不敵な敗色
大きな運河にかかる橋のちょうど真ん中。周りには誰もいないはずなのにリリーファは血しぶきを上げて倒れた。
「…おい、どうしたんだよ。リリーファ…、リリーファ!」
少しのタイムラグがあって俺は叫び声を上げる。鎖骨からヘソにかけて服が大きく裂けている。
(まさか斬られたのか⁉)
幸い傷は深くないようだ。リリーファの息はまだある。だがそれも時間の問題。早く手当をしなければならない。
「カッカッカ。どうしたイレギュラー、逃げないのか?」
"ドグマ帝"と呼ばれていたツリ目の男は橋の終わるに立っていた。先回りされていたのだ。
男の口元は微笑んでいるが眼はこっちをしっかり睨みつけている。
「リリーファを斬ったのはお前か?」
「だったらどうする――?」
男の返事が終わる前に俺はブートバスターを構えていた。
「"打突"!」
最小のモーションで飛ぶ打突を4発打ち込む。相手は見えないはずの打突を見えているかのように簡単にかわした。
続いてブートバスターを振り下ろすが、それすらも当たらない。
「ふん、素人が…!」
ブートバスターを振るときにできる大きな隙を男は的確に殴り込む。
「ぐっ! ぅぅ…」
一つ一つの拳に体重がのっている。ボクサーのようなパンチに思わず体を屈める。そこに追い打ちをかける蹴りがくる。
重い蹴りが腹をえぐり1mほど後退して膝をつく。
「ぁあ! …がぁ!」
衝撃が肺を圧迫して息が詰まる。
「てめーみたいな素人じゃ相手になんねーな。本当にスパイダーを倒したのか?」
「っるせぇ、俺は昔から"やればできる子"なんだよ」
「"やれば殺られる子"の間違いだろ」
「"やれば殺れる子"だ、バーカ!」
呼吸を整えてもう一度仕掛ける。今度は隙を突かれないように攻撃の"数"で圧倒する。
「"切断"! だあぁぁ!」
高速の太刀数で仕掛ける。純粋に一振り三太刀の攻撃、アクションの三倍のリアクションで攻める。
「はぁー。無駄だって分かんないかなぁー!」
男は懐から約20㎝のナイフを出す。それを力なく構えると――、
「――なっ!」
俺の足元にある橋が斬れた。
(何でだよ! 完全にリーチ外だろうが!)
落ちる寸前で橋に捕まる。右手はまだブートバスターを握っている。
「クソッ…」
掴んだ腕で体を少しだが引き上げる。そしてブートバスターを握った腕が橋の上に乗って体を引き上げたとき、男がそこにいた。
「があああ――‼‼」
俺の右肩を貫いた。今まで感じたことのない激痛が体に走る。
「ギャハハハ! 力を抜くと落っこちるぞ! 踏ん張れ、踏ん張れ!」
恐らく右肩を貫いたのはこいつだ。この際理屈なんかどうでもいい。
橋を上がる俺に何かするわけでもなく、男は下品な笑い声を上げ続ける。
俺が橋に上り切り、体を投げ出したときにその笑い声は止まった。
「んだよ…。もっと叫べよ!」
ナイフを振った直線状にあった手すりが斬れる。それを合図にして橋が傾き始めた。
「おっと、これはいけねーや」
男は橋の外に移動した。
「クソッ。リリーファ…!」
このままリリーファを河に落とすわけにはいかない。
「ぐっ…!」
倒れるリリーファを担いでライフルも担ぐ。力を込めると肩から血が噴き出た。ブートバスターとリリーファとスナイパーライフル。かなりの大荷物だ。逃げるには適さない。
(ライフルは置いていくか…)
「悪い、リリ――」
ライフルを掴む手を離そうとしたとき誰かの声が聞こえた。
「――こっちです! 乗ってください!」
河から声が聞こえた。その方向を見ると小さな船があった。
「さあ! 橋が崩れる前に!」
他に逃げ場がない俺はすべての荷物を持って船に飛び乗った。
すぐに出発した船は橋の崩落による荒波にもまれながら。誰にも気づかれることなく、その場所を離れていった。
運河を走る船は荒波に揉まれ、加えて荒い運転で大きく船は揺れる。
甲板にリリーファを寝かせ、担いだ武器を下ろす。それと同時に麻痺していた痛覚が活動を再開する。
「あっ、くぅぅ…」
しかし疲労が頂点に達しているのか声が出ない。
「大丈夫ですか⁉」
さっき聞こえた声と同じ声。
船の中から小さな少女が出てきた。
手持ちのベルを胸の高さで持ち、茶色のショートボブの髪を風に揺らしながら歩み寄る少女は俺の右肩の傷口を持ってきた布で抑える。
「ありがとう。でもこっちはいいからリリーファを、彼女の傷口を塞いでくれないか」
少女から布を受け取り自分の傷口を抑える。少女は一瞬困惑したものの、リリーファの止血に向かってくれた。
船の壁にもたれやっとの思い出一息吐く。すると頭の上から別の声が聞こえた。
「よお兄ちゃん。傷は大丈夫…ではないわな」
「おっ…」
頭を上げると無精ひげを生やしたおっさんが船室の窓に上半身を乗り出していた。
「色々気にはなるが後で聞こう。今はのんびりしてな」
「は、はい…」
どうやら敵ではない人たち。さっきの少女はリリーファの出血を抑えるために布を船室に取りに行っては抑え、そしてまた取りに戻るという作業を繰り返している。
この街に取り残されて初めて感じる安心感にひとまず身を任せる俺はいつの間にか深い眠りについていた。
一方"ドグマ帝"と呼ばれた男は取り残された形になる。だが口惜しさなどはなく、そこはかとない苛立ちが彼を取り囲んでいた。
崩れていく橋を睨みつけながら大きなあくびを一つ。実際に眠いのではなく、やり場のないストレスを紛らわすための彼の癖である。
「チッッ‼」
沈み切った橋にリリーファの姿は見当たらない。ついでにイレギュラーの男もいなかった。それを確認したとなれば苛立ちが増すだけである。
彼が接近を気付けなかった何者かが逃走を手助けしたということはすぐに分かった。それが可能な武器に心当たりがあったのだ。
もう一度あくびをしてもまぎれないストレスに身を任せ、手に持ったナイフを縦に大きく一振り。それだけで目の前の運河を切り裂いた。
(紛れねー。鬱陶しい虫どもが…)
そんな彼の元に一台の二足戦車がやってくる。中から出てきた者の顔はヘルメットで見えず、声や体格を見ても彼には誰だか分からなかった。いや、興味がなかった。
相手は律儀に膝をつき、ヘルメットでどもった声のまま話を切り出す。
「ドグマ帝に通達。後隊到着まであと三日とのこと。よって総司令より伝言『着陸用の広い土地を確保せよ』とのこと。座標の指定は――」
誰かに使いっぱしりにされたくない。誰かに膝をつくのはまっぴら御免だ。ドグマが一心に強くなったのは自分の自由を勝ち取るためだ。だから彼は木っ端の隊員を見ると無性に苛立つ。「お前はそれでいいのか?」と。
「――以上、後隊及び全隊総司令シュナイザ・アウゼル様よりの伝令」
すべての伝令を終えた隊員は一礼してその場を立ち去ろうとする。ドグマはその伝令のほとんどを聞いていなかった。
「あー、君、ちょっと待ちなよ」
「はい」
隊員はドグマの指示に素直に従い動作を中断する。ドグマの命令にここまで素直な隊員は珍しく、従順な相手に余計苛立つ。
「伝令お疲れさん。わざわざ使いっぱしりなんて恐れ入るよ」
皮肉で言ったが相手はそれを純粋なほめ言葉だと思い。素直な礼が返ってきた。こんな馬鹿が隊にいたと思うと頭が痛い。
「で、使いっぱしりしたばっかで悪いんだけども」
「…はい?」
最後の語調を弱めたドグマの声を聞こうと耳を傾けた隊員の首が飛んだ。
「もういいよ。乗り物だけ置いてお前の役目は終わりだ」
これも彼の癖である。ムカつくものは壊さないと気が済まない性分であり、相手が人であってもそれは変わらない。ましてや人であるならドグマは首を落としたがる。遠慮のいらない彼に舌戦は回りくどく、大雑把な彼に知略はいらない。本能と感覚で戦う彼には体に染みついたものがすべてである。だから彼は言う。
「首は人間最大の装飾品である」
と――。