだよ…」
リリーファはきらびやかに靡く髪を気遣いながら愚痴ってくる。その言葉には「共感しろ」と暗に含まれているだろうが…、俺はどうでもいいんだよな…。そんな俺はこういってやるんだ…。
「知るかアホ」
「ひっどー! テンシンって意外に無慈悲なの!?」
オーバーなリアクションをとるリリーファはやかましいリリーファのままだ。ドグマ帝とかいうやつのことを気に病んでいるかと思ったが、案外ハキハキしていて安心だ。
「傷は大丈夫そうだな。相変わらずのリリーファで安心したよ」
リリーファは不思議そうな表情で俺の顔を見つめ返してくる。
「何だよ」
「テンシン、本当にありがとね」
そしてふと微笑むリリーファ。その笑顔を正面から受け止めた俺は、不覚にも見とれてしまった。
「…? テンシン?」
リリーファに声をかけられて我に返る。
「う、うるせぇな。どっちの方が心配したと思ってんだよ」
「それもそうかもね」
リリーファは再びケロッと笑って見せた。
そしてもう一度、何とも言えない桃色の空気が溢れた。
返す言葉もないまま沈黙していたその場に声がかかった。どうやら昼食の準備が整ったようだ。
「行こっか」
「あぁ…」
こんな時間はいつ以来だろう…。
リリーファが傍にいるのが当たり前なのは、きっと思い違いではないのだろう。そんな予感か、予知か、頭を不意によぎった。